強くて美しい少女
葵は頷いて、荷造りを始めた。
透もそれに合わせ、荷物を詰め始める。
こんなとき、何を持っていけばよいかまるでわからなかったが、まずは食べ物から詰める。レッドカウ社のコンビーフを五缶、ブルーフィッシュ社のツナ缶、缶入りの乾パンにガーナチョコレートをありったけ、戸棚にあったビーフジャーキーにピスタチオ、ミネラルウォーターはたくさんあったが、重くてたくさんは持てそうにない。五百ミリリットルのボトルを三本ほど詰める。
他に使えそうなものは・・・、そう考えて、透は以前からスパイ映画を真似て作っていたリール状の道具や爆竹などの一式を鞄に詰める。なにかの役にたつだろうか。
正直かなり疑問だったが、今持ち出さずにいつ持ち出すのかと自分を納得させる。なんだ、案外遊び気分じゃないか。舐めたもんだ。そう思うと、少し気分が落ち着いた。傍にいた葵が、懸命な様子で何を詰めているのか見ていると、お菓子ばかりではないか。
「葵、そんなもの詰めている場合かい。」
「ちゃんと食べ物や毛布なんかも入れてるわ。」
そう言って、金属のアームをガチャガチャ言わせながら戸棚を漁る。黄金色のクラッカーや色とりどりのキャンディー、銀紙に包まれたチョコレート菓子などを、自身の腹のあたりのポケットのような部分に次々放り込んでいく。いっぱいになると、グイーンという機械音とともに収納された。
「おいおい、そんなおやつみたいなものじゃなくて、もっとしっかりカロリーがとれてかさばらないものをだな・・。」
一樹も、その様子を見ながら、呆れたように言う。
「だって、食べたいんだもの。」
つんとして葵は答える。一樹は呆れ顔だ。葵という子は、普段は十六とは思えないほど冷静で論理的なのに、時々呆れるほど子どもっぽくなる。
「さあ、時間だ。」
一樹が二人を促した。透は、目の前にぱっくりと開かれた地下道への入り口に目をやった。
「行きましょう。」
そう言って葵は、小さな体でひょいっとその暗い穴に飛び込んでいった。透も、葵に続いて地下道への通路を下っていく。縦穴は、深さ20m程度で、数十秒梯子を下りていくと、すぐに床に足が着いた。
「透、遅い。」
先に降りていた葵が、じっと透を見つめている。葵の体は頑丈に作られていて、20m程度であれば、飛び降りても全く支障はないようだ。
「あのねえ、こっちは君と違って、そんな頑丈な体をしてないの。数メートルの高さから落ちただけで死んじゃうこともあるわけ、わかる?」
透が猛然と抗議をしている頭上を一樹が飛天で通り抜けた。透の頭のてっぺんをすれすれにかすめる飛行で、透は思わずその先の言葉を飲み込んだ。
「おい、なにをごちゃごちゃ言ってんだ。連邦の奴らが追ってくる前に、急ぐぞ。」
一樹は、ゴーグルを上げて振り向きざまに透と葵に向かって言った。
「葵、透を乗せて飛べるな?」
「OK。」
次の瞬間、単なる掃除用ロボットの形をしていた葵の背から、メタリックブルーの翼のようなものがせりだしてきた。葵は、透の足元をすくうようにして透を乗せると、前に立ちはだかる軍人と壁の三十センチほどの隙間を、時速五十キロはあろうかというスピードで通り抜けた。
「あなたの飛天なんか、きっとついてこれないわよ。」
そう一樹に向かって挑発的に言う葵に、一樹はむきになって加速する。
「ほんとに生意気なやつだな。」
「お褒めいただいて、どうもありがとう。」
葵が余裕のある表情で答える。三人でしばらく地下道を進んでいくと、うずくまっている人影が見えた。先頭を走っていた一樹は、警戒して数メートル離れた場所で止まり、エアガンを構えた。
「あそこ、誰かいるぞ。」
透と葵も一樹のすぐ後ろで止まった。うずくまっている人影が、うめき声とともに、こちらを振り向く。三人の間に緊張が走った。
「松下さん。」
一番に気がついたのは、一樹だった。一樹の言葉に、透も薄暗い地下道でじっと目をこらす。それは、武治の直属の部下の松下であった。
「大丈夫ですか。」
一樹は、機体を蹴り飛ばすような勢いで飛天から降りると、松下に駆け寄った。
「君は・・・一樹君!ああ、大丈夫、少し怪我をしているだけだ・・。」
透も一樹に続いて駆け寄る。葵は少し離れた場所で、じっと三人を見つめている。透と一樹以外の者の前で、話したり動いたりするのを見られるのはまずいと思っているのだろう。
