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埼玉県北埼玉郡防衛団  作者: 日光樹
騎西編
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四十二話

 福地SVとの通話を終え、私は重い体をなんとか立ち上げて家路についた。

 私の目には何も映ってはいなかった。地面の凹凸も、すれ違う人間も、危険な車も、虫達の行進も、私には見えていなかった。どこをどう歩いて帰ったものか、病院は昼前に出ていたはずだが、アパートに着いた時には大分日が傾いていた。

 私はこの数ヶ月間そうしていたように、風呂に入らず、食事も摂らなかった。よれよれの部屋着に着替え、敷きっぱなしの布団の上に座り込んだ。

 電灯を点けていない為、部屋は段々と闇の侵食を受けていく。今夜も眠れない事を私は確信していた。

 やがて私自身も闇に飲まれた。自分の体の輪郭さえ見えない、本当の闇。体の存在を確かめようと両手を眼前に翳してみたが、視界には何の変化もない。目を閉じていても、開いていても、黒い世界が広がるばかりだった。

 私にはその事が、なんだか嬉しかった。

 そして長い間闇を見つめ続けていると、私の体と心は乖離分裂していった。

 空腹、睡眠、性欲。体が発する信号は何も感じず。もう壊れる寸前にまで傷つけられた心の痛みも、遥か遠くの他人事になっていた。

 不調、不快、不安の無い素晴らしい世界だ。けれど、今の私は素晴らしいと感じられる『心』と分離している。心が無ければ何も感じられない、何も思えない。

 ……では、今この瞬間の私は一体何だ?

 心でないのなら、体か? いや違う。体なんて、微弱な電気信号で動くたんぱく質の塊に過ぎない。……魂か? 私は一種の臨死体験をしているのかもしれない。

 それなら、このまま死後の世界へと旅立ってしまおう。そうすれば、この部屋には亡骸となった私の体だけが残る。

 それは半分、自棄になった考えではあったが、もう半分の私は本気でそれを望んでいた。

 多分、一晩中体を丸めて座っていたのだと思う。眠ったのかどうかも定かではない。私が正気を取り戻した時には、部屋の闇はほとんど駆除された後だった。それに気付いた時、私はとてもがっかりした。


 朝。誰も居ない格納庫に入ると、まず目に付いたのは奥にある一号車だった。

 一昨日の戦闘後、救急車で運ばれる前にトレーラーへと横たえた。その姿勢のまま、格納庫の隅に放置されている。もちろん打ち抜かれた左腕は欠損したままだ。他の二機はトレーラーから降ろされ、いつもと同じように所定の位置で安眠している。

 別に期待していた訳ではない。予想はしていた。アルバイト達が気を利かせるはずがない。

 ……私は嫌われているのだから。

 とぼとぼと一号車へ向かう途中、二号車、三号車の腰部に銃が装備されている事に気が付いた。近づいて確認するまでもなく、その銃には実弾入りの弾倉が取り付けられていて、安全装置もかかっていなかった。

 私はしばらく呆然と立ち尽くした後、両手で自らの額を殴りつけた。二、三十発殴り続けた後、その行為には何の意味もない事を悟った。

 私は一号車をトレーラーから降ろさず、銃の事も放っておいた。職務を放棄したのだ。


 アルバイト三人が揃ったタイミングを見計らって、私は行動に出た。下手な小細工や気遣いをする余裕は無い。以前やったような、一対一で対話をするまどろっこしいやり方は選ばず、三人を集めて話を始めた。

