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第三章 幸せの麗央奈(下)

 昼休みの同時刻。

 神谷源平は、生徒会室に向かって、歩を進めていた。

 生徒会長の金剛雅に、『先日の調査の件についての結果が出た。至急、生徒会室に来い』とメールで呼ばれたのだ。

 源平はメールの『至急』という部分に、嫌な予感を感じ、足早に向かう。

 やがて、生徒会室に辿り着き、扉を開けた。雅は、奥の会長席に座り、険しい表情を浮かべている。それは割といつものことなのだが、今日の彼女は、明らかに雰囲気が違っていた。

 彼女がいつだって必ず持ち合わせている余裕のようなものが、今日は全く感じられない。

 なので源平は、会長席に歩み寄っても、冗談を言ったりせず、率直に本題を切り出した。

「……金剛、メール見たよ。四日前の件で、調査結果が出たんだって?」

「ああ、これを見てくれ」

 そう言って渡された資料は、中間世界と別次元を繋ぐ『壁』に掛かっている圧力を示すデータが記された物だった。

 源平は焦らず、じっくりと内容を見る。

 どういうことか、最初は分からなかったが、雅の意図を探る内に、一つの解答に辿り着く。

「金剛……これはつまり、あれかい? 別次元と、中間世界の間にある壁が、脆くなっているってことかい?」

「その通りだ」

 雅は金フレームの眼鏡の位置を直して、

「生徒会メンバーで調査を続ける内に、中間世界と別次元を繋ぐ壁に、本来よりも大きな圧力が掛かっているというデータが出た。それがどういうことか、分かるか?」

「次元獣が突破する時、次元の壁には、大きな圧力が掛かる。圧力に耐え切れなくなって、次元の壁が一時的に破れることによって、敵は中間世界に侵入して来る」

 次元の壁を破ることは、次元獣でも容易では無い。そう簡単には、越えられない壁なのだ。

 故に、今までは多くても、一ヶ月に四体しか出現しなかった。

 だが、目の前の資料によれば、現在、中間世界と別次元を繋ぐ壁には常に大きな圧力が掛かっており、次元の壁が脆くなっている。

「壁が脆くなっているから、次元獣が中間世界に侵入しやすくなっている。それは分かるよ。だけど、重要なのはそこじゃない」

 源平が資料から顔を上げると、雅は頷く。

「ああ。問題は何故、次元の壁にそこまでの圧力が掛かっているかだ。それも常に」

 次元の壁を突破するのに必要な圧力は、あるものに比例して増加する。

 それは、次元の壁を突破しようとする物体が持つ、情報質量。分かりやすく表現するならば、次元獣が持つ『エネルギーの大きさ』。

 つまり、今現在、次元の壁に常時大きな圧力が掛かっているという状況は、言い換えれば、


 中間世界と別次元を繋ぐ『壁』に対して、常時大きな圧力を掛けている者が存在しているということを意味している。


 それが、果たしてどういうことか。

「近い内に来るかもしれないってことだね? 強力な次元獣が」

「そういうことだ」

 落ち着いた様子で答える雅だが、既に状況は非常事態を示している。

「このこと、上層部にはもう伝えてあるの?」

「ああ、先程親父殿に連絡した。いざという時の現実世界での対応や、住民の非難はなんとかしてくれるだろう。私達は、そうならないように全力で次元獣を阻止するだけだ」

「シラシオンの完全修復を待ってる場合じゃないね、これはもう。キーパーマスターを六人揃える必要がある」

「うむ。時間の許す限り、捜索してくれ。戦力は一人でも多い方が――」

 その時だった。


 窓ガラスを叩き割るような、甲高い音が頭の奥に響いた。


「っ!」

 次いで、ズンッ! と凄まじい重圧感が、源平の身体を襲う。

 それは、見知った感覚。何度も味わった感覚。

 だが、この規模は、この重圧感の大きさは、これまで一度たりとも味わったことが無い。

 余りの音の甲高さと、内側から押し潰されるような感覚に、眩暈すら覚え、危うく倒れそうになる。かろうじて、会長席の机を支えにすることで、立ったままでいられた。

 感覚が引いて行き、雅に視線を向けると、彼女もまた、頭を抱え、苦悶の表情を浮かべていた。

 彼女は「くっ……!」と頭を振って、

「これは……まさか!?」

「残念だけど――」

 源平は、額に脂汗が滲むのを感じながら、言った。

「どうやら、新しいキーパーマスターを探している暇はないらしいね」




 死ぬ程辛い弁当を平らげた走太にとって、突然襲われたその感覚は、何にも勝る追い討ちだった。

 無理し過ぎた為に、自分の中の何かが壊れてしまったのでは思うような、ガラスの破砕音。

 もともと座っていなければ、耐え切れず、その場に倒れていたであろう強烈な重圧感。

 頭がくらっとする。しかし、それまで朦朧としていた意識は、背筋に走る寒気で逆に覚醒する。

 その感覚は、前にも一度、味わったことがあったからだ。

 それは、四日前に、次元獣『ジャガー』が出現した時。

 ちょうどニ限目の授業中で、生まれてこの方味わったことの無い不気味な感覚に、言い知れない恐怖を感じ、びびびと足から頭へと身震いが伝わり、椅子を倒して立ち上がって、「ひぃやぁぁぁーっ!?」と女の子みたいな悲鳴を上げてしまった。クラスメイト達が目を丸くしたのは言うまでも無い。

 あの時でさえ、激しく恐怖したというのに、今日のそれは、前回のそれを遥かに凌ぐ。まるで別物。口内に充満していた辛さも落ち着いて来て、まともに喋れるようになった今も、行き過ぎた恐怖で、悲鳴が上げられない。

 一体、何が起きたというのか。

 答えを求めて、視線を屋上に彷徨わせ、麗央奈の方に動かすと、彼女の綺麗な瞳は大きく見開かれ、驚愕に揺れていた。

「何……これ……? こんなの、今まで一度も……!」

 彼女は跳ねるように立ち上がり、パチン! と指を鳴らす。

 世界が反転し、青い空から色彩と雲が消え、灰色の天井に変わる。ゲートキーパーの戦場、中間世界。

 麗央奈が御門市の中心街がある南方を振り向いて、一歩後退さった。

「これは……!?」

 動揺した彼女の声に、走太もまた、振り向く。言葉を失った。

 南半球全ての空が、丸ごと砕け散り、無くなっていた。プラネタリウムの天井が半分、爆破されたかのような惨状。亀裂は、御門学園の真上辺りまで来ている。つまりは、南の空に巨大な穴が開いていた。

