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埼玉県北埼玉郡防衛団  作者: 日光樹
北川辺編
12/45

十二話

 翌朝、目覚めた時には午前十時を過ぎていた。

 普段だったら、生活リズムを乱さないために、休日でも起床時間は平日と変わらない。あえて目覚まし時計をセットしなくても、体が勝手に目覚めてしまう。はずなのだが……。

 昨日は疲れていたのだろう。

 風呂にも入らないで寝るなんて、もしかしたら初めてのことかもしれない。

 そういえば、昨日は何の夢も見なかった。

 

 まだ薄ぼんやりとした頭のままで起きだし、まずは風呂に入って前日分の汚れを落とした。

 シャンプーで髪を洗い、ハブラシで歯を磨く。たっぷりのシェービングフォームを塗りたくって髭を剃る。体は洗わなかった。どうせ夜にもまたシャワーを浴びる。その時でいい。

 一連の目覚めの儀式を執り行ったが、いまだに目が冴えない。起きてはいるが、眠りの世界からの影響を強く受けている。

 何か食べようと思い冷蔵庫を開けたが、入っていたのはウーロン茶と味噌だけだった。

 毎週土曜日に一週間分の食料品を買い込み、それをきっちり使い切る。それがこの家のルールの1つだ。しかし昨日は勉強会で出勤になった為、買い物ができなかったのだ。だからこの冷蔵庫内の閑散とした様は、至極当然のことだった。

 私は町で唯一のスーパーであるマルヤに買い物に行くべきかどうか迷った。いつもなら土曜日に済ませているそれを日曜日に行うのは、中々エネルギーの要ることだ。

 私は元々、休日には用事がなければ家から出ないのだ。インドア派を気取るつもりもないが、動機目的がないまま外に出ても、結局どこへ向かえばいいのか解らないのだ。結果、どこにも寄らず何も買わず、何の刺激を受ける事もなく、ただ交通費を消費するだけで帰宅してしまう。そういうことが何度かあって、私には外で遊ぶのは向いていないんだと気が付いた。それ以来、休日は何をするともなく家で過ごしている。当然お金は使わない。だから低収入の割にはそこそこ貯金がある方だと思う。

 空腹感に背中を押され奮起し、漸く重い腰を上げて家を出た。外は曇っていた。昼間なのに光度が足りず、景色は灰色だ。湿度が高い、蒸し暑くて不快だ。十数分自転車を漕いだだけで、シャツの背中部分には大きな汗染みができてしまった。

 マルヤの中は別世界のように涼しかった。

 必要な商品を買い物籠に入れていく。慣れ親しんだ店だ、どこに何が陳列されているかは全て記憶している。

 十分程で買い物を終わらせた。

 クーラーのおかげで引きかけていた汗は、帰り道で再びその姿を現した。

 

 帰宅するとまずシャワーを浴びた。

 朝に入ってからたった二時間しか経っていなかった。今回は体を洗った。

 体を拭きながら部屋に行き、クーラーのスイッチを入れる。冷房二十七度。

 そうして一息ついた後、昨日新井さんから渡された分厚い本を読み始めた。

 最初の方こそ集中できていた。

 だが時間が経つにつれ、目に入る文章が解らなくなってくる。文字は呼んでいる、けれどその文字が意味するところが理解できていない。言葉と意味を繋げる機能が働いていなかった。

 代わりに、書いてあることとは無関係なイメージが頭に流れる。

 昨夜の新井さんの姿だ。

 彼女がビールを飲みつつ泣いている。その背景から、本に書かれている文章が店内BGMのように聞こえてくる。

 全く頭に入ってこない。

 そんな状態に陥ってから四ページ読み進んだところで、私は本を読むのを諦め、まずその想像に、なんらかの決着をつけることを優先した。

 座布団を下に敷き、床に寝転んだ。

 目を閉じ、勝手に現れるイメージとの対話を試みた。

 

 気付いた時には外は暗くなっていた。時刻は十八時四十七分。

 いつの間にか眠ってしまったらしい。頭の中で、どんな話がなされたのか、それによって成果が挙がったのか否かも忘れてしまっていた。

 頭と背中が痛い。私は欠伸をして体を伸ばした。

 しばらくはそのままぼけっとしていた。

 そういえば今日一日、何も食べていないことを思い出して、夕食を作った。

 それを五分かからぬ内に食べ終えてしまった。体からは更なる食物を求められたが、どうせ今日はもうやるべき事はない。要求は無視することにした。

 洗い物を片付けた後、また分厚い本を読んだ。今度は邪魔されることはなかった。

 総ページの四分の一程を読み終えたのをきっかけに、寝ることにした。

 キチンと布団を敷いてそこに倒れこむ。はっと思い出してクーラーを切り、窓を開けてから電灯を消した。

 

