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埼玉県北埼玉郡防衛団  作者: 日光樹
北川辺編
9/45

九話

 その後は、ずっとうわの空だった。

 新井さんとの会話は適当に取り繕って凌いだけれど、何を話したのかまるで覚えていない。最後に残っていた町の南側も、案内したかどうか定かではない。

 終業時間がきても、曖昧模糊とした意識は治らなかった。

 それでも家に帰ると、身体は普段どおりの動きをとっていた。シャワーを浴び、夕食を食べて決まった時間に床に就く。私の家の私が決めたルール。それが自動的に再生された。

 布団に入ってしばらくすると、瞼の裏に、今日見た新井さんの姿が浮かんできた。

 彼女は波打ち際に立ち、こちらを向いて楽しそうに笑っていた。

 眼を瞑りながらも顔がにやけてしまう。ゴロゴロと寝返りを打って、布団の中を右へ左へ、何度か往復した。

 こみ上げてきた笑いを堪え切れず、ふふふと声が出てしまった。

 

 朝はすぐにやってきた。

 覚醒と同時に立ち上がる。気分が良い。

 完全に眼が覚めている。体の細胞1つ1つが目覚め、呼吸をしているようだった。普段の生活は起きながら寝ているようなもののように思えるほどだ。

 現実感が違う。

 見慣れた部屋の家具も、昨日までの空漠なイメージではなく、それぞれに確かな力強い輪郭を持っていて、しっかりと存在を主張している。

 窓のカーテンを開けると、眼が眩みそうな夏の太陽が部屋の中をさらに輝かせる。

 網戸にしていた窓からは、朝の新鮮な空気が入り込む。私はその場で深呼吸をしてみた。

 甘い。味がある。

 昔、遠足で行ったどこかの山の頂上よりも空気がおいしい。

 そうなのだ。わざわざ遠出して山に登らずとも最高の空気はここにもある、飾り気の無いシンプルな部屋でも煌めいて見える。

 世界は、どこもかしこも最高だったのだ。

 ただ、その事に気付けていなかっただけなのだ。今、私は気付けた。

 そこで脳裏に、再び新井さんの姿が浮かんだ。そして私はまた、ふふふと笑った。

 正に、寝ても覚めても彼女の事で頭が一杯だった。

 

 作業着に着替え準備を済ませると、いつもより早めに出社した。もう居ても立ってもいられなかったのだ。

 支社には普段通り、まだ隊長一人しかいなかった。

「おはようございます」

 多分、こんなに元気良く爽やかな挨拶は、面接の時にもしたことがない。隊長は少し吃驚していたようだったが、すぐにおはようと返した。

「なんか今日は元気だね」

「そんなことないですよ」

「ところで、梅沢君の機体なんだけど修理状況はどんな感じ?」

「そうですね。今直せる所は全部直したんで、後は発注していた部品が届いて、それを取り付けて諸々の調整したら終わりです」

「部品は多分、今日の十時頃届く予定になってたから、じゃあ今日一日で終わらせられるね?」

「できるとは思いますけど、でも左腕の事は?」

 新井さんは?と言おうとして、わざと遠まわしな言い方に変えた。

「新井さんからの要望なんだよ。その新装備を実際に使用したデータが取りたいんだってさ」

「そうですか」

 彼女の名前が出た。それだけで、やっぱり顔がにやけてしまう。机の抽斗を探るフリをして隊長から顔を背けた。

「だから今日中に修理終わらせて、機体使えるようにして、来週からテストするんだと。梅沢君はしばらくそれに付っきりにしてほしいって。テストが終わるまで普段の通常業務から外れていいよ。これも支店長命令」

「はぁ」

 平常心を取り戻す努力に忙しく、私は話を聞き流し適当な相槌をうってごまかした。

 

 それから八分後に新井さんが来た。

 扉を開ける姿を見て、私の心臓は彼女に吸い寄せられそうになった。思わず左胸を手で押さえた。鼓動はかなり早いが、心臓はまだかろうじて体の中に留まっていた。

 直視できない。私は再び顔を伏せた。

 

 九時になり仕事が始まった。修理の部品が届くまでの一時間は、新井さんとの座学になった。

「そういえば、明日の事って聞いてますか?」

 始める前に彼女が聞いてきた。

「明日?」

「はい明日、勉強会が東京であって、それを梅沢さんにも参加していただきたいとお願いしてたんですが」

「あぁー。聞いてます。すいません昨日聞こうと思っててすっかり忘れてました」

「いえ、私も言い忘れてしまったので。会場は東京の飯田橋っていう所で、十時から始まります。だから七時五十九分の電車に乗りたいと思うんですが、それでいいですか?」

「はいわかりました、それでいいです」

 私はメモ帳を取り出し、今聞いた内容を書き付けた。

「それでそれって、どんな内容なんですか?」

「レールガンの初歩的な講義ですよ。会社から行くように言われたんですけど、私はあんまり行きたくなかったんですよね。ごめんなさいね巻き添え食わせちゃって」

「いえっ」

 多分、裏返った変な声が出たと思う。

 その後、待ち合わせや連絡で必要だろうからと、携帯電話のアドレスを交換をした。ずっとこの時間が続けばいいと思ったが、携帯電話の赤外線の通信速度は、その至福の時を一瞬で終わらせてしまった。

