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埼玉県北埼玉郡防衛団  作者: 日光樹
騎西編
36/45

三十六話

 私は、佐藤君を連れて事務所に戻ってきた。

「話って何です?」

「いや、別に具体的に何っていうのはないんだ。ほら、私ここに配属されたばっかりで、佐藤君達のこと何も知らないからさ、どんな人間なのか知りたいんだよ」

「はぁ」

「あんま身構えないでよ。ちょっとした世間話だよ」

 佐藤君はあまり合点のいってない風だった。まぁ当然だろう。私自身、何を話すべきなのか何一つ決めていないのだから。とにかく、頭にパッと浮かんだ質問を、何も考えず繰り出してみた。

「佐藤君は、今いくつ?

「今年二十三です」

「じゃああれかな? 短大か専門学校を卒業して、ここに入ったのかな」

「そうです」

「家は? どこにすんでるの」

「すぐ近くですよ。ここから歩いて十分くらいの所です」

「あぁいいねぇ近くて。私なんか往復二時間以上かかるから辛くてね。一人暮らし?」

「いえ、実家です」

「ふぅん。あ、うち以外でどこか他の仕事を掛け持ちしてたりはしてる?」

「俺はしてないです。ここだけで。他の二人は掛け持ちしてますけどね」

「そうなんだ……。それじゃあ、今回の私が作ったシフトはどうだったかな? 佐藤君的に」

「俺は別になんも思わなかったですよ。いつもより藤野さんが多めに入ってるなぁくらいにしか。でも渡辺さんはちょっと不満気でしたね」

「えっ! そうなの?」

「いつもより減らされてるって怒ってましたよ。生活費がやばい~って」

「そうなのか……後で謝っとかないとな」

 こうやってみると、意外に佐藤君とも普通に会話のキャッチボールができるものだ。

「一応聞いとくけど、辞める予定はないよね?」

「辞める? 今んとこはないですけど」

「あぁ良かった。佐藤君に辞められると、うち回らなくなって、困ったことになっちゃうからね」

 頭の中で、荻野さんの『あいつは単純で馬鹿だから、おだててこき使ってやってください』という言葉が浮かんでいた。あの時は軽蔑した言葉だったが、隊長としては活用せざるを得ないだろう。

「あぁでも、今すぐじゃないけど、いずれ辞めますよ」

「えっ、何か予定でもあるの?」

「はい。俺、目標っていうか将来の夢があるんで」

「へぇ、すごいね。どんな夢? 聞いてもいい?」

「俺は自分で防衛団の会社を立ち上げるつもりなんですよ」

 佐藤君は照れた様子もなく、自信を持ってそう言った。

「今はここで経験積んで、それでお金が貯まったら独立するんです!」

「す、すごいねぇ。先のこと、ちゃんと考えてるんだ」

 熱く語る佐藤君とは対照的に、私は引いていた。

「でも、なんで防衛団を?」

「う~ん。色々理由はありますけど、やっぱ一番は、この仕事が好きだからじゃないですかね。町を守って戦うって、格好良いじゃないですか!」

「そう……」

 私は、ハーモニー時代に防衛団の存在を真っ向から否定された経験があったので、佐藤君の無邪気な動機には賛同できなかった。もし、あのクレーマー保護者と佐藤君が対峙したら、一体どうなるのだろう。等と、どうでもいいことを考えた。

「彼女も協力してくれるって言ってくれたんで、今は二人で貯金してるんです。二人で立ち上げて、いずれ結婚するつもりです」

「いいね。未来には希望の光しかない」

 私の気のない返事にも、佐藤君は元気良く「はい!」と明るい。

「その彼女さんとは、付き合って長いの?」

「まだ三ヶ月くらいです」

「さんっ……。随分、最近だね」

「そうですか?」

「……貯金の方は順調に貯まってるのかな?」

「まだ二人合わせて十万円くらいです」

「そう、それは大変だね……」

 防衛団を経営したいというのは、個人の好き好きだからいいとして。

 二十歳を過ぎた大の大人が、ここまで世間知らずでいいのか? 付き合って三ヶ月の彼女を、簡単に自分の将来に組み込んでいいのか? 少なくとも三年間はここで働いているはずなのに、貯金が十万円というのはどういうことなんだ? 他業種より少な目とは言え、開業資金に数百万円はかかるだろうに、その事は理解しているのか?