 その奥には、何色とも言い難い、異様な空間が広がっており、波打っている。オーロラが天井に貼り付けられた、とでも表現すればいいだろうか。ただし、美しさは微塵も感じない。ひたすらに不気味さがあるだけである。

 前回、ジャガーが現れた時は、次元獣が通れるギリギリの大きさの穴しか開かず、通過するや否や一分と経たずに修復されてしまうようなものに過ぎなかった。

 だからこれは、異常事態。麗央奈の表情を見なくても、そう感じるほどに異常。

 麗央奈が制服のポケットからインカムを取り出して、装着する。

 走太も制服の内ポケットに手を突っ込み、インカムを掴む。源平から「次元獣がいつ出現してもすぐ対応出来るように、肌身離さず持っていて」と言われていた物だ。

 スイッチをオンにして、頭に付ける。

『紅坂先輩! 小林先輩! 聞こえますか?』

 オペレーターである蓬莱菜美子の声が鼓膜を震わす。

 走太よりも先に、麗央奈が答える。

「こちら紅坂。現在、校舎の屋上に居ます。小林も一緒です」

『なっ……! 小林先輩、屋上で一体何をしてたんですか……?』

「え?」

 いきなり名前を呼ばれた上、菜美子の声が冷たくなったので、走太は目をぱちくり。

『どうやら小林先輩は、ヘタレなだけでなく、変態だったようですね』

「何故に屋上に居ただけで、変態呼ばわり!?」

 全くもって意味が分からない。

『本当ならもっと貶したいところですが、残念ながら、今は余り時間がありません。……というわけで、手短に状況を報告します。屋上に居るならば、一目瞭然だと思いますが、つい先程、大規模な次元震が確認されました。原因は、強大な情報質量を持つ次元獣の出現によるものです』

 それを聞いて、麗央奈が問う。

「次元獣の種類は?」

『全くの新種です。ゲートキーパーに搭乗してから、映像を転送しますが、サイズはゲートキーパーと同じ、約二十メートル。二足歩行の完全な人型です』

「二十メートル!? こんな大規模の次元の裂け目で……!?」

『はい、間違いありません。ですから、敵は規格外の情報密度を持っていると思われます。率直に言うならば、過去最強クラスの次元獣です』

 絶句する麗央奈。

 と、背後で屋上の扉が開く音がした。

 振り向くと、走太達と同じようにインカムを付けた源平が、扉の奥から現れる。

「二人共、蓬莱から、どんな状況なのかは聞いてるね?」

 麗央奈は頷く。

「は、はい。もしかして、神谷先輩も出撃するんですか?」

「うん。今回ばかりは僕も、シラシオンの修復状況がどうとか、言ってられないからね」

 そう言って、源平は座り込んだままの走太を見下ろす。

「小林くん」

「あっ……はい!」

「申し訳ないけど、これが君の実戦の二回目になる」

「マジですか……?」

「うん、大マジ。今回の次元獣は、十中八九強力な奴だ。紅坂と僕だけでは、正直苦戦は免れない。前に話したことがあったかもしれないけど、僕の乗るゲートキーパーに至っては、現在修復途中で、どんなに頑張っても六、七割の力しか出せない。だから、是非とも君の力を貸して欲しい」

「でも、俺は……」

 走太は、ぐっと両手の拳を握り締める。

 『実戦』という言葉を聞くと、未だに嫌な汗が止まらない。心がざわめく。

「小林くん、君はこの前、初実戦にも関わらず、ジャガーとまともに戦って、見事に倒してみせた。それは君が思っているよりも、ずっと凄いことだ。僕達から見て、君とブラックテイラーはもう、十分な戦力になり得る存在だ」

「この前のは単なるマグレです! 俺はただ、自分が生き残るために必死だっただけで……」

 がむしゃらに逃げ回った挙句、何も出来ずに死ぬよりマシだと、抑え切れない感情を拳に乗せて振るっただけだ。

 四日前の戦闘を思い出すと、二度と同じことが出来る気がしない。自分に対する自信なんて、微塵も湧いて来ない。

 今朝の出来事を振り返れば、決定的である。自分は、断じて強い人間などでは無い。一塊の男子高校生に過ぎない。いや、それ以下の人間だ。

 女の子が目の前でピンチに陥っていても、足が竦んでしまい、助けられない。そんな人間なのだ。

 と、強く握り締めて白くなっていた走太の手を、同じくらい白くて柔らかい手が包み込んだ。

 誰の手かと顔を上げると、麗央奈だった。

「大丈夫。走太なら出来るよ」

「っ……!」

 彼女の瞳には、期待の光が灯っていた。

 弁当を食べていた時と同じだ。走太ならばきっと、自分の期待を裏切らない、期待に応えて、四日前と同じ働きを見せてくれると、そう信じている目だ。

 走太は、彼女の瞳を見て、何も言えなくなってしまった。

 まただ。また、トラウマが蘇って来る。

 ここで逃げ出すのは、あの日と同じように、目の前で「助けて」と言う麗央奈を見捨てることと、何も変わらない。

 彼女はこれから、強力な次元獣との戦いに身を投じる。彼女が危険に晒されるのを知っていながら、見過ごすことなんて、走太には出来ない。

 あのトラウマを繰り返したくない。それだけは駄目だ、絶対に。

「私と神谷先輩に、走太が加われば、相手がどんなに強力な次元獣だとしても、絶対に勝てる。だから、一緒に戦おうよ、走太」

 彼女は「ね?」と柔らかく微笑んで、小首を傾げてみせる。

 走太は悩んだ末、拳を固く握り締めたまま、頷く。

「分かった……やってみる」

「うん!」

 屈託の無い笑顔を浮かべる麗央奈。

 そのやり取りを見ていた源平が「よし」と頷き、

「じゃあ、小林くんの了承も得たところで、出撃するとしようか」

 彼は約半分が消失した空を見上げ、叫んだ。

「シラシオンッ!」

 次元獣が開けた穴のように、見上げた上空、空間の壁を叩き割って、その奥から巨大なシルエットが迫り出す。 

 西洋の騎士が着る甲冑を思わせる、白銀のボディー。肩のアーマーパーツは大きく左右に張り出しており、頭部にはエメラルド色のアイカメラが二つ輝いている。右腕にはブレードを持ち、左腕の甲にはシールドを装備している。特徴的なのは、背部に取り付けられた大きなウィング。全体的には細身な機体なのだが、天使のごとき翼が背中に加わることで、他を圧倒するような存在感を放っている。

