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第四章 守る女、守られる男

 幼き日の紅坂麗央奈にとって、小林走太は、かけがえの無い存在だった。

 赤い髪が原因で、他の子達が自分を敬遠する中、走太だけはいつも、自分の傍に居てくれた。

 彼は麗央奈にとって、唯一の友達だった。大切な、大切な友達だった。

 ただ、幼稚園でよく一緒に遊ぶようになって、いつの頃からか、自分が走太に対して、不思議な感情を抱いていることに気付いた。

 走太の顔を見ると、それだけで無性に嬉しくなる。

 彼の前だと何故か、良い自分を演じたくなる。

 彼に触れられると、顔が熱くなって、胸がドキドキする。

 一秒でも長く、彼の傍に居たい。一センチでも一ミリでもいいから、もっと傍に近付きたい。

 大切は大切なのだけれど、それは友達だからというわけではなく、別の意味で大切だった。もっとずっと大切だった。

 この感情は何なのだろうかと知りたくなって、母に尋ねると、

「それは、麗央奈が、走太くんを『好き』ってことじゃないかしら」

「スキ……?」

「そう、『好き』。麗央奈が女の子として、走太くんっていう男の子を大切に思ってるってこと」

「トモダチとしてタイセツなのとは、ちがうの?」

「それも『好き』ってことだけど、麗央奈が走太くんに思っているのは多分、友達とは別の『好き』。麗央奈は、お母さんのことは『好き』?」

「うん、スキだよ」

「じゃあ、その『好き』は、走太くんに思う『好き』と同じかしら?」

 考えると、少し違っていた。

 麗央奈は首を横に振って、胸元をきゅっと押さえる。

「おかあさんのことはスキ。だけど、ソウちゃんのスキとはちがう。ソウちゃんのスキは、もっとこう……ムネがドキドキするの」

 そう言うと、母は麗央奈の赤い髪を優しく撫でて、微笑んだ。

「それはね、きっと、麗央奈が走太くんに、『恋』をしているからよ」

「コイ?」

「うーん、麗央奈にはまだ、難しいかもしれないけど……そうね、麗央奈が走太くんと結婚して、夫婦になりたいってことかしら?」

「け、ケッコン!? フウフって……おかあさんとおとうさんみたいな?」

「そう。お母さんとお父さんみたいに、一緒の家に住むってこと」

 思い返せば、母の話はとんでもなく飛躍していたが、それでも麗央奈は、『恋する』ということの意味を少しだけ理解した。

 何故ならば、麗央奈は、

「そ、ソウちゃんとケッコン……」

 走太と結婚して、夫婦になって、一緒の家に暮らすことを想像して、結構良いかもしれないと思ってしまったから。

 もしも、もしもの話だ。もしも結婚したら。そうしたら。

 ――父が仕事に出掛ける際に、母としているように、キスしたりするのだろうか。

「ソウちゃんと……チュー……」

 胸がドキドキして、顔が熱くなって、熱くなり過ぎて、頭からシューと白い蒸気が上がった。

 その日から、麗央奈は走太のことを、恋愛対象として意識するようになった。

 色々想像したり、勉強熱心になって、テレビの恋愛ドラマを見るようになり、小学校に入るまでの間、『恋』に対する理解を深めていった。走太に対する恋心も、次第に膨らんでいった。

 小学一年生になった時には、恋心が膨らみ過ぎて、走太が別の女の子と会話しているのを目撃して(小学校に通う生徒の半数は女子であり、冷静になれば、走太が他の女子と会話の一つや二つしていても、何の不思議もないのだが)、麗央奈は危機感を覚え、ついに告白までしてしまった。

「ワタシね……大きくなったら、ソウちゃんとケッコンしたい!」

「な、なんだってぇぇぇ――っ!?」

 ドン引きされた。おまけに泣いて逃げられた。

 そのことは凄くショックだったが、告白の翌日からは、走太も多少、麗央奈のことを以前よりも女の子として意識してくれて、顔を赤くしたり、恥ずかしそうにそっぽを向いたりするようになった。

 以前のように、ただの友達ではいられなくなったのは少し寂しくもあったけれど、それでもやっぱり、前よりは走太との距離が縮まった気がして、麗央奈は嬉しかった。

 こうやってずっと一緒に居て、いつか走太も、自分と同じように恋してくれたらいいな――。

 そんな風に思っていた。

 しかし、恋の幕切れは、突然にやって来た。

 ある日、麗央奈はクラスの男子達に体育館裏へと連れて行かれた。腕を掴まれて、ほとんど強制的に。

 小学校に入って、赤い髪の苛めは酷くなる一方だった。が、走太には心配を掛けたくなくて、何より惨めな自分を見られたくなくて、黙っていた。

 体育館裏で、赤い髪を馬鹿にされた。麗央奈は人見知りで、気が小さくて、走太以外とはまとも喋れもしなかったから、幾ら罵られても黙っていることしか出来無かった。

 本当は怖かった。このまま罵られ続けたら、泣いてしまいそうだった。

 でも、麗央奈にだって、許せないことはあった。

 男子が、麗央奈と親しくしている走太まで馬鹿にし始めたのだ。好きな人を馬鹿にされて、それがどうしても許せなくて、怖さなんか忘れて、気付けば麗央奈は、平手で男子の頬を思いっきり引っ叩いていた。

 男子は激昂した。拳で顔を殴られた。次いで、髪を掴まれて、引っ張られる。

 振るわれる暴力に、一瞬忘れていた恐怖が蘇って来た。

(痛い……、怖いよ……!)

 と、その時、麗央奈の瞳が一人の少年の姿を捉えた。

 ランドセルを背負った走太が、校庭の方、体育館の角に立ち、こちらを見ていた。

 走太が、自分を助けに来てくれた。目頭が熱くなった。

「ソウちゃん……! たすけて……!」

 反射的に、そう言葉を漏らしていた。希望の光に手を伸ばす。

 けれど、その手が届くことはなかった。

 走太が、背を向けたのだ。振り返らず、彼は走り去って行ってしまう。

「え……?」

 頭の中が、真っ白になった。

 麗央奈は恐怖した。暴力にでは無い。走太が自分を置いて、行ってしまったことに恐怖した。

 何故? どうして? 走太と目が合った。気付かなかったなんてことはないはず。つまり、走太は――


 自分が苛められているのを見た上で、敢えて放置したのだ。


 その事実を認識した途端、胸にぽっかりと風穴を開けられた気がした。

 男子に突き飛ばされて、体育館の壁にぶつけられる。痛みは感じなかった。

 胸の風穴の方が、よっぽど痛かった。

 男子が拳を振り被る。いっそ、殴ってくれた方が頭がスッキリするかもしれない。

 だが、殴られることはなかった。

「おい! 何してるんだお前ら!」

 寸前で、先生が通り掛かったのだ。

「やべっ! にげろ!」

 男子達が顔を青ざめさせて逃げようとするが、大人の足に適うはずもなく、捕まる。

 先生は麗央奈の顔を見て、男子達以上に顔を青くした。

「こいつらに殴られたのか!? 痣が出来てるじゃないか!」

 すぐに騒ぎになって、他の先生達も体育館裏にやって来る。

 職員室に連れて行かれ、まもなく母が迎えにやって来た。

 母が麗央奈に、何かを言った。男子達の親らしき人達がやって来て、頭を下げた。先生や親に怒られて、男子達は泣きながら、麗央奈に謝った。

 どうでも良かった。そんなのは今、どうだっていい。

 麗央奈の頭の中は、走太のことで一杯だった。

 何故、走太は自分を置いて行ってしまったのか。

 それだけが全てだった。




 翌朝、殴られた頬に湿布を張った麗央奈は、走太と話したくて、彼が隣の家から出て来るのを待っていた。

 何か、事情があったのだ。止むを得ず、麗央奈を置いて行かなければならなかったのだ。……いや、違う。走太はきっと、先生を呼びに行ってくれていたのだ。だからあの時、先生が助けに来てくれたに違いない。

 昨日の放課後からずっと、そのように絶えることなく、自分に言い聞かせ続けている。

 やがて、玄関の扉開いて、ランドセルを背負った走太が現れる。

 道路に踏み出したところで、麗央奈の存在に気付いて、彼は目を見開いた。

「ソウちゃん」

「……」

 麗央奈が口を開くと、走太は視線を逸らす。

 胸に開いた目に見えない風穴が、ズキリと痛む。どうして、こちらを見てくれないのか。

 麗央奈は声を震わせながら、尋ねる。

「あのね……そのね……きのうのことなんだけど――」

「レオナ」

 大声で言葉を遮られる。その視線は、逸らされたまま。

「ソウ……ちゃん?」

 麗央奈が顔を覗き込もうとすると、彼は言った。

「もうオレにかかわるな」

「え……?」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 俺に関わるな――何かの聞き間違えだと思おうとしたが、その直後に、

「オレにかかわらないでくれ……!」

 もう一度、告げられる。

 麗央奈は後頭部を殴られたような気分になった。

「な、なんで……!? ソウちゃん!」

 走太は両手の拳が真っ白になるくらい、強く握り締めていた。

「オレは――」

 その一言は、とても深く、鋭く。


「お前をみすてたんだ!」


 麗央奈の胸の風穴に突き刺さった。剣のように刺し貫いた。

 走太は顔を向けずに、麗央奈の脇を抜けて、走り出す。

 待って、とすら言えなかった。そんな資格は、自分には無いと思えた。

(ワタシは……ソウちゃんにみすてられたんだ……)

 振り返れば、麗央奈はいつだって、走太に助けられて来た。

 コンプレックスの赤い髪を褒めてくれた。友達になって、優しくしてくれた。こんな自分と、文句の一つも言わずに、一緒に居てくれた。

 だというのに。自分は走太に、何もして来なかった。走太を頼って、助けられてばかりで。

 ついには、呆れられてしまった。

 苛められている自分を見て、情けなく思ったのだろう。

 『好き』になんて、なって貰えるはずが無かった。

 こんな気が弱くて、情けない自分が『恋』の対象になど、なるはずが無かった。

 じわりと、視界が滲んだ。

「うっ……く……」

 口から嗚咽が漏れる。俯くと、目からポロポロと雫が零れて、道路を濡らした。

 その内、我慢が出来なくなって、麗央奈は声を上げて泣いた。

「――――――っ!」

 声を聞いた母が玄関を開けて出て来るまで、泣き続けた。


 胸の風穴に深々と刺さった剣は、十年以上経った今も、抜けることはない。




『――坂。紅坂』

 声が聞こえて、麗央奈は閉じていた目蓋を持ち上げる。

「あっ……はい!」

 レッドラスのコクピットモニターに表示されている源平の顔を見やり、返事をする。

『大丈夫かい? ひょっとしてまだ、体調が優れなかったりする?』

 心配そうな顔をする細眼の先輩に、麗央奈は首を横に振る。

「いえ、ちょっと考え事をしていて……。すみません。レッドラスの修復に集中します」

 麗央奈と源平は現在、中間世界に来ていた。

 次元の門の内側、学園の校庭にレッドラスとシラシオンを召喚して、そのコクピットに入り、破損する前の姿を強くイメージして、自己修復を促進させる作業を行っていた。

 ゲートキーパーのボディーは、特殊なナノマシンによって構成されており、キーパーマスターのイメージを反映して、活性化する性質を持っているのだ。

『考え事っていうのは、ひょっとして、小林くんのことかい?』

 再び目を瞑り、イメージを思い浮かべようとしたところで、尋ねられる。

「……」

『あれからもう、一週間か……』

 源平はいつもに増して、目を細める。

 ノーフェイスに敗北し、走太がロボット部の部室に足を運ぶことが無くなってから、七日が経とうとしていた。

 授業も休んで、ひたすら修復作業に専念したおかげで、シラシオンはおよそ五、六割まで回復、レッドラスは失った右腕を再生し、三、四割のコンディションを取り戻すことに成功したが、ノーフェイスと戦うには、全然戦力が足りていない。

