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第二章 ヘタレ、出撃す

 小林走太は今、灰色の空が広がる世界に来ている。

 場所は私立御門学園の校舎屋上。走太の斜め前には、屋上を囲う柵の上に仁王立ちし、腕を組みながら、市街地方面を眺めている少女が一人。

 この灰色の世界にも、風というものは吹いているらしく、走太の視界の中で少女の赤いポニーテールが揺れている。

 ついでに制服のスカートも揺れていたりするので、普通に屋上に立っている走太としては、目のやり場に結構困るのだが、赤毛の幼馴染みは、そんなことは気にしないといった様子で、真剣な表情を保ち続けている。

「あー、麗央奈?」

「うん? どうしたの、走太」

 それでも走太は気になったので、尋ねてみた。

「なんでわざわざ、柵の上に立つ必要があるんだ?」

「え? それは――」

 紅坂麗央奈が答えを言い掛けたところで、轟音が辺りに響いた。

「来たよ、走太!」

 麗央奈が市街地の方を指差す。

 その先で炎と黒煙が上がり、巨大な影が揺らめいている。

 走太は息を呑む。

「じ、次元獣……!」

 すると、麗央奈が頭に付けているインカムのマイクに向けて言う。

「こちら紅坂及び小林。次元獣を目視で確認しました。これより迎撃に移ります。生徒会長に出撃の許可を」

 すると、走太の付けているインカムにも、女の子の声で返事が来る。

『了解。生徒会長に許可を取ります。なお、敵は四足歩行型。データベースと照合した結果、四年程前に出現した次元獣と同種である可能性が高いです。よって、敵は以後、「ジャガー」と呼称します。繰り返します。敵の呼称は以後、「ジャガー」です』

 細目の先輩、神谷源平によれば、中間世界に入れるのはキーパーマスターだけとのことだったが、後日聞いた話によると、

「ごめん、あれ嘘。いやー、あの場では、そう言った方が、小林くんを仲間に入れるのに都合が良いと思ったからさ。正確には、キーパーマスター以外にも数人、中間世界に入ることの出来る人間がいるんだよね」

 とのことで、それが今、走太達がインカムで通信をしている、私立御門学園の生徒会役員達であった。

 役職名称は『キーパーアシスト』。前線でゲートキーパーを駆り、戦闘で行うキーパーマスターの支援を行うことが、主な役目であるらしい。まだ見せて貰った事は無いが、司令室というところから指示を出しているのだそうで、そこには無数のモニターがあり、御門市内に無数に配置されたカメラから、戦闘の状況を確認しているのだとか。

 と、麗央名がインカムに問う。

「ジャガーの特徴は?」

『どうやら、かなり身軽で、足が速いようです。四年前の戦闘においては、五体のゲートキーパーによる連携で、中間世界の北東隅に追い詰め、撃破しています。武器は前足二本の爪と、口から放たれるエネルギー弾です。いずれの攻撃も、威力は飛び抜けて高くはないようですが、連続で受ければ、当然ながら危険です。そこは気を付けて下さい』

「しかし、神谷先輩のシラシオンは損傷していて出撃出来ない状態です。こちらのゲートキーパーは二体しかいません。四年前と同じ戦法は……」

『はい。仰る通り、四年前と同じ戦法は取れません。なので現在、生徒会と神谷先輩でそれに代わる対応策を考案中です』

『紅坂、小林くん、聞こえるかい?』

 インカムから、生徒会の女の子と入れ替わりで、神谷先輩の声。

 麗央奈は頷く。

「はい、聞こえてます」

『四年前の戦闘だけど、当時の五体ってのは、二代前の先輩達が乗ってて、シラシオン、レッドラス、ヴァルセイン、ゴウケンキ、アグリーネの五体だ。六体のゲートキーパー中最速を誇るヴァルセインが作戦のメインとなって、囲うように御門市の北東隅へと追い詰めた』

