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埼玉県北埼玉郡防衛団  作者: 日光樹
騎西編
32/45

三十二話

 引継ぎ三日目。私の体調はいよいよ限界を迎えつつあった。

 荻野さんはクリエイト独自のシステムについての説明をしている。

 部品の発注、シフト作り、社内メール等の機能が一体になったソフトが、事務所に備え付けられたパソコンには入っている。このソフトだけで、隊長が行うべき大概の事務仕事は賄えるらしい。

 私は、荻野さんの解説を聞き、実演してもらった操作方法を見て、メモに記録した。

 仕事へのやる気や情熱というものはなかったが、隊長という役職の責任感は持っていた。だから、せきが止まらなくても、頭がガンガンと痛んでも、体全体に重い倦怠感があっても、こうして休むことなく出勤してきたのだ。

 けれど、取ってつけたような意思の力では、人体の生理的、本能的な反応には抗えないらしい。

「今日は早退した方がいいんじゃないですか?」

 昼頃、荻野さんにそう言われた。

「でも、今日が引き継ぎ最後の日ですし……」

 私は消極的に拒否の姿勢を示した。

「大体の事は説明したと思うんで大丈夫ですよ。やってて何か解らないことがあったら、私に電話してくれれば教えますし」

「そうですか。いや、でも……」

「明日から、梅沢さんが隊長なんですよ。だから今日中に風邪を治しておかないと!」

 元々、心の中は帰りたい気持ちで一杯だった。拒否していたのは、仕事への意欲を示す為のポーズだった。荻野さんからの説得を何度か拒絶したことで、その目的は達成されたと判断した。

『そこまで言われては、従わざるを得ない』という体を装って、私は早退することにした。


 すいませんでした。と謝りながら事務所を出て、向かいの停留所に行く。次のバスまでは二十分程の時間があった。寒空の下、そんな長時間待ちたくはなかったので、私は騎西総合支社内に在る、図書館で時間を潰すことにした。

 田舎の図書館と侮っていたけれど、中は意外にも綺麗でレイアウトもオシャレで凝った作りになっており、蔵書数も多かった。一二年前に発売されたばかりの本もあるようだった。

 そういえばバスで往復二時間かかるあの通勤時間が暇だったなと、ふと思った。

 小説のコーナーを一通り見回って、適当な本を一冊選び、借りることにした。カウンターで貸し出し登録をする。図書館の職員は感じが良かった。きちんと説明をしてくれたし、こちらの質問にも真面目に答えてくれた。

 図書館職員は公務員ではないのだろうか? 同じ建物内にある役場職員の態度とは、雲泥の差だった。

 本を借りて停留所に戻ると、丁度バスが到着したところだった。昼間でも乗客は私一人だけだった。

 バスの中で早速、借りた本を開く。活字の本を読んだのは一体いつぶりだろう。

 ……そうだ。新井さんに借りたレールガンのテキスト。あれ以来だ。

 もう、新井さんの顔を明確に思い出すことはできない。記憶の中の彼女の姿は、顔だけが塗りつぶされたのっぺらぼうだった。どんな目だったかは覚えている。鼻も口も輪郭も。部位の形は鮮明だ。けれど、それを組み合わせた、顔の全体像となると、途端に見えなくなってしまう。

 どうして彼女を好きになったのかさえ、もう私には解らなかった。


 私は途中の停留所で降りて、その近くに在るドラッグストアで風邪薬を買った。停留所に戻ると、次のバスは三十分後だった。どこかへ歩いていく気力が湧かなかったので、備え付けのベンチに座って待つことにした。幸いにも、日向だったので凍えるような寒さは感じなかった。

 本の続きに戻る。奇妙な話だった。

 深夜に主人公が家を抜け出して、何処かへと向かう。主人公に名前は無いし、行き先が何処なのかも説明が無い。道中、主人公は同じように何処かへ向かっている人間と出会う。向かう方向が同じだからと、主人公とその人物は肩を並べて歩くことになり、色々と話をする。けれど話をするのは、その人物ばかりで、主人公は基本的に相槌を打つ程度しか話さない。その人物が何処かへ向かう理由は、祖母の葬式、弟の危篤、恋人に別れ話をするため、そういう暗いものばかりだった。その人物が目的の場所に着き、主人公と別れる。そこで話は一度終わる。その後、主人公がしばらく歩くと、また別の人物が現れる。それが繰り返されるオムニバス形式の作りだった。

 気が付くと、私はいつの間にかバスに乗っていた。

 主人公はその人物達が語る辛い体験、悲しい過去、そうしなければならなかった経緯等に、目立った反応は示さない。その人物の表情の変化や風景描写はところどころで挿入されるものの、主人公が何を考えているのかについては一切何の描写もされていない。ただ、タイミング良く質問を繰り返しているので、話自体に興味がない訳ではないようだった。

