3A-01 異世界での『出会い』
ここからが3章外伝のスタート。
若き日のレヴァイア王の登場。
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再生紀990年。《西の大帝国》の崩壊から約400年の時が経つ。
西国の砂漠地帯には砂漠の民と呼ばれる民族がいる。過酷な環境の下で逞しく生きる遺跡堀りの一族である。
彼ら砂漠の民がいつからこの地を故郷としたのかわからない。時を経て使命を忘れ、日銭を得るためだけに遺跡を掘って。だけど彼らにも一族としての誇りはあった。
例えそれが《帝国》の民から『墓荒し』、『砂喰い』と揶揄されたとしても。
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「ではリュッケ。お願いします」
「はい。長様」
《帝国》の近くにある砂漠の民の集落の1つ。そこにリュッケという名の少女がいた。
朝当番の家畜の世話を終えた彼女は、そのあとすぐ集落の長に頼みごとをされ、兄の眠る天幕へと向かった。
リュッケは今年15歳になる少女だ。活発そうな印象を持つ褐色の肌にまだあどけない顔立ち。それでいてしっかりした性格はたった1人の家族である兄の世話を焼いてる内に培ってきたものらしい。
ボロの衣服の上に砂漠の民特有の、白い砂除けのローブを纏うのが砂漠の民の特徴。リュッケはそれに加え髪を隠すように頭を覆う青いバンダナをトレードマークとしている。年頃の少女なりのお洒落なのかもしれない。
「兄。起きて。朝だよ」
時間にして午前9時といったところか。軽量で簡素な造りの仮設住居の中、リュッケより2つ年上の兄は木製の簡素な寝台の上、寝袋に包まりまだ眠っていた。
リュッケは巻き上げ式のカーテンを開けて天幕の中に光を入れると、眠る兄の体を揺さぶる。
余程疲れているらしい。少年は鼾をかいて起きない。
「起きてよ兄。ほら!」
「ぐっ!?」
容赦無い腹への1撃に彼は悶絶。叩き起こされる。
「起きた?」
「……いいかげんにしろよ、コラァ!」
「きゃあーーっ!」
リュッケの兄は睡眠の邪魔をされた腹いせに彼女のバンダナを取り上げ、髪をぐちゃぐちゃに掻き回した。
それでリュッケのコンプレックスである黒髪が露わになる。
「か、返してっ」
「ったく。俺は昨日帰ってきたばかりで疲れてんだよ。今日は休むって言ってたじゃねぇか」
そう言って完全に目を覚ましたリュッケの兄は金髪――日に焼けて獅子のような黄褐色の髪――をガシガシと掻きながら妹にバンダナを返す。リュッケは慌てて髪を隠した。
「ううーっ」
「睨みたいのはこっちだ。……何の用だよ」
涙目に兄を睨むリュッケは、それで用事を思い出す。
「あっ。長様が兄のこと呼んでるの。食糧が尽きそうだから隣の市まで買い出しを頼みたいって」
「またかよ。人使い荒いな」
買い出しとは言っても、市のある大きな集落まではここから大人の足でも1日以上かかる。往復すれば3日といったところ。
「兄なら1日で帰ってこれるでしょ。砂漠渡りで兄より速い人なんてどこにもいないんだから」
「……まあな」
「よっ。西国一の行商人、未来の大商人!」
大人でも音を上げる長距離間の砂漠越え。そのプロ。
それは、13の年から運び屋の仕事をする少年の自負するところである。
西国一とまでは言わないが、リュッケの兄は若くして集落一の稼ぎ頭として有名なのだ。
妹のヨイショに気をよくする兄。
これには「昔から単純だったな」と、彼は当時を思い出す度によく思うらしい。
「しゃあねぇ。ちょっと行って来るか。リュッケ、留守は任せるぞ」
「うん!」
少年は立ち上がると妹と同じ青いバンダナを額に巻いた。バンダナは2人の家族の証でもある。
