二十一話
草むしりは夜になるまで続いた。
抜いても抜いても終わりが見えない。雑草たちの生命力、繁殖力を恨めしく思い、開き直って畏敬の念まで覚えた。
辺りが暗くなり、寂しさやら虚しさやらで涙が出そうになった時、マネージャーが来て、今日はもう上がっていいよ。と言った。
私は一も二も無くその言葉に従った。
服を着替えて、マネージャーにお先に失礼します。と頭を下げると、足早に格納庫を出た。事務所兼自宅に寄ってオーナーにも挨拶するべきかどうか迷ったが、私は心身共に疲労困憊していたので、寄る体力など残っていなかった。
四十分かけてアパートへ帰り着くと、いつもの手順通りにシャワーを浴び、夕食を食べた。疲労のせいで起きていられず、すぐに寝た。寝付きこそ悪かったが、眠りに入ると夢も見ずにぐっすりと眠った。
朝起きると、全身が痛い。酷い筋肉痛だった。
昨日以上に出勤に対してネガティブな感情を抱きつつも、結局私は家を出て、痛みに耐えながらまた四十分歩き、そして有限会社ハーモニー所有の格納庫の前まで来ていた。
外観を見ると、私が半日を費やしたはずの除草の成果は、ほとんど無かったように思えた。斯くも雑草とは強いものだ。憎たらしい程に。
午前八時五十分。既に扉は開いていて、そこにマネージャーの姿もあった。挨拶を交わし、奥に行って薄汚れた作業着に着替える。
「今日は何をやりましょう?」
祈りを込めつつ、私はマネージャーに尋ねた。
「今日もまず掃除ね」
絶望した私に箒と塵取りが渡された。
その日は、始まりこそ違えど、前日を書き写したように同じ事を繰り返した。
昨日も掃除をしたはずなのに、たったの一日で格納庫の床には大量の虫の死骸が転がっていた。
セイタカアワダチソウの背は高く、根は深い。名前も知らない雑草が肌に触れると、触れた部分が異様に痒くなる。大小様々な虫が周囲を飛びまわって、汗のべたつきでそれらをより癇に障る。不快な事の繰り返しだった。
翌日の出社時、私は決意していた。今日は何か適当な言い訳を考えて、なんとか掃除や草むしりを回避しようと。
扉を開け、マネージャーの醜い顔を見るなり私は言った。
「おはようございます。あの、そろそろ機体のことだとか、この辺の立地のことを知りたいのですが……」
「知りたいって?」
「あ、もちろん自分で勝手に調べます。マネージャーの手は煩わせません。解らないことがあれば、聞きます。その時に答えてくれるだけで結構です」
私は、態度は下手に、けれど要求は強硬に主張した。
マネージャーは少し思案顔をした。その姿もまた不細工だった。
「まぁ、そう言うなら……。わかったわ。それじゃあ今日は一日、大利根の地理を見てきなさい」
「ありがとうございます」
多分、私はこの人に初めて本心からのお礼を言った。
作業着に着替え大利根町の地図を持ち、私は格納庫を出た。
清々しいまでの開放感だった。前職では見回りが大嫌いだったけれど、今だけは正反対の気持ちになれた。
以前と違って見回り用の自転車さえなく、徒歩での移動だったが、むしろ時間を稼ぐことができて戻る時間を遅らせられるのは、今の私にとって喜ばしいことだった。
そういえば、この会社では見回りという業務はどうしているのだろうか。私が草むしりをしている間、マネージャーが外出した様子はない。姿を見せないオーナーがやっているのだろうか。そんな事をやる人には見えなかったが。
地図を広げる。大利根町は大雑把に言えば、直角三角形のような形をしていた。北東に直角の角を置き、北西と南東へ先端を伸ばしている。
大利根町に隣接する地域は四つ。まずは北川辺町が北側にあり、西側には羽生市。東に栗橋町があって、南には加須市がある。全て、同じ埼玉県同士である。
ハーモニーが在る場所は町の北西部。北川辺へ行くための唯一の経路である埼玉大橋からほど近い位置だ。そこから道を西に二三本越えれば、すぐに羽生市との境界となる。どちらの地域も目と鼻の先ほどの近距離だ。最前線と言ってもいいのだろう。
しかし、現実はそんな激しいものではなかった。北川辺は以前所属していたから知っているが、平和ボケしていて隣町に侵攻しようなんて気はさらさらない。もう1つの羽生市も、規模こそ大きい強敵ではあるが、隣接している加須市への警戒に手一杯で、この小さな町に構っている余裕などはないらしい。
結局、この二ヶ所を警戒して神経を尖らせても気苦労するだけ、骨折り損の草臥れ儲けになるだけなのだ。
対して、町の南東側はややきな臭い。
東の栗橋町からはちょくちょく侵攻があるらしい。毎回小競り合いレベルの小規模なもので終わっているようだが、いつ本腰を入れてくるかは解らない緊張状態が続いている。南の加須市は、今のところ何かアクションを起こしている訳ではない。しかし最近市長が変わったらしく、この市長がかなりの好戦的な政策を掲げており、近隣に攻め込むのは時間の問題だと言われている。
という事情が、ネットには書かれていた。もちろんオーナーからもマネージャーからも、そんな事は1つも聞かされていない。全部自分で調べたのだ。興味もないのに。
そういう情勢を加味した上で、まずは一番近い羽生市側へ行くことにした。
羽生市との境界線には目印となるようなものは何も無かった。ただの道、十字の交差点だった。周囲には、遠くの方に住宅が点在しているのが見える程度だ。
「何もないな……。ハーモニーからも近過ぎるし、有利に戦えそうな場所もなかったな」
私は独り言を呟いた。