 いや、戦力よりも何よりも……麗央奈にとっては、走太が居ないことによる精神的損失の方が、限りなく大きかった。

(走太……)

 一週間前の、保健室での出来事を思い出す。


 ――俺は今だって、お前を見捨てて、逃げ出すよ。


 胸がぎゅっと締め付けられる。苦しくて、心臓の部分を手で押さえる。

「……走太が部室に来なくなったのは、私が走太に頼り過ぎたからなんだと、思います」

『頼り過ぎた……?』

 麗央奈は頷く。

「私が……弱いから」

 どこか無意識に、走太に頼っていた。

 走太とまた、一緒に居れるようになったのが嬉しくて、幸せ過ぎて、甘えてしまった。

 その結果が、これだ。

 頼り切って、走太に負担を掛けてしまった。これでは、昔と何も変わらない。

 馬鹿だ。死ぬ程馬鹿だ。いっそ、死んでしまえ。

 一度は失った幸せを、せっかく取り戻せたというのに、同じ過ちを繰り返して、また失ってしまった。

 十一年間、強くなろうと努力して来たが、全然成長していない。

 モニターの向こうで、源平が複雑そうな顔をする。

『紅坂……』

「大丈夫です、先輩。走太が居なくても、私が何とかします」

 麗央奈はレッドラスの修復作業に戻るべく、瞳を閉じる。

(もっと、強くならなきゃ……)

 強く、もっと強く。




 五月三十日。ノーフェイスが繭に閉じ篭もってから、一週間が経過した。

 走太は麗央奈に怒りをぶつけたあの日以来、ロボット部の部室に行っていない。

 理由は簡単で、もうブラックテイラーに乗りたくないからだった。

 乗れば、あの底知れぬ強さの化け物と戦わなくてはならない。そんなのは御免だった。

 何故なら、走太は、死ぬのが怖い。死にたくない。

 人間として、抱いて当然の感情ではないか。誰が自分を責められようか。

(戦える奴が戦えばいい。俺には無理だ……!)

 この前の戦いで、それがようやく分かった。 

 自分には、戦いが向いてない。どうしたって、恐怖を感じてしまう。

 人にはそれぞれ、出来ることと、出来ないことがある。

 麗央奈や、源平は、戦うことが出来る。自分には出来ない。それだけのことだ。

 走太は授業中、麗央奈の席を見やる。そこには今、彼女は座っていない。一週間前から、ずっと公欠扱いになっていた。

 保健室から逃げ出して以来、麗央奈とは一切、言葉を交わしていない。彼女が家に迎えに来ることも無くなったし、一緒に登下校することも無くなった。

 五月の中旬に激変した生活環境は今、何事も無かったかのように元通りになろうとしていた。

 幼馴染みの少女を見捨てて逃げ出したという苦い過去があって、どうしようもない罪悪感が胸に残っていて、言葉を交わすこともままならない。気まずくて、距離を置いて過ごす。そんな日常の延長に戻ろうとしていた。

 なるようにしかならない、特別な変化も無い、平凡な日常。勉学を程々に頑張って、部活に行くわけでもなく、学校が終わったら、家に帰って、ゲームをしたり、漫画やライトノベルを読んだり、ロボットアニメを観たりする。

 あの日、走太が中間世界に取り込まれるまで過ごして来た、平凡な生活。

(これが、普通だったんだよな……)

 胸が痛むのは、結局、麗央奈に昔のことを謝れなかったからだろうか。

 そう思ったところで今更、謝れるはずもない。自分は、彼女の期待には応えられないのだ。

 麗央奈の席から視線を外して、黒板を見る。教師の言葉を聞きながら、そこに書かれたことを板書する。チャイムが鳴って、教師が教室を出て行き、宮治を含めたクラスメイトの男子達と他愛のない話をして、笑い合う。

 そうやって、授業と休み時間を淡々と繰り返し、昼休みがやって来る。

「宮治、購買に行こうぜ」

 走太は財布をポケットに入れて、席から立ち上がると、いつものように悪友を昼飯調達に誘う。

 ところが。

「すまん、今日は忙しくて、無理なんだ」

 宮治は片手を挙げて、謝るポーズをした。

「何か用事でもあるのか?」

「ああ。学園の情報屋としての仕事でね。これからちょっくら、依頼人の所へ足を運んで来る」

「えっ、宮治が情報屋って、マジ話だったの?」

「今更!? 前から何度もそうだって言ってるじゃん!」

 彼はガックリと肩を落とした後、走太に「ほれ」と切符のような物を手渡してくる。

「ん? 何だこれ」

 受け取って、見ると、それには『たぬきそば』と書かれていた。

「学食の食券じゃないか」

「購買に付き合えない御詫びってわけじゃないけど、期限が今日中だから、お前にやるよ」

「購買組のお前が、どうして学食の食券なんか持ってるなんて、珍しいじゃないか」

「今朝方、別の依頼人から情報料とは別に、貰い受けたんだ。この前のお礼に、一緒にお昼でもどうですか、ってな。相手は同級生の可愛い女子だった。昼休みに、別の依頼人と会う約束をしていたので、残念ながら断ったが」

「いや、そこはたぬきそばを食いに行けよ! 約束をキャンセルしてでも!」

 女の子の方から食事に誘われた(しかも可愛い)というのに、それを断るなんて、勿体無さ過ぎる。

「俺だって、出来るなら彼女と食事をしたかったが、そうは行かない。情報屋ってのは、信頼関係が凄く重要なんだ。だから、依頼人との約束は、何よりも優先しなくてはならない。そんなわけで、その食券はお前にくれてやる。学食で、思う存分たぬきそばを食って来い」

 そんなわけで、走太は食券片手に食堂へ向かう運びとなった。

 廊下を歩いて行き、昇降口を通ろうとしたところで、ちょうど階段を上がって行く、麗央奈の後ろ姿が目に入った。赤いポニーテールが左右に揺れている。

 当然、声など掛けられるはずもない。

 走太は、彼女に見つかる前に、階段を足早に降りる。

 彼女の姿は、これまでも校内で何度か見掛けていた。授業には出ないものの、学校には来ているようで、ロボット部の部室や、生徒会室に出入りしているようだった。おそらく、ノーフェイスと戦う為の準備をしているのだろう。

 宮治によれば、彼女は生徒会の手伝いをしているのだそうだ。「御門学園の生徒会は、他と違って少々特殊らしいからなぁ。生徒会の活動で、何日も公欠が通っちゃうくらいだし」とも言っていた。表向きは、そういうことになっているらしい。

(麗央奈は強いんだ。俺一人が居なくなったところで、どうにかしてくれるさ)

 心の中で自分に言い聞かせて、走太は一階の廊下を進む。

 渡り廊下を通過して、食堂に辿り着く。

 二百席くらいある広い空間は、学生達で賑わっていた。食券を買う必要は無いので、そのまま麺類のブースに並ぶ。長い列が出来ているのは、定食や日替わりランチのブースであり、たぬきそばは五分と待たずに手に入る。

 それをお盆に乗せ、箸を持ち、コップに水を汲んでから、空いていた窓際の席に腰掛ける。

 そうして、たぬきそばを食べていると(一年以上学園に通っていて、初めて食べたが、意外と美味い)、近くを通り掛かった誰かが「あっ」と声を上げた。

 走太は声のした方を見やる。

 そこにいたのは、一人の女子生徒だった。

 中学生みたいに小柄な背丈で、色素の薄い、やや茶色掛かったショートボブの髪は、頭の天辺に、アンテナのようなアホ毛が一本立っているのが特徴的。童顔だが、目鼻立ちは整っており、素朴ながらも可愛らしさに溢れている。

 走太は彼女のことをよく知っていた。何故ならば、彼女は――

「……小林先輩。何やってるんですか、こんなところで」

 生徒会メンバーにして、キーパーアシスト。加えて通信オペレーターという役職を持ち、

「一週間も音沙汰無しだった癖に、いざエンカウントしてみれば、食堂で優雅に昼食とは、いいご身分ですね」

 キツイ物言いで、いつも走太の心を抉ってくれる後輩であった。

 その名を、蓬莱菜美子という。

「な、菜美子ちゃん……」

 彼女は、童顔で大きな瞳をジト目をして、言う。

「個人的には大変遺憾なんですが、他に空いている席が無いので、向かいに座ってもいいですか? 構いませんよね?」

「え、えっと……」

「それでは向かいの席、失礼します」

 気まずくて答えに迷う走太の返事など知ったことか、とでも言うように、菜美子は向かいの椅子を引いて、どかっと腰を下ろす。お盆をテーブルの上に置く。

 お盆には、唐揚げ定食が乗せられていた。

「私、小林先輩に言いたい文句が山程あるんですよ。どんな文句かって、わざわざ説明しなくても、おおよそ想像は付きますよね?」

「……」

「あれから、一週間が経ちました。生徒会の予測ではもう、ノーフェイスがいつ繭から出て来てもおかしくないところまで来ています」

 走太は菜美子の顔を見ることが出来ず、黙って俯き、手元のたぬきそばを眺め続ける。

 菜美子は構わず、口を動かす。

「先輩が生徒会の呼び出しに全く応じなくて、皆困っています。何故、ロボット部の部室にも、生徒会室にも来ないんですか? どうして、授業が終わったら、すぐに帰ってしまうんですか?」

「……」

「後輩相手に、いつまで黙ってるつもりですか、小林先輩」

「俺は……」

「何です?」

「もう、ゲートキーパーには乗らないって、決めたんだ」

「どうしてですか?」

「そんなの……戦うのが怖いからに決まってるじゃないか……!」

 菜美子は溜め息を吐いて、

「とんだヘタレですね」

「ああ、そうだよ。俺はヘタレなんだ。麗央奈や神谷先輩みたいに強くない!」

「つまり、小林先輩は、ゲートキーパーで戦って世界の平和を守ることよりも、自分の命の方が大事ってことですか?」

「それの何が悪いんだよ……。普通の人間は、死ぬのが怖い、死にたくないって思うだろ!?」

「先輩、馬鹿じゃないですか?」

「なっ……!?」

「確かに、私だって、死ぬのは怖いです。けど、先輩は大事なことを忘れてます。もしもこのまま、ノーフェイスを倒すことが出来ずに、現実世界への侵入を許したら、どうなりますか? 冗談抜きに、世界は滅びますよ。そしたら当然、小林先輩も死にます」

「っ……!」

 走太は顔を上げて、後輩の少女を見る。

「先輩は、現状を見て見ぬフリして、逃げてるだけです。ピーマンが嫌いだから食べませんって、ワガママを言ってるようなもんです。死ぬのが怖いから戦わない? 言っておきますけど、今回は戦わないと死にますよ、先輩」

 お盆から味噌汁のお椀を手に取り、口を付ける菜美子。唐揚げを食べ、ご飯を口に運ぶ。

 彼女はもぐもぐと口を動かし、飲み込む。

「……あと、小林先輩、他の二人の先輩を強いって言いましたけど、何をもって強いと判断してるんですか? 戦うことに恐怖を感じてるのが、自分だけとでも思ってるんですか?」