朝ご飯はない。焼き物のコップに注がれた水を飲むと、ギュッ、とバンダナを締めて気合を入れる。
「いってらっしゃい。アギ兄」
「おう。デカイ土産を期待してな」
お土産を買う余裕なんて集落にはないけれど、いつだって少年は大きな事を妹に言っていた。
いつか。きっと大成してしてみせる。
今の細々とした集落の暮らしに不満があるわけじゃない。だけど上を目指してみたい。自分の力でたった1人の妹や集落のみんなに楽をさせてあげたい。
故郷へ錦を飾るなんて言葉、彼は知らないけれど、若者らしいそれなりの野心と、同胞を思いやる心をもつ。
それがリュッケの兄、アギという少年だった。
「ようアギ。また仕事か?」
「たまには家にいてやれよ。リュッケちゃんが1人で可哀想だろ」
集落の中を歩くアギ。
いつも外に出て滅多にいない彼のことが珍しかったのか、多くの人が声をかけてくる。
「わーてるって。ちょっと使いで飯買いに行くだけだ。明日には戻る」
「おっ。そうか。だったら酒だ。たまには多めに買ってきてくれよ」
「おや。じゃああたしゃ作物の種や苗を頼むよ」
「俺は魚だな。干物で勘弁してやる」
「アギにいー。ぼくお菓子を食べてみたいー」
「甘いのがいいー」
「だあっ! 注文は俺じゃなく長様に言ってくれ!」
群がる同胞を払いのけて、アギは長のいる天幕へと向かう。
そこでアギは集落の長から荷運び用の駱駝を借り受けて集落共有の財産である金を預かると、旅支度をして市のある集落へ半日かけて歩いて行くのだった。
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その日の夕方に隣の集落へ辿りついた。
アギは市が閉まる時間帯を狙い、国へ帰る直前の行商人と交渉しては物を安く仕入れる。
商人を目指すこの少年。学こそなかったが遺跡売りの仕事をするだけあって交渉術は実践で培ったなかなかの腕前を持っていた。
ひと通り買い出しを済ませるともう夜だ。アギは集落で一泊すると、日が昇る数時間も早い内に集落を発ち、まっすぐ帰路についた。
当時この世界の《転移門》は普及どころか開発されておらず、国と国、町と町は『点』ではなく『線』で繋がっていた。旅人は皆昔からある街路を利用していたのだ。
魔獣も棲む広大な国の外を旅することは危険なことであり、旅商人はキャラバン隊を結成し、傭兵を護衛として雇うことも多かった。今と比べると《門》のないこの時こそ傭兵がまっとうな仕事としてあった最後の時代だったと言われている。
アギは旅慣れしている。遺跡を売りにたった1人で、魔獣や野盗を避けながら片道10日以上かかる距離を何度も往復していたりするのだから砂漠越えはベテランである。
この日も午前中の内には自分の集落に戻ってくるつもりでいた。しかし。
彼は思いもよらぬことに遭遇し、道草を食う事になる。
「……おい。まさか、人か?」
帰路の途中、アギは砂漠のど真ん中で人を見つけた。
珍しいことだった。旅人か? と目を凝らして観察すると、彼はあることに気づき、思わず男に駆け寄った。
見たところ砂漠越えの装備を何もしていないようだったのだ。灼熱の地である日中の砂漠では最低でも日除けの装備がなければ長くは保たない。焼け死んでしまう。
それだけでない。気まぐれで起きる突風や砂嵐が何よりも危険だった。直撃すれば日に灼かれた砂を容赦無くぶつけられる。肌など晒してしておけば火傷と擦過傷の2重苦に苛まれることになるのだ。砂漠の民が常に砂除けのローブを身に纏うのはこのためである。
ところが、アギが見つけたこの黒髪尻尾頭の大男はローブさえ身につけていない。逞しい腕は肩まで剥きだし。荷物らしい何かを1つ担ぎ、砂漠の中を彷徨っている。
