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ポームベール街の砂糖菓子職人  作者: 天嶺 優香
三、お菓子のような日々
13/22

 レネットはこれまで外れた人生など送ってこなかった。

 親の言う通りに勉学に励み、そのうち自分で考えるようになっても失敗だけはしないようにと注意深く気を払い、それなりに遊び、やがて数回の恋もしたが、どれも実らなかった。

 若い男女の“一夜限りの恋”をレネットはできなくて、どんどん、周りに置いて行かれても気にしていなかった。

「……そのつけが、これ……?」

 ふと思って口にする。

 だって、シュクレが今どんな気持ちでレネットに告げているのか真意が全くわからない。

 その言葉に裏だってあるかもしれないが、男女の駆け引きなんてレネットにはできない。

 頭がシュクレの言葉をうまく理解できなくて、レネットは顔をしかめる。

 レネットを困らせている張本人のシュクレは顔を赤くしてそっぽを向いている。

 その様子は可愛いと思うが、だからといって言葉を鵜呑みにできるほど図々しくもない。

「あの……なんの冗談?なにか罰ゲームでもしてるの?」

「冗談なんて……!僕は本気です」

 赤くなった顔で必死に言うが、それでもレネットは首を傾げるだけだ。

 だって、選び放題の二十代の男が、わざわざ年上を狙うなんて、そんな事あるはずない。

「本気だなんて……だってあなたと話したのだって片手で数えれるくらいだし、そもそも私は年上で……」

 マスターがシュクレの前に頼んでおいたグリューワインを静かに置く。けれどシュクレはそれに見向きもしないで前のめりになりながら口を動かす。

「年上でも、なんでも、僕はあなたがいい。あなただから今日誘ったんです」

 うぐ、とレネットは言葉に詰まった。

 シュクレの言葉はどれも真っすぐで、心にそのまま突き刺さる。こんなに必死な告白を受けた事も、ましてや年下からそんな事を言われたのもレネットは初めてだ。

「……あなたはもてるでしょ?年だって若いのだし、他にもっと気になる女の子がいるんじゃない?」

 どうしてもレネットは否定の言葉しか言えない。

 シュクレに告白されて嬉しい、というよりも困惑の方が強い。両思いになれたという実感がまるでない。逆に親が子供を心配するような心地に陥ってしまう。

 レネットは温くなった自分のグリューワインに口をつける。

 だけど、変な気分のせいか全然味がわからなかった。普段は温かな赤ワインの渋みと、そこに足された香辛料の香りと甘みがするのだが、まるでわからない。

「……レネットさん。あなたは自分にどれほど価値があるのかわかっていないんですね。そうやって自分を貶めて。もう少し自分を過大評価してもいいと思いますよ」

 シュクレは悲しそうに顔を歪めると、来たばかりのグリューワインをぐいっと煽って一気に飲み干し、乱暴にカウンターへ置いて立ち上がる。

「今日は日が悪かったようですので、またあらためますね」

 シュクレはそう言って自分の会計と、レネットの分までの金額をカウンターに置いて早々に立ち去ってしまう。

 レネットはそれを呆然と見ている事しかできなくて、ただ扉の外へ消えて行く背中を見つめる事しかできなかった。

 そうして一人取り残され、レネットは放心したように呟く。

「マスター……私、なにか間違ってたの?」

 グラスに視線を落とせば、いつもと変わりない自分。

 不細工ではないにしても相変わらず地味な顔立ちだ。可愛げのない少しつり上がった目に、下がり気味の口元。

 見栄えのしない自分を、まさか本気で想っているとでも言うのだろうか。若い女の子達に大人気のあの、シュクレが。

「……レネットさん。女性は卑下したってなにも良い事はありませんよ」

 マスターは穏やかな声でそう言う。

 卑下したって良い事なんてない。確かにそうかもしれない。けれど、良い事はなくても自分を守れる。

 そんな人ではないと思うが、たとえばシュクレの告白を素直に受け止めて浮かれて、そして彼がそんなレネットを面白がって馬鹿にしていたら──レネットは笑っていられるだろうか。

 きっと自分では計り知れない底まで落ち込んで、もう立ち上がれない。

「私だって卑下したいわけじゃないの。シュクレと同じ気持ちだってわかって嬉しい。……だけど、それを素直に受け入れるほど若くもないもの」

 今までまともに男性経験をしてこなかったからかもしれない。男女の距離が掴めなくて、困る。

 全部嘘だったら。騙されていたら。そんな考えがぐるぐると頭の中を回っている。

「レネットさん。勇気は必要ですよ」

 マスターの言葉にレネットは頷く。

 確かに必要だ。だって、アナナスに言ったのだから。まだ頑張っていない。なにもしていないと自分で反省したばかりだ。

「……勇気」

 ぽつりと呟く。レネットに欠けているもの。

 いくら言葉で何度頑張ると言っても、そもそもの基本がなければ成り立たない。

 レネットは自分のグリューワインをぐいと煽る。口の中に流れるそのワインはもうだいぶ冷めていて、妙に香辛料が舌に障る。

「……冷めて美味しくない」

 温かいうちに今度は飲もう、と考えて、苦笑を零す。

 失敗しても、学べばいいではないか。こうやって、次はこうしようって覚えれば良い。

 いつまでも怖がってなにもしないままでは頑張ったなんて言えない。

「マスター。私、間違っていたのね」

 レネットは残ったグリューワインを飲み干して、笑う。

 マスターもそんなレネットを見て朗らかに笑ってくれた。

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