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孤独にたたずむ研究者

 半年前の爆破テロ事件以来、研究所は騒がしい。


 警察庁や総務省の人間が、頻繁に出入りするようになった。いまや、研究所のナンバース3の開発部長である敷島大志は、そういった人々の対応に追われ、自分の研究にはなかなか手をつけられずにいる。今日やってきたのは、総務省の町村佐和子という女性だった。打ち合わせが長引いて、約束の時間に五分ほど遅れてしまった。受付からの電話で思いだし、慌てて、研究室を出る。


 まるで病院のような真っ白な廊下を抜けると、ガラス張りのロビーに出る。ロビーは、三階までの吹き抜けになっていて、来客用に、真っ白なテーブルが三卓ほどと、色とりどりのチェアが並べられている。研究所、とは思えないほど洒落たデザインだ。

 着任時、その洗練されたデザインに、敷島は驚いたものだが、最近の国立の研究所では当たり前のものらしい。国立研究所では、一般の見学者を受けいれている施設も多数あるので「クリーンな」イメージが大切だという。特にここのように、核関係の研究を行っている施設であればなおさら。

敷島が近づいてきたことに気がつくと、ロビーのオレンジ色のチェアに腰をおろしていた女性は立ちあがり、先に挨拶の手を差し出した。


「どうも、はじめまして。」


 いかにもキャリアの女性らしいチャコールグレーのスーツに身を包み、下だけフレームのないパープルの眼鏡をかけている。以前は外資系のコンサルティング会社に勤務していたそうだが、数年前に転職してきたという。最近では、そういった経歴の人間は官庁内にも多い。年は三十台前半といったところか。


「どうも、ようこそいらっしゃいました。お待たせしてしまって申し訳ない。こんな山奥ですから、大層お疲れになったでしょう。」


 そう言って、敷島は、佐和子と親しげに握手を交わした。


「いいえ、とても素晴らしい環境ですわ。こういう場所に来ると、なんだかワクワクします。学生の頃は、研究職を目指していたこともあるんですよ。」


 佐和子は、固い第一印象を打ち破るような茶目っけのある笑顔で言った。


「ほう、そうでしたか。なにか心変わりがあったんですか。」


「ええ、結局のところ、世の中を動かしていくのは文系の人間だと気がついたので。」


 突然のぶしつけな発言に、敷島は面食らった。しかし、佐和子は表情を変えることなく微笑んでいるので、自分の聞き違いかと耳を疑うほどだった。その言葉が、敷島に対する嫌みに聞こえることがわからないほど、愚かな女性ではないように思えたが、敷島は、その言葉について深く考えないことにする。一つ一つの言葉をいちいち深読みするような繊細な性格では、開発部長という自分のポジションは務まらない。現在の役職について三年が経った敷島の結論である。敷島は、何事もなかったかのように話題を変える。


「さて、今日はこちらの施設をご見学されたい、ということだそうで。なんでも・・核融合炉が実用化に至った際の実際の出力エネルギーの大きさについて特にご興味がおありと。」


「ええ、詳しくは申し上げられませんが・・・。近い将来、必然的に、核融合炉を政府が必要とする可能性が高まっています。こちらでは、世界最先端の核融合炉技術の研究がされていると伺いまして。」


 敷島は、深く頷いた。すぐにでも見学に移りたかったのだが、少し話が長くなりそうだと思い、敷島は、再び腰掛けるよう沢村佐和子にジェスチャーで伝える。そして、自身も近くにあったブルーの椅子に腰を下ろした。

 

 二人が腰かけたタイミングを見計らったように、受付嬢が、ホットコーヒーを二つ、運んできた。敷島は、受付嬢に目で礼を言い、コーヒーに口をつける。全員で三名いる受付嬢の中でも、今日の彼女が入れるコーヒーが一番うまい。おまけに美人だ。敷島は、佐和子の質問に答える。


「ええ、ここでは主に、プラズマの制御技術の研究を行っています。核融合反応の準備段階として、原子を電子と原子核に分かれたプラズマの状態にする技術を安定的に行えるようにすることは、必要不可欠なことですからね。」


「敷島部長は、プログラミングがご専攻と伺っていますが、なぜ現在はこちらの部署に?」


「はは、プログラマというのは、機械工学でいう、いわば雑用係みたいなものでして。ここの所長は、実は私の大学時代の山岳部の先輩でね、少し手伝ってほしい、と連れてこられて、気がつけばもう三年です。早いものですね。技術者の人事なんていうのは、案外そんなものです。」


 敷島が笑うと、佐和子も調子を合わせて笑った。


「そうだったんですか。そういえば私、敷島教授の著作を先日読ませていただきました。大変興味深く拝見させていただきました。」


「ほう、私の本は、だいぶ専門的な内容のものが多かったかと思いますが、ご理解いただけたとは。さすが、政府の高官の方はレベルが違う。」


「いえ、読ませていただいたのは山登りについてのほうです。」


 二人の間に小さな笑いが起きる。敷島はガタイの良い男で、高校、大学と山岳部に属していた。卒業後も、登山の趣味は続けていて、大会等でも実績があったことから、登山に関しても、数冊の本を出版している。高校時代は、登山にのめり込み過ぎて、結局、一浪しての大学入学となったほどだ。敷島は、懐かしく当時のことを思い出す。


