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埼玉県北埼玉郡防衛団  作者: 日光樹
騎西編
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四十一話

 私は窓際のベッドに身を沈めている。

 シーツの色も、壁紙も、医者や看護婦が着ている服の色も、おまけに空の色までもが、清潔感を表す白色で統一されていた。ただ、私を始め入院患者達が着る病衣だけは、薄い水色をしている。

 病室には全部で八つのベッドがあり、そのうち四つだけが使用された状態にあった。四十代、五十代、六十代のいずれかと思しき、中年から初老にかけての男性達が、静かにそれぞれのベッドの上でそれぞれの時間を過ごしている。彼らは皆一様に沈んだ表情をしていた。それは不健康な顔というよりも、不幸な顔に見えた。もしかしたら、彼らには私の顔もそのように映っているのかもしれない。

 全員が口を閉ざし、互いに会話を交わすこともなく、テレビもラジオもパソコンも無いこの部屋からは、シーツの衣擦れの音と呼吸音しか発せられない。ドアの向こう側からは様々な雑音が微かに聞こえてくるが、その音は遠く、私達とは隔離された別世界から響いてきているような非現実感があった。


 私は昨日、救急車でこの病院へ搬送され治療を受けた。左耳の下に深々とめり込んだガラス片を取り除く作業は、手術と呼ぶような大げさなものではなかった。しかし、医者からの勧めで、大事を取って昨日と今日の二日間、ここで入院生活を送ることにしたのだ。

 一緒に搬送された佐藤君は、頭を打って気絶をしていただけで、命に別状はなかった。おでこに大き目の絆創膏を貼られただけで、その日の内に帰されていた。

 何故、佐藤君がそんな怪我を負ったのかというと、単純な話シートベルトをしていなかったからだ。佐藤君は、役場からの通報があり、実弾を装備した機体をトレーラーに載せて出動した後も、現実に戦闘が起こることはないと考えていたようだ。自らの第六感に、絶対の自信を持っていたらしい。その結果が、これである。他人事として聞けば、さぞや面白い笑い話になるだろう。

 だが、私は佐藤君が怪我をしたことで、福地SVから軽い注意を受けた。安全を徹底しろと。しかしまさか慌しい戦闘準備の最中に、シートベルトの着用を呼びかけなければならないなどとは思いもよらない。実弾を持つように促したのだって、私にとっては過保護に過ぎたと思えるくらいなのだ。

 私は納得できず憮然とした。それに、私が引き倒さなければ佐藤君はほぼ間違いなく死んでいた状況だったのだ。それを考えれば、額からの出血が如何ほどのものだろうかと思った。


 入院中、何もする事がなかったので、窓の外の曇り空をずっと眺めていた。業務は福地SVが私の代行として出てくれているはずなので、心配する必要はなかった。

 何も考えず、ただただぼーっとしているだけだったが、思えばそれは随分久しぶりの安寧の時間だったのかもしれない。

 気付くと、いつの間にか私のベッドの傍に、役場の加納さんが立っていた。

「見舞いに来ました」

 そう言いながら、いくつかの果物が載った籠を掲げて見せた。

「あ、わざわざすいません」

「あぁ、そのままでいいから」

 体を起こそうとした私は加納さんに制されて、結局そのまま横になった状態で加納さんと向き合った。

「まずはご苦労様です。体の具合は大丈夫ですか?」

「ええ。ほんのかすり傷です。検査入院みたいなものなので、明日には退院します」

「そう。それは良かった。今回、加須市側に損害は出てないですから、近いうちにまた攻めこんでくる可能性が高いんですよね」

 それはその通りだろう。今回、敵側の消耗は弾丸の一発だけだ。こちらはそれだけで大わらわになって、そして私一人だけが激しく見苦しく踊っただけだ。……いつも通りの有様だ。

