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第五章 灰色の空に吼える

『ギリギリ間に合ったな』

 コクピットモニターのウィンドウに表示されている宮治が、言った。

「宮治、麗央奈と通信を繋げられるか!?」

 漆黒のパイロットスーツを着込んだ走太は、彼に──ブラックテイラーに尋ねる。

 宮治は頷いて、

『ああ、任せろ』

 走太は、背後のビルに埋まったレッドラスを見やる。

 赤色のゲートキーパーは、外部から見て一目で分かる程に、深刻なダメージを受けていた。両腕の肘から先は、破壊されて無くなっており、胴体は酷く焼け焦げて、所々装甲が失われ、内部フレームが露出してしまっている。肩のキヤノン砲二門の先端はひしゃげてしまって、使い物にならないだろうと思われた。

 操縦桿を握る走太の手に、ぐっと力が篭もる。

 と、麗央奈との通信が繋がって、モニターに新たなウィンドウが出現した。

「麗央奈! 無事か!?」

 すぐさま走太は、彼女に呼び掛けた。

『うん……!』

 モニターのウィンドウに映し出された麗央奈は、瞳に涙を溢れさせながら、頷く。

「怪我は無いか!?」

 彼女はもう一度頷く。

 それを見て、走太は、ほっと胸を撫で下ろす。

「そっか、良かった」

 安堵すると同時に、彼女に謝らなくてはと思った。

 十一年前のことは勿論、一週間前に保健室から逃げ出したことだったり、今回のことだったり。

 謝らなくてはならないことが、沢山あった。

 しかし今、走太の目の前には、倒さなければならない敵が立っている。

 全身パール色の次元獣──ノーフェイス。

 崩壊したビルの瓦礫を押し退けて立ち上がった敵は、パーツ無き顔を走太に向け、ブラックテイラーと対峙していた。

「麗央奈」

『なに、走太?』

「遅れて、ごめん」

『え?』

「俺さ……お前に謝らなきゃいけないことが沢山ある。話したいことが一杯ある。でも、今はノーフェイスと戦わなくちゃならない。だから──」

 その時、宮治が声を上げた。

『走太、来るぞ!』

 直後、ノーフェイスが走り出す。拳を振り被り、突撃して来る。

 走太は、イメージする。ゲートキーパーを自分の手足として動かすのではなく、この状況における最善の、『敵の攻撃をかわして、こちらの攻撃を当てる』という理想のイメージ。

 ブラックテイラーが、それに応える。最小限の身体の捻りで、ノーフェイスの放った右ストレートを回避し、カウンターで自らの左拳を敵の顔面に叩き込む。

 そのまま吹っ飛ばし、ノーフェイスを地面に転がす。

 走太はウィンドウの麗央奈に視線を向けて、言った。

「少しだけ、待っててくれ」

 ノーフェイスが地面から起き上がる。何度も殴り、本来なら粉々に破壊されているであろう頭部は、再生されて傷の一つも無い。

 走太は前を見据えて、悪友に呼び掛ける。

「宮治……行くぞ!」

『おうよ。俺はいつでもいいぜ、相棒。ただ、俺がさっき言ったことを忘れるんじゃねぇぞ』

「ゲートキーパーを強さを決めるのは、キーパーマスターの心の強さ……だったよな?」

『そうだ。常に理想のイメージを頭の中に作り上げろ。そして、どんなことがあっても、それを崩すな。自分の心を強く保て。自分を強く信じろ。そうすれば俺は──ゲートキーパーは、お前の追い求める理想の強さを具現化することが出来る。お前の好きなロボットアニメでも、そうだろ? スーパーロボットってのは、パイロットの想いを力に変える!』

「俺は──」

 両手で、ぴしゃりと頬を叩き、気合いを入れる。操縦桿を握り締めた。

 足はまだ震えている。操縦桿を握る手もそうだった。

 けれど、走太は大きく息を吸って、

「怖さがなんぼのもんじゃコラァァァ──ッッッ!」

 腹の底から叫び、ノーフェイス目がけて、突進を開始した。

 イメージするのは、敵と同じ武装。『創造開始』という文字がモニターに表示されて、ブラックテイラーのボディーが変形を開始する。

 漆黒の装甲がスライドし、その中から新たな漆黒の装甲が現れ、これを繰り返す。本来の質量は無視して、両肩にレッドラスのキャノン砲と、背中にシラシオンのウィングを作り出す。

「飛べ、ブラックテイラー!」

『おっしゃあ!』

 宮治の掛け声と共に、ウィングが展開され、ブースターを起動。ブラックテイラーは更なるスピードと浮力を得て、低空飛行でパール色のボディーに肉薄する。

 ノーフェイスは上段から、ブレードを振り下ろそうとする。

 走太は怯まず、先程のカウンター時と同じように、理想の行動を脳内にイメージ。

『任せろ!』

 ブラックテイラーがそれに応え、握った右拳でアッパーを放つ。

 狙ったのは、ブレードの柄を握った、ノーフェイスの右手。アッパーの衝撃で、ブレードを灰色の空に弾き飛ばす。

 そのまま、片足を軸にして、ブラックテイラーは反時計回りに回転、肘打ちをノーフェイスの鳩尾に叩き込む。

 パール色のボディーに亀裂が走るが、またしても、即再生されてしまう。

「くっ!?」

 ノーフェイスが左拳で、反撃のストレートを繰り出す。

 イメージが間に合わず、両腕の甲を前に構えて、ガードする。

 凄まじい威力で腕がミシミシと軋み、後方に吹っ飛ばされる。ウィングのブースターで勢いを殺し、体勢を立て直す。

「再生が、以前よりも速い……!」

『麗央奈ちゃんや、神谷先輩達の戦闘をリアルタイムで観測していて得た情報だが、どうやら、超速再生ってやつらしい』

「超速再生……!? 攻撃した直後に即修復って、反則級じゃないか」

『実際に戦ってみると、いかに速いかが分かるな。確かに、こいつはヤバい』

 一体、どうやったら、超速再生を持つノーフェイスを倒すことが出来るのか。

 考えている間に、ノーフェイスが次の動きを見せる。両肩のキヤノンの砲頭をブラックテイラーに向けて、エネルギー弾を放って来た。

 ウィングで飛翔し、これを回避する。

 と、砲弾に続いて、無数のビームが襲い来る。

 何とか、冷静に全弾回避をイメージして、成功。

 しかし、

『厄介なのに囲まれたな』

 宮治の言葉に、辺りを見回すと、いつの間にかノーフェイスの遠隔誘導端末──ダンシングフェザーに、取り囲まれていた。

 前後左右、それから上空を合わせて、数十の銃口が、ブラックテイラーを捉えている。

 走太の心に焦りが生まれる。一週間前は、運良く攻撃対象にされなかった為、受けることは無かったが、果たして遠隔誘導端末によるオールレンジ攻撃とは実際、どれ程苛烈なものなのか、想像が付かない。

 ただ、このままでは非常にまずいということは分かる。

『焦るな、走太!』

 そんな走太のイメージを読み取ったのか、宮治が言った。

『安心しろ。俺の装甲はそこまで柔じゃないし、黙って全弾喰らってやるつもりも無い。それに、こっちには向こうと同じ、再生能力があるんだ。そう簡単に落ちやしない』

「けど、この状況、どうやって突破すれば……!」

『こっちにもウィングにも、ダンシングフェザーが装備されてる。後は、銃だ!』

「銃?」

『そう、何でもいい。お前のイメージで、両手に連射出来る飛び道具を作り出してくれ。出来るか?』

「……分かった!」

 走太は頷き、脳内にイメージを作り上げる。

 なるべく取り回し易い、拳銃を考える。マグナムが良い。装填弾数は無限。発射するものはエネルギー弾。手の平を通して、銃身へのエネルギー供給を行う。

 創造の途中で、敵のダンシングフェザーが、一斉に砲撃を開始する。

「っ……!」

 一瞬、動揺してイメージが乱れるが、宮治が『武器の創造に集中しろ!』と叫ぶ。

 ブラックテイラーが走太のイメージとは関係なく、勝手に動き、ビーム砲を避け、拳や蹴り、尻尾で遠隔誘導端末を叩き落として行く。

(落ち着け……!)

