二十四話
「どういう意味ですか」
元々、私はオーナーに何かを期待したことはない。そもそも、接する機会がほとんどないので、オーナーがどういう人なのか知らないも同然なのだ。彼は普段どんな仕事をしているのだろう。北川辺の支店長と同じで、各所を飛び回っているのだろうか。そんなフットワークが軽い人にも見えないが。
「オーナーは戦いません」
マネージャーから返ってきた言葉に、私はもう一度、どういう意味ですか。と同じ質問をした。
「オーナーはあの通り、もう年です。六十を過ぎてます。だから激しく動き回る衝撃に、体が耐えられないんです。一応、この家業を続けているから、機体を歩かせるくらいはやりますけど、それ以上は何もしません」
唖然とする。とはこういう事なのか。
私は、思いがけないマネージャーからの告白に、驚き呆れて声も出なかった。
「後方から援護射撃。もできません。射撃の反動も結構、腰にくるんだそうです」
この会話、オーナーには聞かれているのだろうか。私とマネージャーだけの専用回線なのか。それとも、何ら恥じ入ることではない、とでも思っているのだろうか。
「そういう事だから、実質私達二人だけで頑張りましょう。隊列は、私が中央、梅沢さんが先頭ね。若いんだから。それで、ずっと後ろにオーナーっていう並びでね」
訳が解らなかった。私の年齢が、戦術を練るにあたって重要視される要因なのだろうか。
思い返してみれば、およそ一年前の利根川で彼らを見たときも、同じ並び方をしていた。
私が撃墜した、既に辞めてしまった人が先頭で、後ろにマネージャーが乗っていたと思しき機体。そしてその二機から大きく離れた後方に、オーナーの機体。
一年前から、彼らは何も変わっていないのだ。これが、ここでのルール。ここでの正解。ここでの常識だということだ。
つまり、それが変だと思う私こそが、この小世界においては間違いなのだ。
間違いなのか?
私が、私の常識が違っているのか?
「梅沢さん急いで」
気付けば、オーナーもマネージャーも既に機体を立ち上がらせ、出動準備を完了していた。
私は、自分やこの会社に向けての疑心を一先ず意識の外へ追いやった。
内装はかなり異なっているが、基本操作はどの機種もそう変わりはないはずだ。私は、以前北川辺でそうしたのと同じように、操縦桿を操作した。
激しい悲鳴のような音があがった。部品同士が擦れ合う金属音だ。接触が悪いのか、特に機体左側の、新しく付けられたパーツ周辺からの音が凄まじい。
まるで機体自身が、私を拒絶しているようだ。自分を撃ち、傷つけた者に操縦されることなど許さない。呪ってやる、祟ってやる。そんな主張をしているように、私には感じられた。
そんな怨嗟の声に耐えながら、機体を直立させた。操作から反応までの速度が遅く、更に機体重量も重い。鈍重なこの機体に、素早い動作を求めるのは無理だと把握した。
機体の目線の高さにある格納庫の壁の一部に、四角いような楕円のような、妙な形のへこみを見つけた。
「お待たせしました」
「じゃあ行きましょう。急がないと」
「あの、トレーラーは……」
私は一応尋ねた。
「うちには無いの」
予測通りの返答だった。
格納庫でも事務所兼自宅でも、トレーラーの姿を見たことはない。それでも、どこか別の場所に駐車場を確保していて、そこに停めてある。そんなことを少し、ほんの少し期待してしまった。ここがそんな気の利いたところではないと、もう知っているはずなのに。
オーナーだけでない。この会社全てに期待を持ってはいけないのだ。
他に手段もない為、我々は機体を歩かせて現場へ向かった。相変わらず金属音の悲鳴は続いている。近隣住民から苦情がこなければいいなと願った。
同時に出発したはずなのに、オーナーは早くも遅れだしている。同じ機種に乗っており、全速力で駆けている訳でもないのに。既に三○○メートルは離れているだろうか、それでも老いた夫婦は特に何も言わなかった。
現場は、以前予測した通り、町の南側にある、さるべり通りの工場群跡地だった。
通報からの時間、敵機の速度を考えると、ここで会敵する可能性が高い。とマネージャーが言った。オーナー機の姿はもう見えない。
私とマネージャーは、工場跡の敷地内に入り、建物に隠れ周囲を警戒しながら、慎重に前進していった。
そうやって三つ目の建物に辿り着いた時、私は敵機を発見した。
建物を挟んだ向かい側を、こちらに向かって歩いてくる。こちらの存在に気付いている様子はない。ここから見える限りでは一機だけだ。仲間は近くに居て見えないだけなのか、それとも別のルートを通っているのか、判断はつけられない。
荒れた画質では細部の形状は解らない。解るのは、彼の敵の全身は黒く塗装されていることくらいだ。
私は工場の右側から、そしてマネージャーは左側から顔だけを出して、向こう側の様子を探っている。二人の間には工場の二階へ昇る為のスロープが在る。
何も言ってこないところを見ると、恐らくマネージャーの居る場所からは、敵の姿が見えていないのだろう。
「見つけました。ここから見る限り一機です。まだ気付かれてはいないようです」
私は小声でマネージャーに通信を送った。
「そう、慎重にね」
全く具体性の無い指示が返ってきた。何を慎重にしろと言うのだろうか。
そう考えた時、敵と目が合った。気付かれた。