「え?」

「だとしたら、勘違いも甚だしいです」

 菜美子はテーブルに身を乗り出し、走太に顔を近付け、至近距離から言う。

「自惚れないで下さい。怖いのは皆一緒です」

 意思の篭もった大きな瞳に圧倒される。言葉が出ない。

 彼女は視線を外さぬまま、続ける。

「怖さを感じない人間は、心が麻痺しているだけです。それは強さでも何でもない。強い人間っていうのは、恐怖を感じてもなお、勇気を振り絞って前に進む人のことを言うんです。先輩は自分のことを強くないって言いましたけど、それはただ、強くなろうとしていないだけです。努力を放棄しているだけです」

 そこまで言って、菜美子は近付けていた顔を離し、席に座り直す。

「小林先輩が怖いという理由で戦わないのは、ただの言い訳です。紅坂先輩も、神谷先輩も、生徒会メンバーの皆も、どんなに怖くたって、誰一人逃げ出さずに、ノーフェイスと戦おうとしています。他ならぬ、自分達の世界を守る為に。それを知ってなお、何もせず戦わないと言うのなら、先輩はもはや、ヘタレですらありません」

 彼女は箸で唐揚げを挟み、齧った。

「ただのクソ野郎です」

 後はもう、何も言わず、ぱくぱくと唐揚げ定食を平らげる。「ごちそうさまでした」と言って、お盆を持ち、彼女は席から立ち上がった。

 走太にだって、反論したいことは山程あった。でも、それよりも考えることの方が多かった。頭の中で色んな考えがぐるぐると回っていた。

 菜美子は去る直前、たぬきそばも食べず、閉口する走太に言った。

「……目上の方に対して、色々と失礼なことを言いました。ご無礼をお許し下さい」

 そうして、頭を下げる。

 走太は驚いて、目を見開いた。

「菜美子ちゃん……!?」

「私は、小林先輩は別に、ヘタレのままでもいいと思ってます」

「え?」

「それだけです。では」

 彼女はもう一度会釈して、背中を向けると、振り返ることなく食堂から出て行く。

 その後ろ姿が見えなくなるまで、走太は眺めていたが、やがて、たぬきそばに向き直る。

(俺は……)

 とりあえず、麺が伸び切る前に食べてしまうことにした。




 たぬきそばの次は、ラーメンだった。

 午後の授業は、ノートの板書をこなすだけで、頭の中では菜美子に言われたことをずっと考え続けていた。

 かといって、放課後になり、ロボット部の部室、もしくは生徒会室に行く気にはなれない。

 誰も居なくなった教室に一人残り、窓際の机に尻を乗せ、校庭の様子を眺める。

 陸上部がトラックを回り、サッカー部が実戦形式の練習を行っている。

 そうしている内に、背後から声を掛けられた。

「小林くん」

 振り向くと、教室の扉のところに、細眼の男子生徒が立っていた。

「神谷先輩……」

「やあ」

 いつもの爽やかさで、神谷源平は微笑む。

「えっと、先輩、俺は……」

 走太が何を言うべきか迷う中、彼は教室に入り、歩み寄って来る。

「一週間ぶりだね。元気にしてたかい? 全く音沙汰が無かったから、結構心配してたんだよ?」

「すみません……」

「メールには返信してくれないし、電話にも出てくれないからさ。こうやって、直接出向くことにしたんだ。二年生玄関で待っていたんだけど、教室に居たんだね」

 そう言って、源平は走太の肩をポンポンと叩く。

「俺を呼び戻しに来たんですか?」

 走太は彼の顔色を伺いながら、尋ねる。

「違う……とは言い切れないけれど」

 源平は首を横にも、縦にも振らず、走太の肩に手を置いたまま、

「ただ、僕は先輩として、このまま小林くんと何も話さずに終わってしまうのはいけないと思ったし、個人的にも、何か嫌だった。考えてみればさ、僕と小林くんって、私的に話したことが、一度も無かったじゃない? あくまで公的な先輩と後輩としての間柄だったっていうかさ。だからーー」

 親指で教室の出口を示しながら、言った。

「一緒にラーメンでも食いに行かない?」




 源平と共に向かった場所は、御門駅の駅前にある、最近オープンしたばかりのラーメン屋だった。

 クラスの男子達と会話していた時に一度、「駅前のオープンしたラーメン屋が、かなり美味くてさー」と話題に上がったことがあり、走太も機会があれば来てみたいと思っていた。

 ここ最近は、麗央奈やゲートキーパーのことで色々あったから、この店の存在はすっかり忘れていたのだけれど。

 まさか、こんな形で来ることになるとは思わなかった。

 店の前には長蛇の列が出来ており、源平と二人並んで、待つことになった。

 前に並んでいる源平が、細い目を振り向かせて、言う。

「いやー、結構並んでるねー」

「は、はい……。二十人くらい並んでますね」

「校内で話題になるだけあるよね。部活終わりの時間帯がピークだって聞いてたから、放課後すぐに来てみたんだけど、まさかこれ程とはね……。一体、ピークの時間帯にはどれだけ並ぶのやら」

「そ、そうですね……」

「……もしかして、小林くん、僕と話すの、結構緊張していたりする?」

「あっ、いや、そんなことは……!」

 口ではそう答えたが、実際はかなり緊張していた。

 一歳年上の先輩であることを意識しているのもあるし、一週間逃げていたことによる気まずさもある。

 ロボット部の部室で話す時は、いつも麗央奈が居たし、源平とこうやって二人きりで落ち着いて話すのは、実は初めてだった。

 源平は手をひらひらとさせる。

「そんなに肩肘を張らなくてもいいよ。たった一個違うだけなんだし。それに今は、男同士、交流を深める為に来てるわけだしさ」

「す、すみません。俺……この間までずっと、帰宅部だったんで、高校に入ってから、上級生と話す機会とか全然無くて」

「他の人がどうなのか知らないけど、僕は、学年とか関係なくて、後輩とは友達になりたいと思ってる。実を言うと、こうやってさ、放課後に後輩と食事に行くの、割と夢に見てたんだよね」

「えっ、でも、麗央奈とか、生徒会メンバーの二年生がいるじゃないですか」

「そうなんだけど、ほら、紅坂は女の子で異性だし、生徒会メンバーは、僕の直接の後輩ってわけではないじゃない? だからなんか、『僕と友達になりませんか』って理由だけでわざわざ誘うのは、どうなのかなって思っちゃってさ」

「……神谷先輩でも、そういうことに躊躇ったりするんですね」

「あれ? 何かそのニュアンスだと、僕が物凄く押しが強い人間みたいに聞こえるんだけど……」

「俺をキーパーマスターとして、ロボット部に引き込んだのは、先輩じゃないですか」

 忘れたわけではあるまい。

「そこはまぁ、ゲートキーパーが二体しか居なくて、おまけに僕のシラシオンは修復中で、戦力不足だったのが大きいかな。男のキーパーマスターが選ばれたっていうのを聞いて、いよいよ僕にも男の後輩が! って嬉しくなったのもあるけど」

 源平はそこで一端、言葉を切る。

 並んでいる列が五、六人進む。

「話は変わるけどさ」

「はい」

「小林くんって、紅坂のこと、好きなの?」

「でええっ!?」

 走太は思わず奇声を上げた。

 源平は、にやにやと楽しそうな笑みを浮かべる。

「好きなんだ?」

「いや、その……何というか……」

「やっぱりなぁー、そうだと思ったんだよね。どんなところが好きなの?」

「どんなところって……」

「色々あるじゃない。整ってる顔立ちだとか、胸が大きくて、腰が細くて、モデル体型なところとか。性格も面白いと思うし」

「……」

 走太は、ぱくぱくと金魚のように口を動かすだけで、何も言えない。顔が猛烈に熱かった。

 源平は特に問い詰めようとはせず、

「まあ、いいさ。今日ラーメン屋に誘った理由の二つ目は、紅坂のことについてなんだ」

「麗央奈の……?」

「うん。小林くんも知っての通り、ノーフェイスが繭に篭もってから、一週間が経つ。生徒会が繭の内部を解析したんだけど、明日にでも繭から出て来る可能性が高いという予測が出た」

 その話は、今日の昼休み、菜美子からも聞かされていた。

「僕はね、小林くん。君が戦いから逃げ出しても、仕方が無かったと思ってる」

「え?」

「だって、余りにも酷いじゃないか。この間のジャガーも、今回のノーフェイスも、小林くんが戦う必要を迫られている」

 源平は顔を前に向けて、続ける。

「僕や、去年まで戦っていた先輩達は、比較的弱い次元獣を相手にすることで、戦闘に慣れていった。

 ところが、君はそうじゃない。最初から、死闘だ。戦闘経験があろうが無かろうが、自らの生命と世界の命運を賭けて戦わなければならなかった。

 それを知っていながら、僕は君の背中を押した。戦力が足りず、状況が切迫していたから、強引でも何でも、君に戦闘を押し付けて、成長を促したんだ。

 けど、この前の戦いは余りにも酷過ぎた。成長を促すとか、そんなこと言ってる場合じゃなくて、危うく君を死なせ掛けた。完全に僕の判断ミスだ。ノーフェイスがいかに強いか、分かっていたはずなのにね。

 ……あんな経験をしたんだ。小林くんが逃げ出すのも、無理は無いよ。

 今では凄く反省してる。……ごめん」

「神谷先輩……」

 源平の真面目な言葉に、走太は何も言えなくなる。

 沈黙が流れている間に、列がまた数人進む。

 前を向いたまま、源平が口を開く。

「ただ、それでも、どうしても小林くんに知って置いて欲しいことがあったんだ」

「……それが、麗央奈のことなんですか?」

 彼は頷いて、

「詳しいことは、ラーメンを食べながらにでも話すよ」




「ノーフェイスと戦う以前にさ、僕のシラシオンが、修復中だって話をしたじゃない?」

 ラーメン屋に入り、二人席に腰掛け、この店の看板メニューであるトンコツラーメンを食べながら、源平は語る。

「はい」

「当然、次元獣と戦闘した結果、損傷を受けたんだけどさ」

 源平の話によると、シラシオンが損傷を受けた戦闘は、今から一ヶ月半程前のこと。

 相手はかなりの強さを持つ次元獣であったらしく、源平と麗央奈は、二人がかりで戦っても、苦戦を強いられたのだという。

「僕が接近戦を担当して、紅坂には中距離からの援護を頼んでいた。基本的には、いつもそれで戦っていたんだ。でも、その日は敵の次元獣が強力で、僕が押され気味だった」

 その状況を見兼ねたのだろう、麗央奈は中距離の援護を止めて、源平が決定打を与える隙を作るべく、敵に接近戦を挑んだ。

 しかし、その判断は間違いだった。

「紅坂は接近する途中で、次元獣から逆に隙を突かれてしまったんだ。そこから一気に押されて、レッドラスはピンチに陥った」

 接近戦では持ち味の火力が十分に活かせず、反撃の糸口を掴めぬまま、レッドラスは押され続けた。

「このままではいけないと思って、僕は紅坂に、一旦距離を取るように言った。けれど、何故かレッドラスはその場から退こうとはしなかった。それどころかーー」

 気付けば、レッドラスはガードすらしようとせず、その場で棒立ちになっていた。

 次元獣がそこを狙わないはずは無く、レッドラスは危うく破壊されそうになった。

「僕はすかさず飛び込んで、次元獣の攻撃を受け止めた」

 シラシオンが、次元獣からレッドラスを庇ったのだ。

 その後、源平は何とか次元獣を撃破する事に成功したが、シラシオンは、庇った際に受けた大きなダメージで、一ヶ月以上に及ぶ修復を余儀なくされた。

「問題は、その後だった。戦闘が終わったというのに、レッドラスに動く気配が無かったんだ。何かあったのかもしれないと思って、通信で呼びかけたらーー」

 源平はラーメンを一口食べてから、言う。

「紅坂は、泣いていた」

「え……?」

「コクピットの中で、膝を抱えて、震えて、泣いていたんだ」

「麗央奈……が……?」

 どうして、という言葉が、頭の中で反芻される。

「僕も、正直驚いた。紅坂は、ゲートキーパーに初めて乗った時から、泣き言の一つも漏らさなかったから。学園で噂される通りの、常に凛として格好良い女の子だと思っていた。でも、違ったんだ」