 再度、脳内に二丁拳銃を思い描く。

 モニターに映る創造開始の文字と共に、両腕に光の線が駆け巡る。

 瞬時に装甲が形を変え、両掌の中に、漆黒のマグナムが生み出される。

『よし! 走太、強くイメージしろ! 何をイメージするかは分かるな?』

「ああ!」

『なら、ぶちかませ!』

「うおぉぉぉ!」

 イメージのままに、ブラックテイラーを動かす。

 二丁拳銃を左右に構える。同時にウィングを開き、ダンシングフェザーを射出する。

 敵の遠隔誘導端末が降らせるビームの雨を避けながら、ブラックテイラーは舞った。

 自らの遠隔誘導端末と両腕を無駄無く動かし、踊るように攻撃を行う。二丁拳銃が高速のリズムでビーム弾を撃ち出し、敵のダンシングフェザーを破壊して行く。あくまで敵の遠隔誘導端末だけ。

 味方のダンシングフェザーは、ブラックテイラーの手足の延長であるかのように、敵の背後に回り込み、的確に撃ち抜いて行く。ブラックテイラーの邪魔をせず、死角をカバーするように、飛び回る。

 小刻みなステップを刻み、それに合わせるように二丁拳銃を撃ち続ける。

 戦闘時間にして、わずか数十秒。

 取り囲んでいた敵の遠隔誘導端末を全て撃破し、走太は危機から脱することに成功した。

『上出来だ』

 二丁拳銃を下ろしながら、宮治は微笑んだ。

「何とか急場は凌いだけど……」

『走太のイメージは伝わって来てる。どうやって、ノーフェイスを倒すかだろ?』

「再生速度が尋常じゃない。普通に攻撃してるだけじゃ、おそらく倒せない」

『だろうな。だが、おそらく、そこら辺の算段は──』

『出来てます』

 コクピットのモニターに新たなウィンドウが開き、アンテナを思わせるアホ毛が特徴的な、やや茶色掛かったショートボブヘアーの少女が現れる。

「菜美子ちゃん!」

『やっと出撃して来ましたね、ヘタレ先輩』

「うぐ……!」

 もはや苗字ですら呼んで貰えない。

 菜美子は眉根に皺を寄せ、むすっとした表情で、

『ぶっちゃけ、駆け付けるのが遅いです』

「ごめん……」

『すぐにでもぶん殴ってやりたいところですけど、今は私情を挟む状況ではないので、用件だけ伝えます。狙うべきは、ノーフェイスのコアです』

「コア?」

『はい。金剛生徒会長は、ノーフェイスには身体の情報構成を統括する、中心点のようなものが存在すると考えています。ノーフェイスと同じ能力を持つブラックテイラーで言うならば、小林先輩のような存在です』

「創造や再生のイメージを作り上げている箇所ってこと?」

『そうなります。敵の身体のどこかにあるそれを破壊することが出来れば、ノーフェイスは情報構成を維持出来ずに、崩壊するはずです』

「でも、それは……確かな情報なのか?」

 コアなど無く、不定形な存在が、目の前の人型を形成している可能性も否定出来ない。

 と、菜美子の背後で女性の声がした。

『蓬莱、小林と通信を繋いで貰えるか?』

『え? あっ、はい!』

 そう言って、菜美子は数秒間目を閉じる。

 モニターにまた、新しいウィンドウが開いて、そこに現れたのは──

「せ、生徒会長!?」

 御門学園の生徒会長──金剛雅であった。

 金縁の眼鏡とヘアバンドを付け、額を出した彼女は、走太を見て口を開く。

『会うのはこれで二度目になるかな、小林走太』

「は、はい」

 神谷源平の紹介で、過去に一度だけ生徒会室に足を運び、挨拶を交わしたしことがあった。

『ノーフェイスは今、お前の目の前に居るな?』

 走太は視線をモニター正面に移し、頷く。

 全身パール色の次元獣は今、ウィングを静かに広げ、ダンシングフェザーを創造しては射出し、次の攻撃への準備を行っている。

『ということは、あまり長く話している時間は無いな。結論から言おう。ノーフェイスにコアは存在する。その理由が、これだ』

 雅は人差し指で、とんとんと額を叩く。

 すると、そこに金色の紋章が浮かび上がって、目映い輝きを放った。

「紋章……!」

『君達キーパーマスターと同じように、キーパーアシストにも紋章が存在している。キーパーマスターが紋章を持つことでゲートキーパーを操れるように、キーパーアシストの紋章にも意味がある。それが、「アシストスキル」だ』

「アシストスキル?」

『例えば、蓬莱のアシストスキルは、「通信コミュニケーション」といって、生徒会室のパソコンと御門市に設置されたカメラや、ゲートキーパーの通信接続を、理屈を超越した範囲で可能とする能力だ。そして、私のアシストスキルは、「解答アンサー」という。これは、本来知らない中間世界やゲートキーパー、次元獣の知識が脳内に存在し、そこから最適な解を導き出す能力だ』

「そんなものが……」

『私にも明確な理屈を説明することは難しいが、とにかく、私のアシストスキルは、ノーフェイスにコアがあるという解答を導き出した。ノーフェイスがブラックテイラーと同じように、イメージすることによって、創造と再生を行っているのだとすれば、奴にもイメージを行っている箇所、人間で言うならば脳のような部分があるはずだ。だから──』

『金剛の言うことだ。信じても良いと思うよ、僕は』

 聞き慣れた声がして、はっとなる。

 またしてもコクピットのモニターに新たなウィンドウが開く。そこに表示されたのは、明るい髪色のロン毛をゴムバンドで括って右肩に流した、細目の男。

 走太は声を上げる。

「神谷先輩!」

『ふん、生きていたか』

 雅が鼻を鳴らし、大して驚いた様子もなく言う。

 源平は苦笑いをして、

『もうちょっと心配してくれてもいいと思うんだけど……まぁ、いいや。小林、よく来てくれたね』

「神谷先輩……俺は……」

『色々話したいことはあるだろうけど、それはこの戦いが終わった後にしよう。今は、協力して、ノーフェイスを倒す。それでいいかい?』

「……はい!」

 走太が頷くと、少し離れた上空に、シラシオンの姿が確認出来た。白銀のボディーだからこそ、余計に分かるが、シラシオンも相当なダメージを受けているように見えた。装甲の一部が歪んでいたり、被弾して抉れていたりする。

 源平は言う。

『さて、話は戻るけど、金剛が導き出す解答が間違っていたことは、今まで一度も無い。だから、今回も必ず、ノーフェイスのどこかに、弱点となるコアが存在しているはずだ。少なくとも僕は、今日まで何度も金剛の予測に助けられて来たから、彼女の言葉を信じるよ』

 雅が、うぉっほんと咳払いをして、どこか恥ずかしそうに、

『後輩に真顔で何を言ってるんだ、お前は」

『けど、小林に信じて貰って、協力して貰わないと、勝てないのも事実じゃない?』

『む……』

 走太は二人のやり取りに、とりあえず首を縦に振る。

「分かりました。ノーフェイスにはコアがあるんですね?」

 雅は頷いて、

『信じてくれることに感謝する。コアは必ずある。そこさえ見つけ出して破壊すれば、勝てる』

 菜美子がそこで、口を開く。

『コアがあると推測される箇所は、頭部、胸部、腹部の何処かです。両腕は神谷先輩と紅坂先輩によって、何度も破壊されていますから、少なくともそこには無いと確認されています』

