十五話
高橋さんはすぐに隊長と電話を変わった。
私は携帯電話と通信機、両方に向けて声を出す。
「利根川の川原で敵を三機発見しました。まだ大利根側の川原にいますが、一機は既に川の中に入っていて、こちら側へ向かってきています」
新井さんにも隊長とのやりとりが聞こえるように、携帯の受話口を通信機に近づける。
「間違いないんだね? 見間違いとかではなく」
「はい。拡大した映像で見ています。どこの者か解らないですが、やってきた場所から考えると、大利根町が攻めてきたんだと思います」
新井さんには聞こえているのだろうか、何も言ってこない。我々の会話の邪魔をしないようにしているのかもしれない。
「解った。利根川の川原だな。今、芝田君は見回りに行っているから……、あー……高橋さんトレーラー出して芝田を拾ってきてくれる?」
電話の向こうで、隊長は隣に居るのであろう高橋さんに語りかけた。わかりました、とその高橋さんの微かな声が聞こえた。
「じゃあすぐにそっちに向かうから、土手の手前ら辺で合流しよう」
「はい。わかりました」
私が答えた直後、待ってくださいと通信機から新井さんの声がした。
「なんですか」
私の携帯電話を介しての、二人の会話が始まった。
「せっかくの機会と場所です。私達は、というか梅沢さんは、ここから敵機を狙撃します」
「えっ?」
声を上げたのは隊長ではなく、私だった。
「隊長さん。たしかこの川原は戦闘可能地域でしたよね。利根川内はどうだったでしょうか」
「えーっと……。そうですね。橋脚がある所以外はそうなってますね。川の中は禁止エリアです。全面的に」
「では、敵が北川辺側の川原に上陸してきたところを、レールガンの遠距離射撃で狙い打ちます。それで倒せても倒せなくても、威嚇にはなって多少の足止めもできるでしょう。隊長さんと芝田さんは土手の上で敵を待ち受けて地の利を活かして戦う事ができますし、二方向からの攻撃で、敵も混乱すると思います」
はぁーなるほど。と隊長は感心したような声を出した。
「わかりました。じゃあその作戦でいってみましょう。確かにデメリットよりメリットの方が大きいようだ」
少し考えた後、隊長はそう言った。
当事者である私は、何も言わぬままに、重要な役割を引き受けることになってしまった。
「それじゃあ、すぐそっち行くから何か変化があったらすぐ連絡すること」
私は、解りました、と返事をして電話を切った。
「すいません。勝手言って」
「いえ。私は全然。それに結果を出すチャンスですもんね」
「そうです。今までの私達の努力の成果、見せてやりましょう」
見せつけるのが敵になのか、それとも本社の連中になのかは解らなかったが、彼女の口から出てきた『私達』という言葉を聞いて、私は俄然やる気になっていた。
私達。私と貴方。新井さんと梅沢。二人を指す。二人だけを指す言葉。二人っきり。
彼女が好きだ。彼女を助けることが私の夢の第一歩。私は改めてその事を意識した。
このチャンスは、逃せない。
思ったより敵の侵攻速度は遅かった。確かに水の中を歩くのは、地上を歩くよりも速度は落ちる。川底は平坦ではないし、滑りやすく危険だ。今日は緩やかな方だが、水の流れにも注意しなければならない。しかしそれを差し引いても彼らの歩みは遅かった
先頭の機体は、ようやく川の中程に到達するところだった。腹から下は水に浸かっていて確認できないが、右腕には銃を持ち、左腕には盾と思われる鉄板が装備されている。彼らは、それが水に濡れないよう両腕を上げて歩いている。まるで小学校でやった前へ倣えの姿勢のようだった。