「これが神谷先輩の……!」

 走太のブラックテイラーが、ロボットアニメに登場するライバル機のような雰囲気であるのに対し、目の前の機体は、正統派主人公機らしい雰囲気を持ち合わせていた。

 ボディーと同じく白銀色をしたウイングを展開し、空中に静止するその立ち姿は、一瞬、悩みを忘れてしまう程に格好良く。

「小林くんは初めて見るよね。これが僕の相棒、ゲートキーパー『シラシオン』だ」

 源平は、瞳を見開いたイケメンフェイスを、走太に向けた。




 走太達が各々のゲートキーパーに乗り込み、次元獣の下へ向かう最中、オペレーターの菜美子から一つの映像が送られて来る。

『これが今回の敵、新種の次元獣です』

 走太はブラックテイラーを走らせながら、コクピットのモニター上に流れるそれを見た。

 御門市の南部区域を闊歩する大きな人影。屋上で聞いていた通り、次元獣は二足歩行で、本当に人の形をしていた。

 見た目は凄くシンプルだ。一言で表現するならば、鉄色の全身タイツを着た男性の巨人。鍛え上げられたアスリートのような細身ながらも、二の腕や太腿に盛り上がった筋肉から、力強さが見て取れる。他は所々に分割線のようなラインが引かれており、肩や肘、膝などには薄いアーマーがある程度。

 最初に見た恐竜+ゴリラの外見をした一つ眼の次元獣や、四日前のジャガーに比べると、若干拍子抜けな印象を受ける。

 が、あることに気付いた途端、シンプル過ぎる外見は、不気味な物へと認識を変化させた。

 この次元獣、顔が無いのだ。

 目も、鼻も、口も無い。人間のような体型をしていて、頭部があっても、そこにあるべきパーツが一つたりとも無いのである。さながら、妖怪『のっぺらぼう』のごとく。

 菜美子は言った。

『その外見から、この次元獣を以後、「ノーフェイス」と呼称することにします』

 ノーフェイス――顔無し。

『敵は全くの新種である為、どのような攻撃を仕掛けて来るのか、想像も付きません。ですので、ゲートキーパー各機は、細心の注意を払って戦闘を行って下さい。特に小林先輩』

「わ、分かった」

『まぁ、もっとも、先輩はヘタレなので、こんなこと言わなくとも無茶はしないと思いますが。前回みたいに感情任せに突っ込んだ挙句、気絶して、保健室送りにならないとも限らないので』

「仰る通りで……、気を付けます……。心配してくれてありがとう、菜美子ちゃん」

『は? なに調子に乗ってるんですか? 貴重な戦力が減ったら困るだけです』

 いきなりブツッと通信が切れる。

「ちょっ、なんで!?」

 今更だが、嫌われているのだろうか。

 ガックリと肩を落としている暇も無く、モニターの右側に新たなウィンドウが開き、源平の顔が映し出される。

『紅坂、小林くん、もうそろそろ、そのノーフェイスとやらに接触するよ。気を引き締めて』

『了解』

「り、了解」

 前回ジャガーと対峙した場所を通過して、更に南へ。

 両脇にビルが立ち並ぶ大通りを走って行くと、源平に「小林くん、そこでストップだ」と指示を出される。

 およそ百メートルくらいの高さを飛行していたシラシオンとレッドラスも、ブースターの出力を弱め、空中で静止する。

『紅坂、敵が見えるかい?』

『はい、確認しました』

 麗央奈がそう答えるが、地上にいる走太からは、ノーフェイスの姿は見えない。レーダーで確認すると、南方二キロの地点に反応がある。

「す、すみません。俺からは見えないんですけど……一体どの辺りに?」

 走太が質問すると、源平よりも先に、モニターの左側にウィンドウが開き、麗央奈が教えてくれる。

『えっとね、大通りをここから一キロ半くらい直進した先に、丁字路があって、大きなショッピングセンターが立っているでしょ? その丁度裏側辺りに居るよ』

「あれか……。分かった。ありがとう、麗央奈」

『うん、どういたしまして。……それで、神谷先輩。砲撃ですか?』

 途中で真面目モードに切り替えて、麗央奈が問う。

『話が早くて助かるよ、紅坂。レッドラスの砲撃で、先制攻撃を仕掛けようと思う。砲撃開始と同時に、僕と小林くんでノーフェイスに接近戦を挑む。紅坂はそのまま、適正射程距離を維持しつつ、援護射撃を』

『しかし、走太はまだ……』

『紅坂の気持ちは分かるけど、レッドラスの火力が一番発揮されるのは中距離戦だ。近くで守るよりも、中距離で援護射撃をした方が、小林くんを守れる。それに今回は、僕もいる。何かあった時は、僕が近距離で小林くんをカバーするよ』

 麗央奈は少しの間、走太に心配そうな眼差しを送っていたが、やがて頷く。

『……分かりました。私は援護射撃に徹します』

『よし。次は小林くんだ』

「は、はい!」

 走太はウィンドウの源平に視線を向ける。

『今話していた通り、レッドラスの砲撃と同時に、僕のシラシオンと君のブラックテイラーで、敵に接近戦を仕掛ける。僕がメインで戦うから、小林くんは隙を見て、前回の戦いの時みたいに、右ストレートを敵の顔面に叩き込んでくれればいい』

「先輩を援護すればいいってことですか?」

『そういうこと。場合によっては、色々と指示を出したりするかもしれないけど、基本はそれでいい。小林くんのことは頼りにしているけれど、それでもまだ実戦馴れしていないのは事実だから、あまり無茶はしないようにね。まずは落ち着いて、ノーフェイスがどんな次元獣なのかを見極めるんだ』

「はい、分かりました」

 普段はどこか掴みようの無い源平だが、今はとても頼もしく思えた。

 ノーフェイスは強力な次元獣であるらしいが、彼の指示通りに戦えば、何とかなりそうだ。

(落ち着け俺……大丈夫だ。別に一人で戦うわけじゃない。麗央奈も、神谷先輩もいるんだから)