男が向かう先に何も無いことをアギは知っている。見かねた彼は男の背に声をかけた。
「馬鹿かお前! 日除け砂除けの装備もなしで焼け死にてぇのか!?」
怒鳴り声に振り返る男。そこで初めて男の顔を見たアギ。
大男は思った以上に若い。自分とそうは変わらないようだと気付く。
(……ちっ。俺より男前じゃねえか)
そう思ったのは内緒である。
アギが驚くのはこのあとのこと。
「いや。でも死にそうだ。助けてくれ」
「はぁ!?」
「空腹で死ぬ。頼むから飯を分けてくれないか?」
「め、めしだと!?」
とんでもなくズレた男だったのだ。
アギに声を掛けられた大男は、人に出会ったことに驚いたのか少しだけ目を見開くと、アギが引き連れた駱駝、その積荷を見てそう言った。
「いやお前、まずはその格好」
「……おい」
「うおっ!?」
更に。アギは男の担いだ『荷物』が喋ったことに驚く。
「コウ。起きたのか?」
「さ、きに……み、ずだろ……テメェ」
「人? 生きてるのか? ……何モンだよ、お前ら」
「俺達は……なんだって?」
何やらぼそぼそと喋る荷物。それを聞きとった大男はアギに答える。
「俺達は旅人だ」
「旅人だぁ?」
「今ちょっと道に迷ってて。『地上』に出たのがさっきなんだ」
「……は?」
「よかったら飯のある、じゃない。人のいるところまで案内してくれないか?」
邪気のない大男の笑顔。アギは腹黒い商人たちを相手にすることも多いので人の表情を読むことができる。
わかる。こいつは馬鹿だ。
「……仕方ねぇ」
見つけたのが運の尽き。ここで野垂れ死にされて、次の日発見しても後味が悪い。
アギは大男(とその荷物)を自分の住む集落に案内することにした。
「俺はアギ。見ての通り砂漠の民だ。お前ら、名前は?」
訊ねるとまたも荷物が大男に向かってなにやら呟いている。
大男が名乗る。
「そうだな。……俺の名はロウ。そしてこいつが『まがやん』だ」
「変な名前だな」
「俺もそう思う」
可笑しそうに笑うのは、ロウと名乗った大男。
「……」
まがやんに反論する気力はなかった。
帰路の途中で出会った思わぬ同行者。2人との出会いはアギの運命を大きく変えてしまうことになる。
新たに生まれるその流れは今は小さくとも、いずれ世界を変えてしまうような、そして世界を変える為の大きな布石。
もしかすると。これも2つの世界を行き来するあの《魔女》の、気まぐれが起こした魔法だったのかもしれない。
そんなこと今のアギも、『まがやん』だって気が付かないけれど。
集落へ向かう道を、アギと大和は雑談しながら進む。
基本1人で旅するアギにとって同世代の話し相手がいることは新鮮だった。
「そういやお前ら、旅人って言うが荷物どうしたんだ。野盗にでも盗られたか?」
「いや。魔獣と戦っている内に落とした」
「魔獣? 尻尾を巻いての逃げ出したの間違いじゃねぇか?」
少しからかうと、大和はムキになって憮然とする。
「違う。もう少しで勝てたんだ。なのに勝負を砂に流された」
「そりゃ水だろ。魔獣ってなんだよ」
「蜥蜴の化物。殴ってもビクともしないようなでかいやつ」
「『岩蜥蜴』に素手かよ。あいつは刃が通んねぇくらい硬いんだぞ。魔術が使えないとキツイな」
「そうか。でも俺は『これ』しかないからな」
拳を見せる大和にアギは納得する。
「いかにも戦士系だよなお前。……よし。狩りに行くなら俺も手伝ってやるぜ。あれの外皮は高く売れるからな」
「ありがたいが。1人でやらせてくれ。1対1で勝ちたい」
「……そうかよ。じゃあ、倒したやつを俺にくれよ」
「わかった」
この時の約束が思わぬかたちで果たされることになるのは、すこしあとの話だ。