 よく解らない。この話は一体何をテーマにして書かれているのだろうか。

 しかし、私は何故かその本の内容に引き込まれていた。


 バスが北川辺の停留所に着く頃には、本の丁度半分程まで読み進めていた。

 またコンビニで買い物をし、そこから自宅のアパートまで、私は歩いて帰った訳だが、不思議なことに体調は先程より、幾分かマシになっていた。

 四十三度のシャワーを浴びて、先程買った薬を飲み、すぐに布団に潜って寝た。夜に一度目が覚めた。コンビニで買った弁当を食べて、また薬を飲み、そして寝た。


 翌日、体はやや回復の兆しを見せていた。熱と倦怠感は減衰しており、ほんの少しだけ頭が冴えた気がした。しかし、せきは相変わらず出続けていた。


 昨日、荻野さんから支店の鍵を譲り受けていたので、出勤時に長時間寒空の下で時間を潰す必要はなかった。

 今日から、私の隊長としての勤務が始まる。

 まずは、ここの現状や実態を把握しなければと思った。

 ただでさえ三日間しかなかった引継ぎの期間を、昨日の早退で更に短くしてしまったのだ。荻野さんが説明しきれなかった事は山ほどあるはずだ。

 とりあえず私は、事務所にある大量のファイルと資料を読み漁ることにした。

 やけに古びた書類があった。それも大量に。

 そういえば荻野さんが言っていた気がする。クリエイトがオープンする時、それまで騎西町で個人経営の防衛団をやっていた人達から色々な資料を貰った。とかなんとか。それがこれなのか?

 何かの報告書であろう、その書類の日付には千九百八十一年十月二十六日と書かれていた。なんと、昭和の時代の遺物だったのだ。近場にあるファイルも漁ってみたが、どれも八十年代、九十年代のものばかりだった。

 そこに書かれている内容も、現在の世情、状況からはかなりかけ離れたものだった。こんな田舎町でも、二十年三十年も経てば、少なからず変化は起きているのだ。例えばあの同じデザインの家々が建ったこととか……。

 これらの資料には、もしかしたらいずれ歴史的な価値がでるのかも知れない。しかし今現在、現実的に考えて、私には(もしくはこの支店にとって)無価値な物だった。

 私はゴミ袋を何枚か持ってきてその資料を、ファイルごと捨てた。ファイルを手に取り、開いて、日付を確認し、捨てる。思っていたよりも量は多く、その作業だけで数時間かかった。驚いたことに、事務所にあった書類の内、無価値な物は半数どころか七割以上を占めていた。種類を満載したゴミ袋は七つ程にもなった。

 作業中、アルバイト達が何度か事務所を訪れた。どうやら事務所のパソコンで出勤時間、退勤時間の打刻を行う為らしい。

 アルバイト達は、この大規模な断捨離風景を見ても、何の感想も言いはしなかった。まさか本当に私の姿が見えていないのでは、と不安になった私は自分から彼らに話しかけてみた。

「おはようございます。え~と……佐藤さん?」

「渡辺です。佐藤は、ここで唯一の男です」

 以前自己紹介をしてくれなかった女性は、そのようにつっけんどんな物言いをした。


「佐藤君。おはようございます」

「っざーす。なんかすごいですね。大掃除ですか」

 佐藤君は軽い口調で言った。一応、彼には部屋の様子が見えるらしい。


「おはようございます。……初めましてでしたっけ?」

「この間会いました。藤野です」

 藤野さんは無表情、かつ小さな声でそう言った。

 隊長と言っても、私の部下は、このアルバイト三人しか居ない。前途多難の予感がした。


 整理が終わって漸く、近年の資料を見ることができた。部品の発注表や過去のシフト表、ありきたりな就業規則等は隅に置いて、活動報告と書かれたファイルに目をやる。ご丁寧に一年分が一冊のファイルにまとめられている。私は一番古い三年前のものから読み始めた。

 初めの方こそ、枠一杯にその日一日の業務が記されていたが、二ヶ月を過ぎる頃には、今日も異常はありませんでした。という一行が、定型分のように毎日繰り返されているだけだった。私も北川辺で似たようなことをしていたので解る。書くことがないのだ。何かイベントが起きない限り、仕事内容は代わり映えしないのだから。

 私は、イベントが起こった日を探した。

 オープンから一年ちょっと経った日付に、それを見つけた。その活動報告には、枠からはみ出さんばかりに、細かい字がぎっしりと書き込まれている。

『本日十四時頃、加須市からの侵攻を受けました。防衛の為、荻野、佐藤、秋田の三名で出動しました。町の北西部の田園地帯で会敵、即座に攻撃を仕掛けました。撃墜こそできませんでしたが、敵を撤退させることには成功しました。こちらも、ほぼ被害は出ませんでした。使用した弾丸:計七発。今後、加須市への警戒を強化し、同時に他の周辺地域にも注意します』

 私はパソコンを操作し、この活動報告が書かれた日付の戦闘記録を呼び出した。これは人間の主観が入った記録ではなく、起こった出来事を時系列順に並べただけのデータの羅列だ。

 これによると、その日、機体が起動したのが十三時五十六分から五十七分の間。会敵したのが、それから七分後の十四時四分。四分五十二秒、五分二十秒、五分二十五秒に、それぞれの機体が発砲している。命中は無し。

 それから回避の為の移動をしているが、敵からの反撃は無かったようだ。六分十秒から荻野、秋田、佐藤の順で再度攻撃が行われている。それで敵は後退を始めたようだ。その背中に向けて、佐藤がもう一発射撃している。

 どう見ても、敵側にやる気が感じられない。『ちょっとちょっかいを出してきた』の典型。そこに、躍起になってバンバンと無駄弾を撃った。それだけの事件だった。

 また活動報告に戻り、パラパラとページを繰ってみたが、それ以降この騎西町支店は、特人車を出動させた事はなかった。

 命のやり取りをする本物の実戦は、体験していない。


 帰りのバスに乗って、私は気が付いた。夜は、車内であっても暗すぎて、本など読めるものではない。私は仕方なく、眠れもしないのに目を閉じた。

 目を開けていたところで、闇しか見えないのだから。

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