三十六話
私は、佐藤君を連れて事務所に戻ってきた。
「話って何です?」
「いや、別に具体的に何っていうのはないんだ。ほら、私ここに配属されたばっかりで、佐藤君達のこと何も知らないからさ、どんな人間なのか知りたいんだよ」
「はぁ」
「あんま身構えないでよ。ちょっとした世間話だよ」
佐藤君はあまり合点のいってない風だった。まぁ当然だろう。私自身、何を話すべきなのか何一つ決めていないのだから。とにかく、頭にパッと浮かんだ質問を、何も考えず繰り出してみた。
「佐藤君は、今いくつ?
「今年二十三です」
「じゃああれかな? 短大か専門学校を卒業して、ここに入ったのかな」
「そうです」
「家は? どこにすんでるの」
「すぐ近くですよ。ここから歩いて十分くらいの所です」
「あぁいいねぇ近くて。私なんか往復二時間以上かかるから辛くてね。一人暮らし?」
「いえ、実家です」
「ふぅん。あ、うち以外でどこか他の仕事を掛け持ちしてたりはしてる?」
「俺はしてないです。ここだけで。他の二人は掛け持ちしてますけどね」
「そうなんだ……。それじゃあ、今回の私が作ったシフトはどうだったかな? 佐藤君的に」
「俺は別になんも思わなかったですよ。いつもより藤野さんが多めに入ってるなぁくらいにしか。でも渡辺さんはちょっと不満気でしたね」
「えっ! そうなの?」
「いつもより減らされてるって怒ってましたよ。生活費がやばい~って」
「そうなのか……後で謝っとかないとな」
こうやってみると、意外に佐藤君とも普通に会話のキャッチボールができるものだ。
「一応聞いとくけど、辞める予定はないよね?」
「辞める? 今んとこはないですけど」
「あぁ良かった。佐藤君に辞められると、うち回らなくなって、困ったことになっちゃうからね」
頭の中で、荻野さんの『あいつは単純で馬鹿だから、おだててこき使ってやってください』という言葉が浮かんでいた。あの時は軽蔑した言葉だったが、隊長としては活用せざるを得ないだろう。
「あぁでも、今すぐじゃないけど、いずれ辞めますよ」
「えっ、何か予定でもあるの?」
「はい。俺、目標っていうか将来の夢があるんで」
「へぇ、すごいね。どんな夢? 聞いてもいい?」
「俺は自分で防衛団の会社を立ち上げるつもりなんですよ」
佐藤君は照れた様子もなく、自信を持ってそう言った。
「今はここで経験積んで、それでお金が貯まったら独立するんです!」
「す、すごいねぇ。先のこと、ちゃんと考えてるんだ」
熱く語る佐藤君とは対照的に、私は引いていた。
「でも、なんで防衛団を?」
「う~ん。色々理由はありますけど、やっぱ一番は、この仕事が好きだからじゃないですかね。町を守って戦うって、格好良いじゃないですか!」
「そう……」
私は、ハーモニー時代に防衛団の存在を真っ向から否定された経験があったので、佐藤君の無邪気な動機には賛同できなかった。もし、あのクレーマー保護者と佐藤君が対峙したら、一体どうなるのだろう。等と、どうでもいいことを考えた。
「彼女も協力してくれるって言ってくれたんで、今は二人で貯金してるんです。二人で立ち上げて、いずれ結婚するつもりです」
「いいね。未来には希望の光しかない」
私の気のない返事にも、佐藤君は元気良く「はい!」と明るい。
「その彼女さんとは、付き合って長いの?」
「まだ三ヶ月くらいです」
「さんっ……。随分、最近だね」
「そうですか?」
「……貯金の方は順調に貯まってるのかな?」
「まだ二人合わせて十万円くらいです」
「そう、それは大変だね……」
防衛団を経営したいというのは、個人の好き好きだからいいとして。
二十歳を過ぎた大の大人が、ここまで世間知らずでいいのか? 付き合って三ヶ月の彼女を、簡単に自分の将来に組み込んでいいのか? 少なくとも三年間はここで働いているはずなのに、貯金が十万円というのはどういうことなんだ? 他業種より少な目とは言え、開業資金に数百万円はかかるだろうに、その事は理解しているのか?