「ですが今、ヴァルセインはいません。加えて、重火力型のレッドラスでは、高速戦闘は不利です」

『そうだね。そこがネックとも言える。今回のジャガーは、レッドラスでは相性が悪い。けれど、決して勝算が無いわけじゃない』

「それは?」

『当時はまだパイロットが見つかっていなかった、ブラックテイラーだよ』

 走太は思わず、声を上げる。

「え、俺!?」

『そう、小林くん。君とブラックテイラーが、今回の戦闘の鍵だ。頑張ってね』

「ち、ちょっと待って下さいよ、神谷先輩! 俺は今日、次元獣との戦闘を見学する為にここに来たんですよね? 麗央奈の戦闘を脇から見てればよかったんじゃないんですか? 研修中みたいなもんだから気楽に、って言ってましたよね!?」

『いやー、ごめんね、小林くん。この前みたいなパワータイプだったら紅坂のレッドラスで何とかなるんだけどさ。ほら、戦場って常に何が起こるか分からないって言うし』

「俺、初戦闘ですよ!? まだ技の一つも知らないんですけど!」

『大丈夫。ブラックテイラーってそもそも、格闘以外に武装持ってないから』

「えぇぇぇ!? 嘘ぉ!?」

『あれ、おかしいな……通信が、上手くいか、な……ブツッ!』

「ちょっと! 神谷先輩!? おい神谷! 最後のブツッって自分で言ったよね!? おいぃ!」

 インカムに向かって叫ぶ走太だが、返答は無い。

 ならばとオペレーターである生徒会役員の女の子を呼ぶ。

菜美子なびこちゃん! 菜美子ちゃーん!」

『はい、代わりました。菜美子です』

「ちょっとさ、隣で意地悪そうに目を細めてる先輩と代わってくれないかな。電波の調子が悪かったみたいでさ、通信が途切れちゃったんだよね」

『……了解です。通信を代われだそうですが、どうします? ……ああ、はい、了解です』

「菜美子ちゃーん?」

『あ、はい。神谷先輩からの伝言です』

「伝言?」

『うだうだ言ってないで、さっさと行け、このヘタレ! だそうです』

「おいぃぃぃ! 神谷ぁ! 聞こえてんだろ、出て来いやぁぁぁ!」

『うだうだ言ってないで、さっさと行けよ、このヘタレ』

「あれ? 菜美子ちゃん、なんで今二回言ったの?」

『ん、おかしいですね……こちらも、電波が、良くな……ブツッ!』

「ちょっ、菜美子ちゃん!? 最後のブツって、やっぱり自分の口で言ったよね!? 菜美子ちゃーん!?」

 その通信を最後にして、走太のインカムは無言になる。

「ああもう、なんなんだチクショウ!」

 インカムを頭から外し、地面に叩き付ける走太に、麗央奈が言う。

「走太! 菜美子ちゃんからの通信で、生徒会長からの許可が下りたよ! 出撃しよう!」

「思いっきり電波良好じゃねぇか、菜美子ちゃん!?」

 ふと、屋上の柵の上で、ぐっと膝を曲げる麗央奈。

 その姿勢は、走太には柵から降りる為のものでは無く、力を溜める為のように見えた。

「ちょっ……麗央奈!? 一体、何を……!」

 驚いて手を伸ばす走太に、麗央奈は不敵な笑みを浮かべる。

「走太、さっきなんでわざわざ、柵の上なんかに立つ必要があるのかって訊いたよね? それは――」

 赤毛の幼馴染みは次の瞬間、走太の手をすり抜け、勢い良く空へと跳躍した。

「こういうこと!」

「え? ええぇぇぇッ!? 麗央奈!」

 走太は柵へと身を乗り出す。

 麗央奈は校舎の屋上から、校庭の地面へと落ちて行く。

 彼女は高らかに叫んだ。

「行くよ! レッドラスッ!」

 麗央奈の声に、世界が共鳴するように震える。その細い身体を中心として、空間に亀裂が走り、甲高い音を立てて砕け散る。同時に放たれる、眩い煌き。

 やがて、その光が消えた後には。

 真っ赤なアーマーを纏った、巨大ロボットの姿が校庭にあった。

「さ、さすが過ぎるぜ、麗央奈さん……!」

 運動神経抜群にして、怖いもの無しの彼女だからこそ、出来る芸当といったところだろうか。

 眉をひくつかせる走太の方へ、レッドラスが黄色いアイカメラを向ける。

『走太も同じようにやると楽だよ!』

「無理無理無理無理無理! 絶対に無理!」

『そう? 残念……』