「皆さんが私に対して色々と思うところがあると、福地SVから聞きました」

 私はなるべく感情を込めないように努力した。大して騒ぎ立てるような問題じゃない。そんな余裕を持っているかのように、外面を取り繕った。

 アルバイトを代表して佐藤君が「はい」と答えた。私と同じく冷静を装っている。私は、まずその態度に苛立ちを覚えた。

「その、福地SVからは、あまり良く思われていないとしか聞かされていないので、もう一度、福地SVに言った事を話してくれませんか」

 無意味な事実確認だ。きっと現実は福地SVが語ったことよりも遥かに酷い。それなのに、私は未だに小数点以下の希望にすがろうとしている。

 アルバイト達は顔を見合わせた。それは戸惑いというよりも、誰から話すのか順番を決める為のアイコンタクトに見えた。

「まず梅沢さんさぁ、いきなり勝手にルール変えすぎなんですよ」

 先陣を切ったのは、やはり佐藤君だった。

「今までどっか別の所でキャリアを積んできたのかもしれませんけど、俺達だってここで三年間やってきたプライドってのがある訳ですよ」

「プライド」と私は言った。

「急にやってきた人に、いきなりそれを否定されたりしたら、そりゃあムカつきますよ。梅沢さんはただ単に、昔居た職場が好きだから、そこと同じにしたいだけなんじゃないですか!」

 佐藤君が話を一区切りさせると、私は何拍か呼吸を置いて、話を次に進めた。議論の余地など無いと解っていたからだ。

「それで、先日の戦闘では私の所為で怪我をしたとかなんとか……?」

「あぁ、そうですよ。突然倒されちゃ、気絶だってしますよ」

「でも君の後ろには敵が居て、敵は君を狙っていたんだよ」

「そんなん、気付いてました」

「真後ろを向いていたのに?」

「気付いてました!」

「そう……」

 多分放っておいたら佐藤君だけでこの集会の時間は終わってしまう。私は次の人に水を向けた。

「藤野さんは? 私に対してどんな事を思っていたの?」

 佐藤君は話を途中で遮られて不満顔だった。何かを言いかけようとしたが、藤野さんがまごまごと話始めたので流石に引き下がった。

「私も、佐藤さんが言ったような事を思ってました。……それと、学校の事とかバスの事。私は荻野さんにちゃんと言っていたのに、あんなに怒られて……。しつこくノートにまで書かれて……」

 学校の事、バスの事というのは、それぞれ、当日になっての欠勤、確定的な遅刻、を指しているのだろう。

「でも荻野さんは、別にその事を認めてはいないと仰ってましたよ」

 藤野さんは涙目になり、大きく鼻をすすり上げ、呼吸もどんどん荒くなっていった。号泣を始めようとしている。

「認めてもらってました!」

 予想通り、藤野さんは大声と共に涙を流した。騒音とも呼べる不快な音量だった。

 それ以上のまともな会話は不可能だと判断した。

「じゃあ渡辺さん。あなたは?」

「梅沢さん、面倒な仕事は全部、私達にやらせますよね」

 全く見に覚えがなかった。私は「そうかな?」と答えた。

「そのくせ、自分は事務所や運転席に篭もってばっかりでサボってるじゃないですか」

「サボっては……いないよ」

 私のポーカーファイスが崩れようとしていた。怒りが、体から溢れてしまう。

「あと、言い方が一々ムカつくんですよ。上から目線で嫌味ったらしくて」

 上から目線で嫌味ったらしい……?

「そう……ごめんね。私には、そんな風な想いは、なくって、言葉遣いには、気を、付けていたんだけど」

「そうですか? じゃあ元々の性格がそうなんですね!」

 元々の、性格……?

 私は自分の体を見失った。足は地面に着いているのか? その足は体を支えているのか? 視界がぐらぐらと揺れているが、私は今、直立しているのか?

「それに、荻野さんも言っていましたよ」

 佐藤君の声が遠くから聞こえる。すぐ目の前に立っているはずなのに。視覚と聴覚のこの距離の隔たりは何だ?

