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埼玉県北埼玉郡防衛団  作者: 日光樹
大利根編
23/45

二十三話

 あの男性が見学に来た翌日、私はマネージャーにまた懇願していた。

「そろそろ機体を弄ってみたいです」

 別にあの男性からの話に刺激されて職業意識に目覚めた訳でも、骨董品的な機体に興味を持った訳でもない。連日の草むしりによる肉体疲労、筋肉痛が限界まで達していたからである。

 今日は体を動かさない。これ以上の筋肉の炎症は許さない。そんな決意から出た言葉だった。

 しかし、それに対するマネージャーからの返答には、多少の齟齬があった。

「なんで? 梅沢さん前の職場で乗っていたんでしょ」

 少しは予想していたことだったが、その言葉を聞いて、私は呆れてしまった。

 私が北川辺支社で使っていた機体―あの男性は怒涛と読んでいた―と、目の前にあるこの古びた機体TMT―Jrが同じものだと、マネージャーは思っているらしい。

 もちろん守秘義務により、北川辺で私がどんな機体に乗っていたのかは、教えてはいない。けれどだからと言って、この最古の機体と同程度であろうというマネージャーの予想は、少々常軌を逸している。

 技術開発とノウハウの蓄積。それらを長い年月かけて行った企業努力によって、特人車は日進月歩進化しているのだ。完成したばかりの高スペック最新鋭機でも、翌年にはそれを遥かに凌駕した性能の機体が出るなんてことは、ざらにある話だ。これはあの男性からの受け売りだったが……。

 とにかく、別機種への乗り換えなのだから、操作感の違いに慣れることや、自分に合った調整をする必要がある。そしてその作業は相当な時間を要するものなのだ。できる限り早く済ませておかなければ、いざ出動となった時、まともに動かすこともできず、戦力になれない。

 私はそういった想いを濃縮して、一言だけ答えた。

「いやだって、使っていたのは別の機体ですし」

 マネージャーとの長時間の会話を避けたかったのだ。

 マネージャーは訝しげな顔をした。

 この人は私から話を振ると、毎回こんな顔をする。もしかしたらこれが素の顔なのかもしれない。どうでもいいことだ。いずれ不快感しか与えない顔なのだから。

「じゃあちょっとだけね」

「あ、ありがとうございます」

 当然の要望が当然のように認められただけなのに、私はマネージャーに頭を下げた。

「あの一部に新しい部品を付けられている機体が、私が乗るものでいいんですよね?」

 私が壊した機体、とは言えない。

「そうだけど、電源はつけないでね」

 既に機体へ歩き出していた私は足を止めた。

「メンテナンスモードやトレーニングモードをやろうと思ってるんですけど、それも駄目なんですか?」

 機体を起動し運動をさせると、それだけで相当額の出費になることは私も知っている。だから機体は動かさず、システムだけを立ち上げて各種設定を弄ったり、シミュレーション訓練をしようと、私はそう考えていたのだ。

「何それ? そんなものついてないよ」

「えっ。電源入れて、どのモードで起動するか、最初に選ぶ……」

「選ばないよ。そんなものないんだって」

 マネージャーの目には馬鹿を見ているような、嘲りの色があった。

 各起動モードの存在を知らない無知な者が、その存在を知る私に、無知者という評価を下しているのだ。私は無性に腹が立った。

 常識的にはそこから二三言、言葉を交わすべきだったのだろうが、私にはもう、マネージャーと冷静な話ができる心の余裕はなかった。

「じゃあいいです!」

 大きく低い声で一言言うと、鎌やゴミ袋等の草むしり用具一式を持って外に飛び出した。

 マネージャーがどんな表情をしていたのか、何かを言ったのかは解らない。

 

 外は相変わらずの蒸し暑さだった。

 地面は昨日天気予報通りに振った雨のせいでぬかるんでいる。当然、その上に生えている草を取るには、その泥にも手を触れる必要があるのだが、それをやる気は全くなかった。

 私は通りからも格納庫内の窓からも見えない死角に陣取り、サボタージュを決め込んだ。

 周囲にはいつものように虫たちがわらわらと飛び回っている。雨の後のせいか、蛙や蚯蚓の姿はいつも以上に多く、それらに対する嫌悪感もいつも以上に大きい。

 腕を組んでボーっとしていると、誰かが格納庫に近づいてくる気配を感じた。陰からそっと覗いてみると、オーナーが扉を開けて中に入っていく姿が見えた。

 私は音を立てないよう忍び足で移動した。

 二人の話し声がする。小さいが、耳をそばだて集中すればなんとか聞こえた。

「どうなの、あの子」

「やっぱり最近の若い人は駄目ね。同じ仕事ができないのよ。すーぐに飽きちゃって、別の事をしたがるの。せめてちゃんと終わらせてから次に行ってほしいわよね。それに、なんか私はインテリで物知りですよみたいな雰囲気だしちゃって、訳の解んない事ばっか言ってきて嫌になっちゃうわよ」

 まさかとは思ったが、どうやら私の話をしているようだ。

 私がマネージャーに対してそうであるように、マネージャーも私に対して良い印象は持っていないらしい。

 その事自体は別に良い。むしろ歓迎するところではあったのだが、その語られた内容については、腹に据えかねた。

 どうやら、私とマネージャーでは根本的な考え方に相違があるようだ。互いの意見は相手にとって、意味不明で理解不能の支離滅裂、そして荒唐無稽な言葉であるらしい。

 当然、私は自分が間違っているなどとは思っていないし、おかしいのはマネージャーの方だと思っている。

 防衛団にとって一番大事な事は、戦うことのはずだ。もちろん個人的には戦いというものは避けて通りたい事柄ではあるが、仕事でやるからには手を抜くことは許されない。常に万全の状態を維持し、どのような状況にも対処できるよう、備えと訓練を怠ってはならない。