 しょぼーんと肩アーマーを落とすレッドラス。

 走太は涙目になりながら、灰色の空に向かって顔を上げる。

「くっそ……神谷先輩め! 俺は見てるだけ! ぜぇぇぇったいに麗央奈の横で見てるだけなんだからね!」

 そして、大きく息を吸い、鬱憤をぶつけるように叫んだ。


「ブラックテイラァァァ――ッッッ!」


 走太の声が、中間世界の中で反響する。空間の壁を叩き割り、漆黒の機体が姿を現す。

 鋭利なナイフを思わせる流線型ボディー。有機的に、意思を持って生き生きと動く黒い尻尾。

 走太を選びし機体『ブラックテイラー』。黄色いアイカメラがギラリと輝く。

 大地を揺らし、校庭に着地したゲートキーパーは、屋上の走太に向けて、大きな手の平を差し出した。




 ブラックテイラーの胸部ハッチが大きく口を開け、コクピットが露になる。

 走太はブラックテイラーの手の平から、コクピットに飛び乗り、中央にある席に腰掛ける。

 左右の手元にある操縦桿を握ると、胸部ハッチがそれを感知して閉じ、コクピットのモニターが外の景観を映し出す。

 コクピットは球形で、その内側の壁は全てモニターになっている。全天周モニターというやつだ。

 ブラックテイラーのコクピットには、操縦桿以外にボタン等は存在せず、麗央奈が以前言っていた通り、パイロットが頭の中で、ゲートキーパーの行動をイメージすることで動かすことが出来る。

「ええと、モニターが点いたら次は……パイロットスーツ、装着!」

 これまでの練習通りに、そう言葉を口にすると、ゲートキーパーが認識して、走太の制服を光で包み、漆黒のパイロットスーツに変化させる。

 更に走太は次の動作をイメージ。席の肩の辺りからベルト状の物が伸び、パイロットスーツと席を繋ぎ、固定する。

「よし、これでOKなはず」

『走太!』

 モニターの一部に四角い窓が出現し、そこに麗央奈の顔が映し出される。

『準備は出来た?』

「練習通りにやったから、多分大丈夫だと思う」

『じゃあ、これから次元獣を倒しに行くよ。レッドラスは火力が高い代わりに機動力が低めだから、走太に結構頼ることになると思う』

「ああ、俺、やっぱり戦わなくちゃならんのね……」

 自分を奮起させようとは努力しているものの、先程から足の震えが止まらない。

(くそっ、なんでこんなことに……)

 最初は、キーパーマスターになる気など、さらさら無かった。

 けれど走太は、麗央奈がこうして次元獣が現れる度に、一人で戦場に出ていることを知ってしまった。自らの命を危険に晒しながら、彼女が世界の為に戦っていることを知ってしまった。

 もしも、それを見て見ぬフリをしてしまったなら、走太は十一年前と全く同じになってしまう。また、幼馴染みの少女を目の前で見捨てることになってしまう。

 だから、走太はこうして中間世界に出入りしている。気が進まなくても、ブラックテイラーの動かし方を麗央奈と神谷先輩から教わった。

 そして今、走太は嫌々ながらも、初の実戦へと足を踏み出そうとしている。

『走太……ごめんね』

 ふと、麗央奈が言った。

「え?」

『私、今、思いっきり無茶なこと言ったよね。走太は実戦、初めてなのにさ。……うん、私の言ったことは気にしないで。なるべく、走太に負担が掛からないように、私、頑張るから』

「麗央奈……」

『よし、行こう! 走太は私の後ろに付いて来て』

 レッドラスが全身のブースターを起動。その巨体を宙に浮かせ、市街地の方に向かって、発進する。

 走太の操縦桿を握る手に力が入る。

(麗央奈の奴、やっぱり、昔に比べて、ずっと強くなったよな。俺なんかより……よっぽど男らしい)

 自分は、本当に情けない男だと思う。足の震えは全然止まる気配が無い。

(だけど……)

 走太は前を見る。モニターの先、黒煙と赤炎が上がる、その場所を。

「走るイメージ……行け!」

 ブラックテイラーが動き出す。

 ゆっくりとした歩みは、次第に早まり、走太が頭の中で思い描いた通りの疾走を開始する。

(また話せるようになったんだ。麗央奈と、ごく普通に。俺はまだ麗央奈と話していたい。だから……!)




