機械のカノジョ
夢を見ていた。
葵は、寂しい病室で、たくさんのチューブにつながれて、足や手をなくし、ズタズタになって横たわり生きながらえている自分の体を眺めている。
恐ろしさのあまり、葵は長い悲鳴をあげる。それは断末魔のように恐ろしく、悲しげな声だ。
しかし、現実には声は出ない、すぅーっ、すぅーっと空気が通りぬける音がするだけで、声が出せない。
それがまた恐ろしい。汗の玉が、幾粒も額から流れ落ちる。それをぬぐおうとしても、手が動かない。
はっと目を覚ます。滝のように汗をかいている。・・・いや、そんな気がしただけだ。今の自分は、汗などかかない。この機械の体が、汗などかけるはずもない。
研究所が爆破テロにあい、葵の意識はこの機械に飛んだ。自分の体がどうなったのか、葵はその後、確認できていない。
「葵?」
機械の体がカタカタ鳴っていたのだろうか。暗闇の中で、透が心配そうに声をかける。
「大丈夫よ、透。ごめんなさい、うるさかったわね。眠っている間に、更新コンピュータが動くから、時々音がすることがあるの。」
葵は、そう嘘をついた。
「葵も、眠ったりするんだ。」
「ええ。出来るだけ、人間に近い生活をするようにしているの。そうでないと、自分がどんどん機械に近づくような気がして・・・。今さら、笑っちゃうわよね。私はすでにロボットなのに。」
「そんなことないよ。」
透の声が暗闇の中に響く。
「起こしてしまってごめんなさい。もう、眠って。」
ほどなく、再び透の静かな寝息が、聞こえ始める。葵は、ふう、と長い息を吐く。
葵は人間でいた頃、一晩のうちに驚くほどたくさんの夢を見た。そして、その睡眠時間は恐ろしく短く、平均すれば、一日三時間ほどだった。これは、意識がロボットに移ってからも変わらない。
ロボットなのだから眠らなくてもいいのではないか、と人は思うかもしれないが、人間と意識をシンクロさせることが要求されるこのロボットの性質は、限りなく人に似せられていて、眠りもするし、物も食べる。設定によっては、どちらも省くことが出来るのだが、葵はあえて、人間に近い設定を保ったまま、過ごしている。
葵の睡眠時間は、彼女が幼い頃からとても短かったので、そのあまりに短い睡眠時間を心配した父が、一度医者に連れて行ったことがある。
医者は、葵を、他に類を見ないレベルのショートスリーパーだと診断した。葵を診察した初老の医師は、大変驚いた様子ではあったが、三歳になるかならないかの葵を相手に、丁寧に説明をした後、『健康にはなんら問題ありません。むしろ、お嬢さんの人生にとって、大変得な性質です。』と言って優しく笑い、葵の頭を撫でた。
そう診断されてもなお、父の大志は、一人娘の葵のことをとても心配した。少しでも葵が安らかに眠れるよう、早く帰宅できた日には、葵のベッドで、絵本を読んでくれた。葵は今でも、その時の父の声の調子、暖かくて大きなてのひら、父が読み聞かせてくれた話の一語一句を、今でもすべて記憶している。
人魚姫、親指姫、桃太郎に猿蟹合戦、葵は今でも、眠れない夜には、父が優しい声で聴かせたおとぎ話を思い返す。シンデレラや白雪姫の話を聞かせた後、父が葵に尋ねたことがある。
「葵も、お姫様みたいになりたいって思うかい。」
葵は、少し考えてから、意見を述べた。
「別に、なりたいと思わない、お話のなかのお姫様は、いつも主体性がないわ。」
三歳になったばかりの幼い娘の言葉に、父は一瞬目を丸くしたあと、大声でさも愉快そうに笑った。
「そうだな、葵みたいに賢くて強いお姫様は、世界中のどこを探したって見つからないさ。」
そう言って父は、小さな葵に温かな布団をかけ、腕枕をしてくれた。そうされている間に、すっかり安心して、いつの間にか、葵は眠りに落ちる。そんな幾つもの夜があった。
ロボットになってからは、目覚めたとき、自分がいる場所をすぐには認識することができず、戸惑ってしまう。透の部屋の窓から見える地底国の人工の空には、星も月もなく、それは葵を不安にさせる。知っている人は誰もいない。けれど、傍にあるベッドの中では、透が静かに寝息をたてている。そのことに、葵はほっとする。
