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埼玉県北埼玉郡防衛団  作者: 日光樹
北川辺編
10/45

十話

 会場はビルの三階だった。

 会社の扉は開け放たれており、その向こう側では受付と思しき女性二人が待機していた。

「株式会社ユニバーサルの新井と梅沢です」

 新井さんが私の分も含めて名乗った。

 私はこういう場所には馴染みが無い。突然、着慣れていないスーツの窮屈さを思い出した。

 片方の女性が名簿らしき紙面を確認し、私達の名前を反復した。

 もう片方の女性が、こちらにどうぞ。と私達を伴い会社内を歩く。通された部屋には長机とパイプ椅子が数セットずつ配列され、それらが目線を向ける方向には教壇とホワイトボードがあった。近くでは職員と思われる男性が、講義の準備に動き回っていた。

 規模は小さいが、数年前まで通っていた大学の教室を思い出した。

「空いている席にどうぞ」

 そう言って女性は一礼し、入り口へと戻っていった。

 教室には既に何名かのスーツ姿の男達がまばらに席に着いていた。新井さんは迷う様子もなく教壇から見て右側、前から三列目の長机に荷物を置いた。

「ここでいいですか」

 断る理由もないので頷いた。

 すると彼女はそのまま教壇側へと歩いていき、そこで準備をしていた男性に話しかけた。

 知り合いなのだろうか。

 慣れない世界に一人取り残された私は、なにをすることもなく、なんとなく居場所の無い時間を過ごした。

 

 結局、彼女が席に帰ってきたのは開始時間の十時になった時だった。

「お知り合いなんですか?」

 そう彼女に尋ねてみた。

「えぇちょっと。私が元々これに参加する事になっていたのも、半分は人数稼ぎに来てくれって、あの人にお願いされたからなんです」

 彼女は教室全体に眼をやる。

 私達が来て以降、教室の人口は増えていなかった。用意された椅子の半分も埋っていない。

 私が返事らしい返事ができないでいると、教壇の男性が勉強会を開始する旨を宣言した。男性はやはり講師だったようだ。

 

「力は、アンペールの法則でわかるように………。電気伝導体としてローレンツ力が働くが……。リニアモーターやサーマルガン…

 …」

 講師の説明は、大体が昨日までに新井さんから受けたものと同じだった。 当然以前よりも言っていることの意味が解る。

 しかし、理解が進む理由は説明回数のせいだけではないと私は確信していた。

 隣の席を見る。

 新井さんがつまらなそうに窓の外を眺めていた。彼女にとっては目新しい情報のない基礎中の基礎の内容なのだろう。

 そんな姿でも胸がときめく。

 

 レールガンの仕組みになんて興味がない。動かし方さえ覚えれば、後の理論や構造なんて自分には関係のないこと。私はそんな態度でいた。

 数日前までは。

 今は違う。

 今の私の大半は、新井さんで占められている。

 考えることは大抵彼女へと行き当たり、彼女の言動1つ1つに、私は一喜一憂し大きく揺さぶられる。当然のことながら、彼女を知りたいと思った。

 彼女が知りたい。彼女の好きなこと嫌いなことを知りたい。彼女の考え方を知りたい。そして、彼女が知っていることを知りたい。

 そう、願望した。

 つまり、彼女を通して私はレールガンと繋がった。もはやそれは興味のもてない無関係なガラクタではなくなったのだ。

 これを知れば、彼女に近づける。

 そう考えると脳は高揚し、初めて聞く外来語も容易く吸収できた。

 彼女がと関係ある事ならば、どんな難解な事であっても理解できる。

 私は、ある種の万能感さえ感じていた。

 