 ブラックテイラーは市街地に向かって、幅の広い道路を選び、走り続ける。

 ブラックテイラーには、空を飛ぶ為のブースターも、翼も、一切装備されていない。故に、戦闘地域へ向かう為には、こうやって走り続けるしかない。

 だからこそ、他のゲートキーパーに比べれば、身軽な動きが出来るのかもしれないが……。

(それにしたって、今時飛べないロボットってのはどうなのよ?)

 ましてや、現実的な兵器では無く、どちらかというとファンタジックな感じのロボットなのだから、翼の一つや二つ、付いていても良いと思うのだが。

(おまけに神谷先輩曰く、ブラックテイラーは格闘以外に一切の武器を持ち合わせていないらしいし)

 麗央奈のレッドラスとは、雲泥の差である。

 走太が今走っている辺りは、初めて中間世界に巻き込まれた時に、戦闘の流れ弾で被害を被った地点なのだが、見回しても何事も無かったかのように修復されている。

 中間世界は、その外観を現実世界と同一にしようとする力が働いているのだとかで、どんなに破壊されていても、ある程度時間が経つと、現実世界と同じ姿に作り直されるらしい。

 やがて、所々破壊され、黒煙を上げている市街地に突入する。

「うわっ!」

 走太は前方モニターに四速歩行の次元獣の姿を認めて、ブラックテイラーの走りを止めさせる。

 距離はおよそ一キロ。銀色の金属ボディーで、先の尖ったトゲを無数に生やしているものの、地球上に実在する生物『ジャガー』を思わせるその姿。悪魔のように細く、先端が矢印型になっている尻尾を上下に動かしながら、こちらにゆっくりと歩を進めて来る。

「グルルルルルル……!」

 無数の牙が生えた、猫科の造形をした頭部。ゴーグル型の目が、不気味な紫色の光を放っている。

「う……!」

 次元獣の存在感に気圧されて、一歩後退さる走太とブラックテイラー。

 と、ジャガーが素早く横に飛ぶ。直後、寸前までジャガーがいた場所に降り注ぐ光弾の雨。

 走太が上空を見上げると、そこには両手の五指から蒸気を上げるレッドラスの姿があった。

『走太、ジャガーから目を離さないで! どこから来るか分からないよ!』

 麗央奈はそう言って、再びレッドラスの十指を地上に向け、ビームバルカンを放つ。

 爆音が次々と上がり、街が一瞬で火の海に包まれる。

「れ、麗央奈、幾らなんでもやり過ぎじゃ……」

 走太は壮絶な光景に、思わず身震い。

『私もそう思う。だけど、全力で立ち向かわないと――』

 火の海の中か青い光弾が飛び出し、一直線にレッドラスへ向かう。直撃し、爆発する光弾。

「麗央奈!」

『大丈夫』

 爆炎の中から、レッドラスが腕を出す。その右腕の甲には、光の盾――ビームシールドが展開されていた。

「シールド展開って……あの攻撃に、咄嗟に反応出来たのか……?」

『走太、これで分かったと思うけど、周りがどんなに酷い有様になろうとも、全力で立ち向かわないと、やられるのは私達だよ』

 ごくりと唾を飲み込む走太。ここは本当の戦場なのだと、改めて思い知らされる。

 一つ間違えば、自分の命は無い。そういう場所なのだ、ここは。

(俺みたいな奴が、なんでこんなところに来てんだ……?)

 技術も、度胸も無いのに、戦場のど真ん中に出て。無事に生きて帰れるとでも?