段々と近づいてきて、その輪郭も、よりはっきりと見ることができた。どうも角ばっている。機械なのだから別段不思議なことではないのだけれど、それでも、今私が乗っている機体や、テレビや雑誌で見かける他の機体は、少なからず丸みを帯びている。それは頭だったり腕や胸だったりと機種ごとに千差万別なのだが、彼の敵には一切の丸みが無く、全て直線で構成されているように見えた。なんとなくデザインが古臭い。
「多分、向こうはこっちのことに気付いていないですよ」
「そうですかね」
「あ、いえ。こっちの存在には気付いているでしょうけど、接近を察知されているとは思っていないってことです」
「確かに。並のカメラじゃ、遠すぎて見えないですもんね。私が気付けたのも完全に偶然ですし。こっちの様子を知ることは、向こうにはできないでしょうね」
私は一応確認の為に、歯車を押して機体側のカメラに切り替えた。機体に標準装備されているカメラでは、最大限拡大してみても敵の姿は米粒よりも小さく、その挙動を把握できるものではなかった。二人の仮説が正しいだろう事を確認して、私はもう一度歯車を押し込んだ。
古いほうの通信機が隊長の声を発した。芝田と合流したから、今から現場へ向かうとのことだった。私は現状に変化はないと返した。
敵はもうすぐ岸へ上がってくる。
不自然な隊列だった。先頭と、その後ろに続く機体の車間距離は近すぎず遠すぎず、適正に保たれているのだが、その後ろの、最後尾の機体だけがやけに離れた位置にいる。そいつは未だに川の中腹にも辿り着けていない。何か作戦があるのだろうか。
「緊張してきた」
思っただけのつもりだったが、声に出ていた。もう間もなく、人生二回目の実戦が始まろうとしている。
「梅沢さん。大丈夫ですよ、きっと。梅沢さんの腕前なら一撃ですよ」
通信機の向こうで、新井さんが笑っているのが伝わってきた。私を気遣って励ましてくれているのだ。
「応援してます。開発部だからとか武装腕の今後を占うとかいうのとは別に、私個人としても、梅沢さんの無事を祈っています。頑張ってください」
「はい」
百人力を得た気分だった。それまでの緊張や気負いは雲散霧消している。この作戦が失敗する訳がないと、私は確信した。
先頭の敵機が川岸に足をかけた。遂に来た。
「敵機が岸に到達しました。これよりレールガンで狙撃します」
「了解。こっちは現場に着くまでにもう少しかかる。無理はするな」
「了解」
既にレールガンの発射体勢はとっている。あの間抜けな四つん這い、いや三つん這いの姿勢だ。充電も満タンで準備は万端だ。
敵は完全に上陸を果たした。後続の味方機が来るのを待っているようで、今は動きが止まっている。丁度良い。
私は訓練通り、的の中心、敵機の腹の辺りに狙いを定めた。
大きく深呼吸する。これはどうやら私の癖のようだ。大事の前に緊張を解こうとしているのだろう。しかし、今回は必要ないと思う。今から放つこの弾が、外れるなんてことは有り得ないのだ。
「いきます」
言ってから引き金を引いた。
信号が伝わってから発射までのタイムラグ。一秒にも満たないはずのその時間を私は知覚できた。感覚が冴え渡り、画面に映る敵の一挙手一投足が全て把握できた。敵はほんの少しだけ右に動いた。けれどそれは誤差の範囲、今ヘタに狙いを修正すると、却って外れる可能性がある。私は敢て動かなかった。
そして、待ち望んだ弾丸が発射された。
次の瞬間それは、敵の盾、左腕、左肩を貫いていた。限界まで高まっている集中力でも、その弾筋を追うことは出来なかった。とんでもない弾速、一瞬の出来事だった。
弾丸は、最終的に対岸近くの川の中に着弾したようだ。そこに大きな水柱があがる。
胴体との接続を無理やり切り離された敵機の腕は、その弾丸の軌道を追うように錐揉みしながら飛んでいき、水面を何度か跳ね回った後、川底に沈んでいった。