「……次は負けん」
再戦に向けて気合を入れる大和。これを見てアギは「戦闘狂かよ」と呆れていた。
それで。大和が相手にしていたのが『岩蜥蜴』(全長約3メートル)ではなくて『王蜥蜴』(全長約80メートル)だと知ったアギが度肝を抜かすことになるのは、これもまたすこしあとの話である。
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アギの住む集落に到着して1時間後。
長らく意識が朦朧としていた光輝がようやく覚醒した。
「あ。起きた。大丈夫?」
横たわる光輝の隣にいたのは、白いローブ姿に青いバンダナを頭に被った少女。
どうやら彼女が介抱してくれたらしい。
「ここは……」
「わたしとアギ兄の家だよ。お水飲む?」
「ありがとう。……家?」
リュッケと名乗った少女から光輝は受けとった水をありがたく頂く。
しかし温い水だ。器の底に砂が溜まっている。口に含むと水道水のようなカルキ臭はなくても少し泥臭く、お世辞にも美味いといえない。
それから光輝は『家』を見渡した。長い木の枝で組まれた格子の骨組みに、皮膜を被せただけのようなテント。家具のようなものは殆ど無い。床も砂の地面に不織布のカーペットを敷いているだけ。
「……遊牧民かなにかか?」
「アギ兄に聞いてない? わたし達は砂漠の民だよ」
「アギ……」
確か大和が出会った『現地の少年』の名だったと思い出す。
光輝はその砂漠の民とやらが一体どんな民族なのかを知らないが、ここに来た経緯を少しずつ思い出してきた。
まず『こっちの世界』に来た途端、山のような蜥蜴が襲いかかってきたのがはじまり。大和が嬉々としてこれに応戦して、その間光輝は退路を確保すべく周囲の魔獣の相手をしていた。
激闘の果て。『王蜥蜴』必殺のボディプレスを大和が『拳で殴り返した』まではよかったものの、その直後激しい戦いに地盤が保たず崩壊。2人は砂漠の崩落に飲み込まれた挙句、《西の大帝国》の地下遺跡の奥深くまで落とされた。
この時。光輝は自分の荷物を手放しまい、彼のメインウェポンであるガンプレートを失くしてしまっている。
それからはダンジョンアタック。大和の体力と光輝の頭脳を駆使しても地下遺跡の脱出には約6時間を要し(ちなみにとある少年は脱出に10時間以上かかっている)、地上に脱出してからも更に数時間を砂漠の中で彷徨うこととなる。
そこで光輝は力尽きて……
「誰だよ。『まがやん』て」
「あなたの名前でしょ」
「……そうだったな」
一応偽名を使えと大和に指示したのは光輝だ。文句は言うまい。
というか諦めた。大和のセンスに。
もしかして以前「やまとん」と名乗らせたことを根に持っていたのかもしれない。
光輝は自分を介抱してくれたバンダナ少女に大和のことを訊ねる。
「ロウはどこに?」
「あのかっこいい人?」
そう言って頬を染める少女。光輝は「またか」とうんざり。
無節操フェロモンめ、と内心で大和を罵っていたところ、光輝はまたも嫌な予感がすぎる。
このパターンだとやはり。
「て、帝国軍の哨戒だ!」
「女子供は外に出るな。みな隠れろぉ!」
何かトラブルに巻き込まれる。
「そんな……また来たの?」
「また? 今度はなんなんだよ、一体」
外からの怒声に青褪める少女。事情が飲み込めず顔を顰める光輝。
眉間を抑えようとして光輝は、ここで初めて自分が眼鏡をかけていないことに気付いた。
いま『見えるもの』に違和感が全くない。このことに彼は改めて思い出す。
「異世界、か」
トラブルに遭遇するのは、どちらの世界だろうが変わらないみたいだけど。
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