 私は、どうして新井さんが好きなんだろう。

 好きになったきっかけは明確に説明できるけれど、例えば、どこが好きなのかと問われた場合、答えに窮してしまう。

 別に見た目がタイプな訳ではない。

 外見だけで評するなら、高橋さんの方が一般的には可愛いと言われるだろう。不細工な訳ではないが、美人という程でもない。

 それに私はド田舎支社の下っ端で、彼女は本社の開発部勤務。そういうところにコンプレックスを感じないではない。

 大体、恋するきっかけにしたって、1つの事柄を正しい目で、正確に把握していたというだけで、好きになる云々の話ではないと思う。とても論理的とは言えない。

 図らずも昼寝をしてしまったせいか、私は中々寝付けなかった。

 右へ寝返りを打つ。

 しかし、論理的でない、筋が通っていないと誹議したところで、揺るがない現実として、私は新井さんに恋をしてしまっている。

 それが間違っていることだと諭されたからといって、はいそうですかと、この気持ちを捨て去ることなど出来る訳がない。動植物を殺すのはいけないことだと思っていたって、腹が減ったら食べざるを得ない。人生の半分を睡眠時間にあてるのは無駄なことだと主張しようと、体は自然と眠りを求める。

 そういったことと同列の事柄なのだ。

 恋愛の根底には性欲がある。

 生物が持つ本能的な欲求。それは人間の浅い歴史と、足りない頭で暗愚に考え出された論理など意にも介さず、確固として我々の中に存在している。それを否定することはできない。もしも、理屈を捏ねくりまわして否定した場合、それは自らを含んだ人間自体、生物全体を否定することにもなる。少なくとも、この地球で生きる者の理としては間違っている……。

 

 なんだか、思考が変な方向へ行っている。

 私は枕の位置を直して、今度は左に寝返る。

 

 つまり、人を好きになるのは理屈じゃないという事だ。先人もそんなことを言っている。

 運命の赤い糸なんてものが在るのかは知らないが、確かに意図的とも思えるほどに強烈に惹き寄せられている感覚がある。間違いなく私の糸は新井さんに繋がっているはずだ。

 向こうはどうなのだろう。

 彼女は私のことをどう思っているのだろう。

 昨日、家に誘ってきたところを見ると、嫌われてはいない。少なくとも身体を重ねてもいい程度には思われているはずだ。私の勘違いでなければだが。とはいえ、やはりそれ以上の存在ではないのだろう。

 どうすれば彼女に好かれるだろうか。

 相思相愛になり、お付き合いをする。当然そうなるのが良い。ゆくゆくは結婚するかもしれない。私は、ただの紙切れ一枚の、住民管理の制度に興味はないけれど、彼女が望むなら吝かではない。

 いや、そんな形式ばったことは問題ではないのだ。

 とにかく、彼女と一緒にいたい。

 同じ物を食べ

 同じものを見る

 同じ場所に行き

 同じことを考える

 同じ時を過ごし

 ずっと、一緒にいたい。

 終わりまで。

 

 ようやく私は眠りに落ちた。

 

 月曜日、当たり前だが彼女は変わらず出勤してきた。

「あの後大丈夫でしたか?」

 できるだけ平静を装って聞いてみた。

「はい。すいませんでした。酔っ払ったせいか、ところどころ記憶が飛んじゃってるんですけど、もしかして私ご迷惑かけてないですか」

 逆に尋ねられた。

 彼女の態度は平常通りで、嘘をついているようには見えなかった。家に泊まらないかと誘ったことも忘れているのだろうか。それとも、あれは本当に酔っ払ったことによる勘違いだったのか。

 私は判然としない気持ちになりながらも、何もなかったですよ。と事実を言った。

 

 町の南側の川原での実射テストは、予定通り行うことになった。

 機体を移動用のトレーラーに載せて固定し、出発する。

 私が運転をし、彼女は助手席に乗った。

 満員電車で寿司詰めにされた時ほどではないが、かなりの近距離。おまけに車内という密室に二人っきりだ。

 私は生物的本能に依る興奮をおぼえた。

 しかし期待とは裏腹に、業務関連以外の会話がないままに、車は目的地目前まで来てしまった。

 土手を登るための道は狭く、整備もされていない。雑草の中に車のタイヤで出来た轍が続いているだけの畦道だ。トレーラーはかなりの車幅があって、道幅に対してギリギリだった。

 私が慎重にハンドル、アクセル、ブレーキを操作していると、新井さんが言った。

「あの、この前のこと、ありがとうございます」

「えっ?」

 突然の話題が何の事だか解らなくて、私は聞いた。聞いた瞬間、土曜日の夜のことだと思い至った。

「私を助けてくれるとかって話です」

「あ、あぁはい」

「多分、あの時はちゃんと言えなかったと思うんで、もう一回キチンといいますね」

 彼女はもう一度、ありがとうございます。と言った。

「恥ずかしくって表情に出せなかったんですけど、あれ言われた時、私すっごく嬉しかったんですよ。ありがとうございます」

 運転を中断して見た彼女は満面の笑顔だった。

 

 ほんの少しだが彼女を救えた。

 私はそのことに喜びつつも、照れ笑いを返した。

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