三話
日々の業務を大雑把に言うと、整備、訓練、警戒の三つに分かれている。
整備は機体を万全の状態に保つこと。
訓練は操縦技術や身体を鍛えること。
そして警戒は、私が今やっている見回りだ。
先日の古河市の襲撃以来、損傷した機体の整備と再度の侵攻に対する警戒が優先されているため、訓練は行われていない。
見回りといったって、貧乏支店にご立派な装備があるわけもなく、自転車に乗って該当地区を一周ぐるっと回るだけだ。敵機侵攻を察知する手段は自らの目と耳だけ。実際に敵を発見した場合も私物の携帯電話で支店に電話をかけるという、なんとも情けない決まりだ。大体この自転車だって私物なのだ。就職面接の時に自転車を持っているか、わざわざ尋ねられたくらいだから、見回り用の装備が拡充される予定はないのだろう。
通勤にも使っている愛用の自転車で昼日中から田圃しか見えない道を走っていると、いつも思う。
なんでこんなことをしているのだろう。
見回りに対してのことだけではなく、この職業に就いたこと自体に対しての疑問である。
私は大学在学中、卒業間際になっても就職先が決まっていなかった。というよりも、まずどこにも応募をしていなかったのだ。
夢とか目標、やりたい仕事なんていうものが何も無かった。それどころか、自分が働いている姿や、あるいは将来的にある程度の役職について部下を持つということを想像することができなかったのだ。
平均よりは上の大学で、そこそこ以上の成績を修めていたから、頭が悪いということではなかったのだと思う。でもどんなにイメージしてみても、頭の中で働く様を見せつけるその人間は、自分の姿とは重ならなかった。
別に働くことが嫌だったというわけではない。ただ私は、本当に解らなかった。働く意味を見出せなかったのだ。この問いに友人も、先生も、親も、就職相談員も、インターネットも納得のいく答えを出してはくれなかった。
とはいえ、何もしないのも世間体が悪いということは理解していたので、一月の終わり頃、いくつかの会社の説明会に足を運んだ。その中の1つに、私が今居る株式会社ユニバーサルがあった。
会社概要を聞くだけだと思っていたそれは、一次面接も兼ねていたようで、合格しました。是非二次面接に来てください。そんな内容のメールが翌日に届いた。
二次面接に行った。何も考えてはいなかった。呼ばれたから行っただけだった。三日後に前回と同じようなメールが届いた。
同じ場所にまた足を運んだ。次に送られてきたメールは、次の面接の案内ではなく、採用を報せるものだった。
嬉しくはなかったが、ようやく就職活動が終わったことで安心はした。
でも、働き始めてすぐに、やっぱり後悔した。働く意義を見出せていないのに、見切り発車で働き始めるべきではなかったのだ。
この職種、世間では防衛団業界と呼ばれている。
各行政による土地の奪い合いを認めた法律『行政区画自由化法』。その第十三章でいうところの、侵攻及び防衛の為の委託事業者というのが正式な名称である。そこから名付けられたのだろう。侵攻団では刺激的すぎる。
委託を受けた行政機関からの指示で行われる、領土拡大のための侵攻。または攻撃を受けた場合の迎撃が主な役割である。
大都市ならば行政が自前の防衛団を持つこともできるが、地方だとそうはいかない。ただでさえ赤字ぎりぎりの地域に、特人車を運営する設備の維持にかかる費用が加わると、財政は簡単に破綻してしまう。
それの救済措置として設けられたのが、この委託という仕組みだった。
これによって行政の支出は軽減されることになり、戦う手段を持てた小さな町村は、一方的に侵略されるだけの弱者ではなくなったのだ。
と、良い面だけ列挙していけば、社会貢献度の高い立派な仕事にみえる。けれど、不人気職業のアンケートなんかでは、必ず上位にランクインするほど世間の評判は悪い。
主な理由はやはり、きつい、汚い、危険。の三Kだろう。特に、軍人でもないのに職務中に命を落とす可能性があるというのが大きい。
また、この職業は働いている人達自身のイメージも悪い。なにせ不人気だから、従業員の募集数に対して応募数が少ない。おのずと採用基準が緩くなる。だから、よそではとても採用されないような酷い連中が集まることになってしまう、そして彼らがイメージを下げる言動をして応募者が減る。悪循環だ。
私が学生の頃は防衛団に対して、土方やトラック運転手と同様に「若い頃は、暴走族で色々とやんちゃしてました」というような、荒くれ者が集まる荒んだ業界という想像を抱いていた。実際、今の支店でも、芝田はまさにその憶測通りの人物だったし、隊長も過去に色々あったと酒の席で息巻いていたから、私の考えたそれは間違った認識でもなかった。
それに労働内容に対して、給料が少なすぎるのもいただけない。私はまだまだ新人の扱いだとはいえ、大卒の手取りが十七万円というのは薄給すぎる。
そういう様々な理由から、真っ当な人間は、この業界を避けるのだろう。なのに私は何故、ここに入ってしまったのだろう。そういった事情は知っていたはずなのに。そして私はここで何か得るものはあったのだろうか。学生時代の私と、今の私には明確な変化があるのだろうか。
不満に思うことをぐちゃぐちゃと頭の中でかき回していく内に、どんどん意欲が失われていった。だから見回りは嫌いなのだ。
