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埼玉県北埼玉郡防衛団  作者: 日光樹
北川辺編
8/45

八話

 渡良瀬遊水池は洪水防止を目的に造られた人口の湖だ。航空写真で上から撮られるその全景は、ハートの形をしている。

 その南西部から北東部へ向けて道路が伸びている。さらにそこの中心部から北西への道が一本繋がっており、湖を不均等に三分割している。

「ここは栃木県・群馬県・埼玉県・茨城県の四県に跨っていて複雑なんです。それに攻めてくる場合、このでかくて深い湖を渡らなきゃならない、これは大変な労力ですよね。だから栃木側から攻撃を受けたことは歴史的に一度も無かったはずです」

 私達は南西部、北川辺側に自転車を停め、湖にかかる道を歩いていた。

 新井さんは、話を聞いているのかいないのか、定期的に顔を左右に振り、それぞれに広がる水の世界を見比べるようにしていた。

 周囲には私達二人の他には誰も居ない。県道から離れて車の音も無い。聞こえるのは鳥の声と打ち寄せる波の音だけだ。当たり前かも知れないが、造られた湖にも波は起こるらしい。先程は否定したが、ここを海と表現しても何ら間違いではないように思えた。

 私も新井さんに倣い、風景を楽しむ事にした。

 しばらくは互いに何も言わなかった。珍しく、その空気を息苦しいとは感じなかった。

 波打ち際の、水泡によって白色へと変化する水と、それが発する音。寄せては帰り寄せては帰り。機械的にそして悠久に続くその情景を見ていると、何故だか古い記憶の抽斗が開いた。

「あれは、多分小学校の五、六年の時だったと思うんですけど」

 勝手に口が動いていた。新井さんは今度はこちらに顔を向けてくれた。

「国語か道徳の授業で、自分が今までで一番感動した事についての作文を書かされたんです」

「はい」

「私は、お盆休みに母方の実家がある青森県に新幹線で行った時、その車窓から海が見えた。生まれて初めて見る海はとても大きくて感動した。というような事を書きました」

「いいですね」

 新井さんは、ここがその車窓から見えた海であるかのように再び湖に眼を向け、私の話への共感を示した。

「その作文が返される時、先生は皆がどんな事で感動したのか順々に発表していきました。スポーツで結果を出せたとか、映画で泣いたとか、先生がそれぞれの作文を手にとって語っていきました。それで多分私の作文の番になった時」

 私は「ハッ」と鼻で笑う真似をした。

「って嗤われたんですよ。海を見た事を、ハッ。て」

 一拍置いてから、新井さんは笑い出した。

「ひどい先生ですね」

「ええ、まったく。幼い純真な私の心は大きく傷つけられたんです」

 そう言って私も笑った。

 そんな冗談を言ってる内に湖内の道路の接続点にまで来ていた。

 前方は二股の道に別れ、右へ行けば茨城へ、左へ行けば栃木側に出るはずだ。道と道との間には多くの木々が植えられ、ベンチもいくつか並んでいて軽い公園のようになっていた。

 それぞれの道の先に見える陸地はまだまだ遠い。ここに至るまででも結構時間を喰っている、ここから先に何かがある訳でもない。私達は今来た道を引き返すことにした。

 

 今度は新井さんが話を振ってきた。

 私達の間に先程まであったぎこちない雰囲気は、いつの間にか無くなっていた。彼女からも気軽さが伝わってくる。

「あの、芝田さんってどういう人ですか?」

「どういうっていいますと?」

「昨日、梅沢さんが見回り行ってる間、あの人からあそこでのルールとか、どこに何があるか教わるように言われたんですけど」

「そういえばそんな指示出されてましたね」

「でもあの人、全然そういう事教えてくれなくて。私の事ばっか聞いてくるんですよ。最初は新人へのコミュニケーションかと思っていたんですけど、あんまりしつこく色々聞いてくるから、もう私の話はいいじゃないですか。って言ったんです。そしたら今度は自分の自慢話を始められて」

「あいつはうちの『恥』だからね」

 私は苦笑いするしかなかった。

 そういう奴だとは知っていたけれど、まさか、来て一日二日の人に不信感を持たれるほどのレベルだったとは思わなかった。予想を超えている。

「ははは。やっぱそうなんですね。その自慢話っていうのが、また酷くて。俺は高校の時は手のつけられないワルで、毎日喧嘩に明け暮れていてしかも負け知らずだったとか、今でもその時の舎弟二十人くらいとツルんでるとか、もう何のアピールなんだか。カッコイイと思っているんですかね、あれで」

「初っ端から不愉快な想いをさせて申し訳ございません」

 おどけた調子で頭を下げた私を見て新井さんはさらに笑った。

「今の言葉や態度から見るに、梅沢さんもかなり芝田さんの事嫌ってますね?」

 新井さんは薄目になり、疑うようなフリで私を見た。

「そりゃあ彼のことは好きとは言えないですね。新井さんと同じですよ」

 そこから駐輪場までの道のりは芝田への愚痴の言い合いになった。

 芝田という触媒を得た私達の言葉は止むことがなかった。

 行きでは無言で通った道を、帰りは騒々しくがなり立てる。十数分前の私達とは対照的である。明確な変化が起きていた。

 