 源平は細い目を開きながら、

『紅坂のレッドラスが動けなくなった以上、厳しいけど、僕と小林でやるしかない。心の準備は出来てる?』

 走太に視線を向けて、尋ねて来る。

「はい……大丈夫です!」

『なら、行こう。僕達自身の未来を守る為に』

「未来……」

 顔を上げて、ノーフェイスを見やる。数十機のダンシングフェザーを展開し終えたパール色の次元獣は、空中に浮き、走太達の出方を伺っている。

 雅が言った。

『小林、神谷、私達生徒会メンバーに出来るのは、ここまでだ。後は、お前達に託す。武運を祈る』

「はい」

『分かったよ、金剛』

 彼女との通信は、そこで切れる。

 走太は菜美子を見る。その視線に気付いたのか、彼女は再び、むすっとするが、

『私も』

「え?」

『私も、先輩達のご武運をお祈りしています』

 そう言って、彼女もまた、モニターから姿を消す。

 たったそれだけのやり取りだったけれど、走太は彼女から少しだけ、勇気を貰えた気がした。

「話は聞いてたか、宮治」

 ブラックテイラーに問い掛けると、ウィンドウの黒縁眼鏡を掛けた男は『ああ』と答える。

『要するに、ノーフェイスの頭と胴体を攻撃して、コアを破壊すればいいんだろ? ……神谷先輩、それでいいんですよね?』

『そういうことだね、崎原』

 旧知の間柄らしく、平然と会話を交わす二人。

 走太は源平に言う。

「神谷先輩、やっぱり宮治がブラックテイラーだってこと、知ってたんですね」

『うん。ただ、崎原から、小林にはその時が来るまで言うなって、口止めをされてたんだ。ごめんね』

『その話はひとまず後だ。ノーフェイスが来るぞ!』

 宮治の言う通り、痺れを切らしたノーフェイスが、動き出していた。

 数十のダンシングフェザーを走太達に向けて、飛ばして来る。加えて、自らも高速で接近して来る。

『よし……行くよ、小林!』

「はい!」

 走太は源平と共に、応戦を開始した。

 先程と同じイメージで、遠隔誘導端末と両手のマグナムを操作し、敵のダンシングフェザーを撃ち落として行く。

 空中から降りて来た源平も、同じように自らのダンシングフェザーとシールドに内蔵されたビーム砲で、戦う。

 ノーフェイスが接近して来たのは、ブラックテイラーの方だった。

 右の拳を振り被り、ストレートを放って来る。

『当たるか!』

 と口にしたのは宮治。走太はイメージして、攻撃を回避。

『まずは頭ぁ!』

 ブラックテイラーが反撃の上段回転蹴りを放つ。

 ノーフェイスの顔面を捉え、めり込み、吹っ飛ばす……が、十数メートルノックバックして踏み留まったその顔は、既に再生を終えている。

「くそっ、効かない!」

『勝てるイメージを思い浮かべるんだ! もっと強い、こいつに勝てるイメージを!』

「だったら、これで──」

 走太はイメージする。一発で効かないのなら、二発。それでも効かないのなら、三発、四発、五発。その顔面を打ち砕くまで、何発でも当て続ける。一点集中の高速連撃。

 二丁拳銃でダンシングフェザーを撃ち落としながら、懐に飛び込み、そこで二丁拳銃を放棄。両手の拳を握り締め、後ろに引いて、溜める。

 そして、

「どうだぁぁぁ──っっっ!」

 解き放った。ブラックテイラーの両腕が、分身したかと思うくらいの超速で動いた。

 顔面に暴風雨のごとき連続パンチを叩き込む。明らかに人型兵器の限界を超越した速度。おそらくは秒間数十発。

 一点集中で直撃し、相当なインパクトを与えているはず。

 だが。

「再生が速過ぎる……!」

 砕けない。亀裂以上のダメージに到達出来ない。

 圧倒的超速再生の壁が、走太の前に立ちはだかる。それどころか、

『こいつ、なんで……!』

 ノーフェイスはここに至って、仰け反りもしない。

 さすがの宮治も、焦りの表情を浮かべる。

 ノーフェイスの両手が動いた。

 超速連撃を繰り出していた両腕を掴まれる。

「なっ……!」

 走太は、咄嗟に振り解こうとするが、敵の握力が凄まじく、びくともしない。

『小林!』

 シラシオンが空中から接近して来て、ノーフェイスの頭上からブレードを振り下ろす。

 脊椎のある後方から首を斬り落とそうとするが、体表面に接触して火花を散らすだけで、こちらも効いている様子が無い。

 ノーフェイスが、ブラックテイラーの両腕を掴んだまま、頭を後方に引く。頭突きを放って来た。

 ゴキャアッ! と頭部で嫌な音がして、ブラックテイラーの身体が後方に吹っ飛ぶ。その際に拘束されていた腕が解放されたようで、ブラックテイラーは数十メートルの距離を舞い、地面に転がる。

「ぐっ……!」

『がはっ……!』

 走太が肺の息を全て吐き出すと同時に、宮治が呻き声を上げる。

「宮治! 大丈夫か!?」

『頭部を……やられた……! 走太、再生のイメージ、出来るか……!?』

 はっとなって、走太は「待ってろ!」と答える。無傷なブラックテイラーをイメージする。モニターに『創造開始』の文字。

 数秒して、モニターの宮治が眼鏡の位置を直し、機体を起き上がらせる。

『くっ……今の頭突きは……強烈だったぜ……。一瞬、意識が飛び掛けた』

「ノーフェイスのやつ、前よりも強烈な攻撃を与えてるはずなのに、仰け反りもしなくなった。再生速度がまた上がったってことなのか……!?」

『それだけじゃない。再生速度が幾ら上がったところで、攻撃の勢いまでは殺せない。効こうが効くまいが、相手は吹っ飛ぶはずだ。それが微動だにしないってことは、理由は一つしかない。奴は、俺達と同じで、イメージを具現化してる』

「それってどういう……」

『俺がお前の浮かべる理想のイメージを具現化出来るように、あいつも自分で浮かべる理想のイメージを具現化してるってことだ』

「まさか……本当に……!?」

『それ以外に考えられない。これで、奴がコアを持っている可能性がいよいよ高くなった。イメージを具現化してる以上、奴にはイメージを行っている場所があるはずだ』

 ノーフェイスは、戦いの舞台を空中に移し、源平のシラシオンと格闘戦を繰り広げている。

 超速再生と慣性無視により、当然ながら、状況は源平の圧倒的不利。シラシオンのブレードが、敵の攻撃の合間を縫って、何度もパール色の身体を斬り裂くが、それも無意味。

「神谷先輩を援護しないと!」

 ウィングを展開し、自らのダンシングフェザーを周囲に呼び戻す。ブースターで飛び上がり、シラシオンに加勢する。

 ダンシングフェザーで隙を作り、ノーフェイスに再び超速連撃を叩き込む。

 が、わずかに罅を入れるだけ。怯ませることも出来無い。

「くそっ、どうしたら……!」

『走太! こっちも超速再生と慣性無視のイメージをするんだ! それで真っ正面から打ち合う!』

 宮治がノーフェイスの反撃を回避しながら、言う。

 間髪入れず源平が、

『一発一発の威力を高めるイメージも忘れないで! どうにか体を破壊して、こいつのコアを見つけ出さないと、勝ち目が無い!』

「了解!」

 走太はノーフェイスに肉薄し、至近距離での格闘戦を開始する。

 震える手と足を無視して、超速連撃をイメージ。

「はあぁぁぁ──っっっ!」

 気合い一声、無数の拳を放ち、一際大きな亀裂を走らせる。連撃を止めず、ひたすらに殴り続ける。

 ノーフェイスが構わず拳を振り被る。攻撃がブラックテイラーの顔面に直撃。超速再生と慣性無視でそれをカバーし、走太は更に連撃を放つ。が、亀裂以上のダメージを与えられない。

 と、ノーフェイスは両手を振り被った。一瞬、両手が分身したように見え、

「まずいっ!」

 走太は反射的に、ガード体勢を作り、超速再生をイメージ。

 次の瞬間、拳の弾幕がブラックテイラーを襲った。それは他ならぬ、走太が行ったのと同じ、超速連撃だった。

 慣性無視のイメージを忘れ、ブラックテイラーは吹っ飛ばされ、地上の建物を四つ貫通。そこで慣性無視のイメージに成功し、地面への激突を免れる。

「同じ技まで……!」

『気を抜くな! まだ終わってない!』

 宮治が叫ぶ。

 上空から、ノーフェイスが高速で迫って来ていた。

「くっ!?」

 走太は両手の拳を構える。

 ノーフェイスも両腕を振り被る。

「こんのぉぉぉ──っっっ!」

 走太の掛け声と共に、ブラックテイラーが、超速連撃を繰り出す。

 ノーフェイスも超速連撃を放ち、真っ向からぶつけ合う。

 無数の拳と拳が激突し、幾つもの衝撃波を巻き起こす。

 スピードは互角に見えた。

 だがしかし。

 甲高く響いた破砕音によって、拳の打ち合いは終焉を迎えた。

 ブラックテイラーの両腕──拳から肘までが、無惨にも粉々に砕け散ったのだった。

『ぐああぁぁぁっ!』

 宮治が悲痛な叫び声を上げる。ロボットと言えども彼の両腕、破壊されてダメージが伝わったのだろう。

 一瞬、それに気を取られて、走太のイメージが乱れる。

 我に返り、モニター正面を見ると、ノーフェイスの右ストレートが迫って来ており、

「しまっ……!」

 超速再生も、慣性無視も行うことが出来ず、顔面を思いっきり殴り飛ばされたブラックテイラーは、一直線に飛び、大きなビルに背中から突っ込んだ。

 走太は、ブラックテイラーの両腕と再生を行いながら、機体を起き上がらせる。モニター正面を見つめる。

 次元獣ノーフェイス。比類無き情報質量と密度、それと自らのイメージを具現化させる、ブラックテイラーと同じ力を持つ、スペック上、過去最強の次元獣。

 今、この瞬間に、感じる。

 スペックだけでない最強の力を、自らの肌に、確かな戦慄として。

(このままじゃ……負ける……!)