 呆然とする走太に、源平は告げる。

「紅坂はさ、怖かったんだよ、本当は。それをずっと、我慢して、戦ってたんだ。考えてみれば、当たり前のことだった。十代の女の子が、あんな得体の知れない怪物と戦って、怖くないはずが無かったんだ。僕が勝手に、紅坂はこういう奴だ、って思い込んでただけで」

「……」

 走太はトンコツラーメンを食べることも出来ない。

「ただ、泣いていたのは、その時だけで、翌日には『申し訳ありませんでした。ご迷惑をお掛けました』って、ロボット部の部室にやって来て、頭を下げた。紅坂は、それから強い意志が篭もった瞳で言ったよ。『もっと強くなります』って」

「あっ……」

 それはかつて、走太も保健室で聞いた言葉だった。

「その言葉を聞いて僕は、思ったんだよ。紅坂は、何か理由があって、強くなろうとしてるんじゃないかって。理由は聞けなかったけど、彼女の戦いを見ていると、そんな風に思う。どこか、無理を通そうとしている。僕が出撃出来なくなってから、ずっとそうなんだ。被弾するのを恐れずに、敵の懐に飛び込んだり、パワーで強引に敵をねじ伏せたり」

「……」

「だから多分、次のノーフェイス戦も相当な無茶をすると思う。今回のことで、小林くんが部室に来なくなって、紅坂は小林くんに頼り過ぎたって、責任を感じてた。きっと、いつも以上にがむしゃらに戦おうとする。下手をしたら……命を落とすかもしれない」

 麗央奈が、命を落とす。

 その言葉に、走太は動悸が激しくなる。

「でも、かといって、ノーフェイスと戦わないわけには行かない。次の戦いで奴を倒さなければ、今度こそ次元の門は突破される。それを阻止するには、紅坂の力が、どうしたって必要なんだ。お前は無茶をするから出撃するな……なんて、言える状況じゃない。僕だって命を賭けて戦うことになるだろう」

 源平は、細い目を開いて、走太を見た。

「いずれにしても、小林くんには、紅坂のそういう部分を知って置いて欲しかった。君にとって、紅坂は大切な存在のはずだろうから。僕は君に、後悔して欲しくない。だから、彼女を守る為にも、小林くんにはもう一度、ブラックテイラーに乗って、力を貸して欲しいと思う」

 そこまで言って、源平は目を細くし、「ラーメンが伸びちゃうから、食べよう」と箸を動かす。

 走太は頷いて、トンコツラーメンを口にする。

 ラーメンを汁も含めて完食し、会計を済ませて、店を出る。

 日は傾き、駅周辺の街並みは、オレンジ色に染まりつつあった。

 走太が駅の方へ向かおうとすると、源平は足を止めて、

「じゃあ、小林くん。僕は今日、学校に泊まるから」

「泊まる……?」

「ほら、いつノーフェイスが繭から出て来るか分からない状況だし。家に帰ろうにも、何となく、落ち着かなくてね」

「俺は……」

「小林くんは一旦、家に帰って休むといいよ」

「いいんですか?」

「考えることもあるだろうしね。万が一ノーフェイスが出て来たら、伝わって来る感覚で、小林くんにもそのことが分かるはずだよ。後の判断は、君に任せる。もしも戦いたいと思うなら、その時は、心の中でブラックテイラーに強く呼び掛ければいい。きっと、君を中間世界に導いてくれるはずだ。……そんなわけで、今日は食事に付き合ってくれてありがとう。小さな夢も叶って、僕としては楽しかったよ」

 彼は爽やかな笑みを浮かべ、手を振り、

「またね、小林」

 背中を向けて、去って行こうとする。

「神谷先輩!」

 走太は彼を呼び止めた。

「なんだい?」

「先輩も……次元獣と戦う時は、怖いですか?」

 彼は最初、驚いたような顔をしていたが、やがて頷く。

「もちろん、怖いよ」

「じゃあ、どうして先輩は、怖いのに戦うんですか?」

「怖いのにどうして、か……。うーん、僕の場合はそう……『意地』かな」

「意地?」

「去年まで一緒に戦ってた先輩から、後を任されたことによる意地。今まで先輩達が守って来たものを、僕が守らないわけにはいかない。それから、先輩がかつて僕を守ってくれたように、僕も後輩を守らなくてはいけない。だから、僕は怖くても戦うんだと思う」

 源平は、「こんな答えでいいかな?」と首を傾げる。

 走太は頭を下げて、答えとする。

 ロボット部の先輩は、今度こそ手を振り、去って行った。

 源平に言われた通り、走太は家に帰った。

 風呂に入って、自分の部屋に行き、明かりを点けぬまま、ベッドに仰向けになった。身体は妙に疲れていたが、頭の方は麗央奈やノーフェイス、菜美子や源平の言葉について考え続けていて、なかなか寝付けなかった。

 走太は自室の暗い蛍光灯から垂れ下がる紐を見て、特に意味も無く、手を伸ばす。届かない。

 起き上がれば、その紐を引いて、明かりを点けることも出来るだろう。

 しかし、走太は伸ばしていた手を諦め、ぼふっとベッドに落とす。




 ――そうして、いつの間にか眠ってしまったらしい。

 瞼をゆっくりと開け、薄暗い部屋を見回すと、カーテンの隙間から朝日が射し込んでいた。

 枕元の目覚まし時計が示す時刻は、六時二十八分。

 何か不気味な感覚に襲われて、飛び起きるというようなことは無かった。ということは、ノーフェイスはまだ、繭から出て来ていないはずだ。

 カーテンを開ければ、いつもと変わらぬ世界がそこにある。

 ついでに、源平からメールが来ていた。受信時刻は、午前六時ジャスト。


『今のところ、繭に異変無し』


 安心する一方で、強大な敵がまだそこに存在しているという事実を突きつけられて、身震いもした。

 目覚まし時計のアラームを切り、寝間着から制服に着替え、鞄を持ち、一階に降りる。

「おはよう」

 麗央奈が起こしに来なくなって、ここ一週間機嫌の悪い母に挨拶をすると、返事の代わりに「ふん」と鼻を鳴らされる。

 走太は食卓の席に腰掛けて、テレビを点けて、朝のニュースを観る。

 母は台所に立って、朝食を作っている。

 ふと、

「クソガキ」

 母が口を開いた。

「なんだよ、母ちゃん」

「麗央奈ちゃんは、いつになったら、家の食卓に顔を出してくれるんだ?」

「……」

 答えられなかった。

「さっさと仲直りしやがれ。面倒臭いことしてんじゃねぇ、このヘタレ」

「……うるせぇよ」

「走太」

「え?」

 名前で呼ばれて驚き、台所の方を見やった。

「お前のヘタレさと、何かを抱え込もうとする癖は、間違いなく俺からの遺伝だよ」

 母は手元を見つめ、調理を続けながら、

「俺はさ、高校で走一さんに出会ったんだけど、もしも走一さんが告白してくれなかったら、俺は一生、走一さんに自分の気持ちを伝えられなかったと思う。そしたら多分、今も独身だった」

「と、父さんが告白したの!?」

 絶対に逆だと思っていた。のほほんとしている父に対して、母が「てめぇ、今日から私の恋人になれ!」というような感じで迫って、押し切ったのだろうと考えていた。

「小学一年生の時に、お前、麗央奈ちゃんと喧嘩して、疎遠になっただろ。俺がどんなに問いただしても、キレて拳骨を喰らわしても、お前は絶対に口を割ろうとはしなかったよな。『俺はもう、麗央奈と関わらないんだ!』って、強く言って」

「……うん」

 十一年前、何があったのかは、母にも父にも言っていない。これは自分の問題だ、自分が一生抱えて行くべき胸の傷だ、と幼心に思ったからだった。

「俺はお前の目を見て、何も言えなくなった。何かを強く抱え込む目。やっぱりお前は、俺の血を引いてんだな、って思ったよ。普段は全然怒らない走一さんも、あの時ばかりは本気で怒ったよな。それでもお前は、何があったか答えなかった。

 ……けどさ、この間、麗央奈ちゃんがお前を起こしに来た。十一年間疎遠だった麗央奈ちゃんが、昔みたいにお前と仲良くなっていた。俺は……本当に嬉しかったんだぜ? 同時に、走太、お前は俺とは違うんだって思った」

「違うって?」

「お前は、走一さんの血も引いてるってことさ」

「父さんの?」

 母は頷く。

「俺に告白して、相思相愛の言葉を引き出させた、イケメンの血を半分、お前は引いてる。十一年掛かったけど、それでもお前は、麗央奈ちゃんと和解してみせた」

「それは……偶然に偶然が重なっただけだよ」

「だとしても、お前は、俺と違って、自分の気持ちを素直に言えるはずなんだ、きっと。俺はそう信じることにした。だから、十一年前は諦めたが、今回は諦めない。俺は何度だって、お前を罵倒する!」

 彼女は台所から、走太の方へ歩き出し、言った。

「さっさと麗央奈ちゃんと仲直りしろ、このクソガキ! また十一年も掛ける気か? さっさと今日中に謝って、明日の朝からまた、起こしに来て貰え!」

 食卓の前まで来て、手に持っていた丼を、走太の前にドン! と置く。

「必勝祈願だ。食ってけ、ヘタレ息子!」

「うおっ!?」

 出された朝食は、なんとカツ丼であった。

「どうだ、美味そうだろう? 俺の自信作だ!」

「いや、朝からこれはちょっと……」

 胃がもたれそう。

「うるせぇ! ごちゃごちゃ言ってない食え!」

「ちょっ、俺の箸! 何!? 無理矢理食わせる気なの!? 分かった、自分で食うから! カツをこっちに近付けないで! 熱っ!?」

 やがて、二階の寝室から降りてきた父が、走太達を見て、「今日も二人は仲が良いね。思わず妬いてしまうよ」と言って、微笑んだ。




 母に背中を押されて、家を出て、一人で電車に乗り、学校に着く。

 麗央奈の席を見やるが、そこには誰もおらず、朝のHRが始まっても、その空席が埋まることは無かった。

(どうする、俺……)

 走太は未だに悩んでいた。

 今すぐにでも、ロボット部の部室に行くべきかどうか、考えていた。

 いや、行くべきなのは分かっている。そんなことは最初から知っている。

 菜美子ちゃんの言う通り、死ぬのが怖いからと言い訳をして、逃げているだけだ、自分は。

(だからって、決められねぇよ、そう簡単には……)

 何故なら走太は、今日までずっと逃げ続けて来た。

 怖いことや、辛いことと戦わず、それらから逃げることで生きて来たのだ。

 昨日の今日で、「逃げずに戦え!」と言われても、その術が分からない。どうやって戦えばいいのか分からない。

 どうやったら自分は、ここから一歩踏み出せる?