松下は父がもっともかわいがっていた部下の一人で、年は40代の半ば、その聡明さが買われて、父の政党の副総裁の地位にいる。
一樹が確認すると、腹部からかなり出血していた。その傷を見た一樹が、驚いて尋ねる。
「松下さん、どうして、こんな。」
松下は、苦しそうな顔になんとか笑みを浮かべて自嘲気味に答える。
「地下通路に出てくるときにしくじった。腹に一発、鉄の球を、な。」
「ひどいことをする・・・。」
一樹は鞄を開けて応急処置のセットを取りだすと、出血している個所を強く包帯で巻いた。松下の呼吸はかなり苦しそうだ。
「・・・橘首相は、どうやらはめられたらしい。
首相は確かに、核融合の開発を秘密裏に進めていた。しかしそれは、あくまでも平和的なエネルギー利用を目的としたものだ。
しかし、連邦は、彼を連行した。彼らは橘首相を捕えただけでは飽きたらず、武装して地底の家探しを始めた。」
「松下さん、あまり喋らないほうがいい。」
一樹が制した。
「ここにいたら、また追手が来る。松下さん、さ、後ろに乗って。ともかく外へ出よう。」
一樹の言葉に、松下は首を振った。
「私が行けば、足手まといになる。」
「何を言ってるんですか。」
「動くな!止まりなさい!」
突如、三つのライトに照らされた。連邦の軍人たちだった。
「いいから、行け!」
一樹と透は一瞬ためらったが、松下の声に押され、再び出口へと加速を始めた。葵も後を追う。
「追ってが来ているな。」
一樹が、正面から視線を反らさずに呟いた。ゴーグルの奥の涼しげな瞳には、いつにない緊張感が走っている。
「このままのスピードだと、追いつかれる。俺が奴らの足止めをするから、お前達は先に行け。」
一樹の言葉に、葵が言う。
「何を言ってるの。相手は連邦の軍人よ。丸腰で、勝てるはずがないわ。」
一樹は、そっとポケットから、電子銃を取り出した。
「一応、地底国首相の息子だからね、もしものときの武器くらいは隠し持っているってわけ。」
一樹はそう言って、うっすらと笑みを浮かべる。
「大丈夫だ、心配するな。」
そう言って、一樹は飛天をぐるりと旋回させて、逆方向へと走る。
「ちょっと待ってよ!」
葵は声を張り上げるが、一樹は颯爽と行ってしまう。
(勝手な奴。)
葵は心の中で呟く。追いかけて文句の一つも言いたいが、今は透を守らなければいけない。葵は、そのまま飛び続ける。
(一樹なら、きっと大丈夫。・・・別に心配しているわけじゃないけど。)
葵は心の中で呟く。
透は、葵の背で、まっすぐに通路を見つめている。ゴォーゴォーとなる風は真っ暗闇に続く通路に音ごと飲み込まれていくようで、恐ろしさと緊張で、透はごくりと息をのむ。一樹と別れてから、透の心細さはさらに増した。葵が、幾分かこわばった声で、透に告げた。
「透、よく聞いて。連邦の軍人が、しつこく追いかけてきてる。一樹が食い止めた残りの兵たちね。
私が単独で飛んだら負けないスピードだけど、あなたを乗せて飛んでいるから、スピードダウンしているの。間もなく追い付かれるわ。私が彼の足止めをしておくからあなたは出口へ向かって。いいわね?」
葵の声に緊張感が混じる。
「そんな、葵ひとり置いていくなんて。」
「大丈夫。最小限度ではあるけれど、もしものときのために、私の中に戦闘用の装備があるの。」
「だけど、そんな危険なこと・・・。」
「大丈夫。心配しないで。あなたは、大切な友達だから、全力で守るわ。」
葵はそう言って、なかば無理矢理に透をおろすと、高速で通路を引き返した。
「葵!」
透の声が背に聞こえるが、葵は振り返らない。追ってきている軍人の速度からして、かなり高度な装備を施した軍人のようだ。透を危険な目に遭わせたくない。
すぐに連邦の軍人に鉢合わせた。高速の飛行バイクに乗っていた。すれ違いざま一発お見舞いしようとするが、軍人によけられてしまい、再び旋回する。こんな用途はまるで想定していないから、自分の装備は今のところまるで戦闘用ではない、と葵は苦々しく思う。軍人は、空中に静止したまま葵と向き合うと、愉快そうに話し始めた。
「へえ、どんなハイテクなメカかと思ったら、こんなおんぼろの掃除用ロボットとはね。よくもまあ、あんなスピードで飛べたもんだ。
一体、どんな裏技を使ったんだい?それとも、地底国のモグラたちがなにか手を加えたのかい?