(つーか、なんで俺なんかを選んだんだ、ブラックテイラー)

 自分よりもパイロット適正に優れた奴なんて、御門学園には一杯いるだろうに。

『走太、横!』

 狭い路地の間を抜けて、ジャガーが勢い良く飛び掛って来る。

「ぎゃーっ!?」

 寸でのところでかわし、難を逃れる走太。ジャガーは道路上をスライディングしながら着地し、ゲートキーパーに比べてやや小柄の身体を、ブラックテイラーの方へ向き直らせる。

「くっそぉ……思いっきり俺狙いじゃねぇかよぉ……!」

 その紫色のゴーグルアイに睨まれるだけで、今にも泣きそうである。

 ガパッ! と牙だらけの口が大きく開かれる。中央に銃口があり、それが光ったと思った途端、ブラックテイラー目掛けて、青白いエネルギー弾が発射される。

「ちょっ、撃つな! 俺に撃つなぁぁぁ!」

 砲撃がブラックテイラーの肩を掠め、走太は悲鳴のような声を上げて、その場から逃走を開始する。

「グルルルァ――ッッッ!」

「ひぃぃぃっっっ!」

 しかも、ジャガーはレッドラスに見向きもせず、ブラックテイラーを追い駆けて来る。

 全力疾走するブラックテイラーだが、ジャガーの方がスピードは上で、両者の距離はあっという間に縮まって行く。

 そして、ついにブラックテイラーの真後ろまで追い着いたジャガーは、ガパッと口を開ける。ギラリと奥にある銃口が輝く。

「ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいぃぃぃ! ちょっと待って、ジャガーさん! 落ち着いてぇぇぇ!」

 走太は間違いなく、無防備な背中に向けて、エネルギー弾を撃たれると思った。

 だが、そこでジャガーが取った行動は。


 ガブッッッ!


「ホワァァァイッ!?」

 眼前で揺れている、ブラックテイラーの尻尾に噛み付くことだった。

 走太は全く意味が分からない。何故光弾を撃たなかったのか。ブラックテイラーの揺れる尻尾が、ジャガーの本能を突き動かしたのか。

 いずれにしても、走太は激しくパニックに陥った。一応、攻撃を受けていた。光弾を撃たれるよりも、むしろ行動の意図が全く読めないだけに、一層怖かった。

 だから、泣き叫んだ。

「ギャアァァァ! 噛まれたぁぁぁ! 次元獣に噛まれたぁぁぁ! 死ぬぅぅぅ、死んじゃうぅぅぅ――ッッッ!」

『走太! 落ち着いて!』

 通信で麗央奈が言った。

「無理! 無理無理無理ぃ! 麗央奈、取って! 早くジャガーさん取ってぇぇぇ!」

『分かった! 取るから、ひとまず止まって! それ以上そっちに走ったら!』

「ぐおぉぉぉ! 離れて! お願いだからジャガーさん離れてぇぇぇッッッ!」

 ジャガーに尻尾を噛まれてもなお、走太は全力疾走を続けていた。ブラックテイラーの尻尾を振り乱しながら、北にある御門学園の方へ逃げ続けていた。

 やがて、走太は学園の正門から、校庭に転がり込もうとする。だが。


 ドゴスッッッ!


「ごはぁっ!?」

 ブラックテイラーは、全力疾走の勢いそのままに、学園の正門にある見えない壁に激突した。

 ずるずると不可視の壁を滑り落ち、正門前の大通りにうつ伏せに倒れるブラックテイラーとジャガー。

「す、すっかり忘れてた……」

 校庭から出撃することは出来ても、戻ることは出来ないのだった。

 中間世界における御門市と他の街の境界線、それから御門学園の周囲には、見えない壁が存在している。

 それは、中間世界の広さの限界を示すもので、中間世界はつまり、御門市の広さしかないということでもあった。

 すなわち、中間世界は御門市という区切られた空間の中にのみ存在しているのである。

 では、御門学園の周囲にある壁は一体何なのか。

 神谷源平によれば、

「御門学園の周りにある壁こそが、僕達が死守すべき『次元の門』。次元の門の内側は、中間世界の中で、最も現実世界に近いポイントだ。だから、もしもこの壁が破られた場合、次元獣は現実世界へと侵攻を開始する」

