十三話
解ってはいたことだったが、やはり川原には何も無かった。
土手の斜面、雑草の地面、そして一級河川の利根川。この三本のラインがどこまでも続いていた。左手側に、北川辺と大利根を繋ぐ埼玉大橋と、それを支える橋脚が霞んで見える程度だ。脚は何本も生えていたが、脚同士の間隔は広く、あの巨大な建造物とその上を間断なく走る車の重みが、その程度で支えられるものなのか、不思議に感じた。
まずは適当な場所に、機体と一緒にトレーラーに積んできた練習用の的を設置した。的には直径の異なる円が何重にもなって描かれている。そこから埼玉大橋側へ向けてしばらく走る。ルームミラーから的の姿が見えなくなったところで車を停める。
私はトレーラーから一旦降りて、荷台に載せてある機体の運転席へと移動した。
鍵を差し込み脚のペダルを踏みながらスターターボタンを押すと、大きなエンジン音を発しながら機体が起動する。システムの立ち上がりと暖気が済むまでしばらく待機した後、ゆっくりと機体を地面に立ち上がらせる。
そうしておいてから、今度は肩ひざを地面に着かせ、中腰の状態にする。高さを微調整してから運転席の扉を開き、機体から降りた。
最後に、再度トレーラーへ乗り込み、車を土手の向こう側へと移動させた。
実射テストでの暴発や、不慮の事故を予防するため、トレーラー及び新井さんを、安全な場所に運んだのだ。
「すいませんね。私が免許持ってないから、こんな面倒なことさせちゃって」
「いいえ。気にしないでくださいよ」
当然ながら、今の私は有頂天で夢見心地だった。乗ったり降りたりを繰り返す面倒な作業でも、少しの苦もない。
駆け足で戻って、再び機体へ乗り込み、シートベルトを締めた。
「準備OKです」
トレーラーに居る新井さんと連絡をとる為に新たに設置されたばかりの通信機に向けて報告する。運転席内にはこの他にも、前回出動時には無かった機器が数点設置されている。それは武装腕を取り付ける時一緒に据え付けられた物だ。レールガン発射時に得られる諸々のデータを記録し、新井さんの端末へと転送するものらしい。
「それでは最初ですので、手順を確認しながらやっていきましょう。まず、左腕のロックを解除」
「解除しました」
「次にレールガン電池への蓄電開始」
「蓄電開始」
指示通りにタッチパネルを操作する。
レールガンにはその原理上、かなりの電気が必要になる。コストの面で構造上、腕に発電機を取り付けるわけにもいかないので、機体本体からの電力供給を電池に貯めこむという方式がとられている。
パネル上に、車の燃料系そっくりの表示がでて、蓄電の進捗状態を表している。ハイテク技術なのにアナログな表示形式だ。まぁ、パッと見で解りやすくはある。
「貯まるまでに結構時間かかりますね」
「一応、一射分の電気が貯まるまでに三十秒強かかる計算です。最大まで蓄電すると三発分発射可能になります」
連射速度は前回戦った古河の連中が使っていた武器より余程悪い。もちろんそんなことは口には出さなかった。
「それと試作段階なので、弾の値段も通常のものに比べてかなり高いです。一発一発真剣に臨んでください」
「それはもちろんですけど。そういえば費用ってどうなるんでしょうね。うちの支社、この前の戦闘のせいで、金が無い金が無いってあたふたしてましたけど」
「それは大丈夫です。この装備にかかる費用は、全部開発部持ちです。少なくとも私がいる間は」
最後の言葉を聞いて私は一気に夢から覚めた気がした。
そうだった、彼女はずっとここに居るわけではなかったのだ。滞在予定期間はもう三週間を切ってしまっている。
1つ溜息をつくと、同じタイミングでレールガンの蓄電メーターが満タンを差した。
「あ、電池貯まりました」
「それでは始めましょう。的に向かって構えて」
通常タイプの腕に比べると、レールガンの全長はとても長い。肘や関節などの概念もないため、そのまま真下に下ろすと先端の銃口辺りが脚の長さを超えて、地面に接してしまう。だから待機の状態から、常にある程度の角度をつけて固定され、やや前方に向けられている。
その銃身を少しずつ上げ、的を設置した場所に向けようとする。
「ん?」
「どうしました?」
「あの……的が全然見えないんですけど」
画面に丸型で表示されている照準の中には、ゴマ粒のように小さい黒い点しか見えない。多分あれが的なのだろうが、これでは命中させるのは難しい。
えっ。と聞こえた後、新井さんとの通信が途切れた。見ると彼女は小走りで土手を下ってきている。
私は再び機体を中腰の状態にし、彼女が機体に取り付きやすいよう、右腕の角度を調節して運転席の扉を開いた。
機体をよじ登ってきた彼女に手を貸し、運転席内へと招き入れる。手が触れ合ってドキマギしていることが悟られないように。
狭苦しい密室で彼女の温度を感じながら機体を操作し、先程と同じ射撃体勢をとる。
「これ…ですか?確かに全然見えませんね。これ倍率は最大ですか?」
表示された画面の中央の黒点を指して彼女は言った。
身を乗り出したことで、二人の距離が近づいた。彼女からはいい匂いがした。