「だから、梅沢隊長には早く復帰してもらってね、その襲撃に備えて頂きたいんだ」

「はい」

「今度は軽~く撃退してやってくださいよ」

 加納さんは中年らしい脂っこい笑顔を浮かべ、私の肩を小突いた。その表情も、その言葉も、その仕草も、無理に作られたもののように私には見えた。

 それから我々は五分程度、他愛のない世間話をした。短い時間で、毒にも薬にもならない無駄な会話だったが、思えば加納さんとこれほどの言葉を交わしたことはなかった。

 月に一度の定例会議以外で会う機会はないし、こちらから伺う用事もない。そもそも接点が少ないのだ。

 では何故、荻野さんとはあんなにも親しげだったのだろう。そういえば、荻野さんと喋っていた時のような粘っこい言葉遣いも、今は使われていない。あれは加納さんにとっては、相手との親密さを示す表現手法の一つなのだろうか。荻野さんは一体どうやって加納さんとの信頼を結んだのだのか。謎だ。

 間を持たせる話題が尽きてしまったのを悟ると、加納さんは「それじゃあ」と言って病室から出て行った。その背中には、どことなく重労働を終えた後のような、開放された爽快さが感じられた。

 私はまた空を眺めた。


 翌日、私は予定通りに退院した。しかし福地SVの寛大な配慮により、この日も仕事は休ませてもらった。とはいえ、退院の報告くらいは入れておこうと思い、帰り道を歩きつつ福地SVの携帯電話へ電話をかけた。

「はい、福地です」

 電話の声は直で会話する時より、何段階もボリュームが小さかった。

「お疲れ様です、梅沢です。今、退院しました」

「あぁそう。もう大丈夫そう?」

「はい。最後の検査でも、どこにも異常はありませんでした」

 身体の変化といえば、左耳の下に、一円玉くらいの大きさの痣ができた程度だ。この数ヶ月、不健康な暮らしを送ってきたというのに、だ。人間の体とは案外頑丈で、簡単には壊れないものらしい。

「そりゃ良かったね。それじゃあ明日から出勤は?」

「できそうです」

 今回の件の報告書作成、機体修理、それとアルバイト達の仕事(戦闘)に対する心構えを叩き直す。やらねばならない仕事は山積している。

 終わってみれば大した事の起きていない今回の事件も、アルバイト達にとっては、初めて命の危険を感じた実戦だったはずだ。撃たれる恐怖、見えない敵への恐怖、そして死への恐怖。その恐ろしさを感じて、いかに今までの自分達は愚かで甘えた考え方をしていたかを理解できたはずだ。

 そして同時に、シミュレーション訓練を課してきた私に。圧倒的不利な状況下で逃げ腰にならず指揮をとった私に。気絶した佐藤君を逃がす為の囮として、敵が潜むであろう暗闇へと果敢に突入した私に。アルバイト達は畏敬の念を抱いたことだろう。