 走太はその言葉を思い出して、ぞっとした。

「や、やばい! 次元の門が……!」

 ブラックテイラーを起き上がらせて、背後のジャガーに視線を走らせる。

 と、走太の視界に飛び込んで来たのは、振り下ろされる三本の爪。

「おわっ!?」

 反射的に地面を転がって、左肩を掠めながらも、それをかわす。鋭い爪は道路に突き刺さり、嫌な音を立ててクレーターを作り出す。

 よろけながらも、必死にブラックテイラーの体勢を立て直す。

 左手の爪を道路に突き立てたジャガーは、御門学園の方など見向きもせず、ゴーグルアイを走太に定めていた。

「次元の門より俺を取るんですかジャガーさん!?」

 はっきり言って、全然嬉しくない。

「グルルルルルァァァ――ッッッ!」

 答えるように咆哮するジャガー。大気が激しく振動し、近くの建物の窓ガラスが砕け散る。

 予備動作は、全く見えなかった。

「え?」

 モニターから、ジャガーの姿が消えた。

 何が起きたのか、走太が思考し始めたところで、前方からの強烈な物理的衝撃を受ける。

「かはっ!?」

 吹き飛ばされ、道路上を転がる走太。

 くらくらとする頭で、モニター正面に映っているジャガーを見やる。

「攻撃が速過ぎて、全く見え――」

 再び、ジャガーがモニターから姿を消す。

「くっ!?」

 腕を前面で交差させ、ガードしようとする走太だが、いつまで経っても衝撃は襲って来ない。

 何故、と思った瞬間、アラート音が鳴り響き、モニターに『後方に注意!』という表示が出る。

 振り向けば、高速で迫り来る四足の怪物の姿。

「がっ!?」

 三本の爪による攻撃を受け、よろけるブラックテイラー。

 ジャガーは弾丸のごとく低空を駆け、近くの建物を足場にして反転、再びブラックテイラーに攻撃を加える。

 繰り返し、ブラックテイラーを切り裂くジャガー。走太はただただ弾かれ、悲鳴を上げるだけ。

『走太ぁ!』

 麗央奈のレッドラスが走太に追い着く。

『待ってて! 今助けるから!』

 レッドラスがブラックテイラーの横に着地。左腕のビームシールドを展開し、ピンボールのごとく縦横無尽に辺りを跳ね回るジャガーへ、右手の五指を構える。

 だが、ジャガーの方はレッドラスに構おうとはしない。

 ブラックテイラーだけを狙い、鋭い爪で切り裂いて行く。

「ごはっ! へぶばっ!? あべしっ!」

『走太! なんでこの次元獣、走太ばっかり……! こっち向けぇ!』

 麗央奈は辺りにバルカンを撒き散らす。しかし、それがジャガーに当たるはずも無く。

 ブラックテイラーだけが、敵による攻撃でダメージを蓄積させて行く。

 麗央奈が切羽詰った声で言う。

『どうして!? どうしてこっちに攻撃して来ないの!?』

 走太は何となく、その理由に気付いていた。

「分かってるんだ……多分……」

『え?』

「俺が、弱いってこと……」

 だから、走太しか狙って来ない。麗央奈を攻撃しないのは、レッドラスが自分のスピードに付いて来れないことを理解しているから。次元の門を突破しようとしないのは、ブラックテイラーさえ倒してしまえば、レッドラスも倒せる自信があるから。走太達を始末すれば、誰にも邪魔されず次元の門を突破出来る。

 つまり、このままでは次元の門が突破され、現実世界が危険に晒される前に、走太は殺されるということだ。

「冗談じゃねぇぞ……」

 こちとら、初の実戦だというのに。そもそも、源平が麗央奈の戦う姿を見学して、勉強しろと言うから、走太はここに来たのだ。

「冗談じゃねぇ……」

 なのに、殺される。ロボットアニメの冴えない脇役のごとく、見せ場の一つも無く、無残に命を散らして行く。

 情けないったらありゃしない。

 いや、情けないよりも何よりも、悔しい。

 足の震えが止まらない自分。ワケも分からず涙が出て来る自分。反撃の一つも出来やしない自分。麗央奈に格好良いところの一つも見せられない自分。喚くことしか出来ない自分。次元獣に弱いと思われている自分。

