二十八話
私は今、東京水道橋の求職者支援訓練校に通っている。
家からの距離は遠く、毎朝五時前に起きなければならない。少し辛いが、仕事程の強制感はなく、緊張感も皆無なので気楽だ。なにより、授業を聞いているだけで、毎月十万円が支給されるのだから、文句は言えない。
あの日、謝罪に行ってブランコに乗ったあの日……。
あの後私は、有限会社ハーモニー所有の格納庫に戻り、マネージャーに軽い報告をした。
「謝罪に行ってきました。とりあえず許してくれたようで、もう来なくてもいいと言われました」
「そう、よかった」
マネージャーは安堵した様子だった。
私はスーツから作業着へ着替える風を装い、奥へ行くと、そこで初日に渡された作業着と靴、他にも細々とした会社所有の備品を、全て机の上に並べた。私の私物は何も無かったので、鞄は完全に空っぽになった。身軽になった私は、なんでもないような顔をしながら格納庫を出た。多分マネージャーは気付いてもいなかったと思う。そしてそのまま家に帰り、二度とあの会社には行かなかった。
当然、会社からの電話はかかってきたが、無視した。合計三回無視されて彼らも諦めたようだった。意外に少なくて、私は、安心したような見くびられているような複雑な気分になった。
もしかしたら私の前任者も、似たような辞め方をしたのかもしれない。だから彼らもこんな事態には慣れているのだ。
私の中では、そういう事にしておいた。
二日間眠り続けた後、私はすぐに就職活動を始めた。これが人生で三度目だ。
結局、ハーモニーでは一度も真っ当な給料を貰えなかったので、私の経済状況は就職前と何ら変わっていない。つまり、かなり切羽詰った状態だった。
本来であれば、このまままた何ヶ月間か寝て暮らしていたいところではあったが、その生活を維持する為のお金が無い。暮らしていく為には稼がなければならなかった。圧迫的に……。
とはいえ、今回のハーモニーの件で私もいい加減学んだ。適当な就職活動では、たとえ就職できたとしても、悲惨な結果にしかならないのだと。だから、適当な求人広告へ闇雲に不出来な履歴書を送るのはやめて、専門家に相談することにした。
初めて来るハローワークは、とても混雑していた。ここに居る全員が、職にあぶれた者達だと考えると、日本の先行きが不安になってくる。
受付に居る職員に、職業相談をしたい旨を伝えると、用紙を渡され、氏名や住所、今までの職歴などを書かされた。書き終わると番号札を渡された。
「番号が呼ばれるまで、少々お待ちください」
そう言っている職員に対して、浮浪者のような外見をした中年の男が、話を割って横から話しかけてきた。私は番号札を受け取って、その場を後にした。あの中年が現在無職になった理由がなんとなく察せられた。
随分待たされて、漸く私の番号が呼ばれた。担当職員は中年の女性だった。大変お待たせしました。と言ってはいるが、悪びれた様子はなかった。
「職業相談ということですね。どうされました?」
私はこれまでの経歴を掻い摘んで説明した。株式会社ユニバーサルで約一年半、有限会社ハーモニーで二ヶ月半働いた事、それぞれ一身上の都合で退職した事、自分には防衛団業界は合っていないと思う事、しかし他業種の経験もなく、また、興味も希薄なので職種選び、業種選びの時点で躓いてしまっている事、それらをなんとか打開したくて、今日ここに相談にやってきた事……。
職員は、私が話す度に相槌を打ってはいたが、同じ調子を繰り返しているだけのように見えた。とても親身に聞いてる風には見えない。
「なるほど、よくわかりました。防衛団ではない他の職種に就職したいのだけれど、経験がなく、どんなものがあるのかも解らないのでどうにかしたいと、いうことですね」
「そうです」
それでも、話自体はちゃんと聞いていて理解もしてくれていたようで安心した。
「梅沢さん、求職者支援制度ってご存知ですか?」
「いえ」
「簡単に言いますと、梅沢さんのような他業種への転職を希望されていて、でも経験も知識もないという方の為に、無料で職業訓練を受けて頂ける制度です。更に、条件を満たせば、毎月給付金が支給されます」
「それは、すごいですね」
今の私には打って付けの制度だ。
「多分梅沢さんは、その条件を満たしていると思いますので、この制度を利用してみるのはいかがでしょうか」
「そうですね。その職業訓練って、どんなものがあるんですか」
尋ねると、職員は一枚の紙を取り出した。
「これが、今月まで募集を受付ている科目の一覧です」
飾り気の無い装飾で、開催地、訓練科名、募集期間、定員などがずらりと並んでいる。
建築CAD、パソコン実務、簿記会計、介護ヘルパー等々、多様な科目があった。
名前を見ただけでも難しそうで、想像ができないものも多かった。その中から、私が選んだものは。
「この販売士養成科がいいです」
特に興味があった訳ではない。ただ、どんな仕事か想像しやすかっただけだ。販売士。初めて聞く言葉だが、その字が示す通り、物を販売する人のことだろう。それくらいなら私にもできないことはないだろうと、そんな安易な考えだった。
「解りました。まだ定員も空いてるみたいですので、これに申し込みますね」
その後は、とんとん拍子に事は進んだ。必要書類を用意したり、軽い面談があったりもしたが、特に問題もなく、私の販売士養成科への入学は決まった。
通学初日は、訓練校職員からの説明で始まった。施設設備の場所、この制度の意義、そして実際に行われること。
「お配りしたカリキュラム通りに授業は行われます。そして、就職での悩みや相談、あるいは活動報告の為に、皆さんには月に一度、キャリアカウンセラーとの面談をしていただくことになります。基本的には一日毎に一人ずつ面談していきますが、明日面接だから直前に練習しておきたい、といったご要望には、なるべく対応いたしますので、どうぞ気軽にご相談ください」
カウンセラーとして紹介された中年の男性は、見るからにくたびれた印象で、とてもこの就職氷河期を乗り越える術を持つプロフェッショナルには見えなかった。
「最後に注意事項なのですが、この制度は国から給付金が支給されます。ですから、真面目にきちんと授業を受けていただかなくてはなりません。遅刻、欠席、早退してしまいますと、どんな理由であれ授業を受けていないとみなされて、給付金が支給されなくなりますので、ご注意ください」
たとえ電車が人身事故等で遅れたせいで遅刻したとしても、それは認められないらしい。税金が使われるのだから当然だが、中々厳しいルールだ。
職員からの、何かご質問ありますか。の問いかけに、前の方に座っていた中年の男性が手を挙げた。
「遅刻は一切みとめないという話でしたが、一秒でも遅れたらだめなんですか?」
「はぁ……まぁそうですね」
「では私たちが時間を守る為に、そちらもですね、この学校に設置されている時計の全部を、一分一秒まできっちりと正確に合わせてください」
そういう話なのだろうか?
