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埼玉県北埼玉郡防衛団  作者: 日光樹
騎西編
34/45

三十四話

 これは、夢だ。

 ペイントで塗り潰されたような黄色の地面と、同じく画一的な灰色の空。そんな場所に私一人だけがぽつんと居る。

 嫌な事やショックな事があると、すぐにそれを反映した夢を見るのだ、私は。

 夢の中の私は黄色の地面を、当てどもなく歩いている。景色は変わらない。ずっと黄色と灰色ばかりだ。濃淡もないし、影もない。周りに変化がないので本当に歩いているのか、私自身にもよく解らない。

 多分この後、誰かが出てきたり何かが起こったりする。そしてそれはきっと嫌な事だったり怖い事だったりするはずだ。私はそういう夢しか見ない。

 しかし予想に反して、その後は誰も出てこず何も起こらなかった。私はただただ歩き続けるだけだった。

 どれだけ経ったのか解らないが、随分長いこと歩いている。私は歩き疲れてしまった。夢の中で疲労を感じるなんて初めてのことだった。

 それでも私の足は止まらなかった。座って休みたいのに止めることができなかった。私はずっと歩き続けていた。ずっと休まず。ずっと……。


 寝巻きとシーツが寝汗でぐっしょりと濡れていて、夢の中の疲労感は引き継がれていた。折角の休日だというのに……。

 私は着替えて、寝巻きとシーツを洗濯機の中に突っ込んだ。他にも布巾やバスタオル等を入れて洗剤を投入し、洗濯機を回した。

 なんとなく、掃除をしようと思い立った。

 家中の窓を全開にする。冷たい風が入り込んできたが、今日は雲1つない快晴だった。

 敷布団を干して、床に掃除機をかける。気になったので机の上も綺麗にした。小物に被った埃を落として拭いてやる。床に落ちた埃を、また掃除機で吸い取った。

 いつもの掃除なら、この程度で終わらすところだったが、何故か今日はキチンとやりたい気分だった。雑巾を二枚持ってきて、床を水拭きした後、乾拭き。更にはフローリング用ワックスシートまでかけた。

 キッチンとユニットバスには、いたる所にカビ取りスプレーを撒いて、擦った。水垢やカビ達は、まるでかさぶたのようにぺろりと剥がれ落ちた。

 玄関の扉を開け、風呂場からシャワーヘッドを伸ばしてそこに水を撒いた。たたきを箒で掃いて水を飛ばし、雑巾で拭いた。

 それらが終わる頃、丁度洗濯も終了の音を上げた。洗濯物を、種類別、大きさ別に整列して洗濯ハンガーに並べ、布団の横に干した。

 掃除をしている間は、会社の事も、アルバイト達の事も、過去の事も、夢の事も、嫌な事は何も考えずにすんだ。

 窓と玄関が開いているので、部屋中を新鮮な風が通った。

 爽やかな空気を吸い込んで、少しだけ気分が晴れた。


 その夜、折角綺麗にしたのだからと、久しぶりに風呂に湯を張った。私は、借りた日以来ほとんどページが進んでいなかった本を持ち込んで、風呂に浸かりながら続きを読み進めた。

 風呂桶は小さく、足は伸ばせないし、肩まで浸かれない。入浴にはあまり適していなかった。

 主人公は、未だに夜道を歩き続けていた。かなりの時間歩いているように思うのだが、一向に夜が明ける気配はない。第五話で、奇跡的に事故を免れたが、その事故で友人を失ったという女性と別れた後、主人公は殺人犯と遭遇した。しかし主人公に殺人犯を恐がる様子はみられない。相変わらず心理描写がないので、実際に何を思っているのかは解らないが、それまで出会った人々と同様に、その殺人犯とも会話を交わしていった。殺人犯は、殺人に至った動機を語った。被害者からかなり惨い仕打ちを受けていて、殺さなければ殺されるという程、追い詰められた状態だったらしい。それでも、殺してしまったからには捕まってしまう。殺人犯は捕まりたくないと言い、今は警察から逃げているのだと言った。主人公は相槌を打つばかりだ。それなのに、どういう想いからなのか、その殺人犯は主人公に、殺害に使った凶器の包丁を渡した。主人公も抵抗なくそれを受け取った。そして殺人犯はまた何処かへと逃げていった。次のページからはエピローグだった。漸く空が白んできたと、時間経過の描写があった。主人公は渡された包丁を手に、早朝の街を歩いている。早朝とはいえ目立つだろうに。そしてどうやら主人公が目指すべき場所が近づいているらしい、主人公は早足で急いだ。コンビニの見える角を曲がって、そのまま真っ直ぐ。右手に神社が見えたら、そこを左に。そして、そこで……。

 主人公が何かを見つけて、物語は終わった。それが何だったのかの説明はなかった。

 長時間風呂に浸かりっぱなしだった私は、大量に汗をかいていた。立ち上がった時には軽い目眩さえ覚えた。

 本を風呂場の外に置き、いつもより少しだけ念入りに、頭と顔と歯と体を洗った。


 町役場で、月に一度の定例会議が始まった。町の侵攻、防衛計画に関しての会議だ。私も町所属の防衛団の隊長として、それに出席した。

 以前紹介された、早口で滑舌が悪く頭が禿げた加納さん以外に、私が知っている人物は居なかった。

 会議の初め、その加納さんに、新しい隊長として着任してきた梅沢さんです。と紹介された。私は短く簡単な自己紹介をした。会議の参加者は皆五十代から七十代の、老いた人達だった。