 その中で出来る限りのことをすればいい。焦る必要は無い。

『じゃあ、これより、戦闘を開始する! 紅坂、頼む!』

『了解!』

 源平の指示を受けて、レッドラスが双肩のキャノン砲を、ショッピングセンターの方へ構える。

 走太もまた、ブラックテイラーの姿勢を低くし、両手を地面に着けて、クラウチングスタートの準備をする。

『ターゲット……ロックオン! ショルダーキャノン――発射ッ!』

 二本のキャノンが唸りを上げ、先端から赤いエネルギー弾が放たれる。

『小林くん、行くよ!』

「はい!」

 源平のシラシオンがウィングのブーストで加速し、走太はダッシュを開始する。

 レッドラスのエネルギー弾がショッピングセンターの向こうへと飛んで行き、爆音と黒煙を上げる。

 一キロ半の距離を走って、ブラックテイラーにショッピングセンターの側面を回り込ませる。シラシオンは建物の上を飛び越えて、直進。

 ショッピングセンターの裏側が見えて来て、走太の目にもようやくノーフェイスを捉えることが出来た。

 ゲートキーパーと同サイズにして、全身鉄色の人型。既にシラシオンと交戦を始めており、源平の振るう白銀のブレードを、飛び退って回避している。

 シラシオンは左腕に装備したシールドの先端を、ノーフェイスに向ける。シールドに開いている二つの穴は、どうやら銃口であったらしく、そこから二本のレーザーを放つ。

 ノーフェイスは素早く横に動いて、これを回避。間髪入れず、シラシオンへと走り出し、握り拳を作り、振るう。

『おっと、危ない!』

 ウィングのブーストで飛び上がり、かろうじて回避するシラシオン。

 そこで、走太は源平のもとへと辿り着く。

「先輩、大丈夫ですか!?」

『いやー、恥ずかしながら、しばらく出撃してないと、腕が鈍って全然駄目だねやっぱり。おまけにシラシオン自体の動きのキレもイマイチと来た。これはかなりマズイかもしれない』

「え」

 先程までの安心感はどこへやら、走太は一気に不安になって、頬と眉をひくつかせる。

『小林くん、来るよ!』

「おわぁぁぁ!?」

 シュタタタタタタ! と陸上の短距離走選手さながら、腕と太腿を大きく振り上げて、猛速前進して来るノーフェイス。

 顔のパーツがゼロで表情無し、声も出さないので、何を考えているか理解出来ない分、相当に怖い。

 ノーフェイスが、ばむっ! と地面を蹴る。美麗なフォームだが、全身タイツの次元獣が空高く舞い上がる姿は、どこか気持ち悪かった。次元獣は、空中で両手両足を広げ、大の字になる。

 呆けて見惚れていると、源平が慌てたように言った。

『ちょっ、何してるんだ小林くん!? 避けて!』

「避け……え?」

 場を離れるシラシオンに視線を向けてから、再び空を見上げた。

 そうしてようやく、ノーフェイスの飛び上がった意味が分かった。

 空中で大の字になったまま重力に身を任せ、走太目がけて落下して来たのである。

 それは、プロレス技の『ランニングボディープレス』だった。

「のぉおおぉぉおおぉおぉぉおおおぉうッ!!?」

 走太は咄嗟に、ブラックテイラーを横に跳躍させる。

 ノーフェイスの鉄色ボディーが脇を掠め、地面に激突して、轟音と共に半径数十メートルものクレーターを作り上げる。爆撃でもされたかのようだった。

 走太とブラックテイラーは巻き起こった衝撃波で飛ばされ、地面をゴロゴロと転がる。

「あ、危ねぇ……!」

 起き上がる走太。ブラックテイラーのアイカメラをクレーターの中心に向けると、人型の穴が開き、そこにノーフェイスがめり込んでいた。

 まともに喰らったら、バラバラにされていたかもしれない。……それにしてもまさか、ボディープレスとは。

『無事かい?』

 ブラックテイラーの隣に、シラシオンが着地する。

「な、なんとか」

『油断しちゃ駄目だよ。今の攻撃はちょっと予想外だったけど、相手の情報質量と密度が高いのは、確かだからね』

 ノーフェイスが、めり込んでいた身体を地面から引き抜き、ゆるやかな動きで立ち上がる。

 何故かボディーに付いた土埃を気にしており(自らボディープレスを仕掛けて来たというのに)、ポンポンと両手で叩いて落とす。

 何だろう、妙に人間味があるというか、こういう無駄な動き、ブラックテイラーに似ている気がする。

『ふむ……今のボディープレスの必要性を考えると、ノーフェイスはもしかしたら、飛び道具を持っていないのかもしれないね』

「確かに、今のところは、使って来てないですね」

 ノーフェイスのシンプルなボディーを見るに、飛び道具が出て来そうな箇所は、どこにもない。

『あと、翼も無いし、浮力が得られそうな箇所も無いから、飛べないタイプの次元獣である可能性が高い』

「ということは、距離を取って戦えば……!」

『その前に、ちょっと確かめてみようか』

「確かめる? 一体、どうやってです? ……って、あれ? 神谷先輩、何故にそんな高く飛んでいるんですか?」

 何気なく横を見ると、いつの間にかシラシオンの姿が無く、上空五十メートル近くまで上昇していることに気付く。白い機体はそのままぐんぐんと高度を上げて行き、百五十メートルくらいのところで静止する。

『じゃあ、行くよ!』

 源平はそう言って、シールドのレーザー砲をノーフェイスに向けて、撃った。

 全身鉄色の次元獣は、きっちりと反応し、それを回避する。目の付いていない顔で、シラシオンを見上げる。

 いよいよビームでも放つのかと思いきや、そんなことは無く、十秒くらい上空を睨んでいた後、次元獣は走太の方を向いた。

「え?」

 走太は目を瞬かせる。

 ノーフェイスは、じっとブラックテイラーを見つめて来る。やがて、首を傾げ、思案するような仕草を見せてから、シュタタタタタタタ! と走太目がけて駆け出した。

「えぇぇぇ!? なんでぇぇぇ!?」

 相手は強力な次元獣。ヘタレな走太が、怯えないはずが無い。反撃という選択肢を選ぶこと無く、「いやぁぁぁ!」と悲鳴を上げて、恥も外聞も無く敵に背を向け、全力逃走。

 ゲートキーパーと次元獣、大きさ二十メートルの者同士による鬼ごっこが始まる。

 モニターの源平は顎を擦りながら、

『上空から攻撃されたにも関わらず、こちらへの反撃は一切無し。追うことも無く、ターゲットを地上のブックテイラーに変更した……ってことは、どうやら推測は当たっているようだね』

「先輩、俺を利用しましたね!? ブラックテイラーが空を飛べないからって!」

『利用だなんて、人聞きの悪い。協力して貰ったんだよ、協力』

「どっちでもいいですから、早く助けて下さい! このままじゃ……ぎゃ――っ!?」

 背後を見れば、ノーフェイスは距離を詰めて来ており、ブラックテイラーの揺れている尻尾を掴もうと、手を伸ばしている。

 ジャガーもそうだが、何故奴らはブラックテイラーの尻尾を求めるのか。そんなに魅力的か!? セクシーか!? プリティーなのか!?