 次は東側へ向かった。

 県道九号線を、来た時とは反対側の方向へ進む。途中国道三五四号線と合流しつつ、直進を続けると今度は県道三六八号に変化した。

 道なりに進んでいくと左手側に大き目の川が現れる。

 北川辺地域のほぼすべての河川と水路が流下してくる旧川だ。そしてそれに併設された旧川ふるさと公園だ。

 身近な川としては巨大な部類に入るのだろうが、つい先程まで居た渡良瀬遊水池の遠大さには遠く及ばない。感想らしい感想もないままそこを通り過ぎ、交差点を左に折れると、そこにたどり着いた。

「あそこを越えると、茨城県古河市との境です」

 ここ最近、毎日のように見た土手を指す。

「この間戦闘があった所ですね」

 新井さんが頷く。軽口を叩き合っていた時とは違い、真剣な眼差しだった。

 土手の近くで二人は自転車を降りた。

 彼女は小さな道を行ったり来たりと動き回り、田圃の様子や土手の斜面をつぶさに観察していった。

 そんな彼女を眼で追いながら、私は何かを考えていた。しかし何を考えているのか、私自身にも解らなかった。頭が動いている感覚は確かにあるのに、その計算式の過程やあるいは結果が、少しも姿を現さない。映像も音も匂いも味も触感も気持ちも、どれ1つ見えてこなかった。だから実際には、私は何も考えていなかったのかもしれない。考えてると思い込んでいるだけで、頭は空白のまま。起きながら寝ている。そういうことなのかもしれなかった。

 迷夢に浸っていると、新井さんが一通りの観察を終え、口を開いた。

「散歩していた一般の方からの通報で三機がここに駆けつけてみると、辺りには敵影は無かった。油断していたところに、土手の向こう側に潜んでいた敵からの砲弾を浴びせられ、隊長さんの機体の左腕部に被弾した」

 彼女は先日ここで起こった事のあらすじを語りながら、それぞれの舞台となった現場を順番に指差していく。

「すぐに応戦して発砲するも、銃の照準が大きくズレていて敵に有効打が与えられない」

「お恥ずかしいです」

「そして最初に現れた敵の両脇に新たな敵が出現した。敵は三機とも射撃は続けるが機体自体を動かす事はしなかった。こちらの弾が当たらないと見切っていたのか、それともその新型の武器の事情で動けなかったのか」

 後半は独り言になっている。

「それでしばらくは、互いに決定打のない膠着状態が続いた。そして、梅沢さん」

 周囲を行ったりきたりしていた彼女の指が私に向けられた。

「はい」

「あなたはある事に気が付いた。多分敵方の攻撃に何かの法則を見つけたんですね。そしてその隙を突いて、敵の間合いに飛び込むことを試みた。予測どおりに来た敵の攻撃を、あなたは跳んでかわし反撃、右側に居た敵機を撃破した」

 報告書にはただ状況を打開するために、とだけしか書いていない。敵の法則性に気付いた事になど、一言も触れていない。誰にも説明していない、自分しか知らない事実を指摘されて、私は狼狽した。

「なんでそんなこと解ったんですか」

「皆さんの報告書とかデータを見比べたら誰だって気付きますよ」

 私の周りでは、誰も気付いてくれなかった。」

「よくこんなことできましたね。昨日も言いましたけど、初戦でこれはすごいですよ。緊張でまともに歩く事もできなくなるなんてよく聞く話ですよ」

「そんな、たまたまですよ」

「跳んで、あそこの土手にぶつかったんですね。あれ見ると正に全力で跳んだって解ります。普通、壁に激突するってなったら躊躇すると思うんですけどね、ブレーキをかけた感じがまるで無い」

「そこまで考えられなかっただけですよ」

 なんだか、胸からへそにかけてが苦しくなってきた。まるで詰め物をされて、臓器が圧迫されているようだ。

「でもまぁ味方の援護があったからとはいえ、その後残った二機からの攻撃が当たらなかったのは、確かに運が良かったですよね」

 そう言った後、彼女の頬と口角が持ち上がった。

「それにしても芝田さんは酷いですね。まさかペイント弾で戦ってたなんて思わなかったでしょ。終わった後ちゃんと文句言いましたか?」

 急に声音が変わった。それに伴って話の雰囲気も変化した。どうやら真面目な話は終わったようだ。

「いえ、私からは何も」

「偉いですねえ。私だったらぶち切れますよ。今回はたまたま助かりましたけど、普通なら死んでますから。ていうか全滅ですよ。いくら平和な町だからって、最低限度のことはやってほしいですよね」

 その瞬間、体の中心部でもやもやしていた物が弾けて全身に拡散した。

 手足に到達したそれらは、脱力感を伴ったしびれを齎した。しかし、同時にそこには生命の活力とでも呼ぶべき相反する力も存在していた。時間の経過と共にその比率は一方的になり、しびれは消え、やがて過剰に供給されるエネルギーを抑えきれなくなった筋肉がぴくぴくと痙攣を起こし始めた。

 頭部に達したものたちは、鼻をむず痒くさせ眼の端を濡らした後、挙って脳を刺激した。

 解ってくれた。

 私が気付いたこと、考えたこと、やったこと、嫌いなこと。

 全部、この人は理解してくれた。

 それが、とても嬉しかった。

 

 目尻に浮かんだ涙を拭った後、世界の明度は一段階上がっていた。

 隣に居る新井さんに、改めて視線を向ける。

 

 私は、この人に恋をした。

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