 会議は長く、私達防衛団には関連しないであろう報告や提案ばかりがされていた。

「え~先日、加須市の市長が変わられましたよね。どうもその新しい市長さんが、近々近隣の町に侵攻するつもりなんじゃないかという情報が入ってきています」

 会議の後半、漸くそんな報告があった。

 周りは様々な憶測や意見を語った。そして私にも、防衛団としてどう考えているのか。と質問が回ってきた。

「はい。ええっと、丁度先日、隊員達の操縦技術に未熟な部分があると感じていたところだったので、今後、シミュレーションによる訓練を強化し、加須市からの侵攻を受けたとしても、それを撃退できるように備えたいと思います」

「それもいいけど、警戒、巡回もしてくださいよね」

 左奥に座っている老人が、釘を差すように言ってきた。

「え、ええ。見回りは元々、日々のローテーションの中でやっていますから」

「ならいいです。見回りは大事ですからね。しっかりやってくださいね」

 この人は、私達が毎日どんなことをやっているのか、知らないのではないか。と私は訝しんだ。

 それ以降、私に話が振られることはなく、会議は終わった。


 会議からの帰り道、私はその足で格納庫へと向かった。

 中には佐藤君と藤野さんが居た。奥の機体の右腿部を分解して、オイルを差して部品を磨いたりしている。その日ごとに、どの機体のどの部位を整備するのかが、決められているのだ。整備作業は、丁寧に時間をかけて行われ、一日の大半がこの作業だけに費やされている。

 それ自体は関心すべき点だったが、ほとんど稼動させていない機体を、一月毎にオーバーホールするというのは、あまり意味のある行為とは思えなかった。きっと、荻野さんがアルバイト達をサボらせない為に編み出したルールなのだろう。暇つぶしの為の仕事。嬉しくもない置き土産だった。

 気付いていないのか、それともわざとなのか、二人は私が来たことに対して、何の反応も示さなかった。

 毎度のこととは言え、腹が立つ。自分にしか聞こえないくらいの小さな舌打ちが出てしまうのは、仕方がないことだと思う。

 私は小さな事務机から業務連絡ノートを取り出した。全従業員が情報を共有する為の、一般的で安易なコミュニケーションツールだ。パラパラと捲ると、最後に書かれた連絡事項の日付は、三ヶ月前のものだった。私は次のページに今日の日付を入れ、そこに新たな文章を記した。

「役場での会議において、隣の加須市が近い内に攻めて来る可能性が示唆されました。これに備える為に、今後シミュレーション訓練を強化する必要性があります。差し当たり、現在ローテーションで行ってもらっている機体整備を休止し、その時間を訓練にあてることにしようと思います」

 書ききってから少し文章が固いかなと思って、文末に「目指せA評価!」と、若干砕けた一文を追加してみた。


 一度事務所に戻り、福地SVに電話をかけ、今しがたノートに書いた内容を、一応報告しておいた。福地SVは「あぁ、いいんじゃない」とだけ言った。

 電話を終えると、今度はパソコンで表を作った。日付、佐藤、渡辺、藤野、の四つだけの項目がある簡単な表で、これにその日の訓練で出した最高評価を書き記してもらうつもりだ。早速一枚印刷し、それを持って再び格納庫へ向かう。


 珍しく私が入ってきたことに気付いた二人は、こちらに向かって歩いてきた。手には、先程私が書いたノートを持っている。

「梅沢さん。これってどういうことですか?」

 佐藤君が開口一番詰め寄ってきた。

「どういうって……。まぁ書いてある通りですけど、加須市との戦いに備えて訓練しましょうってことですよ」

「でも整備をやめるって書いてありますよ。整備しなくっていいんですか」

「いいわけじゃないけど、これまで過剰なくらいにしっかり整備してきた訳だから、しばらくの間はやらなくても問題はないと思いますよ」

「しばらくっていつまでですか!」

 知る訳がない。そんな事は私じゃなくって役場か、できるなら加須市に聞いてくれと思った。脳裏には、いつか見た厚顔無恥な女性タレントの顔が浮かんでいた。

「それは、解らないよ」

「じゃあずっと整備はやらないでいいんですね」

「そうじゃないけど……。そう、例えば本当に加須市が攻めてきた時に、パーツをばらして整備していたら、その機体は出動できなくなるでしょ」

「なんでですか」

「え、なんで……って。さっきだって足を分解してたでしょ。それじゃ歩けないでしょ」

「そうじゃなくて、なんで加須市が攻めて来るんですか」

「最近市長が変わったんだよ」

「なんで市長が変わったら攻めて来るんですか」

「そんなの解らないよ。色々事情があるんだろ」

 なんだこいつは?

 きつめの口調で質問してくるが、これは全部本気で聞いているのか? いちいち説明しなきゃ解らないことなのか?

「それじゃあ、なんでシミュレーション訓練しなくちゃいけないんですか? 皆やりたくないって言ってますよ」

 訓練の意味が解らないのか? 下手糞な操縦で、殺されてもいいのか? やりたくないという理由は、仕事を拒否する理由になるのか?

 駄目だ。真面目に答えようとすると、どうしても相手を馬鹿にしたような答えしか浮かばない。それに、もう面倒だ。

「そうは言われてもね、役場からそうしてくれって要請されてしまったから、拒否はできないんだよ。私達は騎西町から給料貰ってるんだから」

 少しの嘘と、論点のすり替えで煙に巻いた。

 佐藤君はそれでも納得のいかない顔をしていた。私は佐藤君の手からノートを取り、持ってきた表を挟んだ。

「この表に、その日の訓練で出した最高評価を書いていってね。明日からでいいから」

 それだけ言って、私は逃げた。


 そんなことがあったせいか、私はその日、図書館に読み終わった本を返却するのを忘れてしまった。

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