 と、ノーフェイスの後ろ、斜め上空にシラシオンの姿が映った。

『心配しなくて大丈夫だよ。今助ける!』

 源平が眼を見開き、言った。

『行け! ダンシングフェザー!』

 シラシオンのウィングが左右に大きく展開、ウィングの背面に付いていた放熱板のような物が射出され、誘導ミサイルのようにノーフェイスを襲う。その数全十発。

 ノーフェイスはその気配に感づき、ブラックテイラーを追うのを止め、ブレーキを掛けて、振り返る。迎撃する気なのか、ファイティングポーズを取った。

 そうして、一点に収束するように集まるミサイルに対して、ノーフェイスは拳を放つ。

 が、そのパンチは外れた。見ていた走太は目を丸くする。ノーフェイスもおそらく、同じ気持ちだったろう。

 ミサイルが次元獣の拳を避けるように、拡散したのである。まるで意思をもっているのかのようだった。

「いや、これはミサイルじゃない……!」

 走太は知っていた。こういう武器を、ロボットアニメで見たことがある。某リアルロボットアニメで使われる、有名な兵器。

 敵を中心に、三百六十度、全方向から包囲し、死角の無い『飽和攻撃』を行う遠隔誘導端末。

 ノーフェイスを取り囲むように散らばった放熱板の先端から、一斉に、ビーム砲が放たれる。

 そう、これは、ロケットパンチ、必殺剣、ドリル等に並ぶ、漢のロマン!

「オールレンジ攻撃、キタァァァ――ッッッ!」

 鼻息を荒くし、身体の前で、ぐっと両手の拳を握り締めて、走太は叫んだ。

 必死に避けようとするノーフェイスだが、全方位からの連続攻撃を捌き切れるはずもなく、次々とビーム砲の直撃を受ける。

『これで!』

 源平はそれによって生まれた隙を見逃さず、いつの間にか、ノーフェイスの懐に飛び込んでいた。

 右手に輝く白銀のブレードが、勢い良く振り上げられる。ノーフェイスは、反応出来ていない。

 火花が散り、金属音が響いた。

 ノーフェイスの左腕が切断され、宙を舞った。

 怯まず、残った右拳を振るおうとするノーフェイスだが、遠隔誘導端末『ダンシングフェザー』がそれを許さない。シラシオンの周囲に位置を取り、次元獣にビーム砲撃のシャワーを浴びせる。

 距離を取るシラシオン。

『今だ紅坂!』

 源平が声を張り上げて、走太は上空に浮かんでいる赤い機体に気付く。

『はい、先輩!』

 重火力型ゲートキーパー・レッドラスの腹部装甲は、既に展開されており、赤熱していた。

 そのパイロット、紅坂麗央奈が、凛とした声を砕け散った空に響かせる。

『クリムゾンノヴァァァァ――ッッッ!』

 腹部の銃口から、溜めていたエネルギーが解放され、太さ四十メートルはあろうかという深紅のレーザーを放つ。

 止まないビーム攻撃によろけていたノーフェイスに回避する術は無く、鉄色の身体は深紅の閃光に上塗りされ、見えなくなる。そして、爆発。

 割と近い距離で巻き起こった爆風に飛ばされそうになるのを、両足で踏ん張って堪える。

『小林くん、爆風が止んで、それでも敵が立ってたら、すかさず飛び込んで!』

 源平の言葉に対して、意図を訊き返す暇は無かった。

 レッドラスの攻撃が終わり、深紅の柱が消えて、中心に立っている巨大な人影を確認したからだ。

 ノーフェイスはまだ、立っていた。だが、結構なダメージを受けているようで、鉄色の身体には所々罅が走っている。

 あと一撃で罅が全身に回り、崩れ去りそうなイメージが見えて。

 走太は、迷うよりも先に、ブラックテイラーで駆けた。

 黒い拳を握り締め、振り被って、突っ込む。

「吹っ飛べぇぇぇ――っっっ!」

 本能のままに吼え、その表情無き顔面に、拳を繰り出した。

 鉄色の表面にめり込み、変形させ、宙に浮かせる。

 ノーフェイスは弾丸のように空を舞い、錐揉み回転をしながら飛んで、ショッピングセンターに突っ込んだ。

 轟音と白煙が上がる。

 走太はそこでようやく、止めていた息を吐いた。緊張が解けたのだ。背中から、ぶわっと冷や汗が出る。

「やった……!」

 源平が『ナイスパンチ!』と、シラシオンにサムズアップをさせる。

 麗央奈も表情を明るくして、

『やったね、走太! あとはこれで、ノーフェイスがどうなったのかだね』

「手応えは結構あったけど……」

『あれだけ攻撃を浴びせたんだ。仮に生きていたとしても、まともに戦闘出来る余力は無いはずだよ』

 三人して、ショッピングセンターの方を見やる。

 白煙が止むと、ノーフェイスはショッピングセンター瓦礫の中に身体を埋めさせ、頭を垂れていた。

 ブラックテイラーが殴った顔面は、左半分が砕け散り、無くなっている。鉄色のボディーは、レッドラスの必殺技によって黒く焦げ、亀裂が走り、シラシオンのオールレンジ攻撃によって、所々に穴を穿たれている。おまけに、左腕は切断されている。

 誰がどう見たってボロボロだった。だというのに。

 ノーフェイスはまだ動こうとしていた。瓦礫に埋まった身体を引き抜こうともがく。

 源平がダンシングフェザーをシラシオンの周囲に集め、言う。

『さすがの情報密度だね。バラバラになってもおかしくないのに、砕けない。攻撃面はともかく、防御面だけで言ったら、今まで戦って来た中で最強だ』

『先輩、ノーフェイスには飛び道具が無いってことは、距離を取って、近付かずに止めを刺した方が安全じゃないですか?』

『そうだね。後は、シラシオンとレッドラスの砲撃で破壊しよう。小林くんは、ノーフェイスに近付かず、離れていて』

「分かりました」

 走太は頷き、後ろに下がる。

 モニターの奥で、ショッピングセンターの瓦礫の中から、ノーフェイスが起き上がるのが見えた。

 ランニングボディープレスを決めた後に立ち上がった時のような、ゆるやかな動きだった。

 それが、何か引っ掛かった。緩慢な動き。フラフラしているとかそういうのじゃなくて、どこか余裕があるような……。

『ダンシングフェザー!』

『ショルダーキャノン!』

 シラシオンとレッドラスが止めの砲撃を開始し、ノーフェイスは爆炎に包まれる。

 シラシオンの遠隔誘導端末とシールドから、レッドラスの双肩と両手の十指から、止むことなく攻撃が続けられる。

 ショッピングセンターが崩れ、次々と爆発が起きる。

(いや、ノーフェイスに余裕があろうがなかろうが、大丈夫なはずだ)

 走太は思い直す。

(相手に飛び道具は無いし、仮にこの攻撃に耐えたとしても、さっきみたいなコンビネーションで何とかなる)