 そして、何より。

 死にそうになってまた、麗央奈に謝れなかったことを後悔している自分が。

 モニター正面に、剛速球のごとく突っ込んで来るジャガーが映る。

「冗談じゃ……ねぇぞぉおおぉおぉおぉぉおッッッ!」

 ごちゃごちゃになった気持ちを言葉にぶつけ、吐き出した。走太にとっては断末魔と言ってもいい。

 それに応えるかのように、ブラックテイラーが動いた。

 黒い右手を握って拳を作り、振り抜き、飛び込んで来たジャガーの顔面に、思いっきり拳をめり込ませた。

 高速回転しながら、宙を舞うジャガー。ブラックテイラーによる一撃で働いたベクトルは凄まじく、銀色の身体を、近くの建物の壁面に突き刺した。

「あ……れ……?」

 走太はブラックテイラーの拳を見て、目を瞬かせる。

 麗央奈が驚きの声を上げる。

『凄い、走太! ジャガーに攻撃が当たった!』

「いや、俺は……」

 確かに、ジャガーを殴りたいとは思った。それくらいには腹が立っていた。

 だが、走太はあくまで怒りの感情を爆発させ、言葉にしただけだ。後はブラックテイラーが勝手に動いて、ジャガーを殴り飛ばした。

(俺はジャガーの動きに反応出来てなかった。反応したのは、俺じゃなくてブラックテイラーだ)

 走太の目はジャガーの動きについていけてない。イメージしたところで、ジャガーに拳を当てることなんて出来るはずがない。

 今のは、走太の『殴る』というイメージをブラックテイラーが読み取った上で、ブラックテイラー自身がジャガーの動きを見て、拳が当たるようにタイミングを見て攻撃したのだ。

 走太は、ビルの壁面から身体を引き抜き、地面に着地する次元獣から視線を離さず、麗央奈に問う。

「……麗央奈。訊きたいことがあるんだけど」

『なに、走太』

「ゲートキーパーっていうのは、例えば、キーパーマスターが次元獣を殴りたいってイメージした時に、自動で相手を殴りに行くもんなのか?」

『え? どういうこと?』

「いや、ゲートキーパーって、どこまで自分の意思を持ってるんだろうって思ってさ」

『分からないけど……私のレッドラスは、少なくとも、勝手に動いたことはないよ。私がイメージした通りにしか動かない。自分自身の手足を動かすようなイメージでしか、動いたりしない』