 この論理に、誤りなどはないはずだ。

 だから私は、戦場となる場所の地理を把握し、機体にも慣れようとした。

 ただ、それだけのことなのに……。

 何が間違っているというのだ……。

 

 これ以後、私はマネージャーの事が嫌いになった。元々あった嫌悪感は、敵対心や憎しみへと形を変えた。同時に仕事に対する意欲や敬意も消滅した。

 スーツで通勤することをやめ、作業着姿で出社することにした。それについてマネージャーから注意を受けた。

「出勤して、仕事場で作業着に着替える。それで頭が仕事モードに切り替わるんだから、家から作業着は着てこないで。メリハリが大事よ」

 私は翌日、スーツを着て出勤した。そしてその次の日から、また作業着出勤に戻した。

 マネージャーはあからさまに何か言いたそうな顔をしたけれど、私は気付かぬ振りをした。

 別にスーツを着るのが嫌だった訳ではない。スーツ姿で、仕事に対するやる気が満ちています。と主張する事ができなかったのだ。実際は間逆なのだから。

 

 そんなふざけた勤務態度は数週間続いた。

 仕事への影響はほぼ無かった。なにしろ私がこの会社でできる仕事と言えば、掃除と草むしりだけだったからだ。他者とコミュニケーションをとり、力を合わせて目標をクリアする。そんな一般的な仕事像からはかけ離れた、常に独りの無意味な作業だった。

 当然、やる事は雑になった。手の届きにくい所に、頑張って箒を差し入れることはしなくなったし、一日に抜く雑草の数は十にも満たなかった。

 無意味な仕事は、更にその意義を失っていた。

「まだ草むしり終わりそうにない?」

 七月の中旬頃、マネージャーが聞いてきた。

 話しかけられた事によって不機嫌になった私は、まだ当分終わりません。と軽い敵意を込めた返答をした。

 終わる訳がないのだ。終わらせないようにしているのだから。

 どう控えめに見ても、到底仕事とは呼べない事を私はしていた。それでも、月末になれば給料は支払われる。

 職業に貴賎なし。どんな仕事をしていようとも、お金を稼いでいる時点で働いていない者よりも遥かに偉い。と、世の中にはそういう論調がある。しかし私はそうは思わない。何の役にも立たない、誰の益にもならない事で収入を得るのは間違っている。極論してしまえば、詐欺とそう変わらないと思う。犯罪行為か否かの違いだけだ。

 私は今、間違いなく詐欺と同等の行為をしているのだ。学生時代の私が、将来仕事をしている自分の姿を思い描けなかったのも無理はない。まさか、こんな馬鹿らしい仕事があるだなんて、社会に出ていない学生の身分では想像することは出来ないだろう。

 朝家を出て、草をむしって、夜帰る。

 その繰り返しの生活の中で、私は自らの意思で思考停止した。こんな現実を直視してしまうと、正気が保てなくなりそうだったからだ。

 新たな就職先を探す、役立つ資格の勉強をする。そういった建設的な行動を起こすべきだと、思わないでもなかったけれど、磨耗した心身ではそれも叶わなかった。

 

 そんなある日の午後、珍しくオーナーが格納庫に姿を現した。

 焦った様子で小走りで駆けている。が、年齢のせいか、その速度は遅い。

 私はその姿を草むらから見ていた。もうこの数日間は、一本の雑草も抜いていない。一日中代わり映えのない景色を眺めて、ただ終業時間になるのを待っているだけだ。悟りさえ開けてしまえそうなほど、ただじっと座り続けている。

 そんな、ある意味では安定した私の時間は、マネージャーから大声で呼び出されることで終わりを迎えた。

 だらだらと格納庫内に入ってみると、なにやら老人二人が慌しく動いていた。

「栗橋町が攻めてきたから出動するわよ」

「うちはあっちの方面は管轄外じゃなかったんですか?」

 南東側に在るもう1つの防衛団が、栗橋側の担当のはずだ。

「そうだけど、機体のオーバーホール中だかなんだかで、あそこは出動できないんだって。代わりにうちが行くしかないのよ」

 そう言って、マネージャーは自分の機体に乗り込んでいった。

 これから実戦が始まるのだと認識すると、さすがに私の中からだらけた考えは無くなった。本気を出さなければ殺されてしまう。いつかの芝田のように、遊びで自分の命を賭けることなど私にはできない。

 私は自分の愛機に、初めて乗った。

 運転席は埃の臭いで満ちていた。外見同様、中も相当に古臭い。

 シートの上には、てんとう虫の死骸が1つ落ちていた。私は息を吹きかけ、それを払い飛ばし、シートに座った。

 機体を起動させる。

 やはり以前乗っていたものとは大分違う。ボタンの数が圧倒的に少ないし、映し出される画像も荒い。エンジン音は老人が咳き込んでいるようで、今にも止まってしまうのではないかと心配になってしまう。

 各種システムが立ち上がると、マネージャーから通信が入った。音質も悪い。所々声が割れている。

「梅沢さん、出動前に1つだけ言っておく事があります」

「なんですか?」

 急いでいるこの状況でわざわざ言うのだから、相当重要な事なのだろう。

 

「オーナーには期待しないでください」

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