 十三時に、一時間の昼休みがとられた。

「梅沢さんごめんなさいね。こんなとこ連れてきちゃって。退屈でしょ」

 多分、そう言った新井さん自身が退屈なのだろう。

「全っ然そんなことありませんよ。逆にすっごく興味持ちました」

 私は強く否定した。彼女を肯定するための否定だ。

 新井さんは少々圧倒され、そ、そう。と少し身を引いた。

 そんな態度には構わず、私は尋いた。

「あの、来週から実機を使ったテストをするってことは、今までの座学はもうやらないってことですか」

「そうですね。まぁ時間も限られてる訳だし。動かし方と整備マニュアルだけやって、後は終わりでいいですかね」

「そんなぁ。私はもっと知りたいです。少なくとも、あの腕に使われている技術は全部知っておきたいです」

 私が本当に知りたいのは、あの腕を通した先に居る、新井さん自身のことだ。心の中ではそう思っていた。

「急に熱心になりましたね。じゃあ仕様書とかのテキストをお渡ししますから、家でそれに目を通してもらうというのでもいいですか」

「はい、それでいいです」

 私は間髪いれず返答し、両手を差し出した。

「すいません今は持ってないです。家には置いてあるんですけど、んー。じゃあ今日の帰り、うちに寄ってもらえますか」

「えっ。は、はい」

 裏返った声が出た。私はそこからまた、しばしの記憶を失った。一昨日と同じ現象だ。

 

 気が付いたのは昼休みが終わり、後半の講義が始まる時だった。

 あの後のやり取りがどうなったのかと不安になりつつも、私は講義に向き合った。

 午前と同じく、講師の放つ言葉はするすると淀みなく頭の中に入ってくる。集中はできていた。けれど、かつてない程稼動しているその脳みその後頭部の極一部がしびれて機能していない気がした。なんとなくだが。

 

 あっという間に勉強会は終了した。

 結局後半は、レールガンの技術を応用して造られる実用例と、それを既存の物と置き換えたときのメリットについてが、重点的に語られた。およそ現場の人間には使い道のない情報だったと思う。

 帰り際、新井さんが講師の男性に挨拶してくるというので、私は先に出てビルの外で待つことにした。

 夕方の時刻だったが、外はまだまだ明るい。

 隣の神社には、未だ多くの参拝者が訪れているようだ。なんとはなしにその様子を眺めていると、新井さんがお待たせと言ってやってきた。

 私達は、朝来たときと同じ道を、朝とは逆方向に歩いた。朝よりも増えてはいるが、それでも街行く人影は少ない。

 北川辺の柳生駅に帰るには、ここからだと二回の乗換えが必要だ。

 まず有楽町線で池袋まで出て、そこから宇都宮線で栗橋。そして日光線で柳生である。

 有楽町線と宇都宮線の電車は満員で、新井さんとの浮かれた会話は憚られた。栗橋駅までもう何駅もない頃になって、漸く乗車率は一〇〇パーセントを下回った。

 時間はもう二十時を過ぎている。

「晩飯はどうされます?」

 ただ間を繋ぐための世間話のつもりだった。

「どっかで食べていきますか?」

 質問で返された。

 内心は狂乱しつつも、冷静を装った。

「じゃあ栗橋でどっか探しましょうか。北川辺じゃ何も店がないし」

 そうですね。という何の抵抗もない返事がきた。

 それから栗橋駅に着くまでの数分間、私の頭の中では、様々な場面を想定したシミュレーションが幾度となく繰り返された。

 

 しかし、到着して駅から出てみると、その大半が無意味なものであることが解った。

「何もないですね。ここも」

 新井さんもやや引きつっている。

 店らしい店が無い。見えるのは駐車場だけだった。

「あ、あれー。何かあった気がしたんだけどなー。き、きっと反対口には何かしらありますよ」

 私達は一度駅に入りなおし、反対側、東口へ向かった。

 こちらも負けず劣らずの寂れっぷりではあった。それでも数軒の飲食店は見えた。

「全部、居酒屋ですけど」

「いいじゃないですか、居酒屋で。飲みましょうよ」

 他に選択肢もない。しかたがないので一番近くのチェーン店の居酒屋へ入った。

 

