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結婚適齢期を過ぎて、もう嫁ぎ遅れと世間から言われても仕方ない二十八。
周りは皆もう結婚していて、子供だっていて幸せな家庭を築いている。レネットだけ取り残されて、その幸せな家庭を見て心に黒いもやがかかる。
──私は結婚なんてまだしたくないもの。だって一人の方が楽でしょ。
そう言い訳をして。でも、それは自分を守る為の強がりで。
本当はいつまで経っても、皆みたいにきらきらとした恋も、胸が締め付けられるような愛なんてものも経験できなくて、羨んでる。
そんなレネットが、色のない人生で久しぶりに心を動かされた、あの甘くて優しい男に、無性に会いたかった。
声を聞いて、そのほわっと砂糖がとけたような笑顔を見て、心を癒してほしい。
「私……私は……」
ノワの事が頭の中をよぎる。テーブルに突っ伏して、悪態をついていた様を思い出す。──けれど、レネットは椅子から立ち上がる。
それを見たアナナスが苦笑を零した。
「いいんだよ、あんたの好きにして。自分の気持ちを押さえる必要なんてないんだから」
「でも、本当はノワと……」
──ノワと結婚した方が将来がある。
そう言おうとして、はっと口をつぐむ。
自分はなにを言おうとしていたのか。ノワがレネットを想っているその心を利用して、自分にとって楽な道を選ぼうとした。
でもきっと、それをノワだって狙っているのかもしれない。
嫁ぎ遅れた男に興味のない二十八の女は、気心の知れた男に想いを寄せられ、結婚。そんな筋書きを、ノワだって描いていたのかもしれない。
けれど、レネットはノワの想いを利用する事も、もちろん受け入れる事もできない。
「アナナス、私やっぱりノワとは無理みたい……だって、だって」
自分がまさかこんな事を言う日が来るなんて、想像できただろうか。
レネットはこみ上げる気持ちに戸惑いながら拳を握り、真っすぐアナナスを見据える。
「だって、私……シュクレが好きだもの」
正直な私の想いに、アナナスが一瞬呆気にとられたように目を見開いた。
まさか見栄っ張りなレネットがここまで気持ちを言うとは思っていなかったのかもしれない。
アナナスはにやりと口を歪めて笑う。
「じゃあさ、早く会いに行けば?」
「まだ頑張れるよね」
「そうだね。頑張ってみればいい」
「若い子にだって負けてられないよね」
「そうだね。負けんじゃないよ。色気はあんたが勝ってる」
アナナスの言葉は私の胸に染み込む。まだ頑張れる。だってレネットはまだシュクレに対してなにも頑張っていない。
ただ、遠くで若い女の子達がはしゃぐ姿を羨ましく見ていただけ。
──まだ、なにも頑張っていない。
「私、行ってくる!」
アナナスに背を向けて礼を言い、レネットは裁縫店を出て夕日でオレンジ色に染まるポームベール街を駆ける。
向かう先は、同じ通りにあるレネットが求めてやまない店主の店“クラルテ”。白い花が咲くオレンジの街路樹をいくつも横切り、ようやくくるみ色の煉瓦の建物が見えてくる。
その白いペンキで塗られた扉の前に立ち、レネットは深呼吸をして息を整える。
走ったせいで崩れた髪を手で整え、ドアノブに手をかけてゆっくりとその扉を開く。
ちりん、と扉につけられた鈴が音を鳴らし、中にいる従業員がこちらを向く。
「いらっしゃいませ」
今日もまた若い女の子達に囲まれたシュクレが笑顔を浮かべて挨拶をする。レネットはその笑顔の破壊力に思わず足を止める。
──うっ。
いつもはシュクレを見て、若い女の子達に圧倒され、すごすごとメレンゲを買って帰る。けれど、今日は違う。
ぐっと拳を握って、シュクレと女の子達のいるその塊へ足を一歩進め、もう一歩。更に一歩とゆっくりと進む。
そうして近づいてくるレネットを一体何事かと驚いている少女達を無視して、レネットはシュクレを見据えて言葉をかける。
「先日は急に……すみません」
あまり周りにシュクレの家に行った事は言わない方がいいだろう。そう思って言葉を濁してレネットが謝ると、シュクレは笑ってくれた。
レネットとしては、声を大きくして「あなた達が頑張って狙っているこの男と私は一緒に酒を飲んで家にあがってベッドまで使わせてもらったの」と言いたいところだが、それを言われて困るのはシュクレだ。
客と店以外で会っていたなんて知られれば女の子達も我先にと今度は外のデートを誘い出すに決まっている。
「よかった。急に出て行ってしまったので驚きましたよ。朝食も用意していたのに」
──ん?
レネットはシュクレに言われた言葉を理解する事ができなかった。
なにを言ったのだろう、この人。にこやかな笑顔で、今なにを……。
「シュクレさん!それってどういう事ですか?朝食?」
「そうです。朝食って……え、この人とまさか一緒に?」
わあっと次から次へと若い少女達はシュクレに問いつめる。だからレネットは言葉を濁したのに、シュクレは理解してくれなかったのだろうか。
やはりこんなところで口にする話題ではなかったのかも、とレネットが肝を冷やしていると、シュクレはぎゃんぎゃんと耳に痛い声で責め立てられているというのに実に良い笑顔──ふわりとそれこそ一瞬レネットも状況を忘れてしまって見惚れる笑顔で、言葉を発する。
「彼女と一緒に食事をして、その後僕のベッドを貸しました」
なにを、とレネットの口が勝手に動いた。
その後、いつもは比較的おだやかな“クラルテ”の店内に、少女達の耳をつんざくような叫び声が響いた。
更新するする詐欺をしていましたが、ようやくの更新です。
もう少し早いスパンを心がけます。




