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ポームベール街の砂糖菓子職人  作者: 天嶺 優香
一、甘い砂糖の男
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 花と木々で溢れる賑やかなポームベール街の一角。

 そこには、桃色と茶色を混ぜ合わせたような柔らかいくるみ色の煉瓦で造られた“クラルテ”という店がある。

 女の子の大好きなメレンゲ、グラッセやジャム。きらきらと輝くその甘いお菓子たち。だけど、一番甘いのはそれらの商品ではない。

 クラルテの若き店主・シュクレだと、レネットは思う。

 図書館司書という肩の凝る仕事帰りに、ふらりと今日もついつい足が向いてしまう。

 白いペンキで塗られた木製の扉を開ければ、甘い香りがふわりと鼻孔をくすぐる。

 ちりん、と扉に付いた軽やかな鈴の音が来客の知らせを鳴らせば、若い女の子に囲まれていた店主がこちらへ顔を上げて、ほわりと柔らかな笑顔を作った。

──うっ。

 その甘すぎる笑顔に、思わず足が震えた。

 砂糖のような淡いホワイトアッシュの髪はくるくると跳ねていて、触り心地が良さそうだ。とろけそうなチョコレート色の瞳に見つめられて甘い言葉を囁かれたら、きっと腰が抜けてしまうに違いない。

 そのくせ捲られたシャツからのびる腕は程良く筋肉が付いていて、長い指は男らしく骨ばっている。足も長く、スラックスをぴったりと着こなしている。腰に巻いた瞳と同じ色のチョコレートカラーのエプロンが良く似合っていた。

──だめよ。年下に惑わされるなんて、そんなこと。

 レネットは今年二十八になるが、まだ結婚も恋人もいない。今まで仕事一筋で働いてきたせいか、耳年増になるばかりで、ほとんど男性経験はない。

 だからだろうか。この甘いお菓子のような年下の男を見ると、胸が騒ぎだす。

「どうぞ、新作のりんごのグラッセです」

 試食を、とレネットに皿を差し出しながら話しかけてきたのは副店主のグルナードだ。レネットよりも年上だろうその男は、若い女の子たちが騒ぐシュクレのような甘い美貌を持ってはいないが、それでもその肩の長さまでのうねる黒髪と顎のひげは、妖しい雰囲気のある美丈夫だ。

「……ありがとう」

 本当はレネットだってシュクレと話したいが、まさか十代の女の子達の中に入って騒ぐことなどできない。できるだけシュクレの方を見ないようにしてグルナードの皿からグラッセを一つ、口にする。

 口にした途端、ラム酒の癖のある甘さが口に広がり、りんごの爽やかさと程良く混ぜ合わさる。

「美味しい……」

 思わずそうこぼすと、グルナードは歯を見せて笑った。

 栗のグラッセはこのクラルテの看板商品だが、りんごのグラッセも負けず劣らず美味しい。ぱくぱくと手を出してしまう丁度良いくどくない味だ。

「りんご? 初めて食べたけどとっても美味しいのね」

 感嘆してグルナードにそう言う。

「ありがとう。気に入ってもらえて良かった。シュクレも試食を持っているからどうぞ向こうのも食べてみてください」

 そう笑いかけられ、つい視線をシュクレの方に向ける。夕方という時間帯のせいもあるのか、やはりそこは女の子達で溢れかえっていた。

 広くない店内で、あそこに行ってもみくちゃにされながら彼の試食にたどり着くのは難しそうだ。もちろんシュクレの方の新作も気になるが、十代と比べればそこまで若くないレネットは諦めてカウンターに向かい、グルナードに清算をしてもらう。

「美味しかったからりんごのグラッセと……メレンゲを」

 ショーケースに並んだりんごのグラッセに、女の子達で溢れるシュクレの方にあるホイップの形をした可愛らしいメレンゲを頼んだ。

「はい、二点ですね。ありがとうございます」

 提示された金額を払い、グルナードから商品の入った袋を受け取ってそのまま店を出た。外はまばらな人が歩いていて、寒い風が吹いてレネットは首に巻いたマフラーに顔をうずめる。

 そこは甘い香りも、にぎやかな声も、温かな空気もない。

 一気に現実に戻された気がして、レネットは苦笑をこぼして家に帰った。


    ***


 そもそも、クラルテは最近できた店で、最初こそあまり客はいなかった。

 レネットはたまたまその通りが図書館から家までの通り道で、真新しい店につい足を止め、甘いもの好きの性分ゆえに店へ足を踏み入れた。

 そこで目についたメレンゲと栗のグラッセを食べれば、かなり自分好みの味で、試食後すぐに清算をすると、会計をしてくれた青年がほっと息を吐いた。

「ああ、良かった。初めてのお客様だ」

 崩れた笑みを零した彼に、レネットは一目で釘付けになった。

 それから一週間も立てば店主の容姿が噂になり、瞬く間に女の子たちの人気店となった。後で噂によって知ったことだが、レネットが最初に会った青年こそあの店の店主で、まだ年齢は二十二だという。

 お菓子を作るのは主にシュクレで、副店主のグルナードは主にその補佐、会計や品出し、客の相手を中心に担当している。だが、グルナードは中年の婦人たち相手だとその人気ぶりは凄まじいものだが、十代の女の子はやはりシュクレ目当てが多く、厨房に引っ込んだままではいられないらしい。

 家に帰ったレネットは椅子に座ってメレンゲを口にする。

 さく、と軽やかな甘さと食感が広がり、思わず笑みが零れた。

 シュクレのお菓子は人を幸せにする。そんな噂が囁かれるお菓子に、今日もまたレネットは救われるのだ。

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