3A-07 リュッケの『朝』
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次の日。
早朝。アギは寝台の上で幸せそうに眠っている。騒がしくも楽しかったお祭りのあと。夜遅くまで騒いで疲れていたせいか、寝袋にも包まずぶっ倒れるようにして寝ていた。
時間にして午前6時といったところか。いつもならもうオアシスへ水汲みに行っている時間。ところが誰もがアギのように眠っている。集落は静かだった。
もう水汲みのために早起きする必要もないのだけど。
アギはよく寝ている。時折「もう食えねぇ」「サボテン、サボテンが……」と唸るように寝言を言っているが、しばらく起きそうにない。
そんな中、1人の少女が緊張しながらアギの天幕の中に入ってきた。
巻き上げ式のカーテンを開けて天幕の中に光を入れると、少女はドキドキしながら眠る彼の体を揺さぶる。
「兄。起きて。朝だよ」
余程疲れているらしい。アギは起きない。
「起きて」
「……うーん、リュッケ」
「!」
寝言だ。名前を呼ばれてドキリとする。
「アギ兄?」
「……」
寝ている。それで少女はおそるおそる彼の頬に触れ、名前を呼んだ。
「……アギ、さん。わたしね。わたし……」
――すきだよ
「……リュッケ」
「えっ?」
返事が来た。びっくりして目を見開く少女。
「俺も……」
アギは。
「う駄目だ。食えねぇ。このサボテン、かわりに……くえ」
「!?」
実にはっきりとした、寝言だった。
「……」
「ぐおー。むにゃむにゃ」
「……。うううっ、アギ兄の……」
ばかぁーーっ!! 少女の叩きつけるような渾身の一撃が、アギの腹に直撃。
いつも以上に強く叩き起こされ悶絶。アギは目を覚ました。
「いい加減に起きなよ、アギ兄!」
「ぐうっ!? ……リュッケ。てめぇ!」
「きゃっ」
昨日食べたもん吐いちまうだろうが! 叫びながらアギは飛び起きる。
そこまではアギにとって、いつも通りの朝だった。
アギは眠りを妨げられた腹いせにいつものように彼女のバンダナを取り上げ、『あたまぐちゃぐちゃの刑』にしようと手を伸ばした所で。
「……へ?」
「……? アギ兄?」
咄嗟に頭を庇う少女だが、攻撃が来ないので「?」と疑問符を浮かべながらおそるおそるアギの様子を伺う。すると、アギの伸ばした手が直前で止まっていた。
アギは困惑した表情を浮かべている。彼の前には怒ったように顔を真っ赤にした、彼の知らない女の子がいたのだ。
でも。
「リュッケ、なのか?」
「? うん……」
まじまじと見つめられて、少女は気恥ずかし気に自分の服の裾を掴み、もじもじ。その仕草もいつものはきはきとした妹らしくなくて、アギは戸惑う。
でも間違いなく目の前の少女は、アギのいもうとのリュッケだった。
アギが彼女を見間違えた理由はまず、服装が違うことにあった。ボロの衣服を覆うように身にまとう砂除けのローブに、随分と手が加えられいる。
腕を通すためのゆったりとした袖が作られ、背面に編み込まれた紐でウエストまわりを絞ることで裾がスカートのように広がっている。まるで白いワンピースだ。肩には同じく白いフード付きのケープがある。
アクセントはケープの縁と胸元を飾る青いリボン。女の子らしい意匠にアレンジされたケープコートは肌の露出が殆ど無く、元の砂除けのローブとしての機能を残し実用的。
リュッケはコートのスカートをつまみ上げ、『教えられたとおりに』くるりと一回転。コートの裾と肩を覆うケープがふわりと翻る。同じく彼女の髪も。
「……やっぱり変、かな?」
「い、いや」
そんなことはねぇ、とアギは言葉が続かない。
どうしてだろう? コートの下にも服を着ているのはわかっているし素肌が見えるわけでもない。なのに裾をつまみ上げられた時は中を覗き見てしまったようでドキリとして、ふわっ、とひらひらした布がやわらかく広がって揺れる姿には何故か目を離せなかった。
スカート=女の子らしさ
この公式は野郎共の偏見であり、真理でもあるとは女装経験もある変態眼鏡の言葉。
それ以上にアギが気になるのは髪だ。いつもはバンダナで隠している彼女の黒髪が今日は露わになっている。
艶を取り戻した黒髪はセミロングほどの長さ。毛先を簡単に切り揃えられてリュッケが動く度にさらさらと揺れている。
髪をまとめるアクセサリーは彼女のバンダナ。それも単に頭に巻いているのではなく、リボン状にしてワイヤーを仕込んだそれはそう、うさみみバンダナだ。青いリボンが彼女の頭の上でぴょこぴょこしている。
……妙に気になる。
「……」
「アギ兄?」
「――はっ」
俺は何をしようとしてた?