 実戦馴れしている源平と麗央奈がいるのだから、心配無い。相手は既に、左腕を失っているわけだし。

 問題なんかどこにも――。

 炎に包まれるショッピングセンターの中から、二発の光弾が走った。

 続いて、空中で爆発が起きる。

『――ッ!』

 掠れた悲鳴。麗央奈の声だった。

 走太は空を見上げる。ブラックテイラーの方に何か落ちて来た。

 ゴウン! と大きな金属音を立てて、目の前の地面を跳ねたのは……レッドラスの右腕。

「なっ……!」

『小林くん! 警戒して!』

 源平が叫び、走太はショッピングセンターの方を向く。

 燃え盛る炎の中に、ノーフェイスが立っていた。ただ、シルエットが今までと違う。

 ノーフェイスの両肩に、レッドラスに似たキャノン砲が付いていた。

「なんだ……あれ……!?」

 キャノンの砲頭が、走太を捉え、火を噴く。

「うわっ!?」

 横に飛んで回避。寸前まで居たところで爆発が起き、地面に二つのクレーターを作る。

 ノーフェイスが歩いて来て、炎の中から姿を現す。

 走太は、愕然となった。

「嘘だろ……?」

 ノーフェイスの身体から、亀裂が消えていた。失ったはずの左顔面も、元通りになっている。左腕は切断されたままだが、代わりに、両肩からキャノン砲が生えていた。身体の延長と言っていい、鉄色の砲身。

 一体何がどうなっているのか、分からない。

 と、ノーフェイスが自らの左肩を見やった。同時に、変化が起きる。

 左肩の切断面が、ボコボコと膨れ上がり、伸びた。次第にそれは、腕の形を模って行き、最終的には、切断された事実が無かったかのように元通りになる。

『再生したのか……!』

 源平が驚きの声を上げる。

 ノーフェイスが上空に浮いている二体のゲートキーパーを見やり、砲撃を仕掛けた。

 片腕を失ったレッドラスが後退しながら、キャノン砲で応戦。シラシオンは砲撃をかわし、遠隔誘導端末を放つ。

 すると、ノーフェイスにまたしても変化が起きた。背中から無数の触手が飛び出したのだ。触手は絡まりあって、一体化し、左腕を再生した時のように一つの形を成して行く。

 それは、大きな翼。ただ、ノーフェイスの持つキャノン砲がレッドラスの物に似ているように、その翼もまた、似ていた。

 ──シラシオンのウィングに。

 ノーフェイスの翼の背面から、小さな羽根が外れ、襲い来るダンシングフェザーを迎撃せんと飛び立つ。

 シラシオンと次元獣の物を合わせ、合計二十機の遠隔誘導端末が、空中でドッグファイトを開始する。

 ノーフェイスが翼を広げた。遠隔誘導端末による戦場を擦り抜け、シラシオンに突撃して行く。

『再生だけじゃなく、武装のコピーまで……!』

 源平はブレードを振るい、ノーフェイスと接近戦を始める。拳とブレードがぶつかり、火花を散らす。

『神谷先輩!』

 右腕を失ったレッドラスが、両肩と両脚部の装甲を開き、そこから無数のミサイルを発射した。

 ノーフェイスはそれを避け切れず、喰らって、爆発に飲み込まれる。が、驚くべきことに怯まず、爆発の中から飛び出したノーフェイスは身体を再生しながら、レッドラスに肉薄、拳で殴り飛ばす。