北川辺と違って土手や水に守られた地形ではないようだ。そうなると、守る側が地の利を活かして戦う戦法がとれず、地力が物を言う勝負になってしまう。あのロートル達では勝つのは難しいだろう。
「まぁ、羽生が攻めて来ることはないのか」
ネットの情報を鵜呑みにし、楽観的な結論を出して後、次へ向かった。
ゆりのき通りと呼ばれる道を南下すると、左右に工場群が見えてきた。ここは昔、加須大利根工業団地と呼ばれていた所らしい。今は跡地だ。会社は入っていない。
人気のない寂しい場所だったが、それなりに車が通るし道だったので怖くはなかった。ここは待ち伏せに使えるかもしれないな等と考えながら歩を進める。
途中、県道三四六号線に道を変え、さらに南下する。二つ目の信号を左折すると、今度はさるすべり通りという道に出た。
ここが加須市との、あるいは栗橋町が南東側から侵攻してきた時の戦いの場である。
この通りにも先程と同じように、主の居なくなった工場跡地が左右に立ち並んでいた。豊野台テクノタウン工業団地と呼ばれていたらしい。南側には、その工場群に沿うようにして小さな川が流れていた。地図で確認すると、加須側と通じている橋は四本しか無く、それぞれの間隔もかなり開いている。加須側から見た場合、この立地は侵攻上、厄介なものだろう。
さるすべり通りを東へ進むと、ある地点を境に川は大きく南側へと曲がっていた。まるで、加須市からは守るけれど、栗橋町の邪魔はしませんとでも言うように、栗橋に道をあけていた。
「ここだと、やっぱり工場跡地で待ち伏せするのが一番かなぁ……」
見回した工場の壁には外階段や、スロープが寄り添うように設置されていた。
北上して、この町にあるもう1つの防衛団の所在地を目指した。それは町の南東部に在って、北西部にあるハーモニーとは真反対の位置関係だった。
そこには、たくさんの草木が茂っていた。しかし雑然や荒廃、あるいは薄汚さ、そういった印象は全く受けなかった。
植物達は生える場所や大きさを管理され、洒落た模様の石畳の通路に立ち入ることは制限されている。けれども彼らはそれに反抗する様子もなく、自らに割り振られた領域内で誰を傷つけることもなく、葉を広げ花を咲かて生を謳歌していた。
建物は古く見えた。けれど実際古くはない。古く見えるようにデザインされ新築されたもののようだ。ファッションとしての古さ。似たものであるはずなのに、ハーモニーの古臭い格納庫とは確定的な違いがあった。
庭には井戸からの湧き水でも利用しているのか、小規模な川とそれが流れ着く池まであった。
正に、風流を絵に描いたような場所だった。
それに引き換え、私が入ってしまったあの会社は……。
大量の虫とその死骸、無尽蔵に生えてくる汚らしい雑草。よそと見分けがつかない事務所兼自宅、そしてそこに住む経営者の老人二人。
私は強い劣等感を覚えて、その場を後にした。同業者として、挨拶くらいはするつもりだったが、やめた。
鬱屈とした気持ちで東へ歩いていくと、踏み切りに行き当たった。左右を見るともちろん線路が延びている。
私は地図を見た。今まで線路の表記を見落としていたようだ。よく見れば町の北東から南南東にかけて、二本の線路が町を横断している。駅や線路は特人車の立ち入りは禁止のはずだから、栗橋町が攻めて来るとした場合、先程の南を流れる川と線路の間、直角三角形の南東の鋭角部分以外に選択肢はなかったのだ。
つまり、もう私はこの町の戦略的ポイントは全て回り終わってしまったということになる。もう会社へ戻らねばならない。地図を見ると、帰り道に町役場があったのでそこに寄っていくことにした。少しでも長い時間外に居たかったのだ。
役場は町のほぼ中央部に居を構えていた。
それは何の特徴も面白みもない建物だった。二階建ての小学校校舎のようなその外観からは、行政の堅苦しさと公務員の緩い仕事観が漂っていた。この場所に他地域の特人車が到達すると、大利根町という町は消滅してしまうのだ。
ここに敵機が至らないようにするのが私の、防衛団の仕事だ。決して雑草をむしる事が仕事ではない。そのはずなのだ。防衛と雑草、二つを繋げる共通点や整合性はないはずなのだ……。
私はここでも、建物内に入ることをやめた。
もう大分日も傾いている。
私は、あのみすぼらしい会社に帰ることにした。
夕焼けの焦燥を誘うような光が苛立たしかった。
「随分と遅かったですね」
戻るなりマネージャーが不機嫌な顔で言った。
「すみません。隣町との境界と、その周辺の地理をよく観察してたら、いつの間にかこんな時間になってしまいました」
こんな時間とは十八時六分のことだ。
余りにも戻るのが嫌で、出来る限りゆっくりと歩いていたら予想外に成果をあげてしまった。
「もっと早く帰ってくると思ってました。おかげで今日は掃除できなかったわ」
どうやら、あの苦痛な業務は毎日の日課らしい。
「すみません」
「明日は今日の分も掃除してくださいね。もう今日は帰っていいです」
とても癇に障る言い方だった。私はマネージャーへの明確な怒りを覚えつつ帰路についた。
夜、私は求人サイトを見ていた。随分長く見ていたが、結局どこの企業にも応募することはできなかった。
そのサイト内にある、志望職種、業種の選び方を説明したページを開いた。
なんでも、自分のやりたい事、自分のできる事、そして企業から求めらられる需要。この三点が重なった所が、自分に合った仕事なのだという。
私にはやりたい事はないし、人並み以上にできる事もない。そんな私をまともな会社は欲しがらない。私には、どれ1つも無いのだ。
私は閉塞感のある息苦しい空気の中、眠りについた。