 ブラックテイラーの両腕が破壊され、殴り飛ばされる様子を、麗央奈はコクピットモニターに送られて来る映像で、眺めていた。

 菜美子のアシストスキル『通信』の力を借りて、生徒会メンバー達が見ているものと同じ映像を、流して貰っているのだ。

「走太……!」

 動けと強くイメージしながら操縦桿を握り締めるが、レッドラスはビルに後ろ半身を埋めたまま、少しも動かない。

 なんて自分は無力なのだろう、と思う。

 普段強がって、肝心なことからは目を背けて、大事な時には何も出来ない。

 走太が助けに来てくれて、本当に嬉しかった。胸が一杯になって、涙が溢れた。

 今まで辛かったこととか、悲しかったことだとか、そんなものが何もかも全部、どうでもいいと思えるくらい、嬉しくて、幸せな気持ちになった。

 もう自分は強がらなくてもいいんだって、そう思えた。

 でも、違うのだ。

(それじゃあ、駄目なんだ……)

 ただ、走太に頼って、傍観しているだけでは、昔と何も変わらない。

 今ここで動かなかったら、走太の背中に隠れていた昔の自分と、何も変わらない。

 だから、強がりだろうが何だろうが、這い上がらなければならない。

 この無力な状態から、何としてでも抜け出さなくてはならない。

(レッドラス……私のイメージ……伝わってるよね? なら、聞いて)

 麗央奈は瞳を閉じて、レッドラスに呼び掛ける。

(今、私の幼馴染みが、目の前で戦ってる。絶対に失いたくない大切な人が、ピンチになってる)

 仲直りしたいとか、彼の傍に居たいとか、そんなことはもう、どうだっていい。

 それよりも大きな想いが、麗央奈の胸に今、存在している。

(私はただ、走太の力になりたい)

 純粋に、そう思う。

 見ているだけなんて嫌だ。無力なのは嫌だ。

(だから、お願い、レッドラス──)

 もう一度だけ。

「私に力を貸して……!」




 ノーフェイスはまるで、自分の心の写し鏡のようだ、と走太は思った。

 ブラックテイラーと同じ能力を持ち、同じ技を使う。

 しかし、その強さは、ブラックテイラーよりも上。

 走太には、ノーフェイスという次元獣が、決して乗り越えられない過去の自分のように思えてならない。

 どんなに足掻こうとも、突破することが出来ない。今よりも前に進むことが出来ない。

 ブラックテイラーが拳を振るう度、ノーフェイスも拳を振るい、結局、走太の方が殴り飛ばされる。

 機体が地面の上を激しくバウンドしながら転がって、何かの建物に激突する。

「くそっ……!」

 手と足が、恐怖でガクガクと震えていた。

 少しずつ、精神力が削られて行く。強く保っていた心が揺らぐ。

 本当は、今すぐにでも逃げ出したかった。

 それでも、残っている勇気を振り絞って、走太はブラックテイラーを起き上がらせる。

 創造によって生み出したレッドラスのキヤノン砲を、牽制で放った。

 ノーフェイスの付近に着弾し、爆発が起きる。爆炎を隠れ蓑にして、走太はブラックテイラーを飛び込ませる。

 ノーフェイスが反応して、右拳を振り被る。

 走太も左ストレートを放つ。

「うおぉぉぉ──っっっ!」

 激突する拳と拳。超速再生をイメージしているにも関わらず、パワー負けをして、ブラックテイラーの左腕が砕け散る。

『っ……! 構わない! そのまま攻撃を続けろ走太!』

 顔を苦痛に歪める宮治の言葉を聞き、左腕を再生しながら、更に一歩、敵の懐に踏み込む。

 ノーフェイスが、今度は左拳を打ち込んで来る。

 走太はブラックテイラーの身体を捻らせて、顔面への直撃を避けるが、右側のウィングに当たり、破壊される。

 もう一歩踏み込み、ノーフェイスのボディーががら空きになる。

 超速再生と慣性無視はイメージせず、イメージだけを浮かべ、

「砕けろぉぉぉ!」

 敵のどてっ腹に超速連撃を叩き込んだ。

 大きな亀裂が走り、パール色の小さな破片が空中に舞う。

 が、ノーフェイスが膝蹴りを放ち、ブラックテイラーの腹部にめり込ませる。

「がっ……!?」

 後方に飛ばされ、再び地面を転がされる。

 その際に、コクピットシートに後頭部を強く打ち付けて、思考が鈍くなり、視界が歪む。

 そのせいでイメージが遅れる。なかなか立ち上がれない。

「くっ……!」

 頭を打ったのだけが原因では無かった。

 勝つイメージが出来ず、走太の心は、今にも挫けそうになっているのだった。

『走太! 立て! ノーフェイスが来るぞ!』

 宮治が言うが、走太は地面に両手を着いたまま立てない。

 モニター正面に、パール色の翼を広げて突撃して来るノーフェイスの姿が見える。

 操縦桿を握る走太の手が緩み掛けたところで、

『走太!』

 その声は、宮治ではなく。

 聞いただけで目の醒めるような、少女の声だった。

 振り向くと、モニター左方、二百メートル程離れた所にある大通りに、赤色の機体が立っていた。

 全身ボロボロで、両腕の肘から先が無く、キヤノン砲もひしゃげて使い物にならないというのに、その機体──レッドラスは、二本の足でしっかりと地面を踏み締め、力強く立っていた。腹部装甲を展開して覗く銃口が、エネルギーの収束により、赤く染まっている。

「麗央奈……!」




 麗央奈は、レッドラスの中から、膨大なエネルギーが止めどなく湧き上がって来るのを感じていた。

 レッドラスが麗央奈のイメージに応え、それをエネルギーに変換してくれているのだ。

 麗央奈は、モニター正面、五百メートル程先のノーフェイスに、狙いを定める。

 レッドラスの腹部装甲は既に展開、クリムゾンノヴァを放てるように、エネルギーを収束させ続けている。

 麗央奈が思い描くイメージはただ一つ。

(走太を助ける!)

