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ポームベール街の砂糖菓子職人  作者: 天嶺 優香
三、お菓子のような日々
12/22

 あの店で。あの店というのはやはり前に一緒に行った店の事だろう。

 ポームベール街から少し外れた所にひっそりと隠れ家のように佇む小さな酒場。

 店内は狭く、カウンターのみで、お客も一人か二人くらいしか見かけない。

 けれどそこのマスターが出す酒は格別で、おまけに料理の腕も良い。レネットの行きつけの店だ。

 仕事が終わってすぐ帰宅すると急いで身なりを整えて店に向かった。

 司書の制服でないだけまし、という程度の装いだが、仕方ない。

 日が暮れてちらちらと家に明かりがついて行く中、真っすぐ店を目指す。もうシュクレは着いているだろうか。

 なんだか緊張しているせいか胸が苦しくて、歩きながらレネットは深く深呼吸をする。

 そうしてようやく見えてきた店まで進み、その扉を開けて中へ入る。

 ガチャリ、と少し重たい扉を開けて店内を見ると、中には誰もいなかった。

 いや、いつも通り穏やかなマスターが「いらっしゃいませ」と声をかけてくれたが、その他に人はいない。

 時間が早かったのだろうかと時計を見れば、まだ七時だ。なんと急いでいたせいで気付かなかったが、一時間も早い。

「……早く着すぎちゃった……」

 レネットはなんだか一気に緊張が緩んで、ひとまずカウンターに座る。

 程よく暗い店内はとても静かで、今までの慌ただしさが嘘のようだ。

「なにを飲みますか?」

「うーん、なにかマスターのおすすめで」

 そう言うとマスターがにこりと笑う。髪はもう年齢のせいか真っ白で、顔もしわが深く刻まれているが、それでも昔はさぞ色男だったのだとわかる。

「今日はどなたと待ち合わせですか?」

「……一人で来る事だってあるでしょ」

「でも機嫌が良さそうですし、少し緊張しているようにも見えます」

 さすがに鋭い。ノワともアナナスともこの店に訪れた事があるが、きっとマスターには誰と待ち合わせているかなんてお見通しだろう。

「こないだ、潰れちゃったのよね。迷惑かけちゃってごめんなさい」

 そう言えばすっかり謝罪が遅れてしまったが、シュクレと飲んでその後一人で潰れてしまったのだ。マスターにも相当迷惑をかけたに違いない。

「珍しいなと思っただけで、そう迷惑でもないですよ。……飲み物はグリューワインにしますね。そろそろ夜は冷えますから」

「ありがとう」

 レネットはあの日の事をほとんど覚えていない。いつ酔いつぶれて、どうやってシュクレと帰ったのか。けれど、マスターの言葉は優しくて、思わずほっと息を吐く。

 すると店の扉がギギ、と軋みながら開き、店内へ人が入ってくる。

 顔をあげてそちらを見ると、レネットの待ち人であるシュクレだ。

 シュクレは珍しく慌てて来たようで、いつもは整っている触り心地の良さそうなホワイトアッシュの髪は乱れ、額には汗の粒が浮かんでいる。

「な、なにかあったの?そんなに息を切らして……」

 店内の時計を見ればまだ八時前だ。約束の時刻よりも早いのだからそんなに急いでいる理由がレネットにはわからない。

「いえ、店の女の子達から逃げるのに必死で……」

「ああ、なるほど……お疲れ様」

 大体の事がその言葉で予想がつく。きっとクラルテに来ていた女の子達は閉店準備をするシュクレの元に留まり続け、彼が家ではなくどこへ向かうのかを知ろうと追ったのだろう。人気者は大変そうだ。

「レネットさんもすみません。急に誘ってしまって……あと噂の件も」

 シュクレはレネットの隣に腰掛け、乱れた髪を手で整える。

 マスターはレネットの目の前に頼んでおいたグリューワインを置き、それを見たシュクレは「僕にも同じものを」と注文した。

「どうせ噂なんて長持ちしないから全然大丈夫」

 レネットがそう言うとシュクレは苦笑を零す。

「本当はもっときちんと伝えたかったのに……でもいい加減彼女達にもうんざりしていて、つい。すみません」

 それもそうだろう。女の子達はもちろんお菓子も買って行くが、シュクレに話しかける言葉は大抵意味を持たないものだ。

 シュクレさんはどこの生まれなの? シュクレさんはどういった演劇が好きなの?

 若い少女達の言葉はシュクレにとってきっとなんの意味も持たない。彼女達はクラルテのファンではなく、シュクレのファンだ。レネットだってシュクレのファンだけど、なにもシュクレの顔目当てに通っているわけではない。

 クラルテのお菓子こそ、レネットを魅了してやまない。もちろん、それを作るこの菓子職人もだが。

「いつも追いかけられてるのよね。大変ね」

「そうなんです。おかげでいつも全然あなたと話せない」

 ん? とレネットは首を傾げる。なにか、話がおかしな方向に行っていないだろうか。

 そういえば先程もシュクレは「本当はもっときちんと伝えたかったのに」と言った。

「え、あの……話が見えないのだけど……」

 レネットが困惑しながらシュクレの方を見れば、途端に彼の顔がわずかに赤みを帯びる。

 あ、と自分の言葉に気付いたシュクレが口をぱかりと開けて、それからぱくぱくと口を意味もなく動かす。

「あ、いえ……えっと……」

 こんなに戸惑っているシュクレは初めて見た。一体どんな言葉が紡がれるのか彼の顔を観察しながら待っていると──

「……あなたの事が好きなんです、レネットさん」

 と、思いもしない言葉がシュクレから紡がれて、今度はレネットがぽかんと口を開ける方だった。

5/30までの連続更新ですが仕事の関係上……夜遅くになりそうです。遅くても朝には更新!と思ってくれれば幸いデス。

これを5/30の朝まで開催。あと四回の更新かな。

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