 

 そうこうしている間に、部品が届いた。時間よりもずっと早かった。

 それからは一日中機体修理をした。

 新井さんが手伝ってくれたおかげでスムーズに作業が進んだ。そして何より、楽しかった。夕方には作業は完了した。

 

 翌朝、私は予定の電車が出る三十分前に家を出た。駅は、新井さんの家からは徒歩数分だろうが、私のアパートからだと自転車で十五分以上はかかる。

 七時四十七分。おおよそ予定通り駅に到着し、駅前の駐輪所に自転車を預けた。

 改札前で待っていると、五分後に新井さんがやってきた。同じように自転車を駐輪所に置いた後、小走りでこちらに駆け寄ってくる。

「早いですね。待ちました?」

「いえ、全然。今きたとこです」

 まるでデートの待ち合わせのようだった。できれば台詞を交換したいところだったが。

 ともあれ、二人は予定通りの時間に来た電車に乗り込み、東京へ向かった。

 

 現状の法律下では、全ての都道府県市町村が戦闘状態、あるいは停戦状態になるのだが、それはあくまで行政間だけの話であり、一般市民に対しては何も制限は設けられていない。だから県を越えて電車も通っているし、それを使って買い物にも出る。旅行や引越しも全て自由に行えるのだ。防衛団に所属している私達でさえ、この様に楽々と東京へ入る事ができる。

 以前までは、そういう歪なところも、この業界を好きになれない理由の1つだった。

 

「そういえば、来週から実機でテストするって隊長から聞きましたけど、どんなことをやるんですか」

「主にやるのは、やっぱりレールガンの射撃テストです。あの大利根方面の川原で試射をしてみて、実際のデータをとりたいんです」

「大利根の川原でやるんですか?」

 私は驚いて声を上げてしまった。

「北川辺の、大利根側にある川原です。一昨日言ったじゃないですか」

 彼女は私の言葉を訂正して膨れっ面になった。

 忘れていた。というよりも聞いていなかったのだ。一昨日ということは、町を案内した日。私が恋に墜ちた日だ。

 記憶に在るのは東側の戦闘跡地までである。きっと私は前後不覚になったあの状態でも、律儀に残った南側、つまり大利根側の案内をしたのだろう。

 大利根町は北川辺町の南側に、利根川を挟んで隣接する、北川辺と同程度の規模の町である。

 北川辺町は南を利根川、東を渡良瀬川、そして北は渡良瀬遊水池に、それぞれ囲まれており、水に守られたまたは、水に塞がれた町なのだ。

 大利根町側にも、もちろん土手が聳えており、そこを越えると川原があって、そして利根川がある。古河市側の川原と違うのは、背の高い雑草が茂ってはいるものの、樹木の類は川辺にちょこちょことある程度で、概ねフラットな大地が続いているということだ。

 確かに射撃訓練をするにはちょうどいいのかもしれない。

「あ、あぁ。あれはそれの事を言ってたんですか」

 何かと勘違いをしていたかのように誤魔化した。彼女がそれを信じたかは解らない。依然として、少しむくれたままだ。

 私は、事前に同じ事を聞いていないことを願いながら慎重に質問した。

「でも試射なら、倉庫の横にある所でやればいいのではないでしょうか?」

 ほとんど使われることはないが、倉庫の外には、寄り添うように隣接した射撃場がある。

「それはですね。レールガンは威力と射程が従来のものと比べ物にならない程大きいので、広い敷地を使った長距離射撃の実験がしたいからなんです」

 どうやら願いは叶ったようだ。新井さんの機嫌は元通りに戻った。というよりも、彼女は別に怒ってなどいなかったのだと思う。冗談でちょっとおどけてみせただけなのだろう。そんなことに戦々恐々としている自分が滑稽だと思った。しかし、なぜか幸せにも思えた。

「でも訓練とはいえ、実機を外で使うのって許可下りるんですかね?」

「それはもう取れたみたいよ。支店長から役場にお願いしてもらったら、結構あっさりOKもらえたらしいです」

「へぇ。あの事件以来、町長達にも危機意識が芽生えたってことなんですかね」

 さぁ。と言って彼女は肩をすくめた。

 

 そんな具合に彼女と話をしていると、あっという間に時間は過ぎ、私達は飯田橋に到着した。

 新井さんは地図も見ずに一直線で目的地へ向かって歩く。私はその後ろに付いていった。

 東京は何度か来たことがあったが、この街は初めてだ。東京に抱いているイメージとは違って、人通りが少なかった。まだ朝だからだろうか。

 しばらく往くと新井さんが前方にあるビルを指差した。どうやらここが会場らしい。

 五階建てのそのビルの1階はコンビニだった。看板を見る限り、各階に一社ずつテナントが入っているようだ。その中に、私でも知っているような有名な会社はなかった。

 ビルの隣の敷地には神社があって、その周辺にはたくさんの女性がたむろしていてた。閑散とした街で、そこだけ人口密集度が異様に高い。

「ここって縁結びで有名な神社らしいですよ」

 何の気なしに新井さんが言った。

 

 私は見透かされたようで、ドキッとした。

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