「もちろん最大です」
証拠を示すため、ズームインとズームアウトを何度か繰り返した。やはり、的をこれ以上大きく写すことはできなかった。
盲点でした。といって彼女は自らのおでこを叩いた。
「本社に連絡して、急いでズームカメラ付きの照準スコープを取り寄せますね。たしか何点か余っているのがあったはずですから、うまくすれば午後には届けてくれるかもしれません」
彼女は機体から降りると、すぐに携帯電話で通話を始めた。
その間、私は手持ち無沙汰になった。機体のカメラ越しに、電話で話す彼女の姿を眺めていると、なんとなく、その姿に違和感を感じた。
「すぐに送ってくれるそうです。多分夕方前には届くと思います。しょうがないので今日はもう撤収しましょう」
電話を終えた新井さんが両手をメガホン代わりにしてこちらへ叫んだ。私は了解と答えた。
機体から降りてトレーラーに乗り込んで、先程とは逆の手順で機体を積載し、的を回収した。
帰り道、運転しながら先程感じた違和感の正体を探ってみた。
「あの新井さん。もしかしたらですけど、髪切りました?」
「うわっ。よく解りましたね。前髪を自分で、ほんのちょっとだけ切ったんですよ」
誰にも気付かれないと思ってました。驚きの混じった笑顔で彼女はそう言った。
発注した照準スコープが届くまでは、専用ソフトのインストールや運転席周りの改修、レールガンとのリンク設定などの事前準備をした。
荷物が届いたのは十五時頃だった。
彼女の指示の元、増設作業は滞りなく進み、なんとかその日の内に取り付けは完了した。
翌日も前日と同じ作業から始まった。
トレーラーで川原まで移動し的を設置、機体を降ろしてトレーラーを土手の陰に隠す。
「どうですか。ズームはちゃんと効いてますか」
私は左手の操縦桿に目をやる。
昨日、照準スコープとセットで届いた、専用の操縦桿だ。基本操作は従来のものと変わりはないが、桿の上部、ちょうど親指が来る場所に、歯車のような機構が加わっている。
その歯車に指を当て押し込む。するとほんの一瞬だけ画面が暗転し、すぐに外の景色を映す画面に戻った。何も変わっていないように見えたが、これで本体カメラから照準スコープ用のカメラへと表示が切り替わったはずだ。
歯車をゆっくりと手前側に回してみると、それに連動して画像がどんどんと拡大されていった。それ以上歯が回転しなくなるまで回す頃には、黒ゴマ程度の大きさしかなかった的は、その中心円についた蛾の、羽の模様まで見えるようになっていた。
もう一度歯車を押し込んで拡大を解除し、カメラを切り替えると、一瞬で元の世界の映像に切り替わる。それまでの克明な世界と比べると、この世界は曖昧模糊としているように感じた。
「大丈夫そうです。ちゃんと機能してます。的がばっちり見えました」
「良かった。それじゃあ改めて昨日のテストの続きをやっていきましょう。蓄電は済んでますね?」
「OKです」
「それでは標的へ狙いをつけてください」
言われたとおり、再度歯車を操作して画像を拡大する。丸型の照準の大きさと、的の中心に描かれている円とが重なった。
「狙いました」
「普通の銃より、反動がかなり強いと思うので気を付けてください。それでは、安全装置を解除して発射してください」
安全装置を解除し、足に力を入れて踏ん張る。そして引き金を引いた。
直後、轟音と共に、何者かにとてつもない力で後ろへ引っ張られる感触があった。
そして私の意識は途切れた。
目を覚ますと、すぐ隣に新井さんが居た。
最初私は、何故自分の部屋に新井さんが来ているのかと混乱した。しかしすぐにそこが機体の運転席の中だと解り、勘違いだったと理解した。
「大丈夫ですか?」
心配そうな顔と声で彼女が尋ねる。
それでも突然の場面の転換についていけてない私は、まともな返事ができなかった。
「すいません思っていたよりも、相当反動が強かったみたいです」
反動? 何を言ってるのか解らない。そういえば、さっきまで立っていたはずの機体が、今は仰向けに寝ている。
「なにが、どうしたんですか」
私は何も解らないから、質問も要領を得ない。
「あ、えっと、つまり。レールガンを撃ったらその反動があまりに強すぎて機体がひっくり返って、梅沢さんはその衝撃で気絶しちゃってたんです」
それを聞いて目が覚めた。
私は大きく目を見開いて弁解した。
「す、すいません。踏ん張りが足りなかったですね」
「いいえ。データを見てみたんですけど、多分どんなにバランサーの数値をいじったとしても、この機体じゃ、こうなっちゃうのを防げないみたいなんです」
彼女は申し訳なさそうに言った後、ごめんなさい。と頭を下げた。
「い、いえそんな。私はなんともないですから平気です。そ、そうだ。それより、機体やレールガンはどっか壊れてないですか」
「それは見た感じ大丈夫そうですけど」
「あぁ、良かった。でも、どうしましょうか。どうやっても引っくり返ってしまうとなると、もしかして、この先テストを続けられなくなっちゃいますか?」
自分の体調よりもそちらの方が気になった。
そうですね。と顔を伏せ、彼女は黙り込んでしまった。