アギは飛び起きたあとリュッケに向かって腕を伸ばしたまま。そのまま無意識に彼女の頭、というか髪に触れようとしていたことに気付き、慌てて手を引っ込めた。
……20年後を思うに。彼の髪フェチはこの時からのような気がする。
アギは夢じゃないだろうかと考える。妹を前にいつものように振る舞えない。気軽に触れることができず、躊躇ってしまう。
男である自分とは違う。目の前の彼女は間違いなく――女の子だった。
しばらく見つめ合い、沈黙する2人。先に動いたのはリュッケだ。
リュッケは頬を上気させたまま視線をさまよわせて、「ううっ」とか「うにゅう」などよくわからない呻き声をあげて迷い、それから『背後からのプレッシャー』に「びくっ」として思わず振り返りそうになるのをなんとか堪え、それでようやく覚悟を決めて、
彼女は。
「アギ兄!」
意を決して、彼の胸に飛び込んだ。
「――!? どわっ」
勢い余って転んでしまいそうな彼女をアギは無意識に受け止め、抱き寄せてしまう。
リュッケを庇うようにして、アギは背中から寝台の上に倒れた。
(うわ、うわっ!?)
硬直して大パニック。
打ち付けた背中の痛みを感じる余裕も、重いだなんて失礼なことを考える暇もなかった。
服の上からでもわかる女の子独特のやわらかさとあたたかさ。鼻腔をくすぐる甘い匂いは彼女の髪や肌のもので、つまりは彼女の匂いであって、
僅かに覗くことのできる首筋の肌が……
(何考えてやがる!?)
このままだとどうにかなってしまう。
離れようともリュッケの背中に回した腕は、どうしてかガチガチに固まったまま。
「リュッケ! 離れてくれ、おい!」
「うきゅぅ~」
「リュッケ!?」
ゆでダコのようになって気を失っていた。極度の緊張と羞恥にオーバーヒート。リボンのうさみみまでヘタれている。
アギ、脱出不可能。もしもこんな姿を誰かに見られたら……
「ちょっ、待ってくれ。起きてくれよリュッケ! 一体、どうしたらいいんだよ!」
「襲えばいいと思うよ」
「――!?」
嫌なタイミングで現れた。
天幕の入口から「笑えばいいと思うよ」みたいなノリで爽やかに微笑み、覗いているのは陰険外道の眼鏡男。アギは慌てた。
「ま、マガヤン! ち、違う。ここれはっ」
「ちっ。やっぱり徹夜で指導したのがいけなかったか。肝心な時にぶっ倒れるとは」
「お前かぁぁぁぁっ!!」
爽やかな笑顔から一転して舌打ち。アギは瞬時にこの眼鏡が首謀者だと理解した。
「てめぇ! リュッケに何吹き込みやがった!」
「……まあ、いい。ファーストアタックとしては上出来か。必殺コマンドの『キスをねだる』までやれば最高だったんだが。…………アギの度胸試しに」
「聞けよ!」
まあ、簡単に説明すると。
昨日の深夜。「ロウと契りを結べ」「夜這いをしろ」と言われたにも関わらず、あまりそういった知識を持たない15の乙女に『男の喜ばせ方初級編(18禁仕様)』なるものを口頭で教えたセクハラ眼鏡は、可能な限り彼女をコーディネートすると「アギを襲え、あるいは同じ寝台で寝ろ」と彼女に指示。
振りでもいいからと言われても、生々しいことを教わったばかりのリュッケが恥ずかしがってこれを拒否。散々ごねた結果、朝になってしまったという。
仕方なく光輝は2次案として絶滅危惧種指定の『朝、主人公を起こしにやってくる幼馴染(義妹編)』の行動パターンを解説。応用して「アギを起こしたあと抱きつけ、あとは自由!」と命令しては彼女を天幕の中に放り込み、今に至る。
アギはまだ気付いていない。リュッケの目の下に隈があり、それを隠すよう彼女に化粧がされていることに。
しかし光輝。装備だとしても何故、女物の化粧一式まで用意している?(*変装の必須アイテムだそうです。シャンプーの類も)
「夜這いに来たんでな、迷惑だから丁寧に『おもてなし』してお前のとこに押しやった。襲うなら他を当たれと」
「夜ばっ!? なっ、なんで」
「……本当に知らなかったんだな、お前」
「何が!」
アギは怒鳴るものの、光輝に冷ややかに見つめられ、逆にたじろいだ。
「な、なんだよ」