「何、を?」

「色々と荻野さんに愚痴ってたみたいじゃないですか。荻野さんうんざりしてましたよ。自分の不手際を、私の所為にされてるって。そんなん知らねぇよ! って」

「あ……。そう……」

 力なく答えて、私は格納庫を出た。話はまだまだ続きそうで、我々の関係は少しも修復されていない。けれど私には、もうそれ以上その場に留まることは無理だった。

 幸いだったのは、アルバイト達が追いかけてこなかったことだ。


 私は事務所の電話から福地SVに電話をした。

「はい、福地」

「話してきました」

 挨拶もせず、名乗りもせず、私はそう切り出した。どうせ向こうの携帯電話の画面には私からだと解る表示がされている。

 福地SVは私のその態度を、大して気にもせず「どうだった?」と聞いてきた。

 私はなんと言えば良いのか迷った。しかし、普段は表に出さないよう抑制していた本音が、急に漏れ出した。

「私が、間違っているんですか?」

 一度理性という壁を突破してしまうと、エゴイスティックな言葉を止める術はなかった。

「あいつらが言ってる事の方が正しいと、福地さんは思っているんですか? あんな馬鹿丸出しの奴等の言う事が!」

 突然の私の豹変に、福地SVも面食らったようで、言葉は返ってこなかった。相手が無言になのをいい事に、私はずっと怒り続けた。

「私が勝手にルールを変えてる? おかしなことをルールにしていたのを正しただけだろう! 常識的なことすらできていないで、馬鹿を言うな。あんな奴、庇わずに見捨ててれば良かった。遅刻を開き直って被害者面してる馬鹿も一緒に死ねばいい。上から目線で嫌味ったらしい? 事実、年齢も役職も上だからそうなるのは当たり前だろう! ……全員、死ねばいいんだ!」

 それは電話の向こうに居る福地SVにではなく、数十分前に飲み込んだ、アルバイト達に向けての反論だった。

 私の声は普段よりも大きめで荒々しい。しかし叫ぶと表現するには静かすぎる声だった。無制限な怒りの発露は、実に十数年ぶりだ。私は、自分がどのように怒るのかを忘れていた。

 そうか、私はこのように怒りを表すのか……なんとも、破滅的だ。

「……荻野にも、そんな風に愚痴ってたのか?」

 漸く、福地SVから返答があった。

「してませんよ。あの人には、こんな事!」

「でも荻野は随分、迷惑がって、嫌がっていたぞ」

「それだっておかしいんですよ! あの三人があそこまで馬鹿になったのは、荻野さんにだって責任あるでしょう。あの人が採用して育てたんだから。なのに、なんで私が全部悪いみたいになってるんです? おかしいでしょう!」

「ん~~、あ~~……。梅沢君のその気持ちも解るけど、仕事としてやってる以上、多少は」

「でも奴等は仕事としてやっていませんよ! 大学の文化祭以下のレベルです。それなのに、間違っているのは私なんですか? 私は常識的な事しか言っていませんよ」

「そうかもしれないけど、バイトが居ないと仕事にならないだろ」

 福地SVの口調にはうんざりとした想いが混ざり始めていた。

「解りますよ。それは解っています。ですが、間違っている奴等に、間違っていない私が頭を下げるというのは、やっぱり納得できないです」

「仕事なんだからそういう時もあるよ」

「私だって多少は許容しますよ。けど、限度というものがあります! あんな非常識な奴等、幼稚園児以下です」

 その後も、宥める福地SVと、それを受け入れられない私との終わりの見えない会話は続いた。

 やがて、私が佐藤君からの質問責めに対して怒ったように、福地SVも我慢の限界を迎えたようだ。

「……だから私は常識的な」

「じゃあ、お前のその常識が間違ってんだよ!」

 その台詞は私にとって、決定的だった。

 私の体と心は完全に分離し、そして心は粉々に砕け散った。

 それからは福地SVの言葉にはい、はいと肯定の相槌だけ打った。一見、考えを改めて、従順になったかのように見えただろう。しかしそれは、体が条件反射的に行ったことで、私には福地SVが何を話していたのかの記憶は残っていなかった。


 事務所の机に突っ伏したまま、どれくらいの時間が経っただろうか。

 私は頭の中で、現在この職場を取り巻いている事柄の全てをオブジェクト形式に置き換えて考えていた。そこでは佐藤も渡辺も藤野も、当然私も、ただの物体であり、この支店を運営する為の部品の1つでしかなかった。

 そうやって考えていくと、特人車一号機というオブジェクトに、エラーを発見した。左腕を破損していて、機能が不完全だ。望まれる効果を発揮できない。

 左腕が破損……。左腕……? 左腕。

 私は顔を上げ、携帯電話を取り出した。幸い、メモリーには未だ彼女の電話番号が残っていた。私は考えも、躊躇いもせずに発信ボタンを押した。相手はすぐに出た。

「もしもし。お久しぶりです。新井さんですか?」

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