二幕~胎動~
月曜日の校門前。
私がいつも通りの顔で歩いていると、藤村がいつもの調子で話しかけて来た。
「うわぁ……酷い顔。どうした?」
「どうもしないけど?」
心がイラついたが、私はすました顔で言う。
「顔じゃなくて、心に出ているよ。なーんか、あったべ。西園関係の事だろうから、相良栄子の問題か?」
「貴方って普段教室といる時と顔が違い過ぎるわよ。この心の奥はどんな深い闇が隠されているんでしょうね?」
トンッと藤村の左胸に人差し指を置き、言った。
「人生楽しい方がいいから、明るく振る舞ってるだけだよ。あれも俺だし、これも俺。この俺を見せるのは、瑞樹ちゃんだけだよ。……わかるだろ? 俺の鼓動は激しく高鳴っている!」
藤村は私の左手を取り、自分の左胸に当てた。
フウッとため息をついた私は、
「……ありがと。わざわざ慰めてくれたんでしょ? でも、ちょっと触り過ぎ」
藤村に握られていた左手を振り払い、おでこにデコピンをしてやった。
すると、藤村は多少真面目な顔つきになり、
「……なぁ、瑞樹ちゃん。あの女、相良栄子について軽く接触して人物を計ってみたけど、少しヤバいかもな」
「少しヤバい……? あの女に何があるの……?」
目を細め、遠くを見る藤村の横顔に黒い霧がかかる。
「あの女……俺が死なせちまった女に……真由美に似てるんだ……」
「真由美さん……?」
その名は藤村と始めて友達になった時に聞いた名前だ。
だが、名前以外は何も聞く事も無く、私自身聞こうともしなかった。
二人の間に重い空気が流れたが、藤村は急に笑顔の仮面をかぶり、
「相良栄子の件については、俺なりに色々と調べておくよ。瑞樹ちゃんも知りたい事もあるだろうしな。レアな情報が入ったら教えるわ。で、ウチのクラスで二番目にかわいい子が登校してきたよ。もちろん、一番は瑞樹ちゃんだぜ! 俺、挨拶してくるから、教室で会おう! じゃ!」
言うなり、藤村はその女子の元へ走って行った。
その後ろ姿を見つめた私は、
「……私も知りたい情報ではあるけど、本当に気になって知りたいのは、貴方の方じゃない? 藤村……」
そうつぶやき、私も教室に向かった。
※
四時間目の体育で、私は始めて相良栄子と話をした。
体育は隣の西園君のクラスと合同の為、授業という名目では唯一の一緒になれる時間である。
その時間のさなか、意識的に相良に近より、授業の内容の話をするなどして話題を作った。
「ねぇ、男子の方サッカーやってるよ。あっ、西園君ゴール決めた! ん、何かこっち指差しながらガッツポーズしてるね……私、狙われてるのかな?」
「私に……だと思う。私、西園君と付き合ってるから……」
ちょっとカマをかけただけでノロケる相良に嫉妬しつつも、驚いた顔を造り、
「え? 相良さん、西園君と付き合ってるの!? へぇー、そうなんだ」
「……うん、そうなの。内緒よ? 布目さん?」
「うん、わかった。内緒にしとく」
私は、顔を紅くしながらウブなフリして言う相良に殺意を感じた。
(そうやって西園君を貴女の鳥籠に閉じ込めようとしていのだろうけど、そうは行かないわ……)
心の中で相良を八つ裂きにしつつ、二人でテニスをする事になった。
それから一月くらい経ち、私は相良ともすれ違えば話すようになり、西園君とも会話する機会が増えていった。
――私は知っている。
すでに、相良の唇は西園君の唇が触れられている事を。
※
土曜日の夕方頃、相良は西園君宅を訪れた。
その日、西園君の両親は二人共出張で月曜日まで西園君は一人で過ごす予定だった。
だが、西園君は一週間前に言った。
愛用のデスクチェアに座りながら、顔を天井の監視カメラのある電気傘の方に向けながら――。
「相良さん、今週の土日はウチの親は出張でいないんだ。ぜひ来てよ……一緒に居たいんだ……」
その問いに対する相良の返答など、一ヶ月の考察から容易に推察出来る。