 佐藤君の無知で無計画な将来観に、私は怒りすらわいてきた。


 話を終えて佐藤君を帰すと、今度は渡辺さんを呼んだ。事情を話すと、おおよそ佐藤君と同じ反応をした。私は佐藤君にしたのと同じ質問を、渡辺さんにも繰り返した。

「渡辺さんはやっぱりこの辺に住んでいるの?」

「隣の加須市です」

「加須かぁ。じゃあ自転車で?」

「はい。二十分くらい」

「それならまだ近い方だね。実家暮らしですか?」

「いいえ」

「あ、一人暮らし?」

「え~っと……。彼氏と二人で住んでます」

「そうなんだ。いいねぇ。彼氏さんは何やってる人?」

 ちょっと踏み込みすぎたかと思ったが、渡辺さんの表情は(いつもに比べれば)不機嫌なものではなかった。

「バンドマンです。アマチュアの」

「格好良いね。バンドかぁ」

「私も音楽好きでバンドやってて、そこで知り合ったんです」

「渡辺さんもやってたんだ。ボーカル? ギター?」

「私はベースで、彼はギターです」

「すごいね、私は楽器なんて一切できないから素直に尊敬するよ」

「いやいやそんな大したもんじゃ」

 渡辺さんは、私の前で、初めてその表情を緩めた。

「じゃあ、その彼氏さんには早くメジャーデビューして、成功してもらいたい訳だね」

「いやぁ。それは無理だと思うんで、どっちかって言うと早くやめてもらいたいんです」

「そんな……厳しい、冷たい事言いますね」

「普通に就職して、稼いでほしいんです。今は私が生活費のほとんどを払ってて、とっても貧乏してるんです」

 渡辺さんは、先程の佐藤君とは対照的に、夢よりも現実に目を向けているようだ。

「そうだ、その事。今月のシフト、渡辺さんにとっては少なかった?」

「そうですね。ちょっと生活が苦しくなりそうです」

「あぁ、ごめんね。次からはもっと入れるように考慮するから」

「そうしてくれると助かります」

 事前の世間話のおかげか、言葉の棘は少し弱めだった。

「さっき佐藤君から聞いたんだけど、渡辺さんはうち以外でも掛け持ちで働いてるんだって?」

「はい、土日に」

「あ、土日に。でもそれだと休みの日が無いんじゃないの?」

「そうですけど、うち貧乏なんで」

「そ、そう……」

 なんとも他人には触れづらい事情だった。

「えぇっと、それじゃあ。渡辺さんは今のところ、うちを辞める予定はないのかな?」

「無いですね。でも、またシフトが減らされるようなら考えます」

「シビアだね。怖い事言わないでよ」

「生活がかかってるんで」

 先程の世間知らずとは違って、渡辺さんはお金の重要さをよく知っている。しかし、それが過剰すぎる気もあった。

 職場に情は持ち込まず、他人から嫌われようと、お金さえ貰えればそれで良い。愛想を振りまくことも、媚を売ることもしない。チームワークなんてものは眼中にもない。ただただお金の為だけに働いている。そんな印象を受けた。

 個人の仕事に対する意識などは、それぞれ好きに設定すればいいし、貧乏だからお金の為に働くという渡辺さんの動機も、私には良く解る。しかし隊長として、支店の責任者としては、渡辺さんのその態度は問題視せざるを得なかった。

 愛想良くしろとは言わないが、最低限の礼節を弁えてもらわなければ、支店内の空気が悪くなってしまう。従業員同士の仲が悪ければ、士気が下がり。士気が下がれば、いざという時に危険だ。

 ……厄介な人だ。渡辺さんを事務所から出した後、私はため息を吐いた。


 藤野さんが出勤の打刻をする為に事務所に入ってきた時、私は三度目の説明をし、三度目の反応を返された。

「えぇっと、藤野さんは確か、私と同じ北川辺に住んでるんだよね」

「はい」

「北川辺のどの辺? うちは埼玉大橋の近くなんだけど」

「東小の近くです」

「じゃあ東西で間逆だね。バスで通ってんの?」

 藤野さんは小さく頷いた。

「私もあのバス使ってるんだ。あれ? でも帰りに藤野さんとバスで一緒になったことないよね?」

「私はそのままもう1つのバイト先に行ってるんで」

「あぁ、掛け持ちしてるんだよね。ちなみに、何の仕事?」

「キャバクラです」

 事もなげに藤野さんは言った。

「キャ……キャバクラ?」

 驚いた。私はとても驚いた。

 キャバクラと言えば、言葉は悪いが、男に媚を売る仕事だ。常に無表情で感情が読みにくく、声が小さくて元気も愛想もない、この藤野さんに勤まるものなのだろうか?

「意外だね」

「そうですか?」

「あの……ごめんね。あんまり人と接するのが好きじゃないのかなって思っていたから」

「そうですけど、仕事だって割り切ってますから」

 この人も渡辺さんと同じタイプか。

「ま、まぁそれはいいや。えぇっと、藤野さんはご実家暮らしですか?」

「いいえ一人です。広島から上京してきたんです」

「広島から……」

 行ったことはないが、埼玉県北部の片田舎を差して『上京』というくらいだから、藤野さんの地元は更に僻地なのだろう。

「専門学校に通う為に引っ越してきたんです」

「へぇ。何の専門?」

「アナウンサーです」

「そんなのあるの?」

 驚いた。私はすごく驚いた。

 まず、そんな専門学校があることにも驚いた。それより何より、こんな手を伸ばせば触れられる距離に居ながら、耳をそばだてなければ聞こえない話し声の持ち主がアナウンサーを目指していることに驚いた。何かの冗談かと疑ったぐらいだ。

「基本的に授業は土日だけです。たまに平日もありますけど」

「へぇ……色んなところがあるもんだね。やっぱりアナウンサーになるのが、昔からの夢だったの?」

「まぁ、はい」

「ふぅん」

 素人考えだが、藤野さんがアナウンサーになることは不可能だと思った。キャバクラで働いていること自体、奇跡と言っていい。この人は、他人に見られる仕事に向いていない。多分心の中では、見られたくないとも思っているはずだ。

 アナウンサーなんて、努力に努力を重ね、更に努力した者だけがなれる職業だ。と思う。上京して学校に通うことで、形としての努力を取り繕ってはいるが、ここで働く藤野さんを見る限り、それ以上の事はしていないように思える。でなければ、あんなに小さな声で喋るはずがない。声の仕事なのだから、会話の全てが練習になるはずなのだから。


 アルバイト三人は、皆、性格的な問題と人間的な欠陥を抱えていた。

 今回のことで、少なからずコミュニケーションをとれたと言えるのだろうか。未来には暗雲が立ち込めている気がしてならなかった。


 ただ、実現性は極めて低いとはいえ、皆それぞれ夢や、やるべき事を明確に持っていて、それ故に、自分というものを持っているように見えた。

 それだけは……羨ましいと思った。

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