 同じように全力をぶつけ、一度は敗北を喫した。それでも。

 今は違う。あの時とは違う。

 走太が助けに来てくれて、それがとても嬉しかったから。

 涙が出る程、嬉しかったから。

 自分も、彼の力になりたいと思ったのだ。

「当ったれぇぇぇ──ッッッ!」

 湧き上がるエネルギーを紅蓮の輝きに換えて、解き放った。

 



 一体、どれだけの規模があるのか分からない。

 視界全てを覆い尽くすような真っ赤な炎の柱が、レッドラスの腹部にある銃口から伸びて、ノーフェイスに直撃した。

 柱は遙か彼方まで伸び、進路上にある物を全て焼失させて行く。

「凄い……!」

 余りの熱量に、近くにいる走太も、ブラックテイラーと共に吹き飛ばされそうになる。

 やがて、炎の柱が消えた時、ノーフェイスは大きく抉れた地面の上に立っていた。

 走太は目を見開く。

 ノーフェイスがダメージを受けていた。翼とキヤノン砲の一部が砕け散り、ボディーの所々が歪み、ひび割れている。

 それだけでは無かった。一向に損傷箇所の再生が始まらないのだ。ノーフェイスは身体をよろけさせ、片膝を着いてしまう。

 その理由を探して、気付いた。

 ノーフェイスの胸部の中央が砕けて、そこからエメラルド色の球体が覗いていた。直径二メートル程の大きさで、よく見ると、球体の表面には、わずかに亀裂が走っている。

 宮治が言った。

『走太、あれがノーフェイスのコアだ! あそこから、強大なエネルギーの流れを感じる!』

 ふと、モニターのウィンドウが切り替わる。

 映っていたのは、幼馴染みの鮮やかな赤毛の少女。

『走太──』

 麗央奈は大きく息を吸うと、走太に向かって、叫んだ。

『行っけぇぇぇ──っっっ!』

 その声は、戦いが始まってからずっと続いていた手と足の震えを止め、走太の胸の奥から言い知れない力を湧き上がらせる。

 操縦桿を強く握り直し、機体の体勢を立て直す。

 走太は駆け出した。ブラックテイラーのキヤノン砲と、右片方を破壊されて、半端に残っていたウィングを切り離して破棄。機体を極限まで軽くし、ノーフェイスへと全力疾走を開始する。

「宮治っ!」

『ああ、お前のイメージは受け取った! これで決めるぞ、走太!』

 モニターには『創造開始』の文字。

 と、片膝を着いていたノーフェイスが、突撃して来るブラックテイラーに気付いたらしく、立ち上がって、右手を前に突き出す。

 走太の進行方向を塞ぐように、残っていたダンシングフェザー数十機が集合し、ビームを放って来る。

「くっ……!」

 別の物を創造中の今、超速再生を行うことは出来ない。

 加えて、何の防御手段も無く、数十の遠隔誘導端末からの一斉攻撃を受け続けられる程、ブラックテイラーの装甲は厚くない。

 どうする、と一瞬考えたところで、

『僕が居るのを忘れてないかい?』

 白銀のダンシングフェザーがブラックテイラーの横を通り抜け、敵の遠隔誘導端末を取り囲み、先端から幾つもの光の線を走らせ、爆炎の花を咲かせる。

 モニターのウィンドウに表示されたのは勿論、細目の男。

「神谷先輩!」

『そのまま行け、小林! 敵の遠隔誘導端末は全部、僕が引き受ける! 君は、ノーフェイスのコアをぶっ壊せ!』

「はい!」

 走太は頷くと、白銀とパール色の遠隔誘導端末が撃ち合う中に突っ込み、潜り抜ける。

 ノーフェイスとの距離は、残り百メートルを切っていた。

 レッドラスが放った先程のクリムゾンノヴァによって、発射機構に障害が発生したのか、両肩のキヤノン砲を撃っては来ない。ウィングも見るからに損傷しており、空中へ浮き上がろうとしない。

 ブラックテイラーを阻むものは、もはや何も無かった。

 そして、ついに格闘が届く距離に到達する。

 ブラックテイラーが右手の拳を固く握り締め、

「うおぉぉぉ──っっっ!」

 走太はノーフェイスに、渾身の右ストレートを放った。

 狙うは、剥き出しになっている胸部のコアのみ。

 ノーフェイスが鏡のように、左ストレートで反撃をして来る。

 ブラックテイラーの右拳と、ノーフェイスの左拳が正面から激突する。しかし、やはりパワーは敵の方が上。

 ブラックテイラーの右腕に亀裂が走り、粉々に砕け散る。

「まだ!」

 走太はすぐに再生をイメージする。ブラックテイラーの右腕が原型を取り戻し、そのままノーフェイスの左拳を掴む。

 ブラックテイラーの左拳に力を込め、コアに向かって左ストレートを繰り出した。

 が、ノーフェイスは素早い反応を見せ、右拳をぶつけて、ブラックテイラーの左腕を砕く。

「まだだ!」

 走太は左拳も即再生、先程と同じようにノーフェイスの右拳を掴み、取っ組み合いをするような形になる。

「ノーフェイス!」

 動かしたのは、ブラックテイラーの尻尾。

 先端には、ここに到達する間に創造した、巨大なドリルが装備されている。

 ギュルルルル! とそれを勢いよく回転させ、

「お前の敗因は──」

 右脇から滑り込ませるようにして、

「尻尾を造らなかったことだぁぁぁ──ッッッ!」

 鋭く尖った先端を、コアの亀裂に突き刺した。

 盛大に火花が散り、ノーフェイスが苦しそうにもがく。掴まれた両手を振り解こうと、必死に抵抗する。

 走太は強いイメージで、両手に力を篭め続ける。何が何でも離さない。

 ドリルの回転を強める。一層派手な火花が咲く。砕けろ、と強く念じる。

「グォ……」

 と、その時、声のようなものを聞いた。

 走太は顔を上げる。

 ノーフェイスに異変が起きていた。何のパーツも無く、のっぺらぼうだった顔の口元が、裂けて行く。

 そして、


「グォオオォオォォオォオオォオォオオオォオォオオオオ──ッッッ!」


 ノーフェイスは咆哮した。

 余りに凄まじい雄叫びに、走太はコクピット内にいるにも関わらず、空気が震えるのを感じた。思わず鳥肌が立つ。

 胸部の下、ボロボロに損傷している装甲が、鈍い音を上げて、開いて行く。

「まさか……!」

 レッドラスと同型の銃口が姿を現した。

 バチバチとスパークが起き、そこに紅蓮のエネルギー球が形成されて行く。

 ノーフェイスは、両腕を離さない走太とブラックテイラーに対して、至近距離からクリムゾンノヴァを浴びせるつもりなのだ。

 コクピットモニターに『危険!』の表示が出て、宮治が声を上げる。

『走太、ここは一旦離れるんだ!』

 確かに、宮治の言う通りだった。

 両手でノーフェイスを押さえている今、至近距離からのクリムゾンノヴァを防ぐ術は、超速再生しかない。しかし、ノーフェイスと違って、ブラックテイラーの超速再生は絶対の防御壁ではない。拳の打ち合いの際に腕を破壊されていることからも、それは明らかだ。ノーフェイスが放つストレートよりも、確実に威力が上であろうクリムゾンノヴァを防ぎ切れる可能性は、まず無いと考えるのが妥当。

(このままだと、死ぬ……!)

 死の可能性を目の前にして、走太の背筋に寒気が走り、身体が震える。心臓が大きく脈打つ。

 つまり、ここで走太が取るべき選択肢は、コアへの攻撃を中止し、ノーフェイスの両腕を解放して、クリムゾンノヴァを回避すること。

 それが正しい選択肢。きっとそうに違いない。

 けれど。

「同じじゃないか……死ぬのが怖いのは……」

『走太?』

「ノーフェイスだって……!」

 走太は、ブラックテイラーと取っ組み合いをしている、パール色の次元獣を睨み付ける。

 クリムゾンノヴァを放てばブラックテイラーを葬り去れるこの状況下で、ノーフェイスはなおも必死にもがいている。何とかブラックテイラーの拘束から逃れようと、両手に全力を篭め続けている。

「グオォォォ──ッッッ!」

 そして、吼える。これまでずっと、冷静さを保って来たノーフェイスが、口のパーツを造り出してまで、声を上げている。

 理由なんて、一つしかない。

 ノーフェイスも、死ぬのが怖いのだ。

 考えてみれば、走太とノーフェイスが直面している状況は、どちらも変わらない。走太がクリムゾンノヴァの銃口を目の前にして、死の危険に晒されているように、ノーフェイスもまた、心臓部とも言うべきコアにドリルを突き立てられ、破壊されそうになっている。

 つまりは、五分五分。どちらが先に倒れるかの勝負。

 だが、走太には選択肢が残されている。ノーフェイスの両手を放して、この勝負から離脱することが出来る。

「俺は……」

 この取っ組み合いの状況に導いてくれたのは、麗央奈だ。ボロボロのレッドラスを起き上がらせて、信じられないような一撃を放って、コアにダメージを与え、超速再生を止めてくれた。