敵は銃を構え、攻撃動作に入ろうとしている。
撃たれる前に……。
私は建物から機体の半身だけを露出させ、銃を構えた。先に相手の存在を察知していた分、私の方がわずかに早かった。
……撃つしかない。
発砲。
轟音をあげ、銃口から弾丸が飛び出した。
故障していて弾が出ない。くらいの事態を覚悟していたので、私はとても驚いた。
弾丸はまっすぐ敵機へと飛んでいき、そして見事敵機の頭部こめかみの辺りに、一発で命中してしまったので、更に驚いた。
しかし、頭部を破壊し貫通するはずだったその弾は、急に進路を変えた。敵機の頭を滑るように移動し、明後日の方向へ飛び立ってしまった。その無茶苦茶な軌道には、尋常でなく驚いた。
弾丸が弾かれてしまったのだ。恐らく、敵の装甲強度の優秀さではなく、この銃剣の拙劣さが原因だろう。
敵はバランスこそ崩したが、どこにもダメージは受けていない様子だった。
逆襲の銃弾が飛んできた。
私は慌てて建物の陰に全身を隠す。
しかし敵の弾は、まるで障子に指で穴を開けるが如く、いとも容易くコンクリートの壁を突き破ってきた。
数瞬前まで私が居た場所が、打ち抜かれていく。私は追い立てられるように壁に沿って移動し、中央にあるスロープを昇って二階部分へと上がっていった。
コンテナ類が無数に廃棄されている。倉庫として使われていた場所らしい。特人車でも入れるような広さの開けた空間だった。
先程まで居た1階部分に目を向けると、未だ銃撃は続いており、壁の穴は倍以上に増えていた。マネージャー側にも、別の敵機からのものと思しき攻撃が始まっていた。
降りるのは危険だ。そう判断して私は倉庫の中へと足を踏み入れた。
内部は薄暗かったが、所々にある窓から光が差し込んでおり、視界は悪くなかった。
その窓から、下に居る敵を狙撃できないだろうかと考えながら、私は奥の方へと進んでいった。
最奥には大きな扉が口を開いていた。私が入ってきた所とは違い、下にスロープや階段の類は無いようだった。多分、コンテナ等の大きな荷物を、クレーンを使って積み下ろしする為の場所だったのだろう。
私は隠れながらその扉に近づき、そっと下を覗いた。なんとほぼ真下に敵機が居た。しかもこちらには気付いていない。
これは好機と思った時、視界の奥にもう一機の敵機を発見した。既に向こうは私に向けて銃を構えていた。
私は咄嗟に、そこから飛び降りた。いや、そんな格好の良い動作がこの機体にできようはずもない。現実は、足を踏み外したように墜ちただけだ。
それと同時に足場が敵の銃弾で爆発した。危機一髪だった、あと少し遅れていれば、砕けたコンクリート片と共に、投身自殺のように頭から転落していたことだろう。それはもっと格好が悪い。
「ゥッ……」
落下している間の浮遊感は、恐怖だった。自分を支えるものが何も無いということがこんなにも怖いものだとは思わなかった。
それでも、私は機体を操作した。銃剣を両手で握り、先端に取り付けられている短剣を、真下の敵に向けた。奴は今、漸くこちらに顔を向けたところだ。
その顔に、刃先を振り下ろす。
激しい音、物体が破壊される音が轟いた。
敵は、無傷だった。
壊れたのは短剣の方だった。それも、ただポキリと折れたのではなく、触れた瞬間に剣全体が砕け散ったのだ。
あの見学に来た男性が言っていたこの装備の欠陥を体感しながら、私は地面に着地した。
衝撃は凄まじかった。下からの猛烈な突き上げに、私も機体も悲痛の声を上げた。魂が口から飛び出してしまいそうな感覚を覚えた。
目の前に居る敵も、同じように動きを止めている。機体にダメージを与えることはできなかったけれど、中に居る運転手には私と同等かそれ以上の衝撃を与えたようだ。
私は未だ衝撃の抜けない体を無理矢理動かした。相手より先に動かなければ、確実に殺られるからだ。
右の脚部を高く上げ、大股で踏み出す。その動作は蹴りという形になって、敵のみぞおちにヒットした。敵は尻餅をついて倒れた。
これで運転手はますます前後不覚に陥ったはずだ。気絶してくれているとなお良い。
私はすぐに自分と、自分の機体を立て直した。
そして、逃げた。
始めに陣取っていた建物の向こう側に向かって駆けた。
銃弾も、短剣も、蹴りも、この機体で出来る全ての攻撃でダメージを与えられなかったのだ、もう為す術が無い。
全力疾走中、後ろから銃弾が飛んできた。きっと飛び降りる時に狙撃してきた奴だ。
速度を落とさず走ることと、弾が当たらないよう祈ること以外に、私に出来る事はなかった。
弾丸は執拗に追ってくる。
もう、すぐ目の前に建物の角が見える。あそこに逃げ込めば、とりあえずは安心だ。そう思った瞬間、右ひざを弾が掠めた。直撃ではなかったが、バランスを崩して派手に転んだ。
しかし幸いなことに、その勢いで機体は建物の陰へと飛び込んだ。
転倒の衝撃に喘ぎながら、私は匍匐前進で這うようにして、更に奥へと逃げ込んだ。
荒い息をしていた私が、呼吸を整える頃には、銃声は鳴り止んでいた。
オーナーは今頃やって来て言った。
「もう終わったの?」
「はい、引き上げたみたいです」
マネージャーはそう答えた。
味方が一機、行動不能に陥ったから退いたのか。それとも、本気で攻め入るつもりが元々なかったのか。いずれにしても、勝ち目の無かった戦いは終わったらしい……。
私の体は、疲労を通り越して衰弱していた。