 どうやったら、その勇気が手に入る?

「小林くん」

「えっ?」

 名前を呼ばれて、顔を上げると、英語担当の女性教師が、教卓のところから走太を見ていた。

「ぼーっとしているようなので、指名させて頂きました。この英文を訳して下さい」

「あ……はい」

 気付けば、朝から大分時間が経過しており、今はちょうど、三時限目の『英語』の授業中だった。

 走太は席から立ち上がって、黒板の英文を見やり、訳そうとして――


 全身を内側から揺さぶるような感覚に、よろけた。


「ぐっ……!?」

 膝が折れて、崩れ落ちそうになる身体を、両手を机に着いて、支える。

 その際に机がズレて、大きな音が教室内に響く。

 英語教師が驚いた顔をし、クラスメイト達が振り向いて、走太を見た。

「だ、大丈夫ですか、小林くん? ひょっとして、具合が悪かったりする?」

 戸惑いの声を上げる英語教師。

 走太は返事をすることが出来ない。それどころじゃ無かったからだ。

 心が激しくざわめいて、鳥肌が立つ。

 ついに、この時が来てしまった。

 源平が言っていた通り、走太にも分かった。

(ノーフェイスが……繭から出て来る……!)




 中間世界のショッピングセンターは、一週間前から半壊したままの姿で存在し続けている。

 放って置けば、現実世界と同じ形に再生するはずなのだが、ショッピングセンターの中心にある巨大な繭が、それを妨げていた。

 全長四十メートル程の、硬質な、鉄色の繭。

 そして今、繭の表面には亀裂が走り、中から次元獣が姿を現そうとしていた。

 金剛雅は、指令室のメインモニターで、その光景を眺める。

「思っていたより、長く繭に閉じ篭もっていたな……。まぁ、その方が有り難かったわけだが」

 どうせ長く閉じ篭もるなら、シラシオンとレッドラスの修復が完全に終わるまで、待っていて欲しかった。

 繭の亀裂は全体に広がり、上面を突き破って、そこから一本の腕が覗く。

 さらに一本、腕が飛び出して、開いた穴をこじ開けて行く。

 やがて、爆発するように繭の外殻が全て弾け飛んだ。

 そこには、一週間前と同じ、背中に翼、双肩にキヤノン砲を生やしたシルエットの、人型が立っていた。

 以前と異なるのは、全身タイツのようなボディーの色が、鉄色から真珠に似た白色――つまりはパール色に変化していること。表情を作るパーツを持たない顔面は、美しい虹の光彩を放って、さらに不気味な物へと変貌を遂げている。

 果たして、次元獣『ノーフェイス』は、一週間の休息を経て、再び活動を開始した。

 鈍い印象だった鉄色のボディーを捨てさり、煌びやかなパールカラーを全身に纏ったノーフェイスは、背中に生えた翼も合わせて、雅には、シラシオン以上に天使らしく見えた。

 ただ、あれはシラシオンと違って、人類を守ってくれるような守護天使ではない。

 人類に裁きを下す為に舞い降りた、恐るべき使徒だ。

 いや、創造と再生の能力を持つノーフェイスは、使徒と言うよりも神そのものと言った方がいいのかもしれない。

 だが、相手が神だろうが何だろうと、自分達は戦って、倒さなければならない。

 他ならぬ、自分達の世界を守る為に。

「蓬莱!」

「はい、生徒会長」

 インカムを付けた菜美子が、パソコンから雅に視線を移す。

 雅は彼女に言った。

「神谷、紅坂の両名に、通信を繋いでくれ」

「了解です」




「来た……!」

 朝からレッドラスのコクピットに入り、源平のシラシオンと共に機体の修復作業を進めていた麗央奈は、全身を駆ける振動に、閉じていた瞳を開ける。

 中間世界という空間が、大きなエネルギーを感じて、軋み、揺れていた。

 モニターのウィンドウに映った源平が、頷く。

『どうやら、そうみたいだね。昼間を選んでくれたのは、不幸中の幸いというべきか。悪くない時間帯だ。心の準備も出来ていたしね』

 と、モニター上に新たなウィンドウが開き、そこに生徒会長の姿が映し出される。

『神谷、紅坂。状況はお前達にも分かっているな? たった今、ノーフェイスが繭を突き破って、活動を再開した』

『金剛。ノーフェイスの外見は、以前と比べて、何か変化はあった?』

『想定パターンの範囲内だ。シルエットは全く変化していない。翼とキヤノン砲は生えたまま。変わったのは身体の色で、真珠のような白色――パール色に変化していた』

『ということは、作戦は、昨日の打ち合わせ通りでいいんだね?』

『ああ。ノーフェイスがブラックテイラーと同じように、イメージすることで身体構造を変化させているのだとすれば、奴も必ず、アレを持っているはずだ』

『了解した。紅坂、そういうわけで、レッドラスの火力に頼ることになるけど、大丈夫かい?』

 モニター越しに二人の話を聞いていた麗央奈は「はい」と力強く頷く。

「それで問題ありません」

 レッドラスのコンディションは、本来の三、四割。

 最大火力のクリムゾンノヴァを放っても、ノーフェイスに致命的なダメージは与えられないだろう。

 しかし、足りない出力は、気力でカバーする。強い自身をイメージすれば、レッドラスはそれに応えてくれるはずだ。

 ゲートキーパーとは、そういう機体なのだ。

 源平がしばし考えるように沈黙していたが、口を開く。

『よし、なら出撃しよう。小林が来るにせよ、来ないせよ、作戦通りに行動する』

「……」

 走太の名前が出て、麗央奈は胸が少し痛んだ。

 彼は多分、来てくれないだろう。

 走太に頼ってはいけない。自分が強くならない限り、彼は自分の傍に居てはくれない。

 だから、この戦いは、走太の力を借りずに勝つ。

 ノーフェイスを倒して、自分が強くなったことを証明する。

『行こう!』

「……はい!」

 シラシオンが白銀の翼を広げ、南方の空へと飛び立つ。

 麗央奈もレッドラスのブースターを点火し、後に続く。

(お願い。私に力を貸して、レッドラス……!)

 操縦桿を握り締め、イメージする。

 恐れず、挫けない心。

 堅固たる装甲を持ち、圧倒的火力で全てを突破する、レッドラス。

 どうか自分に、何にも負けない強さを。




 源平は、シラシオンをノーフェイスのもとへ向かわせながら、モニターのウィンドウに映る、険しい顔立ちをした麗央奈を見やる。

 彼女はおそらく、走太は来ないと考えているのではなかろうか。

 そんな気がする。

 走太や麗央奈には言っていないが、十一年前、幼かった二人に何があったのかを源平は知っていた。ゲートキーパーのことも含め、学園内のことに詳しい崎原宮治から、教えて貰ったのだ。

 珍しく情報の提供に渋っていた宮治だったが、一週間前からロボット部の部室に来なくなった走太や、黒い瞳に何か決意のようなものを秘めつつも、時折浮かない顔をする麗央奈に、先輩として何か出来ることをしたいのだと言うと、協力してくれた。

 源平は背後の御門学園の方に、視線を向ける。

 そこに、ブラックテイラーの姿は確認出来ない。

(小林……)

 麗央奈が諦めてしまっていても、源平は最後まで諦めずに待とうと思う。

(紅坂を助けてやれるのは、君だけだ)

 物理的に守るだけなら、自分にも出来る。

 しかし、本当の意味で彼女を救ってやれるのは、走太だけだ。

 ノーフェイスとは、どんな状況になろうが全力で戦う。けれど、ブラックテイラーが加勢に来てくれることを信じようと思う。

 希望に縋るとか、そういうことではない。もっと純粋に――

 ただ先輩として、後輩を信じたいのだ。

(僕は、小林に言いたいことは全部言った)

 後は、あの男に託す。

 そして、走太を信じる。

『神谷先輩! ノーフェイスを目視で確認!』

 麗央奈の言葉に、源平は前方へと向き直る。

 繭が存在していたショッピングセンターから少し北――御門学園側の位置を、全身パール色の巨人が歩いていた。

 分割線の少ないボディーと翼を、美しいパール色で染めた次元獣は、一種の神々しささえも感じさせる。天使、使徒、神といったワードが、源平の頭の中で回る。

「シラシオンとキャラが被ってるじゃないか……!」

 思わず口走る。

 雰囲気は似ているが、スペックでは、再生や創造が出来るノーフェイスの方が、圧倒的に上だ。

「紅坂」

『はい』

「作戦の通り、まずはとにかく、頭部と胴体を狙って攻めて、損傷を与える。それで倒せるなら万々歳だけど、金剛の考えが合っているなら、おそらくノーフェイスは極力避けて来るはずだ。外見のシルエットは変化していないけれど、以前とは異なる能力や兵器を使用して来る場合もある。慎重に攻撃を行ってくれ」

『了解です』

「じゃあ、まずは初撃。ミサイルで派手に頼む!」

『はい! 行きます!』

 麗央奈が言い、レッドラスの肩と、脚部のアーマーにあるハッチが展開する。

『ターゲット……ロック! ミサイル一斉発射!』

 合計二十発のミサイルがまとめて放たれ、ノーフェイスへと一直線に向かって行く。

 源平は、シラシオンの翼のブースターを全開にして、突撃を開始する。

 真正面から襲い来る二十発と一体の脅威に気付かないはずが無く、ノーフェイスは肩のキャノンを構えて、迎撃しようとする。

「させない!」

 源平は向かうミサイルの隙間を縫って、シールドの先端を向け、ビーム砲を撃つ。

 ノーフェイスが身体を捻って、それを回避。

 だが、牽制としての意味は果たした。ノーフェイスはミサイルの迎撃に間に合わなかったのだ。

 二十発全てのミサイルが着弾し、市街地の真ん中で盛大な爆発が起きる。もうもうと上がる黒煙。

 源平は反撃に警戒しつつ、黒煙が収まるのを焦らずに待つ。

 攻撃を受けたノーフェイスは、右翼と右腕を失っていた。見事なまでに、粉々に破壊されている。

「やはり……!」

 雅の予測は、当たっていた。


 ノーフェイスの身体は、一週間前よりも脆くなっている。


 雅によれば、

「ノーフェイスが、その身体構造を現実世界に進出する為の仕様に変更したとすれば、情報密度が同じでも、一週間前のような防御力を保つことは不可能だ。現実世界に存在し得る素材で身体を構成しなくてはならない。故に、ノーフェイスは以前よりも身体が脆くなるはず」

 とのことだった。

 ノーフェイスが繭から出て来るのを待った理由の一つが、これであった。

(これなら、勝算はある……!)

