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埼玉県北埼玉郡防衛団  作者: 日光樹
北川辺編
7/45

七話

 朝、出社すると、いつも通り隊長が先に来ていた。時刻は終業開始の十五分前。

 高橋さんは毎日九時ぴったりに現れるし、芝田は時間ギリギリに走りこんでくるか、遅刻するか半々くらいの割合だ。毎朝十数分間は私と隊長だけで過ごすことになっている。

 互いに挨拶を交わすと、すぐに隊長は切り出した。

「新井さんからの要望と、支店長からの命令なんだけどさ」

 なんだか弱気な声だった。隊長がこんな態度なのは珍しい。

「なんでしょう」

「梅沢君。今週の土曜日出てくれない?」

「土曜ですか?」

 少し驚いた。

 この業界、土日休みが基本なのだ。

 というのも、住民への影響を考えて、侵攻及び戦闘が可能な時間帯、日にち、場所等々、細かなことが例の法律で定められているからだ。一般的なカレンダーの休日は、基本的には我々も休みなのだ。

 とはいえ、戦闘ができないというだけで、他にも早急に片付けなければならない仕事があるのなら、休日出勤することも時たまある。

 今回休みを潰してまでやらなければならない仕事で、思い当たることと言えば……。

「機体の修理急いだほうがいいですか?」

「あぁ、そうじゃないんだ。なんでも、土曜日に東京の方で講義だか研修だかがあるんだって」

 予測がはずれた私は、はぁ。と気の抜けた返事をした。

「新井さんは元々それに出席する予定だったみたいなんだけど、せっかくいい機会だから梅沢君も一緒に連れていきたいって言い出して、支店長もOKしちゃったんだよ」

 そうだ思い出した。隊長のこの表情は、つい先日、機体の左腕を移植する話を持ちかけてきた時と同じ、こちらを気遣うような刺激しないよう気をつけているような、そんな表情だ。

「なるほど。わかりました。いいですよ」

 あの時言われたような、嫌そうな顔に見られないよう表情筋に気をつけながら、出来得る限りにこやかな表情で返答した。

「本当に悪いな。休みなくなるの嫌だろう」

 隊長は前回と同じような台詞をはいた。効果はなかったようだ。

「でも、それって何の講義なんですか」

「聞いたんだけどな、良くわかんなかったから忘れちまった。新井さんに聞いてくれ。時間とか場所も全部彼女にきいてくれ」

 俺にはわからん。と隊長はいつものような軽い調子になって言ってくれたので、私は少しホッとした。

 八時五十五分に新井さんがやってきた。就業開始間際だったので、その話は後で聞く事にした。

 その三分後に芝田が汗まみれで駆け込んできた。さらに二分後に高橋さんが来て、同時に近所の小学校のチャイムもなった。

 今日も何事も無く仕事が開始された。

 

 午前中は昨日に引き続き、武装腕の運用方法のレクチャーだけで終わった。

 さすがに新しいタイプの腕と、新技術のレールガンを兼ね備えているだけあって、覚える事が山のようにあった。二日目でも全く終わりが見えない。

 しかも新井さんが発する言葉はことごとく専門的で、自分がそれを正しく理解できているのかは疑問である。

 直接質問するべきなのだろうが、言葉の前後の文脈でなんとなくのニュアンスは伝わってくるので、一々話を中断させるのも申し訳なくて言い出せない。

 もちろん、完全に意味不明な言葉が出てきた場合は手を挙げて尋ねる。そうすると、もちろん彼女は丁寧にその言葉の意味を教えてくれる。しかし、その説明の中に別の専門用語が混ざっていたりする。そういうことが何度も重なって階層が深まっていくと、私の頭は質問前よりもはるかに混乱している。

 正直、今までの内容でさえ飲み込めていない私に、あれを扱うことができるのか自信が持てない。加えて、自分の理解力の無さを思い知って、自己嫌悪で落ち込みもした。

 

 午後の業務では、いつも通り見回りを命じられた。

「あの、私も行きたいんですけど、着いていっていいですか」

 新井さんが隊長に言った。

「そうですか? 別にいいですけど」

「それで、できれば町全体を周りたいんです。ここの地理を確認しときたいんです」

 何故、開発部の人間がこんな田舎町の地理を知りたいのか、私は不思議に思った。

「わかりました。じゃあ、梅沢君。今日は午後一杯見回りってことで、案内してあげて」

 隊長は特に何も感じていない様子だった。

 私はわかりました。と答え、彼女を伴って外へ出た。

 芝田が小声で「いいなぁ」と呟いた気がした。

 

 彼女を見ると、手に麦わら帽子を持っていた。きっと、元から見回りに着いてくるつもりで準備してきたのだろう。

「あ、でも、いつも自転車で回ってるんですけど」

「大丈夫です。今日私も自転車通勤で来ましたから」

 本当に準備がいい。いや、これは狙ったわけではないのか。

「そういえば、近くに引っ越してきたんでしたよね」

「はい、ここから五分十分のところです」

 彼女は帽子を被り、その微妙な角度を調節した。

「そりゃあいいですね」

 曖昧な返事をしながら、私達二人は自転車に跨り、見回りに出発した。

 