本体も、直撃の衝撃により同じように吹き飛ばされたが、その重み故か、飛び跳ねるようなことにはならず、高い波を立てながら沈んでいった。
「すごい」
もちろん特人車相手にレールガンを撃ったのは初めてのことだ。弾速や、その威力、性能は、数字としては知っている。けれど実際に、重量が何トンもある鉄塊を、いともたやすく破壊し吹き飛ばしたその様に、私は感嘆の声を漏らしてしまった。
しかしすぐに状況を思い出し我に返る。先鋒を倒しただけで、まだ敵機は残っている。機体を立て直し、二歩左へ移動した。発射時の反動で、手足を着いていた地面が捲れ上がっている。同じ場所では二射目は踏ん張れないのだ。それは射撃テストの時から解っていたことだ。
平らな地面に跪いて、再度発射体勢に入る。
しかし拡大された画面の中には、もう上陸している頃合の、後続の姿は見当たらなかった。敵機を見失ってしまったかと焦って、左右にカメラを振ってみる。すると、川の下流に向けて方向転換した敵を発見した。どうやら撃破された味方機を救助しようとしているようだ。
彼らは救助した味方機を対岸へ運ばなければならないし、敵地への上陸直後にいきなり一機が撃墜され、戦力的にも不利になってしまった。多分、今回はもうこれ以上の侵攻はないだろう。私は安心感から息を吐いた。
思った通り、彼らは自分の陣地に引き上げて行く、最後尾だった機体などは既に向こうの陸地に上がっていた。逃げ足は速いの典型だった。
「梅沢さん」
通信機からではなく、外からの生の声が聞こえた。声のした方向を見ると、新井さんが土手を駆け下りながら手を振っていた。
私はいつかやったように、彼女を迎え入れるために機体の体勢を整え、運転席の扉を開いた。彼女は止まることなく巨人の体を駆け上り、すぐに私の前に来た。
そして、両手を翳した。ハイタッチを求める姿勢だ。もちろん私はそれに応える。
パンッ。
手を弾くのではなく、手と手を合わせるようなハイタッチだった。
彼女はふふふ、と笑っている。満面の笑みだ。その笑顔が段々と近づいてくる。
そして、キスをされた。
キスといってもフレンチキス、外国だったら挨拶程度の意味しか持たない、そんな軽いものだった。彼女の唇はすぐに離れた。
私はその唇を追いかけ、再度自分の唇と重ね合わせた。
そうしようと考えた訳ではない。体が勝手に動いていたのだ。
彼女の手の五指の間に、私の五指を入れ、強く握った。先程とは打って変わった強いキスだったが、彼女はその手を振りほどこうとはしなかった。
やがて私は、彼女の口腔内に自らの舌を入れた。最初こそ驚いたような反応をみせたが、彼女の舌はその進入を避けようとはせず、むしろ積極的に私の舌との接触を試みた。
互いの舌が絡まる。両手には力が入り、彼女の手を握りつぶしてしまいそうだった。彼女の方からも、強い握力を感じた。
彼女の全ての感触を、この舌で感じたいと思った。私は彼女の口の中を舐め回した。ピアニストがピアノの音階を確認するように彼女の前歯を舌が走った。上の歯が終わると下の歯を、それが終わると今度は歯の裏側で、同じ事を繰り返した。
彼女の舌も、私の舌がとった行動を真似するように、動きだした。
こんなに激しいキスは、初めてだった。そして、それでもまだ足りない、もっと彼女と密着したい。そう思った。
いつまでそうしていだろう。ぴちゃぴちゃ、くちゃくちゃ、という淫靡な音だけが響く中、突然通信機から隊長の声がした。
「梅沢君。もう間もなく到着するけど、そっちはどうなった」
私達二人は、突然の声の乱入者に驚き、互いに身を引いて離れた。
蕩けるような夢の時間は、あっさりと終わりを迎えてしまった。