『きゃあッ!?』

 強いベクトルに押されて、レッドラスは叩き落され、離れた地点の地面に激突した。

「麗央奈!」

 反射的に、そこへ向かおうとする走太。

 ところが、舞い降りた鉄色の次元獣が、進行方向を阻む。

「う……あ……」

 走太は後退さる。

 ノーフェイスは地に足を着き、パーツ無き顔をブラックテイラーに向けた。

 攻撃を受けても再生し、肩にキャノン砲、背中に翼を生やした次元獣には、もはや死角は無く、全く太刀打ち出来る気がしない。

 もともと兼ね備えていた不気味さは今、恐怖に変わって、走太を威圧する。

 頭が真っ白になって、身体が震える。操縦桿を握った手が汗ばむのを感じる。

『小林くん!』

 ブラックテイラーとノーフェイスの間に、シラシオンが割って入った。頭部から真っ二つにせんと、ブレードを振り下ろす。

 だがしかし。ノーフェイスは落ち着いた様子で、右の拳を振り被り、真正面からブレードに放つ。

 パキャアンッ、と薄いガラスが割れるかのように、ブレードが砕けて折れた。

 拳を放った勢いのまま、ノーフェイスは身体を回転させ、シラシオンの脇腹に回し蹴りを叩き込む。

 吹き飛ばされた白銀のボディーは、横のビルに突っ込み、コンクリート片を撒き散らす。

 残ったのは、走太のブラックテイラーとノーフェイスのみ。

「殺……される……!」

 ノーフェイスが走太の方へ向き直る。駄目押しと言わんばかりに、鉄色のボディーが変形する。体型は維持したまま、胴体のアーマーが模られて行く。

 レッドラスのアーマーだった。

 変形が完了すると、腹部装甲が展開される。覗いたのは、レッドラスの必殺技『クリムゾンノヴァ』の銃口。赤熱し、エネルギーがそこに収束して行く。

 走太は動くことが出来ない。金縛りにあったかのように、身体が動かない。

 やがて、エネルギーが溜まり切った銃口から、深紅の閃光が放たれて――。


『走太ぁぁぁ―――――――っっっ!』


 ブラックテイラーを庇う様にして、目の前にレッドラスが飛び込んで来た。

 ノーフェイスのクリムゾンノヴァが解放される。深紅の業火が視界を覆う。

 機体が激しい衝撃に揺れる。走太は目を開いて、前だけを見ていた。

 業火を受け止め、必死に押し返そうとする赤い機体を見ていた。目が離せなかった。

 だって、その機体には、大切な幼馴染みが乗っていて。

 しばらくして、業火が止む。レッドラスが仰向けに倒れる。

 前面の装甲が溶け、各部がスパークを起こしていた。

「れ……麗央奈?」

 走太は跪いて、レッドラスの肩に手を置く。

 モニターの麗央奈のウィンドウは、消滅していた。

「麗央奈! おい、麗央奈!」

 必死に呼び掛けるが、返事は無い。

「麗央奈っっっ!」

 ほとんど泣き声に近い叫びを、走太は上げる。

 コンクリートを踏み砕く音がして、顔を上げると、ノーフェイスがブラックテイラーを見下ろしていた。

 もはや走太には、一欠片の気力も残っていない。走太はただただ、ノーフェイスの動向を見つめるのみ。

 ノーフェイスは首を横に振った。「つまらない」とか「殺す価値も無い」とでも言いたげな仕草だった。

 次元獣は、走太に無防備な背を向けた、ショッピングセンターの方へ飛ぶ。

 半壊した建物の中心に立つノーフェイス。その鉄色の身体の至る所から、触手が伸びて、周囲の瓦礫に突き刺さる。

 新たに触手が生えて、くるくるとノーフェイスを包んで行く。触手は次々と身体から飛び出し、何重にもノーフェイスの身体に巻き付いて行く。

 やがて、触手を巻いたノーフェイスの輪郭は球形を描き、蛾や蚕の『繭』のような物体を形成した。

『小林先輩! 聞こえますか、小林先輩! 聞こえてたら返事をして下さい!』

 その内、通信回線を開いた菜美子が何事かを叫んでいたが、走太は一言たりとも返せず。

 ただ呆然と立ち竦み、終始、繭が作られる様を眺めていることしか出来なかった。




「おそらく、この繭の中では、ノーフェイスが現実世界に侵攻する為に必要な準備を行っているものと思われる」

 プロジェクターで白幕に静止画を映し出しながら、金剛雅が言った。

 ノーフェイスが繭に閉じ篭ってから、三時間後。

 現実世界、放課後の生徒会室で、生徒会メンバー――キーパーアシスト達による会議が行われていた。

「未だかつて、我々『門番』側がここまで追い詰められたことは無かった。故にこんな現象を目撃するのも初めてだが、おそらく導き出した解答は間違っていないだろう」

 雅はその理由を説明する。

「ノーフェイスは、全てのゲートキーパーを無力化し、次元の門が無防備になったのにも関わらず、門へと向かわずに、わざわざ繭を作って閉じ篭った。

 これはつまり、現状ではまだ、ノーフェイスが現実世界へと侵攻出来ない状態であることを示している。

 では何故、ノーフェイスは繭に閉じ篭ったのか。……奴の情報質量と密度は、開けた次元の裂け目の大きさから目算するに、他の次元獣の数百倍という値に相当する。私の解答としては、奴はその圧倒的過ぎる情報質量と密度のせいで、現状の形態では、現実世界が受け入れることの出来る情報処理のキャパシティーを超越しているのではなかろうかと考える。つまり、分かりやすく言うと――」

 片手に持ったシャーペンの頭で、チャームポイントの広いおでこを叩き、思案するように眉根を寄せる。

 生徒会メンバーに混じり、話を聞いていた源平は、フォローするように口を開いた。

「ノーフェイスは今、繭の中で、自身の情報構成を現実世界対応バージョンに変換してるってことだね?」

 雅は台詞を取られ、やや不満そうな顔をしたが、すぐに「うぉっほん」と咳払いをし、

「……そういうことだ」

 話を続ける。

「さて、この現状を踏まえた上での、今後の作戦だが、私からの提案としては、繭からノーフェイスが出て来るまで待つべきでないかと考える」

「何故です? 敵が動けない今が、むしろ攻撃のチャンスではないかと思うのですが」

 生徒会メンバーの一人が手を挙げて、質問する。

「戦力が十分に揃っているなら、その選択肢もあっただろう。だが、現状、戦力は不足していると言わざるを得ない」

 先の戦闘で無事だったのは、ゲートキーパー三体の内、ブラックテイラーのみ。源平のシラシオンは、ノーフェイスの回し蹴りを喰らって小破。もともと修復中だったこともあって、次の出撃時はまともな戦力になるかどうかも怪しい。深刻なのはレッドラスで、奇跡的に大破こそしなかったものの、一ヶ月前のシラシオン以上の損傷を受けていた。はっきり言って、出撃すらも困難な状態だ。

 質問した生徒会メンバーもそのことを理解したのだろう。俯き、黙ってしまう。

 雅は金縁眼鏡を中指で持ち上げて、言う。

「……焦る気持ちは凄く分かる。私だって、そうだ。しかし私達は、今のような状況だからこそ、慎重に事に当たらなければならない。次回の戦闘でノーフェイスを倒せなければ、現実世界に奴の侵入を許すことになるだろう。そうなれば……中間世界での戦闘が現実のものとなる。情報破壊能力を持つゲートキーパー以外に、次元獣を倒す術は無い。核を撃ち込もうが何をしようが、一切の物理攻撃はノーフェイスには通用しない。後に待っているのは……遅かれ早かれ、現実世界の滅亡だけだ」

 現状で最も勝率が高いのは、と雅は続ける。

「繭からノーフェイスが出て来るまでに、迎撃の準備を整え、万全の状態で決戦に臨むことだ。神谷達キーパーマスターには、ゲートキーパーの修復に専念して貰う。私達キーパーアシストは、作戦の考案と、繭の解析作業を行う。現状で、他に何か意見がある者はいるか?」

 源平を含め、手を挙げる者はおらず、とりあえず会議は終了になる。

 そこから休む間も無く、各自に仕事が割り当てられ、作業に移る。

 源平が、雅と共に作戦について話し合っていると、「神谷先輩」と背後から声を掛けられた。

 振り返ると、そこにいたのは、オペレーター役の蓬莱菜美子だった。

「蓬莱、どうしたんだい?」

「あの……小林先輩のことなんですけど……」

 菜美子は少し躊躇う様子を見せてから、言った。

「その……大丈夫……なんでしょうか?」

「蓬莱は、小林くんが無事だったって話は聞いたんだよね?」

「はい」

「つまり、蓬莱の言う『大丈夫なのか』は、小林くんの精神的な状態についてだよね?」

 こくりと頷く菜美子。

「小林先輩は今……どうしてますか?」

「今は、紅坂の看病をしてるよ。保健室で。ほら、紅坂が小林くんを庇って倒れたから……それで」

「そうですか……」




 保健室のベッドに寝かされ、目を閉じている麗央奈の横で、走太は椅子に腰掛けていた。

 ボロボロのレッドラスのコクピットから彼女が助け出され、現実世界の保健室に運ばれてから、ずっと付き添っていたのだ。

 ベッドに寝かせるに当たって、トレードマークのポニーテールは解かれ、ルビーのように赤い髪は今、下ろされている。顔はいつもよりも白く、長い睫毛はピクリとも動かない。

 あれから何時間経ったのか、走太には分からない。

(何も……出来なかった……)

 そのことが頭の中を占めている。

 レッドラスの右腕が破壊され、ノーフェイスに翼が生えて、シラシオンと空中戦を始めた時。本当はあの時、走太はやろうと思えば、助けに行けたはずだった。

 ノーフェイスがやって見せたように、ブラックテイラーも翼を作れば良かったのだ。なのに走太は、それをしなかった。分かっていたはずなのに、いつもみたいに足が動かなくなった。

