二十二話
入社四日目の私の仕事は、昨日マネージャーから宣告された通り格納庫の掃除だった。
虫達の死体を箒で掃き集める。
不思議なことに死体の数は今までと大差のない量だった。昨日は掃除をしていないはずなのに。
掃除の次は、きっと草むしりだ。箒と塵取りを片付けた後、私はマネージャーに次の指示を仰ぐこともせず、外に向かって草をむしった。
マネージャーはその様子を横目で見ていたが何も言ってこなかった。
今日は曇天だ。厚く黒い雲が空を覆っており、昼間なのに薄暗い。
天気予報では午後から雨が降り出すと言っていた。降水確率は六十パーセントだったはずだ。だと言うのに季節柄、気温は高く、湿度も高い。それによって不快指数もとても高い。
そんな環境のせいか、普段以上に現状への不満が頭に浮かぶ。主にこの会社の事だ。
悪い方向に自然を活かした格納庫について、草むしりを業務として扱っている事について、マネージャーの風貌について、初日以来その姿を見せないオーナーの仕事内容について。
不満をぐちぐちと呟き、汗をぽたぽたと垂らしながら、雑草をぶちぶちと千切る。
「すいません」
急に声をかけられて心臓が跳ね上がった。
声のした方を見ると、見知らぬ男性が立っていた。ここに出入りしている業者の人だろうか。
「はい、なんでしょう?」
「突然ですいません。お忙しいところでご迷惑かもしれないのですが……」
男性の手にはデジタルカメラが在った。
「お宅で使われている特人車を見学させてもらえないでしょうか」
男性からの要求を二つ返事で承諾できるような権限は、入社してまだ四日目の私には無い。私はマネージャーにその判断を委ねた。
事情を説明すると、老婆はとても嫌そうな顔をした。見てる側としては、普段からマネージャーの顔には嫌悪感を感じているというのに、その表情は更にその度合いを強めた。
一般的に考えて見学は許可されないだろう。万に一つも無いとは思うが、あの男性がどこかのスパイだという可能性も零ではない。
守秘義務の規約にも違反するはずだ。とはいえ、それは経営者側には関係のないことなのかもしれないが。
それに、ここはとても人様に見せられる物じゃない。こんな何の設備も無く、虫ばかりがいる格納庫内など見せられない。きっと今この瞬間も、虫の死体は増えている。
それを見られるのは、そんなところで働いていると知られるのは、とても恥ずかしい。
「面倒臭いわねぇ。梅沢さん案内してあげて」
「えっ、いいんですか」
「断るのも悪いでしょ」
機密や羞恥心、そういう事を考える頭はこの人の頭には無いらしい。元から無いのか、老いたせいで無くなったのか。
私は釈然としなかったけれど、雇い主からの指示に従わない訳にもいかなかった。
外で待たせている男性の元へ戻り、許可が下りたことを伝えた。彼はとても嬉しそうな表情を見せ、私に礼を言った。
「どうぞこちらへ」
私は彼を格納庫内へ誘導する。
中に入ると、彼はそこにマネージャーの姿を見つけ、私にしたのよりも丁寧に、礼を言った。
「いいんですよ。どうぞごゆっくり」
マネージャーの態度は先程とは打って変わって、男性の訪問を歓迎していた。内面はともかく、外面はいいようだ。
私はそんな姿にも拒否感を覚えた。
初対面であるこの男性の目には、この老獪な化け物がどのように映っているのか、少し気になった。
彼は、仰向けに寝かされている機体の姿を見るや、おぉ、と感嘆の声を漏らした。
「これがうちで使用している特人車です」
「すごいですね、これは。まさか本当だったとは……」
「何がですか?」
「ここで使われている特人車は、現在現場で稼動しているものの中で、最古の物だっていう噂がですよ」
「さ、最古?」
私は機体に目をやり、男性に振り返る。それを何度か繰り返した。驚いていたのだ。
「ご存じなかったんですか。好きな連中にとっては結構有名な話ですよ」
ということはもしかしたら、彼のような見学者がここを訪れるのは、初めてのことではないのか。
「この機体、TMT―Jrはイタリアの会社が作ったもので、これの前身となった初代TMTにいたっては、特人車の歴史で最初期の時代のものですよ。それまでは足を使って歩く技術がなくって、車に毛が生えたような、中途半端で変な見た目だったんです。それが、このJrの時代のちょっと前の頃になって漸く、二足歩行の技術が確立して。それ以後は今のような二腕二脚の人型デザインが主流になっていったんです。そんな歴史ある物なんですよ」
私が動揺していることをよそに、男性は饒舌に語った。
「それじゃあそんな年代物なら、こいつは貴重で、結構な価値があるってことですか」
「いやぁ。古いから貴重は貴重かもしれませんけど、元々大量に作られたものですし、現存している数は多いんです。世界の博物館には結構飾られていますよ。ただ、未だに現場で使われているっていうのが珍しくて、それで噂になってたんですよ」
「あぁ、そうなんですか」
男性に悪気は無いのだろうが、なんだか、遠まわしに馬鹿にされているようだった。
つまり、化石のようなオンボロを今も使い続けている時代遅れが居る。という事だ。
「骨董品的な価値はまだ無いですけど、レアリティという意味では、もう手に入れるのは実質不可能ですね。既に機体はもちろん部品の製造もされていませんから。作った会社も統廃合されましたから」