 いや、それだけじゃない。菜美子や、源平、宮治が背中を押してくれたからこそ、自分は今、こうしてブラックテイラーに乗ることが出来ている。

 雅がコアの存在を教えてくれ、源平が敵のダンシングフェザーを引き受けてくれたからこそ、ここまでノーフェイスを追い詰めることが出来ている。

 今現在も、

『いいぜ、走太、ここまで来たんだ。お前が望むようにやれ!』

 宮治が口元をニヤリと歪め、走太を後押ししてくれる。

 そう、ここに来れたのは、皆のおかげだ。

 ノーフェイスのコアを捉え、火花を散らしているドリルは、皆の想いが詰まった一撃なのだ。

 だから、

「俺は──」

 五分五分の状況。ノーフェイスとの生死を賭けた最後の勝負。

 凄く怖かった。身体が震える。

 それでも。

 走太は操縦桿を握り締め、吼えた。


「ここから逃げねぇええぇええぇえええええぇええぇえぇえええぇええ──っっっ!」


 ドリルを更に、鋭く、硬く。回転数を極限まで高める。

 コアから舞い散る火花。

 ノーフェイスが叫び、腹部の銃口が赤く光り輝く。

 次の瞬間、凄まじい振動と共に、視界一面を紅蓮の炎が覆った。

 機体が軋み、装甲の砕ける音がする。

 走太はそれでも、炎の向こうに透けて見えるコアから目を離さない。

 ドリルに全てのイメージを注ぎ込む。


「うおぉぉおぉおぉおぉおおおおぉおおぉおぉおおぉおおぉお──ッッッ!」

「グオォオォオオォオォオオオオォオオォオオォォオオオオオ──ッッッ!」


 炎の勢いが強まり、走太の視界が完全な赤に染まる寸前。

 ノーフェイスのコアの亀裂が広がり、砕け散るのが見えた。




 ブラックテイラーとノーフェイスを中心にして、凄まじい爆発が起きた。

 衝撃波で、通信が乱れ、指令室のメインモニターがノイズ画面に変わる。

 菜美子は、その間もモニターから視線を逸らさないでいた。

「映像、回復します!」

 生徒会メンバーの一人である男子生徒がそう言って、メインモニターに爆心地の映像が表示される。

 そこには、半径一キロ以上の巨大なクレーターが出来ており、ノーフェイスとブラックテイラー、どちらの姿も消えて無くなっていた。

「ノーフェイスのエネルギー反応消失!」

「ブラックテイラーは!?」

 と、声を上げたのは、菜美子の隣の女子生徒。

「待って、今探す!」

 男子生徒がパソコンのキーボードを弄って、ブラックテイラーのエネルギー反応を捜索する。

 やがて、「居た!」とエンターキーを押し、メインモニターに違う場所の光景が映し出される。

 菜美子はそれを見て、ため息を吐いた。

「全く……オチがワンパターンですね……」

 果たして、ブラックテイラーは、ジャガーと戦った時と同じように、高層ビルの壁面に頭から突き刺ささって上半身を埋め、足と尻尾をジタバタさせて、もがいていた。

 わっと、指令室内で歓声が上がった。

 生徒会メンバーの男子二人がガッツポーズをし、ハイタッチを交わす。

 続いて、先輩と同級生の女子二人が涙目になりながら、菜美子に抱き付いて来る。

「やった! やったよ、菜美子!」

「小林先輩が、ノーフェイスを倒したよ!」

 菜美子はそんな彼女達に呆れながら、

「当たり前です。散々私達に迷惑を掛けて来たんですから、このくらいの戦果は上げて貰わなくちゃ困ります」

「そんなこと言って、本当は菜美子だって滅茶苦茶嬉しいくせに~!」

「嬉しくなんかありません!」

「ついさっきまで、小林先輩のことが心配で仕方が無かったくせに~!」

「誰があんなヘタレ! ちょっ……二人して頬っぺたをつつかないで下さい!」

 頬をぷにぷにされながら、会長席に腰掛けた雅に視線をやると、彼女もまた「やれやれ」と肩を竦めながら、微笑んでいた。

 菜美子は、モニターに映る、ビルから上半身を引き抜こうと悪戦苦闘する黒い機体を見て、思う。

(まぁ……でも、帰って来たら、今回くらいは褒めてあげてもいいかもしれませんね)

 経緯はどうあれ、現実世界を救ったのだ。

 それくらいはサービスしてやってもいいだろう。


 ブラックテイラーの無事が確認された時から、溢れんばかりの笑顔を浮かべていることを、菜美子本人だけが気付いていなかった。


 こうして、五月三十一日午後一時四分。

 生徒会により、ノーフェイスの完全消滅が確認された。




 ノーフェイスを倒した後も、走太とブラックテイラーの戦いは続いていた。

『走太! もっとだ、もっと強いイメージを浮かべるんだ!』

「もう十分に浮かべてるっつーの!」

『だったら、どうして上半身がビルに突っかかったまんまなんだ!?』

「俺が知るかっ!」

『ぐおおっ、抜けろぉぉぉ!』

 戦いの相手は高層ビル。

 ノーフェイスの爆発に巻き込まれて、遙か彼方まで吹き飛ばされたブラックテイラーは、頭からビルの壁面に突っ込み、上半身が抜けなくなってしまっていた。

 ビルに突き刺さった時、宮治は「そ、走太……ボディーの再生を……! このままじゃ死ぬ……!」と苦しそうな声を上げた。短い時間とはいえ、至近距離からクリムゾンノヴァを受けたのは事実であり、走太はすぐに再生のイメージを浮かべて、ブラックテイラーのボディーを修復させた。

 しかし、これがいけなかった。装甲を再生したことで、突き刺さった時よりもボディーの厚さが若干増したらしく、腰が突っ掛かってしまったのだ。

 それから手足と尻尾を動かして、どうにか上半身を引き抜こうとしたが、何故か上手く行かず、約十分が経過し、現在に至るというわけだった。

「あっ、抜けた!」

 と、不意に、スポン! と軽快な音を立てて、上半身がビルから抜ける。

『よっしゃあ!』

 宮治が喜びを露わにしたのも束の間、

「って、宮治、下! 下!」

『へ?』

 走太は気付く。自分達が今まで突き刺さっていたのは、高層ビルの地上五十メートル程の位置であり、そこから抜けたということはつまり、空中に放り出されたのと同じことだった。

「ちょっ、落ちる!」

『ぬおぉぉぉ!?』

 翼を創造する暇も無く、ブラックテイラーは地面に落下した。

 背中から大通りのコンクリートに激突し、円上に亀裂を走らせる。

 仰向けで大の字になりながら、走太はモニター越しに、灰色の空を見上げた。

「痛ぇ……頭打った」

『俺は背中全部が痛ぇ……』

 走太は、ウィンドウに表示された黒縁眼鏡の悪友に、言う。

「なぁ……宮治」

『ん?』

「今、思い付いたんだけどさ」

『何だよ』

「無理矢理上半身引き抜かなくても、お前、人間状態になれるんだから、それで小さくなれば良かったんじゃね?」

 ウィンドウの宮治は目を丸くして、両手で頭を抱える。

『……なんてこった!』

 ブラックテイラーも連動して、頭を抱えた。

『おい、走太! どうしてそれをもっと早く言ってくれなかったんだ!』

「だから、今思い付いたんだって! つーか、どう考えても、俺よりも先にお前が気付くべきだろ、お前の身体なんだから!」

『おかげで俺は……こんな醜態を晒す羽目に……!』

「いや、それは割といつものことだから、別に気にしなくてもいいんじゃね?」

『どういう意味!?』

 そんな会話をしながら灰色の空を見ている内に、走太はふと、ノーフェイスとの戦いが終わったら、宮治に聞こうと考えていた事柄を思い出す。

「宮治。一つ、訊いてもいいか?」

『今度は何だよ!? 実はあれもこうしておけば良かったんじゃねぇ的な内容か!?』

「いや、それとは別の話でさ」

 と前置きした上で、走太は彼に尋ねた。

「宮治は、どうして俺をパイロットに選んだんだ?」

『え?』

「いや、何で俺なんかを、自分のキーパーマスターに選んだりしたのかなって思ってさ。俺より勇気があって、優秀な奴なんて、他に幾らでもいただろ?」

『突然何を訊いて来るかと思えば、そのことか』

 宮治は黒縁眼鏡の位置を直しながら、答える。

『別に大した理由はねぇよ。たまたま去年からの付き合いだったっていうのもあるし、たまたまキーパーマスターである麗央奈ちゃんの幼馴染みだったっていうのもある。でも、結局はただの気紛れだな』