 源平はすかさず、シラシオンを急加速させて、パール色のボディーに肉薄する。

 右腕と右翼を再生される前に、与えられるだけダメージを与える。出来るならば、そのまま押し切って倒す。

「はぁぁぁ!」

 強い斬撃のイメージをブレードに乗せて、振るう。

 ノーフェイスの左腕を、根本から切り取った。

 これで今、ノーフェイスは避ける以外に防御方法が存在しない。

 行ける、と源平は思った。

 振るったブレードの柄を、シラシオンの両手のマニピュレーターで、ぐっと握り締める。

「これで!」

 胸部のど真ん中に向けて、刺突を放った。

 この至近距離では、避けようとも間に合わない。

 白銀のブレードがノーフェイスのボディーを刺し貫く……はずだった。

 しかし、次の瞬間。

「なっ……!?」

 ノーフェイスは両腕を再生させて、真剣白刃取りでブレードを受け止めていた。

 タイムラグなど微塵もなく、一瞬で損傷面から腕が生えて、そのまま防御行動に出たのだ。

 恐るべき再生速度。まさに超速再生。

 源平は、このままではまずいと回避行動に出るべく、ノーフェイスと距離を取ろうとする。

 が、白刃取りされたブレードが抜けない。微動だにしない。

 わずか数秒、その場に立ち止まってしまったことで、隙が生まれる。

 ノーフェイスの破壊されていた右翼が瞬時に原型を取り戻す。両翼合わせて十機のダンシングフェザーが射出される。

「くっ……!」

 源平はかろうじてそれに反応、回避が間に合わないと判断して、シラシオンの翼からもダンシングフェザーを放つ。

 シラシオンに向けて一斉に銃口を構えた敵の遠隔誘導端末を、味方の遠隔誘導端末で全て撃ち落とす。

 源平は、はっとなる。意識をそちらに向けてしまったことで、またしても隙が生まれてしまっていた。

 気付いた時にはもう遅く、白刃取りを解除し、自由になったノーフェイスの手が拳の形を作り、目の前まで迫って来ており──。

 シラシオンは、思いっきり殴り飛ばされる。

 声を上げることも適わず、強烈な慣性に押され、一直線に宙を舞い、何かのビルに激突、二つ程貫通して、地面を転がる。

「かはっ……!」

 肺に溜まっていた息を、一気に吐き出した。

『神谷先輩!』

 ウィンドウの麗央奈が、叫ぶ。

 若干くらくらする頭を振って、源平は機体を起き上がらせる。

「だ、大丈夫……」

 後輩に笑ってみせながら、崩れさるビルの向こう、翼を広げ、低空に浮く全身パール色の次元獣を見やる。

(なんてこった……)

 口には出さないが、心の中で呻く。

 確かに、敵の防御力は低くなった。けれど、ノーフェイスはそれを、超速再生することでカバーしている。

 一週間前に見せた再生の速度は、余裕があったから遅く行っていただけで、本気になれば一瞬で行えるものだったのだ。

(遊んでるとでもいうのか……)

 一週間前の戦闘を振り返ると、そういう節が多々あった。隙だらけの攻撃を行ったり、一度ボコボコにやられてみたり、挙げ句の果てには、破壊しようと思えば出来たはずのブラックテイラーを完全放置。

 源平はここに来て、ノーフェイスという次元獣に、とてつもない戦慄を覚えた。

(小林、やっぱり君の力が必要みたいだ……!)

 このままでは、戦力が足りない。幾らあっても足りない。

 ノーフェイスは、本当に最強の次元獣だ。

 先程までの勝算は、今やどこかに、さっぱりと消えてしまっていた。

 ノーフェイスが右腕を上げた。パール色の触手が伸び、絡まり、シラシオンのブレードの形を象る。

 翼を広げ、敵は一気に加速、シラシオンの方へ接近して来る。

「うおぉぉぉ──ッ!」

 源平は声を張り上げ、反撃すべくブレードを振るった。




 遠くから、爆音が聞こえて来る。

 廊下の窓から見える市街地では、幾筋もの黒煙が灰色の空に立ち昇っている。

 そんな中間世界で、走太は御門学園三階の廊下を駆けていた。

 少し前、ノーフェイスの活動再開を察知してから、しばらくの間、走太は教室で迷っていた。

 椅子に座り直して、英語の授業を受け続けた。自分の気持ちを決め兼ねていた。

 ただ、頭の中に、麗央奈の顔が浮かんだ。

 彼女と二度と会えなくなるかもしれない。そう思ったら、居ても立ってもいられなくなった。

「先生! やっぱり調子が優れないみたいなので、保健室に行って来ます!」

 立ち上がって言い放ち、返事を待たず教室を飛び出し、指を鳴らして、中間世界に入った。

 そうして今、走太は走っている。

 昇降口が見えて来て、階段を駆け上がる。

 四階と五階を無視して、更に上へ。

 六階の行き止まりにある扉を開け放ち、辿り着いた場所は、屋上だった。

 息を切らしながら、灰色の空の下、南方へと歩いて行く。

 柵のところまで来て、走太は手摺りを掴む。

 市街地で新たな爆音が上がり、三つの小さな点が飛び交っているのが見えた。

「麗央奈……! 神谷先輩……!」

 二人が、ノーフェイスと戦っている。

 走太は手摺りを握る手に、力を込める。

 行かなきゃ、と走太は思った。

 今すぐに行って、加勢しなくてはならない。

「行かなくちゃ……!」

 だから、ブラックテイラーの名前を呼ぶ。

 呼べば、あの黒い機体は瞬時に駆けつけてくれる。

 だというのに。

「っ……!」

 口から、言葉が出ない。

 走太の口は動かない。

(動け。動けよ。ここまで来たんだ。行かなきゃ話にならないだろ)

 身体が震える。身体が熱くなって、でも心は冷え切っていて、汗ばかりが出て来て、シャツを湿らせて行く。

 一つ、また一つ。市街地方面で爆音が上がる。黒煙の筋が増える。

 走太は動かない。口も足も、縫い付けたように動かない。

 いつまでも、その場から動こうとしない。

「俺は……!」

 本当にクソ野郎だ。

 そう思う。

 この期に及んで、覚悟も何も決まっていない。

 昨日からずっと考えていたことが、恐怖に塗り潰されて、全く機能しない。

 これ以上の思考を止めようとしている。

「畜生……! 畜生畜生畜生畜生畜生……!」

 手が真っ白になるくらい、手摺りを握り締める。

 意味の無い言葉だけは、幾らでも口から零れ落ちるというのに、肝心な言葉はいつも出て来ない。

 情けない。本当に情けない。

 ノーフェイスが怖い。死ぬかもしれない。あれともう一度戦うのが怖い。殺されるかもしれない。凄く怖い。どうしようもなく、怖い。

 足がガクガクと震える。息が苦しい。

 こうやって、自分はまた、麗央奈を見捨てるのか。

 十一年前と同じように。あるいは、一週間前の保健室の時みたいに、背中を向けて逃げ出して。

 今度は、見捨てるどころか、見殺しにしてしまうかもしれないというのに。

 視界が滲む。俯いた顔からポロポロと涙が零れて、手の甲に落ちる。

(何やってんだ俺は……!)

 市街地方面からの爆音は、止まない。

「助けに行かないのか、走太?」

 背後から、声がした。

 聞いたことのある、男の声だった。

 走太は振り返って、男の顔を見た。

「宮……治……?」

 ツンツンヘアーに、黒縁の丸眼鏡、ルックスは決して悪くない――。

 いつも教室で話しているクラスメイトの、崎原宮治が、そこに立っていた。




 麗央奈は砲撃を続ける。

 絶やすことなく、レッドラスの両手十指から放たれるビームバルカンを、肩と脚部のハッチから放たれるミサイルを、双肩から放たれるキヤノン砲を、ノーフェイスに浴びせ続ける。

 爆炎の中から、遠隔誘導端末が次々と飛び出して来て、麗央奈はブースターで急速後退しながら、ビームバルカンでそれらを撃墜。

 距離を取ったところで、爆炎が収まり、ノーフェイスの姿が露わになる。

 ノーフェイスのパール色のボディーには、傷一つ付いていなかった。

「くっ……!」

 攻撃を喰らった傍から、超速再生しているのだ。

 レッドラスの火力をもってしても突破出来ない再生力に、麗央奈は焦りを覚える。

 あるいは、レッドラスのコンディションが不完全な為に、一発一発の威力が低くて突破し切れないのか。

 ノーフェイスのウィングから、撃墜された分のダンシングフェザーが再生されて、生えて来る。何度破壊しても瞬時に再生する遠隔誘導端末が、まさかここまで恐ろしい兵器だとは思わなかった。

 いつどこから攻撃されるか分からないので、常に全方位を警戒して、集中していなければならない。しかも、シラシオンの物と違って、撃墜しても再生されてしまうだけに、ずっと気が抜けない。

 おかげで、戦闘が始まってからそんなに経っていないのに、麗央奈の精神にはかなりの疲労が蓄積されていた。

 おそらくそれは、源平も同様だろう。

『紅坂、後ろ!』

「っ!」

 源平の通信を受け、麗央奈は振り返りながら右手のビームバルカンを乱射する。

 たまたまその一発が、背後のダンシングフェザーを射抜き、破壊した。

 源平の駆るシラシオンが、レッドラスの脇を通過する。彼もまた、市街地の建物を盾にして飛び回り、自らのダンシングフェザーと、左腕シールドのレーザー砲、右腕に持ったブレードを駆使して、ノーフェイスの遠隔誘導端末と戦っている。

 ノーフェイスがばらまくダンシングフェザーは、十機だけに留まらず、今もその数を増やし続けていた。射出しては再生するという行動を、無制限に繰り返しているのだ。

 故に、麗央奈達は遠隔誘導端末の撃破に追われ、隙を見てノーフェイス本体に攻撃しても超速再生に阻まれ、再び量産される遠隔誘導端末の相手をする、という悪循環に陥っていた。

 しかも、ノーフェイス本体は、遠隔誘導端末を量産するプラントとして動かずにいるわけではない。

 ブレードを構え、ウィングのブースターを点火し、レッドラスに接近してくる。

「このっ!」

 肩と脚部のミサイルを放てるだけ放って、弾幕を張る。

 ノーフェイスはブレードを振るい、飛んで来るミサイルを次々と真っ二つにし、弾幕を抜ける。そのままレッドラスに突っ込み、斬撃を放つ。

 麗央奈は右腕のビームシールドで、それを防御。ブレードとシールドの接触面で、激しいスパークが起こる。

『はぁぁぁ!』

 そこへ割って入る源平。上空から急降下し、ブレードを振り下ろす。

 ノーフェイスのブレードを持った腕が切断され、道路上を転がり爆発する。麗央奈はその隙に後退、敵との距離を取る。

 シラシオンも同様に、その場を離れようとするが、ノーフェイスの再生の方が速い。生えた腕が握り拳を作り、シラシオンのボディーに叩き込まれる。

『ぐあっ!?』

 吹っ飛ばされる源平。

「神谷先輩!」

 間髪入れず、ノーフェイスの表情無き顔が、麗央奈の方を向く。

 ほぼ同時に、四方八方から遠隔誘導端末が襲い来る。

 少なくとも二十機。両手のビームバルカンでは、捌き切れない。

「だったら!」

 右腕を前に突き出し、拳を作る。二の腕の甲にある装甲をスライドさせ、拳を包み込み、ビームシールド発生装置を前面に展開する。

 麗央奈は脳内にイメージを作り上げながら、大声を発した。

「ロケットパァァァ――ンチッ!」

 肘部のロックが外れ、レッドラスの右腕が巨大な弾丸となって射出される。

 ビームシールドを前面に発生させた拳が、内蔵されたブースターで遠隔誘導端末を追尾。レッドラスの周囲で円を描くように飛び、全てのターゲットを一掃、数十の花火を咲かせる。

 仕事を終えたロケットパンチは、ブースターで戻って来て、器用に位置を調整、レッドラスの右肘と連結し、元通りの右腕となった。

「出来るならこれは、使いたく無かったけど……!」

 一度でもノーフェイスに見せて、有効だと判断されてしまったら、コピーされてしまう。

 クリムゾンノヴァと並び、レッドラスの切り札であるこれは、ギリギリまで取って置きたかったのだが、残念ながらそんな余裕は無かった。左右の腰部アーマーを変形させて使用するレールガン二丁と、両膝部から取り出して使うビームトマホーク二本をまだ隠しているが、どちらを使っても、今や戦局に大きな差はないだろう。

 いずれにしても、埒が開かなかった。

 ノーフェイスを見れば、ウィングから新たなダンシングフェザーを量産し始めている。

(一気に勝負を決めるしかない)

 このままでは、じわじわと体力と精神力を奪われ続け、いつか隙を突かれて殺される。

(私は、ここで死ぬわけには行かない)

 源平でもノーフェイスに太刀打ち出来ないのだ。自分が死んでしまったら、次元の門は確実に突破されてしまう。

 そうしたら、現実世界にいる走太は――。

(駄目だ……それだけは……絶対に!)

