戦国覇天
暗雲が空を包み、勝利の女神がどちらに微笑んでいるかが分からなくなった先ノ原。
小高い丘の上に設けられた本陣は重い空気が漂っていた。
だが一人、腕を組み、不敵に笑うその男、名を雄原吉武と言う。甲冑に身を守り、兜には黄色い紋様が入っている。
吉武が見ている先には雄原率いる雄原軍ともう一方、今正に雄原軍と激闘を繰り広げる桂軍があった。
押しているのは桂軍。雄原軍は本陣の前まで後退していた。
しかし吉武は笑う。それは、算段があってのことだった。だが、重臣の一人、杜妻由之助はそんな主君を不安な目で見る。
吉武は今回が初陣。そして初めて戦場で指揮を執る。
そこが怖かったのだ。
雄原が治める黄耶の国は小国。それに対し相手方の桂七兵衛が治める河東の国は大国。
まず勝ち目が無い。
黄耶の武将達はそう思っていた。けれども、戦わずして負けを認めるは武士の恥、例え負け戦だとしてもその信念だけは譲れず、この戦が始まった。
しかし、やはり雄原軍は劣勢、天候にも恵まれず、今にも雨が降り出しそうだ。
それに付け加え主君はまるで何もせず、ただ笑っているだけ。
諦めの気持ちを抑えぬまま、由之助は吉武を見ていた。
終には激しい雨が降り出し、余計に雄原軍は押される。
だが、吉武は天を見つめ、立ち上がり、叫ぶ。
「おおおおお!! 来たか雨! これで条件は揃ったぞ!!」
甲高く笑い、天を崇める吉武に、家臣達は呆然となる。
「……皆の者よ。この戦い、我らの勝ちだ!」
吉武が言い放った言葉に本陣の者全てが驚く。
由之助に至っては吉武がとうとう狂ったのかと思ったほどだ。
そこに一人の武将が聞く。
「よ、吉武殿。一体どういう……!?」
「簡単な事だ……奇襲を仕掛けたのだ」
その場の誰一人、奇襲を仕掛けるなどと言った作戦は聞いておらず、困惑する。
しかし吉武は理解出来ない者を置いて、説明を続けた。
「先の原はひし形のような形をしている。そこの枠に沿うように敵陣に兵を送り込んだ。気付かれぬように敵の軍勢をなるべくこちらに近づけてな」
尚も続ける。
「そしてこの雨だ。……知っているか? 先の原の中心部分から敵陣と此処を分かつように川が流れていることを。この川は大雨が降ると時間を置かずに氾濫しだす。……そうするともうここは渡れない。もし敵が奇襲や雨に気付いたとしてももう遅い」
本陣は静まり返っていた。
大半の者が理解できず、ただ口を開けて立っている。
由之助もそうだった。
だが、一つの疑問が頭に浮かび、吉武に質問する。
「しかし……どうやって兵を動かしたのですか? 我らが知らぬ作戦を兵たちに教えていたとは考えられないのですが……」
「兵達には教えていない。分かるだろう? 雄原の兵よりも桂の兵の方が強い。押されるのは分かり切っていたことだ」
吉武は由之助の方を振り返り、不気味に笑って見せる。
ひやりと、背中に冷たい何かが通って行ったのが分かった。
それが雨なのか汗なのかが由之助は分からない。だが、おぞましいものを感じたのは確かだ。
「やがて報馬が来るだろう。そうすれば確定だ」
報馬とは勝利を知らせるためにある、黒い馬に乗り、黄色の着物を纏っている者達の事だ。
それぞれの陣に四人ずつ置かれ、負けた方の陣から送られる。
この者達は勝敗の決定を知らせるという重要な役割を持っているため、殺してはならない。それが合戦の掟なのだ。
報馬が来るのはもう少し経ってからだろう。川の橋は使えず、遠回りをしなければならない。
だが、吉武は気にしなかった。
笑みが無くなることは無く、天高い空を見上げ、こう言う。
「クックックック。勝利の女神など見えぬ方が俺には良い。彼奴等ほどに戦局を乱し、狂わせる者はいない……これで父も喜ぶだろう」
由之助は感激の想いで吉武を見ていた。
赤子の頃からの吉武を知っており、その頃は前当主、光圀に従っていた。
奇抜な行動で人々を困らせていた吉武をいつも見ていたのは由之助。
それゆえに、また不安だった。
光圀が死去した後は吉武が黄耶の当主。とても吉武では治められないと思っていたのだ。
しかし、吉武は見事な作戦で大国河東を迎え撃ち、そして勝利した。
これほどまでに立派な親孝行と成長の証を見せつけるものはない。
そう考えると堪らなくなり、由之助は感動していたのだ。
「やめいいいいいぃぃぃいいい!!!」
突然戦場に叫び声が響き渡り、兵も武将も声が聞こえた方を見る。
馬に乗り、河東の旗を掲げる男。
その旗は良く見ると桂軍の文字にバツの字が被せられており、それは雄原軍の勝利を意味する。
一瞬何が起きたのか分からないと言った顔をしていた兵士達も、ようやく意味を理解し、天へと刀をかざし、雄叫びを上げた。
後に、この戦乱の世を変える英傑の最初の勝利が、此処に刻まれた。
お試しに書いてみました。こういった戦国物をいつか書きたいですね。