 一浪の後に入学した大学の工学部の電子工学科では、プログラムについて学んだ。プログラミングは、なんとなく登山に似ていて、敷島はすぐにのめりこんだ。プログラムで果たすべき目的、いわゆるゴールは決められているが、それに至るまでの道筋を考えるのが第一の課題だ。いかに無駄を省くか。いかに順応性のある方法をとるか。見落としている事象はないか。道筋が決まれば、あとは愚直にゴールへのプログラムを入力していく。ひとつでも間違いがあれば、そのプログラムは全く動作しないか、とんでもないゴールにたどり着いてしまう。


 プログラムが完成したときの達成感は、山頂で飲む沸かしたてのコーヒーの味に似ていた。修士課程を終える頃には、難解と言われ、なかなか実現しなかった様々なプログラム制御を、敷島は独自のアプローチで次々と解決し、その能力は業界でも話題に上がるほどになっていた。


 他人が作ったプログラムの穴を見つけるのも、敷島が得意とした分野だった。他人が書いたプログラムは、自分以外の人間の思考回路を覗きみているようで、とても興味深かった。世の中の因果関係の全てが、プログラムで書かれ、ディスプレイで様々な数値が出力されるようになれば、世の中はもう少しわかりやすくなるのに、と半分冗談のような気持ちで思ったものだった。当時の担当教授に、大学で研究を続けるように勧められ、なんの迷いもなく博士課程に進んだ。


「それは冗談で、プログラミングについての著作をいくつか読みました。敷島部長は、文章がとてもお上手ですね。まるでプロの作家さんのようで、専門的な知識のない私でも、大変面白く拝読しました。」


 当時のことを、ぼんやりと思い返していた敷島は、佐和子の言葉に、はたと我に帰る。


「それはどうも。今は、マネジメント関係の庶務の業務ばかりで、自分自身の研究を進める時間はなかなかないんですがね。」


 敷島は、そう言って苦笑する。今、妻の冴子が生きていれば、今の自分になんと言っただろう。敷島は、この頃、よくそんな空想をする。全く、便利屋みたいな仕事をしちゃって、研究者がそんなことでいいと思っているの?あの高慢ちきな様子できっとそう言うに違いない、と敷島は思う。

 

 敷島が博士課程に進んだその年、理学部物理学課の修士課程に、とんでもない女が編入してきた、と話題になった。その女性の名前は青木冴子と言い、連邦国のトップの大学の物理学科を二年飛び級で卒業した後、日本国にやってきたという。ひょんなことから知り合った二人は、今となっては信じられない話だが、なぜだか冴子のほうが、敷島に猛烈にアタックをしてきて、敷島が博士課程二年のときに、二人は学生結婚した。後から、なぜ自分をいいと思ったのか、と冴子に尋ねると、熊さんみたいで可愛かったから、と冴子は即答した。本当に、不思議な女性だった。


 こんなふうに世間話をしているのに、一度も妻や娘のことを訪ねてこないということは、おそらく佐和子は知っているのだろう、と敷島は気がつき始めている。敷島が、妻であった冴子を若くして病で亡くし、娘である葵は、先日のテロによる爆発で、瀕死の重体であるということを。そうでなければ、尋ねてくるに違いない。なぜなら、彼の妻と娘は、彼自身を遥かに凌ぐ有名人だったのだから。敷島の妻は、才色兼備で有名な宇宙飛行士だったし、娘は最年少の八歳でフィールズ賞を受賞した天才数学者だった。


 しかし、その二人とも、今はもう、自分のそばにはいない。仕事に集中していて、ふとその事実を思い出すとき、敷島は絶望的な気持ちになる。佐和子が、二人について尋ねてこないことは、敷島にはありがたかった。尋ねられれば淡々と敷島は答えるが、これまで何千回と口にしてきた内容だというのに、それを繰り返すのは、いまだに苦痛以外の何者でもなかった。

 

 爆破テロの後、敷島は、葵を、幼い頃から研究室に出入りさせていたことを心から悔やんだ。特に、この研究室は、連邦と日本国が共同で立ち上げた、世界最先端の技術研究所だ。いわば資本主義にものを言わせ、他国の都合も考えず、いかに自国が優位にたてるか、ということしか考えていないような資本主義諸国の精神性を体現しているような場所だ。テロの標的になることは、十分、予想できたはずだ。けれども自分は、葵を研究室で働かせ、結果、あの子をあんな姿にした。彼女の大切な忘れ形見のあの子を。


(やめよう、今は、仕事中だ。)


 敷島は、そう自分に言い聞かせ、今は余計なことは考えまいとする。敷島は、勢いよく立ちあがり、佐和子を促す。


「さ、こちらです。しかし、総務省の方が、突然核融合炉の見学にいらっしゃるとは、珍しいですね。最近は、例のテロ事件についての事情聴取などで来られる方は多くいらっしゃいますが・・。核融合炉については、実用化までにはまだもう少し、時間がかかりそうですからね。」


「ええ、とびきり広い空間を、強力に暖める装置が、緊急に必要なったものですから。」


 沢村女史は、冷たく笑った。

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