私は壁一枚隔てた西園君の部屋の方を見て言う。
「……うん、わかった。あの……優しく……してね……?」
そうして、西園君は答える。
「もちろんさ。じゃ、よろしくね。おやすみ、栄子……」
心が、傾いた。
私の心が、阿修羅の方へ、傾いた――。
「名前で呼んだ……初めて、名前で呼んだ……。相良を……栄子って呼んだ……。私も……私の事も瑞樹って呼んでよぉ……ねぇ、呼んでよぉ!」
目の前のモニターに映る西園君を叩き、きつく、激しく、固いモニターを抱き締める。
私の心に、西園君の温もりは届かなかった。
※
そして、その日は訪れた。
私は、その光景を淡々と見ていた――。
これから起こる事など予想出来るのに、怒りも、憎しみも、何も感じる事無く、見ていた。
正確には、思考回路が止まっていたのかもしれない――。
西園君と相良は、互いにベッドの上で話しをしている。
すでに部屋は薄暗く、二人の性欲が空間を満たしている。
そして、西園君は相良の頭を撫で、ゆっくりとベッドの上に倒した。
仰向けになった相良の緩んだ唇に、西園君の唇が触れた。
「……」
私はデスクの上の消しゴムをピンッ! と指で弾いた。
相良は西園君に全てを任せ、一枚一枚服を脱がされて行く……。
私もそれに習い、自分で自分の服を脱ぐ。
何故、こんな事をしているかなんて、私自身にも解らない。
女としてのプライド――?
正確な答えなんて出ないまま、私は相良と同じ姿になった。
モニターの向こう側であり、私の部屋の壁の奥で繰り広げられる男女の欲望に、身震いしつつ眺める。モニターに映る二人は身体を重ね合わせ、〈愛〉そのものを繰り広げている。
少し経つと、相良は驚いた顔をし、突然涙を流している。だが、西園君は優しく微笑みながら、相良の左胸に触れキスをする。
私も西園君と同じように、左胸の乳房に触れる。
無論、自分の手では何も感じる事は無く、虚しさが心を支配し、涙が――流れた。
「西園君……」
その事が終わるまで、私は見つめる事が出来なかった。
愛してる男が、他の女を抱いている姿など……!
その日は、私の人生の中で一番長い夜だった。長い、長い、夜……だった。
※
月曜日。
私はいつもの仮面を被れる事無く、死んだような顔で登校した。
すると、地元の駅前でよく知った顔の男が軽い笑みを浮かべ、私に近づいて来る。
「おはよ、元気……無いみたいね……」
「……おはよう」
近くで見る私の表情はよほど酷いらしく、藤村は顔を硬直させた。
だがすぐに笑顔に戻り、
「ビッグニュースがある。心して聞いてね?」
「え――?」
私は、何故藤村があの事を知っているかが気になった。
だが、藤村の言葉は私の予想をはるかに越えた言葉だった。
「西園と相良、別れたよ」
「――!?」
その言葉の意味が理解出来ず、私はその場で意識を失った。
※
目覚めると、そこは知らない天井だった。
隣は白いカーテンで仕切られ、窓からは柔らかな光が差し、微妙に清潔感がある室内だった。
「……保健室か」
そうつぶやき、私は起き上がろうとすると、
「起きたか、瑞樹ちゃん? まだ休んでた方がいいよ、倒れたばかりなんだから。今、保健室の先生いないから安静にしてた方がいいよ」
カーテンの向こうから、藤村の声がした。
多分、藤村が私をここまで運んだのだろう。
あいつはそうゆう男だ。
まだ少し頭が痛い私の耳に優しい声が届く。
「ちょっと待ってね。今飲み物渡すから」
「ありがとう……」
カーテンの後ろに人影が立ち、何故か入って来ない。
(律儀な男ね……)
と思った私は、
「開けて問題無いわ。入ってきなさい」
「わかった」
(!? 藤村の声じゃない?)
そう思い瞬きをすると、そこには西園君が立っていた。
その後ろには藤村がいて、ブイサインをすると、保健室を出て行った。
私は、西園君と二人きりの保健室に取り残された。