「じゃあ西側から回っていきましょう」

 北川辺町は多少歪だが、台形のような形をしている。

 その中で、支社は町の中心点から、かなり左寄りに位置している。だから近い順に、西、北、東、南と時計回りに回っていくことにした。

 平日昼間の道には、車の姿は全くない。私達は前後ではなく並列に並んで、不必要なほど道幅を占領しながら自転車を走らせた。

「そういえば、ここにはいつまでいらっしゃるんですか?」

 無言に耐えられず、適当な会話を捻り出す。いつもの病気だ。

「正式には決まっていませんが、大体一ヶ月くらいとは言われてます」

「一ヶ月?意外に短いんですね。それならわざわざ引っ越すこともなかったのでは?」

「私も最初そう思ってたんですけど、調べたらこの町、ホテルがなかったんです」

 それはそうだろう。こんな田舎に好き好んで宿泊するような奴は相当なお米好きくらいだろう。

「どこか近隣の、ホテルのあるところから電車で通おうかとも思ったんですけど、電車の本数もかなり少ないみたいで」

「あぁ確かに。一時間に二本くらいでしたっけ」

「そうなんですよ。だから、そういうことで無駄な時間をとられるなら、アパート借りちゃえってなったんです。それに引越しって言っても、ただ荷物を持ってきただけで元の家はありますし、住民票も移してないです」

「元々はどちらに住んでたんですか」

「同じ埼玉県なんですけど、和光市。ってご存知ですか?県の右下の方にあるんですけど」

「ごめんなさい。知らないですね」

 私は地理が苦手だ。自分の行動範囲から外れた土地のことなんて、私にとっては無関係なものだ。

 私は往々にして、無関係な事柄には関心の沸かない性質なのだ。

 

 そんな話をしていると、最初の目的地に到着した。

「着きました。まずこの辺が、群馬県板倉町との境ですね」

 相も変わらぬ田園風景ではあったが、この辺りでは田圃より、住宅の比率の方がやや高い。しかも、その家々はどれも歴史を感じさせる木造建築で、家も庭も大きい。私の住むアパートの大きさだったら、その敷地内に三つも四つも建てられそうだ。

「高台になっているんですね」

 新井さんは前後の景色をを何度か見比べた。

 今私達が居る細い道は、県境に沿うように伸びている。

 ここに北川辺側から向かった場合、緩やかな上り坂の道が何本か派生しているのに対し、板倉側にはここへ至る道らしい道は無い。

 絶壁とまでは言わないが、角度のきつい傾斜になっていて、真下はすぐ田圃になっていて足場も悪い。

「はい、こちらは上から狙い撃ちできるし、相手はここが壁のようになっていて、登るのに難儀します。こちらにとっては、かなり有利な地形ですよ。だから向こうも手を出せない」

「群馬側から攻められたことは無いってことですか?」

「無いですね。というか、ついこの間まで、この町は数十年間どこからも攻められてないです」

 ふーん。という相槌が返ってきた。

「次、行きましょう」

 次は町の北側だ。

 

 移動中、駅へと続く大通りに出た。

「私のアパート、ここをずっと行って信号曲がったところなんですよ」

 彼女は、おそらくそのアパートがあるであろう方向を指差した。

「駅近じゃないですか。いいですね。あ、あそこにスーパーあるでしょ。マルヤ」

 進行方向左手側に、寂れたスーパーが見える。駐車場の方が建物よりも大きい。

「あんなんですけど、あれがこの町唯一のスーパーです。買い物するならあそこしかないんですよ。あとは、コンビニが四、五軒あるだけです」

「そうなんですか。じゃあ私にとっては、ちょうど仕事からの帰り道にある訳ですね。よかった」

「料理はされるんですか?」

「一応しますよ。人様に出せる代物じゃないですけど」

「私も同じですね。味や見た目は二の次って感じです」

 お互い少し笑った。

 新井さんの態度が、昨日と違っているように感じた。専門的なことを握り拳で熱く語るよりも、今の方が彼女の自然体に見えた。

 なんだか楽しい。

 

 町の北側にある県道九号線は車の往来が激しく、道幅も自動車二台がすれ違えるギリギリの距離しかない。

 私達はそこに入る手前の小道で、一度停止した。

「この道の向こうに渡良瀬遊水池っていうのがありまして、ちょっと微妙なんですが、そこが栃木県との境になってます。ただここは現実的に攻められることはないと思いますけど」

 車の多い危険な道を往くのが億劫だったので、そんなことを言ってみた。

 それでも彼女は行ってみたいと言うので、私達は並び方を前後に変えて、その道を進んだ。

 車の流れをせき止める罪悪感、あるいは猛スピードの車がすぐ横を通り過ぎていく恐怖感を感じながら、なんとか渡良瀬遊水池の入り口に辿り着いた。

 

 圧倒的な量の水と、開放的な青空が広がっていた。

「わぁーすごーい。海ですね、海」

「それは言いすぎですよ。向こう岸見えてるじゃないですか」

 でも、彼女がはしゃぐ気持ちも解る。私も内心では、そのスケールに興奮していた。

 ここに来るのはこれで二回目だったが、初回は小雨がぱらつく曇天で薄暗く、この広大さを感じることはできなかった。

 今の天候はこれでもかというほど晴れている。雲は小さなものが三つあるだけだ。向こう岸のビルや、さらにその奥に聳える山々までもがはっきりと見える。

 お互い、しばしその景色に見とれた。

 

 彼女が言った。

「少し歩きませんか?」

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