第三話 藤原すみれ
キーンコーンカーンコーン
午前最後の授業が終わった。
待ちわびた昼休み。
俺は、一人のクラスメートの席へ向かった。
藤原すみれ。
容姿は文句なしの美少女なのだが、暗くて近寄りがたい雰囲気を持っている。
そんな彼女が、一人静かに本を読んでいるととても絵になる。
……例えその本が「黒魔術のすべて」というタイトルで、本を読みながら何かをぶつぶつと唱えていたとしても、だ。
彼女はいわゆるオカルトマニアってやつだ。
しかも、いつも一人で過ごし、他人に話しかけられたりするのを嫌がっているようにさえ見える。
学年中に名の知れた、変人の中の変人。
正直言ってあまり話しかけたくない相手だ。
だが、麻由に起こった異常な状況を考えると、一番頼りになる人物かもしれない。
俺は、藁をもつかむ思いで彼女に相談することにした。
「や、やあ」
間抜けな挨拶をしてしまった。
彼女は怪訝そうな顔をこちらに向けた。
いや、不機嫌そうと言ったほうが正しいかもしれない。
「……誰?」
同じクラスなのに、名前も覚えられていないのか。
少し切なくなった。
「俺、河口真っていうんだ。ちょっと相談したいことがあるんだけど、昼飯でも一緒にどうかな?」
なんだかナンパでもしているような気分だ。
「どうして私があなたの相談に乗ってあげなければならないのかしら?」
「ほかに頼れる人がいないんだ。頼むっ」
頭を下げる。
クラス中の視線が集まっているのを感じる。
彼女に話しかけると、クラスの注目を浴びることになるのだ。
そして、変人に頭を下げている俺。
明日から、少なくとも数日は俺も変人として扱われることになるだろう。
しかし、そんなことは覚悟の上だ。
彼女に断られる可能性は、95%を越えると思われる。
5%に満たない彼女の気まぐれが、麻由を助ける望みなのだ。
……なかなか返事が来ない。
これは、断られるかな。
そう思ったときだった。
「……いいわ、聞いてあげる」
意外な答えが返ってきた。
「ほ、ほんとか!?」
「嘘を言っても仕方ないでしょう。ただし、手短にお願い」
「あ、ありがとうっ!」
「ふうん、この石から……」
興味深そうに石を眺める。
屋上でパンをかじりながら、すべて話した。
最初は興味なさそうに聞いていた彼女も、内容が内容だけに、途中からはかなり真剣に聞いてくれた。
「何か、いい方法知らないかな?」
「いい方法、というのは、妹さんとその化け物を分離する方法、ということかしら?」
俺はこくりと頷く。
「……こんな話、聞いたことないからそんなのは知らないわ」
「……やっぱ、そうだよなぁ」
俺はがっくりとうなだれた。
これで、問題を根本から解決する手段は事実上なくなったといえる。
「でも面白そうだから、協力してあげる。妹さんに会わせてくれる?」
そう言って食べかけのパンを袋にしまい、彼女は立ち上がった。
「お、おい、まだ時間あるぞ?それ食べてからでもいいんじゃないか?」
「妹さんに会うのは少しでも早い方がいいわ」
「へ?」
まさか、これから会いに行くっていうんじゃ……
「家まで案内して」
……午後の授業、サボるんですね、藤原さん。
こんこん
「はーい?」
「俺」
「え!?お兄ちゃん!?」
麻由がドアを開ける。
「こんな時間にどうしたの?学校は?」
「サボった」
「ええっ!?」
麻由が驚いた顔をしている。
……俺だって驚いている。
「こんにちは」
俺のうしろから、藤原さんが麻由に挨拶する。
「あ、こんにちは」
「あなたが麻由さんね?」
「はい、そうですけど……?」
麻由が、誰?とばかりに俺を見る。
「えーと、俺のクラスメートの……」
「藤原すみれよ。よろしく」
「河口麻由です。よろしくお願いします」
「藤原さんはオカルトとか詳しいから、何かわかるかもしれないと思って相談したんだ」
「あ、そうなんだ」
麻由が納得したように言う。
「オカルト、とは心外ね。私は他人よりも少しだけ魔術というものに理解があるだけだわ」
そういうのをひっくるめてオカルトと呼ぶのでは?