 何としても、阻止しなくてはならない。

 走太を守らなくてはならない。

 でなければ、彼の傍に居るどころか、仲直りすることさえも出来なくなってしまう。

 だから。

 深く息を吸って、麗央奈は眼前の光景を見据える。

「ノーフェイス、お前を……倒す!」

 レッドラスのほとんどの火器を構える。両肩と両脚部のミサイルハッチを開き、双肩のキャノン砲ニ門を構え、両手十指のビームバルカンの狙いを定め、腰部アーマーをレールガン二丁に変形させる。

 背中と脚部のブースターを全開にし、

「はあぁぁぁ――ッッッ!」

 麗央奈はノーフェイスへと突撃を開始した。

 ノーフェイスの周囲に展開していた数え切れないダンシングフェザーの銃口が、一斉にレッドラスへと向く。

 麗央奈は構わず、突撃を続け、レッドラスの火器の照準を全て、ノーフェイス本体に合わせる。

 ダンシングフェザーがビームを放った。無数のビームが嵐となって、レッドラスを襲う。

「レッドラスの重装甲を舐めんなぁ!」

 ビームをかわそうともせず、ノーフェイスに向けて、火器をぶっ放す。

 肩のキャノン砲と、腰のレールガンから始まり、両手のビームバルカン、そして無数のミサイルを叩き込む。爆炎に包まれ、一瞬ダンシングフェザーの動きが鈍くなる。

 麗央奈は爆炎の中に突っ込む、ノーフェイスを見つけ、その両肩を掴む。

「だあぁぁぁ――ッッッ!」

 ブースターを全開にしたまま、爆炎の中から押し出す。道路上を低空飛行しながら押し続けて、突き当たりのビルに、ノーフェイスを叩き付ける。

 幾つかのビルを貫いて、パール色の身体を建物にめり込ませる。

 身を捩じらせるノーフェイスだが、麗央奈はその両肩を掴んで離さない。

 レッドラスの腹部装甲を展開し、そこにある銃口に、レッドラスが持つ全てのエネルギーを収束させて行く。

「超速再生するというのなら、その超速再生を上回る熱量を浴びせればいいだけの話だ!」

 至近距離から、限界を超えた必殺技を当てる。

 何一つ残らないくらい強力な熱量をぶち当てる。

 その為に必要なのは、強いイメージ。麗央奈の強い感情。願い。

 麗央奈は手を重ね、瞳を閉じて、念じる。

(強くなる。私はもっと、走太に認めて貰えるくらい、強く)

 十一年前のあの日から、麗央奈は逃げるのを止めた。

 人見知りも克服したし、弱い心も叩き直した。

 自分に出来ることは、何でもやった。

 全ては、走太に振り向いて貰う為に。

「私の今日までの全部……この一撃に込める!」

 ノーフェイスを倒す。倒して、自分は本当の強さを手に入れる。

 そうすれば、全部上手く行く。走太はきっと、自分の傍に居てくれる。

 だから、レッドラス。

(今だけでいい。どうか、自分の願いを聞き届けて)

 自分には今、力が必要なのだ。

 銃口のエネルギーが増大して行く。ノーフェイスが逃れようと足掻く。

 ギリギリまで溜める。ノーフェイスがレッドラスを押し返す。

 麗央奈は、力の限り叫んだ。

「クリムゾンノヴァァァァ――ッッッ!」

 紅蓮の砲火が、パール色の全身を包んだ。

 ノーフェイスの背後にあるビルを消し飛ばし、地面を抉り取り、今までに放った中で最大火力の一撃が全てを焼き尽くす。

 エネルギーのセーブは一切しない。出し尽くす。この攻撃で、絶対に倒す。

 全身全霊の一撃。

 やがて、エネルギーを出し切って、砲火が止む。

 レッドラスの動きが鈍り、腕が勝手に、だらんと垂れ下がる。

 目の前は大きく開け、黒煙の道が出来ている。地面が中間世界の端まで半円の形に抉れていた。

 黒煙が止んで行く。レッドラスの付近から中間世界の端に掛けて、どんどんと黒煙が消えて行く。

 ノーフェイスの姿は見えない。どこにもいない。

 倒した。麗央奈は、ノーフェイスを倒した。

「へへ……ざまぁみろ」

 思わず笑みが零れた。

 やったのだ。ノーフェイスを倒し、走太を守った。

 自分の手の平を見て、ぎゅっと握り拳を作る。

 ようやく。

 ようやく強さを手に入れられた気がした。

 長かった。十一年、ずっと自分を磨いて来た。逃げずに戦って来た。

(これで……走太も認めてくれるよね?)

 現実世界に戻ったらすぐ、走太に謝ろう。

 自分はもう、守って貰わなくても大丈夫だよって、そう伝えよう。

 きっと仲直りして貰える。自分は今度こそ強くなったのだから。走太にはもう、負担を掛けたりしない。

 二人は、幼馴染みに戻れる。

 黒煙が全て晴れた。

 麗央奈は顔を上げる。

 半円形に抉れた地面、中間世界の端の壁際に、ノーフェイスが立っていた。キャノン砲も、翼も、残っていた。身体から蒸気を上げているだけで、一切の損傷が見られなかった。

「そん……な……」

 ノーフェイスの腹部装甲が開く。そこから覗く、レッドラスと同型の銃口が熱を帯び、紅蓮に輝く。

 麗央奈は動けない。レッドラスも、全エネルギーを放出した直後で回避が間に合わない。

『紅坂!』

 源平の声が聞こえた。

 ノーフェイスが腹部に収束させたエネルギーを解放する。

 麗央奈の視界が、紅蓮一色に染まった。




 少しの間を空けて大きな爆音がニ度、中間世界の大気を揺らす。

 しかし、走太の視線は市街地の方には動かず、屋上に立つ友人の男に、釘付けにされていた。

「どうして……宮治が中間世界にいるんだ……!?」

 中間世界には、キーパーマスターか、キーパーアシストしか入れないはずだ。

 崎原宮治は、屋上の入り口の方から歩み寄りつつ、事もなげに言う。

「そりゃあ、お前、俺がこっちの関係者だからに決まってるじゃないか」

「関係者って……ロボット部や生徒会メンバーの皆と同じってことか……?」

「そういうこと。学園の情報屋っていう肩書きは、伊達じゃないってことさ。俺は本当に、御門学園内のことなら、何でも知ってるんだぜ? 例えば、お前がブラックテイラーのパイロットであることだとかな」

 走太は呆然と、友人のポーカーフェイスを眺める。

「いつからだ……?」

 尋ねると、宮治は首を傾げ、

「何がだ?」

「俺がこっちの世界で戦うようになったこと、いつから知ってたんだ?」

「最初から。俺はゲートキーパー関連を知ってから長くてね。三年生の神谷源平や、金剛雅よりも長い」

「だったら、どうして言わなかったんだ?」

 最初から知っていたなら、打ち明けてくれても良かったのに。

 麗央奈のこと以外にも、相談に乗って欲しいことが、沢山あった。

 宮治は走太の横まで来ると、手摺りに背をもたれさせる。

「あくまで俺は、走太の友達ポジションで居たかったのさ。普通の友達ポジションにな。けど、状況が状況だし、走太のことを親友だと思っている俺としては、傍観ばかりもしてられないなと感じたわけだ。……まぁ、ひとまず俺のことは脇に置いといて──」

 中指で黒縁眼鏡の位置を直し、彼は走太の目を見て、

「それよりも今は、他に考えなければならない大事なことがある。そうだろ、走太?」

「っ……!」

 走太は思わず、口を閉じ、俯いた。

「走太。お前は、戦わないのか?」

「……」

「麗央奈ちゃんを、助けに行かないのか? 戦ってんだろ、あそこで。お前の大切な幼馴染みが」

「……分かってる」

 走太は拳を握り締める。

「だったら、どうしてお前は、こんなところに突っ立ってるんだ?」

「俺だって……助けに行きたいって思う」

「なら、今すぐブラックテイラーに乗って、助けに行けばいい」

「身体が動かないんだ……!」

「動かない?」

「情けないって自分でも思う。だけど、怖くて、どうしても身体が動かない……!」

「でも、お前は、教室を飛び出して、この屋上まで来たじゃないか」

「あと一歩が踏み出せない!」

 走太は、怒鳴っていた。

 怒りの対象は、宮治ではなく自分だ。口にしたら、腹の底が熱くなって、思っていたことが次々と零れ出る。

「いつもそうだ! 十一年前のあの時も、この間、女の子が不良に絡まれていた時も、俺は目の前にいて、何も出来ない! 怖さで足が竦んで、動かなくなる! その癖、自分を正当化して、逃げ出そうとする! 今がそうだ! 俺は、戦わなくちゃならないのに、目の前で麗央奈や神谷先輩が戦っているのに、ここから動き出せないでいる! あと一歩なのに! ブラックテイラーを呼び出せば、助けに行けるのに! 俺にはそれが出来ない!」

 自分で口にして置きながら、酷い言い訳だと思う。

 宮治は黙って、それを聞いていた。

 走太は俯いたまま、言葉を続ける。

「それが……本当は言い訳だって……分かってるんだよ。身体が動かないんじゃない。本当は……分かってる。動けないんじゃなくて、怖いから動かないんだ、俺は。救いようの無い臆病者のクソ野郎なんだよ。そんな自分が嫌いで、惨めで、認めたくなくて……だから俺は、いつも言い訳をする。足が動かない、あと一歩がどうしても踏み出せないって……!」

 弱音を吐いてどうなるわけでも無いのに、吐いてしまう。

 宮治が、口を開いた。

「けど、走太はそんな自分から変わりたいと思ったんだろ?」

 走太は顔を上げる。

 宮治は、灰色の空を見上げている。

「だから、ブラックテイラーのキーパーマスターとして、ジャガーと戦った」

「変われるかもしれないって……思ったよ。あの時は……でも」

「ノーフェイスと戦って、やっぱり駄目だと思った?」

 走太は頷く。

「ノーフェイスの強さを目の前にして、怖くなった。勝てないって思った。絶対に殺されるって思った」

 けれど、ノーフェイスが気紛れを起こして、走太は運良く生き残った。

 生きていて良かったと、心底思った。

 そして、二度とあんな目に合いたくないとも思った。

「嘘だな」

 と宮治が言った。

「え……?」

「お前はまだ、変わりたいと思ってる」

 宮治はポーカーフェイスを走太に向けて、

「変わりたいと思ってなければ、変わることを諦めていたら、お前はここに来なかった。今、ここにはいないはずだ。教室で、罪悪感を抱きながら、自分には無理だと言い聞かせて、死んだ魚の目で、授業を受けていたはずだ。違うか?」