 つまり、今までのように私の指示に一々歯向かうことはなくなる。心の隅では、そんな風にも思っており、先行きは明るいだろうと予想を立てていた。

「……俺は昨日、今日と梅沢君の代わりに騎西町支店で仕事をしてたんだけど」

 急に福地SVの声のトーンが落ちた。不穏な空気を感じながらも、私は「ありがとうございます」と礼を言っておいた。

「梅沢君、ちょっとヤバイぞ……」

「やばい?」

 よく意味が解らず、私は単語を繰り返した。

「俺が事務所で仕事を片付けていたらさ、アルバイト達が入れ替わり立ち代り訪ねてくるんだよ。話があるっつって。一人ずつ」

「何の話です?」

「梅沢君への不満だよ」

 福地SVはため息を吐くようにそう言った。

「不満……」

 私は昨日の安穏とした時間を忘れ、それ以前の鬱屈とした気持ちを瞬時に思い出した。

「もうほとんど悪口大会だったよ。一人当たり一時間以上はたっぷり愚痴って言ったよ」

「……藤野さんもですか?」

 あの人見知りが饒舌になる姿が想像できなくて、聞いてしまった。今そんなことは重要ではない、大事なことは他にも多々あるはずなのに。

「あぁ、彼女はある意味、一番酷かったね。途中ほとんど叫んでたよ。それで急に泣き出して、後半は泣きながらぶつぶつと君への恨み言を呟いていたよ」

 私は動揺していて「あ……」とか「その……」といった意味をなさない一言しか口にできなかった。何を言えば、何を聞けばいいのかが解らない。

「まぁ簡単に言うと、彼らは君の指示とか言い方、態度、全てが気に入らないんだと言っている」

「さ、佐藤君も、です、か?」

「彼とは一番長く、二時間以上は喋っていたかな」

 おととい、私自身が危険を冒してまで命を救った者は、私に対して一切恩義を感じていないのか。

 私のその気持ちを察したのか、福地SVは、正にその事について佐藤君が語った台詞を再現した。

「『俺は後ろの敵に気付いてたのに、梅沢さんが突然乱暴に引き倒してきたから気絶しちゃったんです。邪魔されなければあんなん華麗に避けて、簡単に倒せてました』って……」

 私は無意識に大きく深く息を吐いていた。血液が頭に集まってくる感覚があり、顔全体の温度が上昇していく。多分、今の私の顔は、トマト程度には赤くなっているだろう。

「彼らの意見を大雑把にまとめると、今までやってきた事を、何の連絡も無しに突然変えられるのが嫌だ。自分達の意見を聞く気がない。細かい事やどうでもいい事にうるさい。そしてその言い方がキツイ。事務所や機体の運転席に閉じこもっていることが多くて、仕事をサボっているように見える…………」

 その後も、福地SVは丁寧に私への批判を列挙していった。私は近くの縁石に座り込んで、左手で力任せにぐしゃぐしゃと頭を掻いた。背後でマフラーを改造した悪趣味な車が爆音を響かせ、その音に見合った馬鹿らしい速度を出しながら、車道を通過していった。「うるさい!」という怒鳴り声をあげそうになるのを、私は後一歩のところで踏みとどまった。

 狂った車。狂った速度。狂った人間……。

「……それでな。彼らは梅沢君が辞めるか異動するか、それか、その態度を改めない限り、バイトを辞めると言ってるんだよ。三人共」

「そうですか……」

 私にはそれだけしか言えなかった。何を言うべきか解らなかったし、何を言うよう求められているのかも解らなかった。見当すら付けられない。頭が少しも働いていない。

「……でもさ、ほら。前に募集かけた時、結局1つも応募が無かっただろ。だから彼らに辞められちゃうと困ったことになるんだよね。……言ってる意味解る?」

「じゃあ私が異動ですか?」

 それとも、もうクビですか? 心中では更にそう問うていた。。

「いや、それだって色々調整しなきゃならないし急にはね……。それに、梅沢君は嫌じゃないのか? 折角ここまで、え~半年くらい? やってきたのに、こんな事で飛ばされるなんて」

「それは……嫌ですよ」

 あんな馬鹿な連中の所為で、私が割を食うなど、嫌に決まっている。

「うん、だからね。バイト達にも、少しだけ猶予を貰ったから。その間になんとか、関係の修復ができないか、努力してみてくれないかな?」

「コミュニケーション」と僕は呟いた。

「そうそう、コミュニケーション! ちょっとした誤解やすれ違いのせいだと思うんだよね。お互いに。頑張ってくれよぉ。ここを乗り越えたら、梅沢君はきっと成長できるからさ」

 福地SVは私の想いを察してか、現実味の無い持論を語った。


 しかし私はその時、そんな前向きなことは何一つ考えていなかった。私はただ、以前コミュニケーションの意味をインターネットで調べた時の気持ちを思い出していただけだ。

 コミュニケーションは一人では成立しないことを。アルバイト達には、私とコミュニケーションをとる気がないのだろうということを。


 そして今では私の側にも、アルバイト達とのコミュニケーションを拒否する気持ちがあることを

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