佐藤君の無知で無計画な将来観に、私は怒りすらわいてきた。
話を終えて佐藤君を帰すと、今度は渡辺さんを呼んだ。事情を話すと、おおよそ佐藤君と同じ反応をした。私は佐藤君にしたのと同じ質問を、渡辺さんにも繰り返した。
「渡辺さんはやっぱりこの辺に住んでいるの?」
「隣の加須市です」
「加須かぁ。じゃあ自転車で?」
「はい。二十分くらい」
「それならまだ近い方だね。実家暮らしですか?」
「いいえ」
「あ、一人暮らし?」
「え~っと……。彼氏と二人で住んでます」
「そうなんだ。いいねぇ。彼氏さんは何やってる人?」
ちょっと踏み込みすぎたかと思ったが、渡辺さんの表情は(いつもに比べれば)不機嫌なものではなかった。
「バンドマンです。アマチュアの」
「格好良いね。バンドかぁ」
「私も音楽好きでバンドやってて、そこで知り合ったんです」
「渡辺さんもやってたんだ。ボーカル? ギター?」
「私はベースで、彼はギターです」
「すごいね、私は楽器なんて一切できないから素直に尊敬するよ」
「いやいやそんな大したもんじゃ」
渡辺さんは、私の前で、初めてその表情を緩めた。
「じゃあ、その彼氏さんには早くメジャーデビューして、成功してもらいたい訳だね」
「いやぁ。それは無理だと思うんで、どっちかって言うと早くやめてもらいたいんです」
「そんな……厳しい、冷たい事言いますね」
「普通に就職して、稼いでほしいんです。今は私が生活費のほとんどを払ってて、とっても貧乏してるんです」
渡辺さんは、先程の佐藤君とは対照的に、夢よりも現実に目を向けているようだ。
「そうだ、その事。今月のシフト、渡辺さんにとっては少なかった?」
「そうですね。ちょっと生活が苦しくなりそうです」
「あぁ、ごめんね。次からはもっと入れるように考慮するから」
「そうしてくれると助かります」
事前の世間話のおかげか、言葉の棘は少し弱めだった。
「さっき佐藤君から聞いたんだけど、渡辺さんはうち以外でも掛け持ちで働いてるんだって?」
「はい、土日に」
「あ、土日に。でもそれだと休みの日が無いんじゃないの?」
「そうですけど、うち貧乏なんで」
「そ、そう……」
なんとも他人には触れづらい事情だった。
「えぇっと、それじゃあ。渡辺さんは今のところ、うちを辞める予定はないのかな?」
「無いですね。でも、またシフトが減らされるようなら考えます」
「シビアだね。怖い事言わないでよ」
「生活がかかってるんで」
先程の世間知らずとは違って、渡辺さんはお金の重要さをよく知っている。しかし、それが過剰すぎる気もあった。
職場に情は持ち込まず、他人から嫌われようと、お金さえ貰えればそれで良い。愛想を振りまくことも、媚を売ることもしない。チームワークなんてものは眼中にもない。ただただお金の為だけに働いている。そんな印象を受けた。
個人の仕事に対する意識などは、それぞれ好きに設定すればいいし、貧乏だからお金の為に働くという渡辺さんの動機も、私には良く解る。しかし隊長として、支店の責任者としては、渡辺さんのその態度は問題視せざるを得なかった。
愛想良くしろとは言わないが、最低限の礼節を弁えてもらわなければ、支店内の空気が悪くなってしまう。従業員同士の仲が悪ければ、士気が下がり。士気が下がれば、いざという時に危険だ。
……厄介な人だ。渡辺さんを事務所から出した後、私はため息を吐いた。
藤野さんが出勤の打刻をする為に事務所に入ってきた時、私は三度目の説明をし、三度目の反応を返された。
「えぇっと、藤野さんは確か、私と同じ北川辺に住んでるんだよね」
「はい」
「北川辺のどの辺? うちは埼玉大橋の近くなんだけど」
「東小の近くです」
「じゃあ東西で間逆だね。バスで通ってんの?」
藤野さんは小さく頷いた。
「私もあのバス使ってるんだ。あれ? でも帰りに藤野さんとバスで一緒になったことないよね?」
「私はそのままもう1つのバイト先に行ってるんで」
「あぁ、掛け持ちしてるんだよね。ちなみに、何の仕事?」
「キャバクラです」
事もなげに藤野さんは言った。
「キャ……キャバクラ?」
驚いた。私はとても驚いた。
キャバクラと言えば、言葉は悪いが、男に媚を売る仕事だ。常に無表情で感情が読みにくく、声が小さくて元気も愛想もない、この藤野さんに勤まるものなのだろうか?
「意外だね」
「そうですか?」
「あの……ごめんね。あんまり人と接するのが好きじゃないのかなって思っていたから」
「そうですけど、仕事だって割り切ってますから」
この人も渡辺さんと同じタイプか。
「ま、まぁそれはいいや。えぇっと、藤野さんはご実家暮らしですか?」
「いいえ一人です。広島から上京してきたんです」
「広島から……」
行ったことはないが、埼玉県北部の片田舎を差して『上京』というくらいだから、藤野さんの地元は更に僻地なのだろう。
「専門学校に通う為に引っ越してきたんです」
「へぇ。何の専門?」
「アナウンサーです」
「そんなのあるの?」
驚いた。私はすごく驚いた。
まず、そんな専門学校があることにも驚いた。それより何より、こんな手を伸ばせば触れられる距離に居ながら、耳をそばだてなければ聞こえない話し声の持ち主がアナウンサーを目指していることに驚いた。何かの冗談かと疑ったぐらいだ。
「基本的に授業は土日だけです。たまに平日もありますけど」
「へぇ……色んなところがあるもんだね。やっぱりアナウンサーになるのが、昔からの夢だったの?」
「まぁ、はい」
「ふぅん」
素人考えだが、藤野さんがアナウンサーになることは不可能だと思った。キャバクラで働いていること自体、奇跡と言っていい。この人は、他人に見られる仕事に向いていない。多分心の中では、見られたくないとも思っているはずだ。
アナウンサーなんて、努力に努力を重ね、更に努力した者だけがなれる職業だ。と思う。上京して学校に通うことで、形としての努力を取り繕ってはいるが、ここで働く藤野さんを見る限り、それ以上の事はしていないように思える。でなければ、あんなに小さな声で喋るはずがない。声の仕事なのだから、会話の全てが練習になるはずなのだから。
アルバイト三人は、皆、性格的な問題と人間的な欠陥を抱えていた。
今回のことで、少なからずコミュニケーションをとれたと言えるのだろうか。未来には暗雲が立ち込めている気がしてならなかった。
ただ、実現性は極めて低いとはいえ、皆それぞれ夢や、やるべき事を明確に持っていて、それ故に、自分というものを持っているように見えた。
それだけは……羨ましいと思った。