「それは……」

 菜美子や、源平に話を聞かされて、母に背中を押されたから。

 結論は出ていなかったけど、ノーフェイスが現れて、見て見ぬ振りはどうしても出来なかったから、中間世界に来た。

 走太は首を横に振る。

「だけど……結局は、同じだ」

 自分は結局、屋上で立ち止まっている。戦場を目の前にして、足を竦ませている。教室で見て見ぬ振りをしているのと、何も変わらない。

 しかし、宮治もまた首を横に振る。

「違うさ。もしもお前がここに来なかったら、俺もお前の背中を押しには来なかった」

「背中を……押す?」

「そうだ。俺は、お前の背中を押しに来た。頑張って、戦って来いってさ」

「どうして……? 今まで、そんなこと一度も……」

 宮治はいつも、走太に対して、決断を迫って来たりはしなかった。あくまで、「走太がそれでいいなら、いいんじゃないか」と言って、自分の意見を述べたりはしなかった。

 走太が驚いていると、彼は笑って、

「俺はあくまで走太の意見を尊重するさ。今回だってそう。お前の答えは、ここに来た時点で、もう決まってる」

「決まっ……てる?」

「足りないのは、最後の一歩だ。要するに、決断する勇気が無いんだろ?」

「勇気……」

 そうだ。自分には、勇気が無い。

 あと一歩踏み出す為の、勇気が欠けている。

「俺がそれを、走太、お前に与えてやる」

 宮治は手摺りから背中を離すと、走太に向き直る。

 拳を握り、振り被って言った。

「歯を食いしばれ、走太」

 反応する暇も無く、思いっきり顔面をぶん殴られる。

 吹っ飛んで、背中と後頭部を屋上の床に強打した。

「がはっ……!?」

「これで終わりじゃねぇぞ」

 宮治が近付いて来て、腹を蹴っ飛ばされる。

 走太は屋上を転がる。

「げほっ……げほげほっ!」

 腹が苦しくて、蒸せる。

 更に宮治は、追い討ちを掛ける。何度も蹴って、踏み付けて来る。

 やがて、攻撃を止めた彼は、床にうずくまる走太を見下ろしながら、口を開いた。

「どうだ、走太。痛いか?」

 痛いに決まってるじゃないか。

 走太は苦しくて出せない声の代わりに、視線で応える。

 宮治はいつものポーカーフェイスで、

「これが、お前が今まで散々恐怖を抱いて、逃げて来た、暴力……物理的痛みってやつだ」

 中腰になって、言葉を続ける。

「暴力は怖いよな。俺もそう思うよ。何せ、痛いもんな。痛いから、怖い。けどさ――」

 落ち着いた口調で、彼は言った。

「お前はもっと、辛い痛みを知ってるんじゃねぇの? 十一年間ずっと、胸に抱えて来た痛み。実際、暴力の痛みを味わってみて、どうだ? どっちが痛い? どっちが怖い?」

「俺……は……」

 走太は両手の拳を握り締める。

「お前は今日まで、暴力から逃げ続けて来て、一度でも味わったことが無かっただろ? 実際味わってみると、分かったんじゃねぇの? それが、どんな程度のもんかさ」

「俺は――」

 走太は拳を支えにして、上半身を起き上がらせる。

 ぼたぼたと雫が落ちて、屋上の床を赤く染める。鼻血だった。

 それを手の甲で拭って、走太は顔を上げる。

 宮治と目が合った。すると彼は、今までに見せたことの無いような、満面の笑みを浮かべる。

「良い顔になったじゃねぇか」

 そう言って、宮治は屋上の端まで歩くと、大きく跳躍し、柵の上に立つ。

「宮治……?」

 一度振り向いた彼は、右手でサムズアップをしてみせて、

「よっと」

 柵から校庭の方へ、何の躊躇も無く飛んだ。

「宮治!?」

 驚き、声を上げたのも束の間、宙に舞った彼の身体が眩い光を帯びる。

 光は一瞬で膨らみ、校庭側を覆い尽くす。余りの眩しさに、目を細める。

 やがて、光が消え去り、細めていた目を開くと――


 そこに、全長二十メートルの黒い機体が立っていた。


 全身の装甲を染める漆黒、黄金に輝くアイカメラ、銀色のマスク、細く鋭いラインを描く手足、そして、背後には特徴的な黒い尻尾。

 その機体を、走太が見間違うはずがない。

「ブラック……テイラー……!」

 屋上の端に近付きながら、走太は恐る恐る問う。

「まさか……宮治……なのか?」

 ブラックテイラーが振り向く。

 黒い尻尾を左右に揺らしながら、走太の前に大きな手の平を差し出し、

『行こうぜ、相棒』

 漆黒のゲートキーパーは、答えた。




 要するに、紅坂麗央奈は、小林走太に、傍に居て欲しかったのだ。

 走太と一緒に居て、話がしたかった。昔みたいに仲良くしたかった。

 それだけだった。

 誰にも負けない強さだとか、走太に頼ってはいけないとか、本当はそんなこと、どうでもよかった。

 強さが欲しかったわけじゃない。走太の傍に居ることを認めて貰える、資格が欲しかった。

 昔の弱かった自分を捨てて、強くなれば、走太はきっと、自分を認めて、傍に戻って来てくれると思った。

 昔みたいに、二人一緒に居られるようになるって、信じていた。

 だからなのかもしれない。この結果は。

 レッドラスのボディーは、今にも砕けそうな程にボロボロになって、後ろ半身を、ビルの壁面に埋めていた。

 ノーフェイスの放ったクリムゾンノヴァの直撃は、かろうじて両腕のビームシールドを展開することで、避けることが出来た。

 しかし、レッドラスの切り札をコピーしたそれは、決して受け止め切れるものではなく、結果的に防御に使った両腕は粉々に吹き飛び、そのまま攻撃が身体に当たって押し出され、背中からビルに激突することとなった。

 パイロットの麗央奈こそ、生きてはいるものの、ボディーの至る所が破損し、内部機械が露出したレッドラスは、戦闘不能と言ってよかった。

 事実、どんなに麗央奈が操縦桿を動かしても、レッドラスはビルに埋まった身体を引き抜こうとしない。そんな余力は、どこにも残っていなかった。

(いや、違うか……)

 麗央奈は操縦桿を握った両手から、力を抜く。

 多分、自分がもう、強くイメージを抱けないからだ。

 心はもう、何もかも諦めてしまっている。

 麗央奈には、立ち上がる気力が残っていない。

 故に、キーパーマスターの心を動力源とし、キーパーマスターのイメージで動くゲートキーパーも、立ち上がろうとしないのだ。

『紅坂! そこから逃げろ! このままじゃ、殺されるぞ!』

 源平が麗央奈を守る為に、ノーフェイスと空中戦を繰り広げているが、それも長くは続かない。

『ぐあっ!?』

 圧倒的物量を誇るパール色のダンシングフェザーの攻撃を避け切れず、背中に一発、ビーム砲を喰らったのをきっかけに、連続して被弾し、浮力を失って、遠くの地面に落ちる。

「神谷先輩……!」

 麗央奈がコクピットの全天周モニターの天井を見上げると、翼を広げたパール色の天使が、ゆっくりと降りて来るところだった。

 その天使のごとき次元獣──ノーフェイスは、目の前に降り立つと、しばらくレッドラスを見つめていた。

 ノーフェイスの顔に目のパーツなんて存在していないから、見つめているのかどうか定かではないが、とにかくしばらくの間、全身パール色の次元獣は、その場に突っ立っていた。

 やがて、ノーフェイスは、右掌を天に掲げる。二の腕から触手が伸びて、掌の中にシラシオンと同型のブレードを作り出す。

 それを、ぐるんと回し、切っ先の向きを反転させ、逆手の両手持ちで構える。そのままブレードをレッドラスに振り降ろして、ボディーを貫こうというのだろう。

(殺……される……)

 そのことを自覚した途端、麗央奈は、ぶるっと身体が震えた。

 両手で、自らの肩を抱く。

「おか……しいな……」

 『恐怖』の感情は、一ヶ月前の戦闘で捨て去って、克服したはずなのに。

 今、この瞬間、麗央奈は死ぬことがとても怖かった。

 怖くて、怖くて、寒かった。身体が震えていた。

(本当は、分かってた……)

 自分は強くなんかないって、知っていた。

 逃げていないようで、逃げていた。

 強くなろうと努力している振りをして、現実から目を逸らしていただけだ。

 走太と仲良くしたいのなら、直接、言えば良かったのだ。

 気まずい関係で居たくない、走太に傍に居て欲しい。何故なら、自分は──


 走太のことが好きだから。


 素直にそう気持ちを伝えれば良かったのだ。

 しかし、麗央奈には、それが出来なかった。そんな勇気は無かった。

 十一年前、走太に「お前を見捨てたんだ」と言われたあの時みたいに、拒絶されるのが怖かった。

 彼に再び冷たい目を向けられることが、怖くて仕方が無かった。

 怖くて、勇気が無くて、だから麗央奈は、強くなるしかなかった。

 強くなって、走太に振り向いて貰うしか無かった。

 麗央奈は今、この瞬間、思う。

 自分は、弱い。

 迫り来る死の恐怖に身体が震える。コクピット席に体育座りになって、膝を抱えて、縮こまる。

 ノーフェイスがブレードをゆっくりと振り上げる。

「走太……」

 一ヶ月前の戦闘でも味わった、死の恐怖。

 こういう時にいつも頭を過ぎるのは、愛する少年の顔。

「ソウちゃん……」

 麗央奈は声を震わせながら、瞳に涙を溢れされる。

 怖い。怖いよ。

「助けて……」

 ブレードが振り降ろされて、麗央奈は瞳を固く閉じた。


『麗央奈ぁあぁあああぁあああああぁぁあぁぁあああぁぁぁ──っっっ!』


 耳に届いた声に、はっとなる。

 瞳を大きく開いて、顔を上げる。

 次の瞬間、横から飛び込んで来た黒い影が、ノーフェイスの顔面に拳を叩き込んでいた。

 ドゴォッ! とパール色の左顔面に亀裂が走って、粉砕。

 勢い良く、右側に飛ばされる次元獣。

 が、一瞬で左顔面を修復。ウィングのブースターを使って、殴られた勢いを殺し、ズザザザザザッとスライディングして、数十メートル離れた地上で静止する。

 だがしかし。

『うおらぁぁぁ──っっっ!』

 ノーフェイスが襲撃者を視界に捉える前に、黒い影はその懐に飛び込んでいた。

 右拳をぐっと握り締め、下方から思いっきり振り上げる。

 強烈なアッパーがノーフェイスの顎を打ち砕き、今度こそ、錐揉み回転で吹っ飛ばした。

 近くのビルに落下して、突っ込み、轟音を上げるノーフェイス。

 襲撃者──黒い影は、背面に長く伸びた漆黒の尾を、ゆらゆらと揺らす。

 麗央奈はそれを見て、身体が震えた。

 先程までの震えとは違う。全身が熱くなって、胸が一杯になって、身体が震えるのだ。

 やがて、崩れたビルから起き上がったノーフェイスと、黒い影が対峙する。

 黒い影──ブラックテイラーは、身体の前で、ぐっと拳を握り締め、


『俺の幼馴染みに、手を出すな……!』


 込み上げて来る感情が涙となって、麗央奈の瞳から溢れて、零れ落ちた。

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