「別に。妹で結構。だがな。その子を大事に思うならもう少し気にかけてやれ。女なんて『知らない間に誰かのものになってました』など、ざらだからな」
「なっ!?」
絶句するアギに光輝は追い打ちをかける。
「きょうだいで、家族なんだろ? 正直お前ら集落の事情にまで関わる気はなかったが、ここまでやってしまったから言わせてもらう」
俺達に関わったことを恨め。
「いいかアギ、これはお前たちの問題だ。彼女のことで他の奴にケチ付けられたくなかったら、お前がどうにかしろ。お前たち2人が納得した上で自分たちの幸せをみつけろ」
「……何言ってんだよ、お前。わけわかんねぇよ」
「詳しい事情はあとで説明する。今お前が口合わせに覚えておくこと、選択肢は2つだ。1つ『アギは昨晩酒を飲んで悪酔いし、不覚にもリュッケに手を出し一夜を共にした』、2つ『アギは昨晩酒を飲んで悪酔いし、迂闊にもリュッケに手を出し一夜を共にした』。どちらかの設定を採用してやる。選べ」
「同じじゃねェか!?」
しかも最悪だとアギは絶叫。
「な、なんで、俺がリュッケに」
「今のこの子を見て、何も意識してないのか?」
「……」
そこで黙ってしまうのがいけないんだと思う。
「まあ、着飾った女の子を前にして、褒め言葉の1つも出なかったヘタレの返事など期待していないが」
「! てめぇ!」
「怒鳴るな。起きるぞ」
「うっ……」
時間がない。そろそろ皆が起きて外へ出る頃だろう。
光輝はアギに言い聞かせるように話す。
「いいか。『リュッケは昨晩ずっとお前のところにいた』。要点はこれだけだ。さっき俺が考えた『アリバイ』が嫌なら、お前が良い言い訳を考えろ」
「……はあ? 昨晩も何も、ここは俺達のうち……」
「うるさい。今は何も聞くな。『事情を知らない』今のお前が、長を『説得』する最高の手札になるんだよ」
「いや、だからなんで」
「わかったな。お前たちは事が済むまでしばらくここにいろ」
「わかってねぇよ! ちゃんと説明しやがれ!!」
光輝は聞く耳を持たなかった。2人を残して天幕から出て行ってしまう。
しばらくして、外から誰かの悲鳴があがった。
「……いったい、なんだよ……」
アギは体を動かせないまま、人知れずぼやいた。事情が一切飲み込めず、わけがわからないまま。
「……むにゅう」
「リュッケ?」
「……あぎ、にぃ……」
リュッケは気持ちよさそうに眠っている。アギの上で。
いったい妹に何があったのだろう。事態は自分が知らない内に、知らないまま勝手に進んでいる。
事を進めているのは光輝なのは確かだ。でも彼が何をしているのかも、何がしたいのかもわからない。
「……くそっ。急いで出ていきやがって」
リュッケをどかしてくれてもよかったじゃねぇかと、いない相手に文句を言うアギ。自力で脱出することもできず、未だに身動きが取れないでいる。腕も伸ばしたまま。
アギにとってリュッケはずっと妹だった。ずっと妹だと思っていた。でも彼女の違う一面を見せられ、彼は気づいてしまう。
彼女が自分の胸に飛び込んできた時。抱き締めることも、突き離すこともできなかった。
そんな自分に。
ようやく決心して、アギはやっとの思いで腕を動かす。
自分の上からどかそうと、細心の注意を払ってリュッケの肩を掴む。
「……軽いな。もっと食えよ。……もっと働いて、食わせてやらねぇとな」
華奢で痩せた体を持ち上げてみると、ついそんなことを口走ってしまう。
リュッケはアギにとってたった1人の、大事な家族なのは確かだ。大切にしたいという気持ちは本物だし、幸せにもなってほしいとも思う。
だけど。それが兄貴だからなのか、それとも別の理由があるのか。答えは今すぐ出そうにない。
自分にとってリュッケは、リュッケにとって自分は、
何だ?
「……おい、マガヤン。俺にどうしろっていうんだよ」
光輝は答えを事前に返してある。アギとリュッケ。2人が納得した上で幸せをみつけろと。
その意味さえよくわからず、眠るリュッケの隣でアギは、途方に暮れた。
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