葵の潜入先に、透の家が選ばれたのは、もちろん、透の父の橘武治が、地底国の重職にあるからだ。連邦は、武治が、兵器の開発を行っているのではないか、と疑惑を持っている。葵が調査していたときには、そのような様子は見られなかったが、あれから半年が経った。今でも、武治に対する監視は続けられているのだろうか。
翌朝、透は目覚めるなり、葵に話しかけてきた。
「家じゃ迂闊に話も出来ないからさ、ちょっと出かけてみるってのはどう?」
そう言って、透は駆け足で台所へ降りると、カマンベールチーズに白パン、ツナとタマネギのディップにカフェオレをポットにいっぱい、紙バックに詰めて持ってきた。
「すてきなお弁当ね。」
「おじさんのところのカマンベールチーズは最高なんだ。」
透は自慢げに言う。透は、葵を自転車の篭に入れ、自転車で出発した。自転車の篭に乗せられて走るというのは、もちろん初めての体験だったので、葵は初めびくびくしながら篭のふちにしがみついていたのだが、慣れてくると、その乗り心地はなかなか爽快だった。これまで、昼間に自由に外を歩くことは出来なかったので、こうして地底国の風景を見るのはほぼ初めての体験だった。
おおまかな印象は、地上の世界となんら変わりない。道は綺麗に舗装され、木や花が植えられている。しかし、空には太陽がなく、ただ、てっぺんが見えないほど高い天井があるだけで(だからそれは、下から見つめているとぽっかりと大きな縦穴がどこまでも上に伸びているように見える)、その違和感に慣れるのには時間がかかった。自転車をこぎながら、透は葵に向かって話しかけてきた。
「葵を、なんとか地上に返す方法はないかな。」
「・・・私を、地上に返してしまっていいの?私は、あなたたちの国を監視していた連邦の人間よ?」
「・・・それとこれとは別の問題だよ。葵が帰れなくなったのは、たまたまの出来事だ。確かに、連邦が地底にスパイを送っているなんて話を聞いたのはショックだったけど、それと葵を返さないこととは別だ。」
葵は、ほっとする。
「ありがとう。」
「地上に戻って、葵のもとの体が見つかれば、意識を体に返すことは可能なのかい?」
それは、葵も疑問に思っていることだった。
「わからない・・。けれど・・技術的には、何度もシミュレーションしてい
るの。たぶん・・出来ると思う。」
「そうか。それなら、地上に出て、日本国から連邦に渡ればいいんだね。」
「地上にさえ出れば、日本国の研究所に、父がいるの。父に連絡をとれば、きっと私を助けてくれるわ。」
透は、葵の返答の一つ一つに深く頷き、懸命になにかを考えているようだった。葵は、透の持ってきたカマンベールチーズをつまんでみる。とろりとして、美味だった。地底で身を隠している間、基本的なエネルギーは電気供給でまかなっていたし、食物が食べたくなって口にするものも、深夜に隠れてハムやパンをつまむ程度だったから、青空の下で久しぶりに食べる新鮮なチーズの味は、葵に、とてつもない幸福感を与えた。
「食糧や燃料を毎日地上から搬入しているはずなんだ。その通路を通って地上に出ることはできないかな?」
「私もそれは考えたんだけど・・、通過の際のチェックが、かなり厳しいの。」
「葵一人だと難しいかもしれないけれど・・僕が協力すれば、可能かもしれない。きっと、地上に返してあげるよ。」
透はそう言って、少しうなだれている葵に笑いかけた。
葵が地上に帰ってしまう前に、透には、葵に聞いてみたいことがたくさんあった。地上(?)の人間と、直に言葉を交わすのは初めての経験だったので、海や川というものがどういうものなのか、星や月というのはどれほど綺麗なものなのか。船や飛行機というのは、どんなふうに動くのか、乗ってみたことはあるか。いくらでも、聞いてみたいことがあった。しかし、葵の境遇を考えると、はしゃいで地上の色々なことを尋ねることはためらわれた。