見渡す限り田圃しかない、この風景が単調すぎるから頭の中で色々嫌なことを考えてしまうのだ。
暗い気持ちを抱えて自転車を漕ぎ続けると、ようやく目的の伊賀袋周辺に着いた。遠くに一昨日戦いがあった場所が見えてきた。
機体から見たときと同じで、やはり田圃と土手しかない。 しかし、以前とは雰囲気がまるで変わっていた。
土手の斜面は雑草が生い茂っていたが、ところどころに穴が穿たれている。黒い円形脱毛症のようになってしまったそこには、痛々しさが感じられた。
田圃の方の被害はもっと酷かった。
敵の砲弾と、その爆風。そしてなにより、我々が操る三機の巨人が踏み潰し蹂躙したそこは、もはや田圃の体をなしていなかった。
私は自転車から降り、近くの、田圃だった場所を覗き込んでみた。
自然の生命力を感じさせていた緑の稲は、はねあげられた泥を被り、まるで腐敗したようなうす汚い色に塗り替えられている。根元から千切れたもの、さらに土台ごとめくれあがってしまったもの、燃えカスになったものまであった。
ここでは今年の収穫は望めないだろう。そう思った。
田圃の持ち主には、役所が手当てを出して補填をしてくれるはずだったが、当人達からしてみたら、それで納得できることではないだろう。手間隙かけて植えて育てたものを破壊されたのだ。その気持ちを考えると、私は悲しい気持ちになった。
再び自転車に乗り、土手の頂を目指す。急な斜面はスピードをつけて立ちこぎで上りきった。
頂上から見える景色は、記憶の中にあるイメージとは異なっていた。
雲ひとつ無い空と、それを鏡の如く反射する渡良瀬川の川面により、視界一面が青色のグラデーションで塗りつぶされる。そんな光景が頭に浮かんでいたが、実際には渡良瀬川はほとんど見えなかった。土手と川の間にある川原に背の高い木が立ち並び、小規模な林となって川を覆い隠してしまっていたのだ。ここから確認できるのは、葉と葉の間からのぞく小さな世界の水面だけだった。
しかしそれでも、水辺に近いせいか風が涼しい。眼を閉じて、しばらくその心地を楽しんだ。
今登ってきた道の方を振り返る。田圃の町が見える。手前側の一角だけが黒い。
敵はここで待ち伏せていた。この風景を見て、彼らは何かを思ったのだろうか。
反対側に向き直る。途中、地面に赤い点があることに気がついた。それは古河方面の川原に不定期に続いていた。
それが何か、最初は解らなかった。近づいてみて気が付いた。これは芝田が放ったペイント弾の絵の具だ。
記憶が蘇ると同時に、再びイライラしてきた。命の奪い合いを繰り広げている中で、奴は一人、絵の具を投げて遊んでいたのだ。
「今回はなんとかなったけど、あんなのがチームに居たら、敵じゃなくて、あいつに足引っ張られて殺される」
誰もいないのを確認してから口に出して愚痴った。そこで、はたと気がついた。
人間性や能力はどうであれ、あの時私が討たれなかったのは芝田のおかげだったのだ。あいつのペイント弾が敵の視界を奪い、その結果、弾の狙いが逸れたことは曲げようのない事実だ。つまり、私は芝田に命を救われた。芝田は命の恩人。奴がいなければ、今私は生きてはいれなかったという事になる。
何か複雑な気分になった。頭の中が霧に包まれて、自分が今何を考えているのかが解らなくなった。どうしたらいいのか、どうしたいのか、何も出てこない。
働く事の意義といい、私には解らないことしかない。
霧の中に無理やり入り込み、手探りで歩き回ると、なにかを見つけた。手元まで手繰り寄せたその気持ちは「私が撃った機体の運転手は、死んだのかな?」だった。
見回りを終えて支店に戻ると、中には高橋さん一人しかいなかった。
「隊長達は倉庫ですよ」
こちらが問う前に教えてくれた。礼を言って、また外にでる。
倉庫は支店のすぐ裏手にある。本来は、機体を待機させる場所だから格納庫と呼ぶべきだろうが、そう呼べるような専用の設備は無く、ただでかいだけの何もない建物だ。機体を三台寝かせて安置し、それでもまだ空いているスペースには雑多なものが放り込まれている。だからここでは倉庫と呼ばれている。
一番奥の損傷した隊長機の脇に二人の姿が見えた。近づいて、異常がなかったことを隊長に報告する。
その後、何度か静かに深呼吸を繰り返して決意を決めた。
「芝田さん」
呼びかけた。相手がこちらを振り向いて何かを言われる前に早口で捲くし立てる。
「一昨日の戦闘の時、危ないところを助けていただいてありがとうございました」
一息で言い切って、頭を下げる。
「え、あぁ、別にいいよ」
困惑した声で芝田が返す。
その声を聞き終わると、今度は頭を上げながら隊長の方に向き直る。芝田の顔は見たくなかった。
「隊長もです。本当にありがとうございました」
「あ、あぁ」
今度はすぐ顔を上げる。隊長は意外そうな顔をしていた。彼は私と芝田の不仲を知っているので、驚いているようだった。
どう考えようとも、芝田が起こした行動によって、私が死なずにすんだことは確かだ。だからそれに対する礼を言った。ただし、あくまで社交辞令で形だけのものだ。
やっぱり、実戦にペイント弾で臨むようなあいつは許せないし、感謝する気持ちにもなれない。帰り道で私はそういう結論に達した。
私は今でも、芝田のことが大嫌いだ。
結局その日、支店長も部長も支店には姿を見せなかった。