間の抜けた要求に、職員達は曖昧に濁すことしかできなかった。
こんな人と同じクラスになるのか、と私は早速、憂鬱な気分になった。
翌日、その中年男性は遅刻してきた。
授業の開始時間を勘違いしていた等と、言い訳を喚いていたが、それは間違いなく立派な遅刻だった。
私は心の中で大笑いし、彼の事を見下した。
彼はその後も学校へ通い続けていたが、給付金を受け取れていたのかは不明だった。
キャリアカウンセラーとの面談は散々なものだった。
私は何が自分に合った職業なのか解らない。だから、カウンセラーと話し合って私の性質を知ってもらい、最終的に「こんな職業なんて貴方に合っているんじゃないですか」と、職種業種の提示がされる。そんなものを望んでいた。もちろん提示されたものにすぐ飛び乗るつもりはなく、判断材料の1つにする程度の心積もりでだ。
しかし、現実のカウンセラーとの会話は、
「貴方はどんな職種に就きたいの?」
「いや、それがまだ決められていなくて」
「そう、じゃあ次の面談の時までに決めといてね」
これだけで終わってしまった。
私は、そのやる気の無さ、無能さにカウンセラーを憎んだ。そしてマネージャー達にしたように、彼に対しても心を閉ざした。
授業は高校どころか小学校中学校レベルの内容だった。これを学んでも実社会で役に立つとは到底思えないような、言ってしまえば実用性の無い事ばかりだった。しかし、あの遅刻した中年男性を筆頭に、クラスメート達は授業内容が難しいと嘆いていた。
私はその愚痴に同調を示しながらも、クラスメート全員の事を見下すようになっていた。
結局この学校で得られる事は何も無いのだと理解した。三ヶ月間の在校中は給付金が支給されるけれど、それ以後は放り出されて元の貧困状態に戻ってしまう。となると、私が選べる道は1つしかなかった。非常に残念な事に……。
一月後、私は騎西町に支店を持つ防衛団から内定をもらった。面接時にも騎西町勤務が良いと念を押して、向こうの反応も芳しかったので、きっとそうなるだろう。
騎西町は私の住んでる北川辺町からは大利根町、加須市を挟んでおり、距離的にはやや遠い。唯一そこに至れる交通手段のバスは、本数が少なく、通勤圏内ギリギリの場所だった。
勤務開始日は学校を卒業した後にしてもらった。会社側にこの制度の事を説明するのには少々骨が折れた。向こうは制度の事を何一つ知らなかったのだ。知名度が低すぎる。行政がやる事は、大体が市井の人間には知れ渡っていない。
進路が決まったことで心に余裕が生まれると、訓練校の事でイライラする事も少なくなった。遅刻さえしなければ授業中は居眠りしていても注意されないし、クラスメート達の言動は、ピエロを見ているようで面白くもあった。
内定が出た事は誰にも話さなかった。クラスメートはもちろん、カウンセラーや訓練校職員にも報せなかった。他の者同様、私も授業や就活に苦しんでいる様を演じた。私は自ら、ピエロを装ったのだ。
卒業の日、クラスメートは誰一人就職が決まっていなかった。
この制度自体に問題があるのか、この制度を利用するのは程度の低い者しかいなかったのか、それとも、このクラスだけ突出してレベルが低かったのか、それは解らない。もしかしたら、私と同じように既に内定は出ているが秘密にしている者がいるのかもしれない。が、彼らを見る限り恐らくそれは無いだろう。
彼らは別れ際、互いに相手の未来を讃えあった。貴方はきっとすぐに就職決まりますよ、と励ましあった。それは社交辞令ではあったのだろうけれど、墜ちこぼれ達が慰めあう姿は惨めで滑稽なものだった。
私もその中に混ざり、同じ言葉を皆に送った。
別れを惜しむ寂しげな表情を作ってはいたが、心の中では彼らを見下し、優越感に浸っていた。
ハーモニーを辞めて以来、私の性根は段々と腐り始めていた。
第二部 大利根町編 終