・・・なんて、語りかけたところで、無駄か。人間様の言葉なんて、わかるはずもない。大方、スピードに特化した飛行用ロボだろう。しかしお前、ご主人様をどこにやった?え?」
やたらとよく喋る軍人だ、と葵はうんざりする。襟の章を見るかぎり、それほど位は高くない。
「なんだ?一人前に、俺の邪魔をする気か?」
そう言って軍人は、もっていた空圧バズーカを葵にむける。いまどき空圧のバズーカなんて。葵は鼻で笑ってしまう。一気に片をつけようと葵は装置の出力を最大限に上げる。
次の瞬間、軍人が放ったバズーカの衝撃波が、葵の左腕をかすった。その瞬間、左腕に焼けるような痛みが走った。葵が驚いて自分の左腕を見ると、煙をあげて、表面の金属が溶け出していた。
(これは・・・、普通の空圧バズーカじゃない?)
左腕の痛みをこらえながら、葵は混乱していた。あのバズーカに触れたらまずい。葵は、バズーカの軌道を計算するためにすべての計算用コンピュータを導入する。銃口の角度を、ミクロ単位で拡大する。もう一発。かろうじてよける。まだ軌道とスピードを計算しきれていない。
「へ~、こりゃ驚いた。単なる飛行用じゃないってか。」
昔、研究所に置いていたスパコンなら、いとも簡単に一瞬で計算してみせただろうに。こんな小さな体の小さなコンピュータでは、どうにも時間がかかる。葵は軍人に対して、連続して発砲する。二発、三発。
驚くべきことに、それは、軍人の体の表面を覆っているらしいシールドにはじき返されてしまう。そのシールドは、軍人の体に埋め込まれた特殊金属から出された電磁波によって作られたもののようだ。
(人間の体に特殊金属を埋め込むですって?)
そんなことをしたら、将来的に、人体にどのような影響が出るかわからない。いや、毒性の強い金属であれば、それはすでに出始めている可能性さえある。まさか連邦が、人間に対して、そんな肉体改造を行うなんて。そんなはずがない、と思いながら、そんなことを考えている場合ではないことに気がつく。
(とにかく、あのシールドをなんとかする必要があるわ。)
しばらくの間、シールドが作られる際の電磁波の値を、葵は測定し続けた。三分間の測定値の結果を検証する。どうやらシールドの出力には不安定さがあるらしい、ということがわかった。コンマ以下数秒おきに一瞬、シールドの電磁波が急激に弱まる瞬間がある。
(開発仕立て、といった様子ね。)
軍人は絶え間なく腐食液のバズーカを打ってくるが、その軌道はすでに解析済みで、それをよけるのはすでに簡単なことになっている。あとは隙を見て、自分の攻撃を当てられさえすればよいのだが・・・。こちらの武器のパワー不足を考えると、出来るだけ近くから弾を打ち込みたい。
敵の動きをしばらく観察していた葵は、腐食液バズーカも連射しているようにして、充填にコンマ数秒の時間を要していることに気がついた。近づいた瞬間に放たれないよう、近づくのはそのリードタイムの一瞬にしたい。装備を整える余裕はなかったが、スピードには自信があった。向こうは、こちらからの反撃など、予想だにしていない様子だ。
「へえ、よけるのが随分上手になってきたじゃない。だけどね、攻撃をよけるだけじゃ、戦闘では勝てない。わかる?」
軍人は勝ち誇った様子で言う。どうにかやっとよけている、という様子を装いながら、葵は、少しずつ軍人への距離を縮めていく。近づけば近づくほど、軌道を避けるのが難しくなる。あと5.31542秒後・・・!葵のダッシュ昨日はすでにタイマー設定されている。
「俺はね、お前相手に道草を食っている場合じゃないんだよ。早くあの息子たちを捕まえて、連れて行かなきゃならない。」
(今だ!)
葵は瞬時に軍人の30センチ近くまで近付く。
「なに?」
とっさの出来事で、軍人は対応出来ない。同時に、軍人の心臓部に弾を発射する。
彼がこと切れるが事切れる瞬間の表情は、非常に間が抜けていた。