「気紛れ?」

『そう、気紛れ。何となく、お前なら面白いキーパーマスターになりそうだなって思って、選んだんだ。突き詰めれば、そんだけだよ。特殊な理由とかは何にも無い』

「マジでか……」

 つまり走太は、能力とか関係無く、宮治の気分一つで選ばれた末、ノーフェイスみたいな化け物と戦う羽目になったというわけだ。

『正直、恨まれても仕方ないと思ってるよ。俺のせいで、次元獣との戦いに巻き込んだわけだしな。でも、今回のノーフェイスみたいな、前代未聞の強さの奴とは戦わせるつもりは無かったんだ……すまん』

 彼はそう言って、頭を下げる。

「宮治……」

『お前がこれ以上、俺のキーパーマスターを続けるのが嫌だって言うなら、それも仕方の無いことだと思う。俺に引き止める権利は無い』

 いつまで経っても頭を上げない宮冶。

 走太は彼のつむじに向かって、言う。

「俺は確かに、お前……っていうか、ブラックテイラーのこと、ずっと恨んでたよ。何で自分が、こんな怖い思いをしなくちゃならないのかって、腹が立った。だけどさ……冷静に考えると、そのおかげで得たものも沢山あったんだよな。キーパーマスターになったおかげで、疎遠だった麗央奈と話すきっかけが出来たし、ヘタレな自分にも向き直ることが出来た。それから、ロボット部に入って、神谷先輩や、生徒会メンバーと知り合えたってのもあるし。……えっと、それにあれだ。俺って、ロボットアニメが好きじゃん? 実戦はともかく、操縦の練習をしてる分には、巨大ロボットに乗るっていう男のロマンが叶って、結構嬉しかったりもしたんだよ。何より――」

 さっきまで、あんな怖い思いをして、命懸けで戦っていたというのに。

「今さ、何か凄く清々しい気分なんだ、俺」

 仰向けで見上げた灰色の空は、決して綺麗とは言い難いのだけれど、胸には爽やかな風が吹き抜けている気がする。

 不思議な充実感だった。生まれてこの方、こんなにも充実した気持ちを感じたことは、今まで一度も無かった。

「だから、今の俺は、お前を恨んでいない。むしろ、感謝してる」

『え?』

 ようやく顔を上げた宮治に、走太は言った。

「俺を選んでくれてありがとな、ブラックテイラー」

 宮冶は最初、驚いたように目を丸くしていたが、やがていつものポーカーフェイスに戻り、

『おうよ』

 ニヤリと口元を歪めて、ブラックテイラーの右手を動かし、サムズアップをしてみせた。




 その後、ブラックテイラーのコクピットに菜美子からの通信が入って、源平と麗央奈が無事に御門学園へと帰還したことを知った。

 走太も宮冶と共に、御門学園の敷地内に戻ると、源平が目を細くして待っていた。

「お疲れ様、二人とも」

 ポンポンと肩を叩かれる。

 そうして笑い合った後で、走太は尋ねる。

「神谷先輩。麗央奈は今、どうしてます?」

「ああ、紅坂なら、現実世界の方の保健室に居るよ」

「えっ!? まさか、何処か怪我でもしたんですか!?」

「うん、ちょっとね……」

 走太は損傷したレッドラスの姿を思い出し、背筋に寒気が走った。

「俺、保健室に行って来ます!」

 居ても立っても居られず、校舎の方へと駆け出す。

「あっ、小林!」

 源平が何か言おうとしたが、今はとにかく、麗央奈のことが心配で、立ち止まらずに保健室へと向かった。




 慌てて駆けて行ってしまった走太の後ろ姿を眺めながら、源平は「あちゃー」と後ろ頭を掻いた。

「どうしよう、あの様子だと、絶対深刻だと思ってるよね……」

 実際はそこまで大したことでは無く、本当に『ちょっと』した怪我なのだが、走太はどうやらその『ちょっと』を、悪いニュアンスで受け取ってしまったらしい。

「うーん、追い駆けて訂正した方がいいのかなぁ……」

「放って置いても大丈夫だと思いますよ」

 と隣に立っている宮治が言った。

「保健室で麗央奈ちゃんと会えば、大した怪我じゃないって、すぐに分かるでしょうし。それに、幼馴染み同士、水入らずで話すこともあるかと」

「それもそうか。じゃあ、今のは結果的にグッジョブだったってことかな?」

「ええ。こうでもしないと、あいつの場合、麗央奈ちゃんとどうやって顔を合わせたらいいかで、数日くらい悩みそうですしね」

「なるほど」

 源平は校舎の方を見つつ、もしも仲直りが上手く行ったなら、後で走太に何か飯でも奢ってやろうと思った。




「大丈夫か、麗央奈ぁぁぁ──っっっ!」

 ばぁん! と大きな音を立てて、走太は保健室の扉を開け放った。

「へ?」

 麗央奈は走太の姿を見て、黒い瞳をぱちくりさせる。

 保険室の先生(女性・二十代前半)の前で、椅子に腰掛た彼女は、右腕の甲に湿布を貼って貰っていた。

「ど、どうしたの走太? そんなに慌てて」

「神谷先輩から、麗央奈が怪我したって聞いて……!」

「怪我って言う程、大したものじゃないけど……」

 麗央奈は右腕の湿布を指し示す。

 彼女曰く、ノーフェイスとの戦闘で、クリムゾンノヴァによって弾き飛ばされ、ビルに激突した際に、衝撃でコクピット内の計器に腕をぶつけてしまったのだという。

 若干赤く腫れて、触ると痛んだので、とりあえず保健室で診て貰うことにしたらしい。

 腰まで伸ばした長い黒髪が綺麗な保健室の先生は、くすくすと鈴を転がすような声で笑った。

「一日くらい湿布を貼っておけば、すぐに直るから、心配しなくても大丈夫よ」

「そ、そうですか……」

 走太は全身から、どっと力が抜けて行くのを感じた。

 湿布を貼り終えた先生は「さてと」と立ち上がり、

「麗央奈ちゃんも、小林くんも、ノーフェイスとの戦闘で疲れたんじゃない? 私は席を外すから、二人ともここで少し、休んで行ったら?」

「え?」

 走太は目を丸くする。

 どうしてこの人が、ノーフェイスのことを知っているのか。

 訊こうと思ったが、先生は走太の肩を叩き、「頑張ってね」とウィンクをして、廊下へと出て行ってしまう。

 呆然としていると、麗央奈が言った。

「あの先生ね、御門学園の卒業生で、昔、レッドラスのキーパーマスターをやってたんだって」

「そうだったのか……」

「だから、私がレッドラスのパイロットになったばかりの頃に、結構相談に乗って貰ったりしてたんだよ」

 ふと、走太はそこで気付く。

 保健室の先生が居なくなったことで、部屋の中には今、走太と麗央奈の二人だけだった。

(ど、どうしよう……)

 走太は困ってしまった。

 麗央奈が怪我をしたと聞いて、慌てて飛んで来たので、すっかり忘れていたが、走太には彼女に謝らなければいけないことが沢山あったのだ。

 ちらと麗央奈を見ると、目が合う。思わず視線を逸らす。

 凄く気まずかった。

 何せ、自分は一度ならず、二度までも、彼女を目の前にして逃げ出したのだ。

 最後には、何とか助けに行くことが出来たが、それで過去に逃げ出したという事実が消えるわけではない。

「えっと、その……」

 ただ、それでも。

 走太はぎゅっと拳を握り締める。

「「ご、ごめん!」」

 頭を下げて、言った。ただし、言ったのは走太だけでは無かった。

「「え?」」

 次に発した言葉も被った。顔を上げると、幼馴染みの少女も顔を上げたところであり、赤毛のポニーテールが合わせて揺れる。

 お互いに目を瞬かせた。

「ど、どうして麗央奈が俺に謝るんだ?」

「だって私……この前、保健室で走太を怒らせちゃったし……」

「そ、それは違う! 麗央奈は何も悪くない! あの時はただ、俺が臆病で、ノーフェイスと戦うのが怖くて仕方が無かったからで……。だから、麗央奈が謝る必要なんて、どこにもない。謝らなくちゃいけないのは、俺の方だ」