「とにかく、現状を把握する必要があるわ。麻由さん、化け物のこと、話してもらえるかしら」
「はい……」
麻由は、自分に起こったことをぽつりぽつりと語り始めた。
「最初に石を見たとき、変な声が聞こえてきて……」
よくわからない、恐ろしい何かが近づいてきたこと。
殴られたような衝撃のあと、自分の体が動かせなくなったこと。
衝動的に、俺の首筋に噛み付いたこと。
お風呂場で、再び「声」が聞こえ、「想いを叶えてやる」と言われたこと。
俺を守るために、必死に抵抗し、なんとか体を動かせたこと――
「最初に噛み付いたのは、衝動的だった、と言ったわね?」
「え、ええ……」
「なるほど……」
藤原さんは、一人納得したように頷く。
「なんかわかったのか?」
「……確信は持てないけど、麻由さんに入り込んだ化け物は吸血鬼の可能性が高いんじゃないかしら」
「吸血鬼……」
そういえば、首筋に噛み付くなんて吸血鬼以外に思いつかない。
なぜ気づかなかったのだろう。
考えてみればすぐにわかることなのに。
「ただ可能性が高いだけよ。でも、吸血鬼対策はしておくべきでしょうね」
「そうだな……」
「あと……想いを叶えてやる、というのは?」
藤原さんが麻由に問う。
「え、えっと……それは……」
麻由は俺の顔をちらりと見ると、うつむいてしまった。
「……ところで」
藤原さんが急にこちらに顔を向けた。
「せっかく人が親切にも家までついてきてまで相談に乗ってあげてるっていうのに、客にお茶も出せないのかしら?」
「そういえばそうだったね。悪い、今淹れてくるよ」
「ちゃんとした茶葉を使って、抽出時間は間違えないでね」
「ちょっと待った、うちにはティーバッグくらいしかないぞ」
「ならば買ってくればいい話でしょう?」
……何なんだ、一体。
しかし、ここで彼女の機嫌を損ねて協力してもらえなくなったりしたら、本当に打つ手がなくなる。
「……わかった。ちょっと買ってくるよ」
なんとなく理不尽さを感じながら、買い物に出かけることにした。
ばたん
部屋のドアが閉まり、足音が遠ざかって聞こえなくなった。
少し強引過ぎたけど、彼を追い出すにはこうするほか仕方がない。
「さてと、麻由さん……」
早速本題に入ることにする。
「さっきの、想いを叶えてやる、っていう話だけど、どういうことか、教えてもらえないかしら」
「……」
だんまりだ。
しかし、それは私の推測を確信に変えるだけの意味を持っている。
これは、私が切り出すしかない。
本人には、とても言い出しづらいことだろうから……
「……あなたの「想い」とは、兄に対する恋心のこと、ね?」
「……」
彼女は黙ったまま、スカートの裾をぎゅっと握り締めた。
カチカチという秒針の音が、やけに耳に付く。
それが60を数えようかという頃。
「どうして……わかったんですか?」
彼女は搾り出すように言った。
「この話を出したとき、あなたは彼の顔をちらりと見てうつむいた。それを見れば、一目瞭然じゃない」
「……」
彼女は何を思っているのだろうか。
私に対する怒り?
すぐにボロを出した自分への恨み?
重荷となっていた想いを他人に知ってもらうことで得られた、気分の楽さ?
「……お兄ちゃんには、黙っていてもらえますか?」
「ええ、もちろん。伝えるとしたら、それはあなたがするべきことだから」
「……私、この想いを伝えるつもりはありません」
彼女は、意志のこもった目で私を見た。
「……でも、あのとき、想いが叶うって言われて、心が揺らいだんです」
「そんなことを言われれば、誰でも揺らぐものだと思うわ。でも……」
一呼吸置いて、私は続ける。
「でも、そいつが叶える想いは、あなたの望む形ではないと思うわ」
「どういうこと……ですか?」
「想いを叶えると言って取った行動が噛み付くこと。その意味を考えればすぐわかるわ」
「その、意味?」
「吸血鬼に噛まれた人間は、吸血鬼の意のままに操れる下僕になる。それを利用すれば、恋人の真似事くらいできるかもね」
「……」
「でも、いくら下僕でも、心までは奪えない。真似事はできても、本当の恋人にはなれないわ」
「つまり……そいつが叶えたら、両想いにはなれないってこと、ですか?」
「そういうこと」
「でも、なんでわざわざそんなことを言ったんでしょう?」
「あなたの体を完全に乗っ取るため、でしょうね」
「え……」
「想いを叶える、というアメを与えることであなたに敵意を失わせ、心を呑み込むつもりだったんでしょう」
「……」
「とにかく、心を呑まれてはダメ。そいつは、絶対にあなたの敵だってこと、心に刻んでおいて」
「……わかりました」
がちゃ
「ただいまー」
少し離れたところから、ドアの音と彼の声が聞こえてきた。
「それじゃ、今日はもうお暇するわね。いい方法が見つかったらすぐに来るから」
「ありがとうございます」
彼女は頭を下げた。
「……好きでやってることだから、気にしないで」
ばたん
私は、彼女の部屋をあとにした。
キッチンに顔を出す。
「私、もう帰るから、お構いなく」
「え、もう?」
お湯を沸かしていた彼が振り向いた。
「……何か、わかったか?」
「ええ、少しは」
「解決、できそうか?」
「それはわからないわ」
「そうか……」
「……」
「……」
会話が途切れる。
「……いい方法が見つかったらすぐに来るから。それじゃ」
麻由さんに言ったのと同じ台詞を言って、私は河口家を出た。
家を出てから、一度だけ振り返る。
二階のあの部屋。
つい数分前、私はあそこでものすごい話を聞いた。
「魔物に憑かれた、なんてね」
そういえば、そんな内容の本を持っていたな……
帰ったらすぐに読み返してみよう。
あと、念のため、素人でも使える攻撃用の魔術もいくつか調べておくべきかも。
「吸血鬼に効くくらい強力で、しかもマスターするのが簡単なもの、ね」
今日は久しぶりに徹夜の勢いになるかしら。
なんだかわくわくしてしまうのをなんとか抑えながら、帰路についた。