「うちのオーナーはどこでこんなもん手に入れたんだろう。その時代から今まで、大事に保存していたのかな」
「噂では、ここの会社を立ち上げる時に、知人から中古で安く譲り受けたらしいですけど」
「なるほど。その知人はその時この機体の価値を知らなかった訳ですね」
私がそう言うと、男性は笑った。今までの無邪気な笑顔ではなく、皮肉っぽい笑い方だった。
「特人車に価値を見出す人なんて、ほとんど居ませんよ」
「えっ?」
私は好きですがね。と男性は続けた。
「でもミリタリーオタクとか、そういう人達には好かれてるんじゃないんですか?」
「私のような特人車オタクってのは、居るには居ますけど、少数ですね。ミリオタとも全く違うジャンルです」
「そうなんですか」
「私が言うのもなんですけどね、特人車ってのは中途半端なんですよ。軍の兵器ではないですから兵器故の美しさみたいなものはありませんし。法律上では車両、ショベルカーやクレーン車みたいな特殊な用途で使う自動車っていう位置付けをされていますけど、どう見たって車には見えないでしょ」
確かに、車に手足は無い。
「だから車オタからも見下されてるんです。私はこの嘘くさい非効率なデザインが、逆に愛嬌があって良いと思うんですけどね」
男性は、今度は悲しそうな表情になって、化石のような機体を見た。
「ま、まぁ好きなものは人それぞれでいいじゃないですか」
私は慰めの言葉をかけてみたが、こういうことには慣れていないので一般的なことしか言えなかった。
「それはそうですよ。でも、できればもっと多くの人に特人車の格好良さを解ってもらいたいなぁって、残念に思っているだけです」
男性はそう答えると、機体の見学を再開した。
そして間隔をあけず「ああっ」と大声を上げた。
「どうしました?」
「これって、この武器、銃剣じゃないですか」
見ると、確かに壁に掛けられている武器の銃口には、刃が取り付けられていた。思えば機体ばかりを見ていて、私が武器をきちんと見たのはこれが初めてだった。
「あぁ信じられない。これ純正品じゃないですか。こんなものまで現場で使っているところは多分他にないですよ」
「そんなにすごいものなんですか?」
そうだとしても、きっと社会的には無価値なものなのだろうと予想はできたが、礼儀として私は尋ねた。
男性は興奮している。
「すごいはすごいです。いや本当すごい。これはご覧の通り、軍で歩兵が使っていたような、銃と短剣が一体化した武器なんです。でもこの短剣を、人間がやるのと同じように扱って攻撃したとしても、特人車にはダメージを与えられないんですよ」
「は?」
「黎明期の時代のものですからね、機体の動きも今よりずっとぎこちなかった。だからうまく剣先に力を集中させることができなかったんです。しかも強度にも問題があって、おもいっきり突いたら逆に短剣の方が折れた。なんてことがよくあったそうです」
「それって……欠陥品じゃないですか」
「そうですよ。だから現場で今も使い続けているなんて、とんでもない。もう……すごいことなんですよ」
そんなことばかりだ。男性はこの機体のことを、マイナスの方面でのみ賞賛している。
私はがっくりした。
その後も男性は、製造された時代から変化することのなかった機体を観察し、一般世間では絶対に理解されないその希少性に、何度も歓喜した。
「こういう風に、他の防衛団も訪ね回っているんですか?」
私は男性に質問してみた。
「いやぁ、たまにですよ。それに珍しい機体がある所以外は、ネットに写真がアップされているから、それだけで十分ですよ」
それに。と彼は急に小声になった。
「大体の所は、見学させてくださいとお願いしてみても門前払いですから」
「やっぱり、そうですよね」
私も同じように小声で返した。
「見学を許されなくても、外で見張っていれば、窓や扉の隙間とかから機体の姿がちらっと見えることがあるんですよ。実は今日もそれをやるつもりでここに来たんです。見学させてもらえるなんて、いやぁ運が良かった」
私は乾いた笑いを出すしかなかった。
一般的には断られる見学を許した、常識外れなマネージャーに対する愚痴を、この男性に語りたかった。多分、私よりも多くの防衛団を見ているこの人ならば、その異常性を解ってくれるだろう。草むしりが最重要任務の防衛団はきっと他に無いはずだ。
「空いた時間で近隣の防衛団もどこか行ってみようかな。でも他はさして珍しいものないからなぁ」
私は心の中で独り言を愚痴り、男性は声に出して考えを独白した。
「ここら辺で使われている機体、全部把握してるんですか」
「そりゃまぁ。ここを調べるついでにね。大利根町にもう1つある防衛団ではプロント。栗橋町はマークスリー。北川辺町が怒涛で、加須市ではバックスなんかが使われてますね。さらに隣の騎西町では、たしかクーリエだったかな」
男性は周辺地域の名称と共に、機種名を諳んじた。
私は拍手してその記憶力を賞賛した。
男性は照れたように笑った。
「まぁ、どこ行くかは歩きながら考えます。今日は忙しいところをありがとうございました」
男性は礼儀正しく頭を下げた。釣られて私も頭を下げた。
帰り際、妖怪のような顔をしていたマネージャー相手にも、男性は同じように頭を下げた。
男性の背中を見送っていると、私は寂しさを感じた。良い人だったと思う。
そういえばあの人、一枚も写真を撮ってなかったな。