 身体を支配していたのは、圧倒的な恐怖。足が震えて、頭が真っ白になって、全身から汗が出て。

 動けず、考えられず、後は馬鹿みたいに突っ立っているだけだった。

 そのせいで、麗央奈が自分を庇って、傷付いた。

 噛み締め続けて、裂けた唇は、鉄の味がする。

「ん……」

 と、麗央奈の睫毛が震えた。

 走太は顔を上げて、思わず呼び掛ける。

「麗央奈!」

 彼女はゆっくりと、星の散りばめられた黒い瞳を開ける。瞳は辺りを確かめるように動いて、それから走太の姿を映す。

「ソウ……ちゃん? 走……太……?」

 懐かしい呼び名を一度言ってから、彼女は今の呼び方で言い直す。

 走太が「うん」と答えると、白かった顔に、段々と赤みが戻って行く。

「走太!」

 がばっとベッドから起き上がった麗央奈は、直後、身体をふらつらせる。

 走太はそれを支えて、

「駄目だ、麗央奈。まだ寝てないと。あの攻撃をまともに喰らって、コクピットの中が熱を帯びて、蒸し風呂状態になってたんだから」

「うん。でも、私は大丈夫だよ。それよりも、走太は怪我しなかった? 無事!?」

「俺は……無傷だよ」

 麗央奈と源平が庇ってくれて、走太は一切の攻撃を受けなかった。

 彼女は安心したように、ほっと息を吐いて、微笑む。

「そっか、良かった。走太が無事で」

「……」

 走太は麗央奈と目を合わせられない。

「というか、そうだ、ノーフェイスはどうなったの!? 倒したの!?」

「いや……倒せなかった」

 彼女に、ノーフェイスがあの後、繭を作って、その中に篭もったことを説明する。

「ということはまだ、次元の門は破られて無いんだね?」

「ああ、まだ破られて無い」

 それでも、絶望的な状況であることに変わりは無いが。

「なら、勝算はまだあるってことだね」

「え?」

 走太は外していた瞳の焦点を麗央奈に合わせる。

 彼女の表情は、敗者が浮かべるそれでは無く、希望を見出した者の、自信に満ちた笑みだった。走太には到底得ることの出来ない、力強さがそこにはある。

 麗央奈は、強い。

「走太」

 彼女に両手を掴まれる。

 ノーフェイスと戦う前にされたように、温かい両手に包まれる。希望の星に満ちた黒い瞳が、走太を照らし出す。

「私は、走太なら、ノーフェイスに勝てると思う」

「俺が……どうして……?」

「ノーフェイスの能力が、ブラックテイラーと同一のものだからだよ。創造と再生。走太も見たでしょ? ブラックテイラーも同じことが出来るんだ。だから――」 

「俺なら、ノーフェイスと対等に戦うことが出来るって?」

 麗央奈の柔らかく、温かい手に包まれた自分の手を、走太は強く握り締める。

 彼女は頷いて、

「そうだよ。走太なら、ノーフェイスを倒すことが出来る。私はそう思う。大丈夫、走太だけで戦わせたりしない。レッドラスの修復を急いでやって、私も出撃するし、神谷先輩もきっと協力してくれるはずだよ。だから、今度こそ一緒に、ノーフェイスを」

「いい加減にしてくれよ……!」

 気付けば、そう言葉を漏らしていた。

 麗央奈が瞳を見開いて、走太の手を離す。

「え?」

「俺が、あの化け物に勝つ……? 俺に一体、何を期待してんだよお前は!」

「走……太?」

「俺は、今日の戦いで、何も出来なかった! お前と先輩がピンチになってる時に、足が竦んで動けなかった! そういう男なんだよ、俺は! いざという時に、何も出来ない! とんだ根性無し! ヘタレ! それが俺なんだ!」

「し、仕方ないよ、それは。だって、走太はまだ、キーパーマスターになったばかりだし。二回目の実戦で、こんな強い相手と戦うことになっちゃんだから、足が竦んだって仕方ないよ」

「それで、次の三回目の実戦は、足が竦まないように、頑張ってみようって? お前、馬鹿にしてんのか……?」

「違う。馬鹿になんか……!」

「お前と一緒にすんなっ!」

 走太は勢い良く、右手を横に払いながら、

「俺は、麗央奈みたいに強くない! お前みたいに頭は良くないし、運動神経も良くない、ルックスも良くない、人望もない! お前とは違うんだよ、何もかも! 俺は強くないんだ!」

 溜まりに溜まった負の感情は、一度吐き出し始めると、もう止まらない。

「分かってんだろ、お前も! 本当は俺がどういう人間か! 俺は――」

 ずっと言わずに来た。今の関係を壊したくなかったから。

 でも、心のどこかでいつも燻っていた。


「過去に一度、お前を見捨てた男だぞ!?」


 麗央奈の肩が、ビクッと震えた。黒い瞳が動揺する。

「それは……!」

「十年前のこと、お前だって、忘れたわけじゃないだろ。俺はそういう奴なんだよ! その件を通して、どんな心境の変化があったのか知らないけど、お前は今みたいに強く成長した。でも、俺は違う。あの時から、何も変わって無いんだよ! ヘタレなままなんだ、ずっと! 誰も彼も、お前みたいに強くなれるわけじゃない!」

 幼馴染みの少女が顔を青ざめさせる。

 走太は胸が突き刺すように痛んだ。でも、言葉は止まらない。

「お前が俺に何かを期待するのは勝手だ。だけど、俺はそれに答えられない。俺はお前と違って、弱い。あんな化け物に殺されかけて、逆に奮起出来る程の精神力と勇気は、持ち合わせちゃいない……! 俺は今だって――」

 ベッドの脇の椅子から立ち上がって、言った。

「お前を見捨てて、逃げ出すよ。怖くなったら、絶対に……!」

 自分の身の安全を優先して。「助けて」と伸ばされた手を払い除けて。

 だって、今だってほら。

 走太は幼馴染みの泣きそうに歪んだ顔を見続けることが出来なくて、この場から逃げ去ろうとしている。

 麗央奈が何か言おうとしたのを聞かず、走太は背を向けて、保健室から飛び出す。

 行く当ても無く、廊下を走り続ける。

 あの日と同じだった。十年前のあの日と。

 心に湧き上がるのは、激しい後悔と、惨めな気持ち。

 結局、十年経っても、自分は何も変わっていない。

 変わろうと思った。あの日と同じことをしたくなくて、怖かろうが何だろうが、我慢してゲートキーパーに乗って、戦場に立った。でも所詮、やせ我慢に過ぎ無かった。

(俺には最初から無理だったんだ。分かってたじゃないか……!)

 だって、どんなに自分を取り繕ったところで――

 

 小林走太は、小林走太でしかない。

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