「新井さんは、酒飲むほうですか?」

「大好きです、超飲みますよ」

 二人でメニュー表を見比べながら、アルコール飲み放題コースと、料理を何点か注文した。

 やがて運ばれてきた二つのビールで私達は乾杯した。

 私は口をつける程度だったのに対し、彼女はジョッキを掲げ顔を上に向け、いつまでも飲み続けていた。

「っぷぁああぁ」

 ジョッキの中身を全て飲み干すと、彼女は声とも息ともつかない音を発した。

 客観的に、所謂親父臭く映るであろう行為だったが、私の眼には、とても可憐に見えた。

 彼女はすぐさま店員におかわりを注文し、新たに運ばれてきたビールも一口で半分ほど飲んだ。

「すごい飲みっぷりですね」

「好きなんですよ。梅沢さんもどんどん飲んでくださいよ。飲み放題なんですから」

 そう言ってから彼女は二杯目のジョッキを空にした。

 十数分で注文した料理は全て運ばれてきた。その頃には、新井さんは一息で飲み切るような暴飲はしなくなったが、定期的にジョッキを口に招きいれ、飲む勢いは些かも、衰えていなかった。

「勉強会面白かったですね」

 彼女の口はビールで埋まっている。私が話さなければ無言の空間になってしまうので、とりあえず直近の話題をだすことにした。

「あんなすごい技術があったなんて知りませんでした。本当に興味惹かれましたよ」

 そうですか。と返ってきた声はなんだか小さかった。

「あれを使おうと考えつくなんて、新井さんはすごいですね」

 芳しくない反応を打開すべく、冗談めかして褒めちぎる作戦に出た。

 しかし、彼女がぽつりと呟いた。

「どうせ使い物になりませんよ」

「えっ?」

 彼女の口はジョッキで隠れていて見えない。

 口の動きが読めない。今の言葉が彼女から発せられたか判別ができなかった。

「今なんて?」

 聞くと彼女はジョッキを置いて私を見る。

 目が据わっていた。

「あんなもん、どうせ実用化なんかされませんよ。全然すごくなんてない。上司からの評価なんか最低ですよ。今までと違いすぎる、コストがかかり過ぎるつって。いくら手指なんか使われていないとか、これから発達すればコストも抑えられるって説明したって聞く耳もちゃあしない。開発部で隅の方に追いやられてたんですよ。窓際族。挙句の果てには厄介払いで、聞いたこともないようなド田舎に飛ばされてきたのが、私とあのガラクタなんですよ」

 言い切ると彼女は七杯目のビールを飲み干し、近くを通る店員に八杯目を注文した。

 私は、驚いて何も言えなかった。

 そんな事情は知らなかったし、察することもできなかった。

 うちの支社にいる時の彼女は、むしろ優遇されている。彼女の要望には、隊長はもとより支店長だって動かすし、部長でさえ彼女の為に色々と取り計らっているように見えたのだ。

 だから、彼女は期待されているのだと思っていた。

 そんな姿から、今、彼女自身が吐露した実情を推察するのは、私には不可能だった。

 八杯目のジョッキに両手を添えて、彼女は下を向いた。髪が垂れて表情が隠された。

「私だって、別にあれがやりたかった訳じゃないんですよ。ただ、会議の時にアイデアを出せって言われて、現実的じゃないって解っていたけど、とりあえず思いついたことを言った。そしたら、じゃあお前それやれって無理やり押し付けられて。でも仕事だからやりましたよ。あんな荒唐無稽なアイデアをなんとか形にできそうだった。頑張ったんですよ、すっごく。でも、現実はこんな風になっちゃって。ひどいですよね」

 彼女はどうやら泣いているようだ。ジョッキの近くに水滴が落ちる。

 私は、やっぱりどうすることもできなかった。

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