 走太はもう一度、頭を下げる。

「ごめん、麗央奈! 十一年前、お前を見捨てて逃げ出したりして!」

「え?」

「本当はずっと、謝りたかった。謝らなくちゃいけないって思ってた。だけど俺、今更どんな顔してお前に会って謝ったらいいか、分からなくて。俺がキーパーマスターになって、いざ話せるようになっても、謝ることで関係が気まずくなって、また話せなくなってしまうんじゃないかって、怖くて。結局、謝るのにここまで掛かっちまった。本当にごめん!」

「走太……」

「それだけじゃない。今回のこともそうだ。ノーフェイスと戦うのが怖くて、逃げ出して、またお前を見捨てようとした。俺は十一年前と同じことを繰り返すところだった。見捨てるどころか、今度は危うく見殺しにするところだった。ごめん……!」

「顔を上げて、走太」

 走太は麗央奈を見る。彼女は、柔らかな表情を浮かべていた。

「私もね」

 と麗央奈は言った。

「私も、走太と同じで、色々なことから逃げてたんだ」

「俺と同じ……?」

「うん。昔の私はさ、走太も知っての通り、気が弱くて、人見知りで、赤い髪にコンプレックスを持ってて、走太に頼ってばかりで、いつも逃げてた。その結果、呆れられて、走太は私から離れて行っちゃって」

「ち、ちょっと待て! 俺はお前に呆れたわけじゃない! 俺が逃げ出したのは、俺自身が臆病者だったからで……!」

「そう……なの?」

「そうだよ! 俺が麗央奈に呆れたりするはずがない! 俺が逃げ出したのは、ただ単に、自分が痛い目を見るのが怖かったからだ!」

「そうだったんだ……。私、勘違いしてたんだね……。でも、やっぱり、走太に見捨てられても、仕方が無かったと思う」

「そんなこと……」

 ない、と走太は言おうとしたが、麗央奈は首を横に振る。

「私、弱かったから。私があの時、イジメを跳ね除けるくらいに強かったなら、走太と離れずに済んだはずだよ」

「それは……!」

「私は、走太が離れて行ってしまった後、もっと強くなろうと思った。強くなれば、走太が私を認めて、戻って来てくれると思ったから。でも、実はそれも、現実から目を背けて、逃げてただけだったんだ。本当は走太と直接話して、仲直りすればいいだけの話だったのに、もしも走太に拒絶されたらどうしようって思うと、凄く怖くて、私は自分を磨くことでしか、気持ちを表現出来なかった」

 麗央奈がそんな風に考えてたなんて、思いもしなかった。

 走太は、凄く情けない気持ちになる。

 彼女は言葉を続ける。

「でも、私ね、今回のノーフェイスとの戦いを通して、決めたことがあるんだ」

「決めたこと?」

「うん。走太が怖いって気持ちを抱えながらも、逃げずにノーフェイスと戦ったように、私も逃げずに、走太にちゃんと気持ちを伝えようって思ったんだ。今だってこうして、勇気を出して、私に謝ってくれたでしょ? だから、私も」

 そう言って、麗央奈は椅子から立ち上がる。

 保健室の入り口辺りに立っている走太のところへやって来て、彼女は走太の目を、真っ直ぐに見つめる。

 長身の麗央奈とは、ほとんど目線の高さが変わらない。

「走太」

「う、うん」

「私は、走太に、傍に居て欲しい」

 そう言われた瞬間、心臓がドキッと高鳴った。

「昔みたいに、っていう風には行かないかもしれないけど、私はもっと、走太と仲良くしたい。走太ともっと沢山話したい」

 彼女の黒い瞳が、走太の視線を捉えて離さない。

「私、これからもっと、ちゃんと強くなろうと思う。走太にまた頼ったりすることはあるかもしれない。でも、その代わり、走太が困っていたら、ちゃんと助けられるようになりたい。そうやって、お互いが困っていたら、助け合えるような関係を築けて行けたらいいと思う。だから、上手く言えないけど──」

 彼女は走太の前に、手を差し伸べて、言った。

「今日からまた、私の幼馴染みになってくれませんか?」

 走太は、ボッと自分の顔が熱くなるのを感じた。

「あっ……えっと……」

「駄目……かな?」

 麗央奈が不安そうな表情を浮かべて、伏し目がちに尋ねて来る。

 走太は、ぶんぶんと激しく首を横に振った。

「そ、そんなわけない!」

 断る理由なんてあるはずが無い。

 走太は、麗央奈の手を取った。

「お、俺でよければ、よろしくお願いします!」

 すると、彼女は本当に嬉しそうに、

「うん!」

 走太の大好きな、満面の笑顔を見せてくれた。

 しかし、同時に、走太の胸にはどうしようもなく恥ずかしい気持ちがせり上がって来る。

 熱くて仕方が無い顔面を、両手で押さえて隠す。

 さすがに麗央奈も気付いたらしく、首を傾げる。

「どうしたの? ひょっとして私の口上、かなり恥ずかしかった?」

「いや……麗央奈は凄く格好良かった。恥ずかしいのは、俺の方で……!」

「どういうこと?」

「本当は……俺の方から言おうと思ってたんだ……」

「え?」

「俺と仲直りしてくれませんかって」

 本来、自分の方から言わなくてはならなかったのだ。

 だって、そもそも十一年前、最初に逃げ出したのは自分の方で。

 幼馴染みの関係を壊したのは、間違いなく自分なのだ。

 だから、また幼馴染みになってくれませんかって言わなくちゃならないのは、麗央奈じゃなく、自分の方なわけで。

 そう思うと、無性に情けないやら、恥ずかしいやらで。

「女の子の麗央奈に大事なこと言わせて、何だか俺……凄く格好悪いなと……」

 赤面せずにはいられない。

 と、その時だった。

「そんなことないよ」

 麗央奈の頭の後ろで結ったルビー色の髪が揺らめいて、走太の身体は、温かな感触に包まれた。

「な……」

 心臓が止まるかと思った。

 状況を理解するのに、およそ十秒を要した。

「れ、麗央奈……!?」

 走太は、彼女に抱き締められていた。

 背中に手を回されて、彼女の小さな頭が、走太の左肩のところにあって。仄かな甘い匂いが鼻孔をくすぐる。胸には柔らかな感触が当たっていた。

 一瞬止まりかけた心臓は、早鐘のように、ばっくんばっくんと脈打つ。

 先程までとは違う意味で、顔が熱くなる。顔どころか、麗央奈に触れられた部分、全てが熱い。

 耳元で、彼女は言う。

「走太、ブラックテイラーに乗って私を助けに来てくれた時、凄く格好良かったよ?」

 走太は言葉を返せない。

「私、あの時、本当に嬉しかったんだ」

 彼女は走太をぎゅっと抱き締めながら、とても優しい口調で、告げる。

「だから、格好悪いなんて、そんなことないよ」

「う、うん」

 ようやく走太が返せたのは、そんな相槌だけだった。

 麗央奈は抱き付いたまま、甘えるような声で「ね、走太」と訊いて来る。

「もう少しだけ、このままで居てもいい?」

「ええっ!? あっ……その……麗央奈がそうしたいなら……」

「ん……ありがと」

 走太の左肩に顎を乗せて、彼女はしばらく、そのままでいた。

 彼女の背中に手を回そうかどうか、少し考えもしたが、何だか不純な気がして、結局何も出来なかった。

 やがて、身体を離した麗央奈は「えへへ」と照れ臭そうに笑う。

「これで仲直りだね」

「あ、あのさ、麗央奈」

「うん?」

 走太は彼女に言った。

「今までのお詫びってわけじゃないけど、俺に何か、出来ることないか?」

「え?」

「迷惑じゃなければ……だけど。やっぱり、何か一つくらい男らしいことしないと、俺の気が済まないっていうか……」

 ただのちっぽけなプライドだけど。

 彼女はしばらく思案していたが、やがて恥ずかしそうに、もじもじと人差し指を突き合わせる。

 頬を赤く染めながら、

「じ、じゃあ、あのね――」

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