「だとしたら……」

 走太はモニター後方を見やる。

 そこには、生き生きと動く、ブラックテイラーの黒い尻尾がある。まるで、自分の意思を持っているかのように。

 走太は次いで、モニター正面に視線を戻す。

 ジャガーが体勢を立て直し、今にもまた攻撃に出そうな雰囲気を醸し出している。

 再び、モニター上から敵影が消失したところで、走太は叫んだ。

「頼む、ブラックテイラー! あいつの動きを止めてくれ!」

『走太、何を!?』

 直後、ブラックテイラーが動いた。開いた右手を天に掲げると、コンクリートの道路に向け、勢い良く振り下ろす。

 轟音を立て、地面に大きなクレーターが出来上がる。

 走太は果たして、賭けに勝った。ブラックテイラーが振り下ろした右手は、ジャガーの頭部を鷲掴みにして、道路に押し付けていた。

『なっ……!?』

「うおらぁぁぁ!」

 走太は、今度は自分でイメージをして、ジャガーを横の建物に放り投げ、叩き付ける。

『走太……今のって』

「ブラックテイラーにこう動いて欲しいっていうのを頼んでみたんだ。そしたら、応えてくれた」

『そんなことが……!?』

「これなら、あいつに勝てるかもしれない」

 横の建物から、勢い良く飛び出す影。

 走太は、ただ名前を叫ぶ。

「ブラックテイラー!」

 瞬時に振り被った黒い機体は、向かって来るジャガーを的確に捉え、拳を振るう。

 顔面に直撃。地面にバウンドさせて、銀色の身体を再び付近の建物に突き刺す。

「うおぉぉぉ!」

 走太は駆け出す。ジャガーに接近し、追撃を加えるべく、拳を振り下ろす。

 だが、次元獣は反応し、飛び退いてそれを回避する。

 体勢を立て直し、攻撃を仕掛けて来るかと思いきや……ジャガーは背中を向け、突然走り出した。

「ちょっ……逃げた!?」

 一気に離れたところで反転。口を開き、青いエネルギー弾を放って来る。

「おわっ、止めっ……何事!?」

 レッドラスがブラックテイラーの前に降り立ち、シールドを構えて、エネルギー弾を防ぐ。麗央奈は言った。

『戦法を変えて来たんだよ、多分! 走太を手強い敵として判断したんだ』

「くそっ……もう少しで倒せそうだったのに!」

『ブラックテイラーは、攻撃に反応することは出来ても、根本的な速さじゃジャガーに勝てない。だから、遠距離戦に切り替えたんだよ』

「ブラックテイラーは飛び道具を持ってない! 距離を取られたらどうしようも……ひぃっ!?」

 すぐ横の地面にエネルギー弾が命中し、爆発する。

 と、モニターに新しく四角い枠ーーウィンドウが現れ、見慣れた顔が映し出される。

『やあ、小林くん。ちょっとピンチっぽい感じかい?』

「神谷先輩! 今まで何してたんです!?」

『生徒会メンバーと、ジャガーを倒す作戦会議だよ。それはそうと、さっきの盛り返しはなかなか格好良かったよ。ブラックテイラーの特殊性に気付いたっぽいね』

「そんなの今はどうでもいいです! ジャガーが遠距離戦を仕掛けて来て、今凄くピンチなんです! 敵を倒す作戦を早く教えて下さい!」

『あー、それなんだけどさぁ……』

「はい、何です!?」

『無いんだよね』

「……はい?」

『無いの、作戦。とてもじゃないけど、二体じゃ無理。だから、各々で頑張ってとしか言い様が無い。あははー、ごめんちゃい』

「ごめんちゃいじゃなぁぁぁ――い! 何か、何かあるでしょ!? あると言って!」

『強いて言うなら、出撃前にも説明したけど、ブラックテイラーが鍵だ。ブラックテイラーの持つ可能性が、この不利な戦いを勝利に導いてくれるかもしれない』

「可能性……?」

『そう、可能性。ブラックテイラーは、他のゲートキーパーと違って、決まった武装、決まった形態を持たない機体なんだ』

「それってどういう……」

『パイロットのイメージに合わせて、その場で最適な形態に変化するってことさ』

「なっ……そんな便利な能力があるなら、最初から教えといて下さいよ!」

『けれど、その能力を使うってことはすなわち、小林くんが必然的に前に出て戦うってことだよ? それでも良かったのかい?』

「うぐ……」

 それを言われると、走太には反論することが出来ない。

 モニター上の源平は、あくまで目を細く、笑顔を浮かべたまま言う。

『さて、どうする小林くん? この状況を打開するには、ブラックテイラーの能力が必要だ。君は今、前に出て戦う勇気があるのかな?』

「ありません!」

 走太はきっぱりと答えた。

 命を賭けて戦う度胸が自分にあるなら、とっくに麗央奈に昔のことを謝っている。

 源平は細目を見開いて、呆気に取られたような顔をしたが、すぐに細目に戻り、肩をすくめる。

『なるほど、小林くんらしいね。ここは普通、覚悟を決めて「やってみます」と言うところじゃないの?』

「無理です! 無理無理、絶対に無理! 俺、初実戦なんですよ!?」

『でも、小林くん。多分、そんな君だからこそ、ブラックテイラーは君を選んだんじゃないかな』

「え?」

『ブラックテイラーはね、他のゲートキーパーと違って、とても気紛れな機体なんだ。例えば、四年前は、気に入った人物がいなかったみたいで、誰もパイロットに選ばなかった。だけど、二年前には、僕の先輩である女の人が気に入ったみたいで、パイロットにした。その先輩は、本当に変わった人だった。ブラックテイラーは癖のある人間が好きなんだよ、おそらくね』

「えーっと、それって要するに、俺が変人ってことですか」

『まぁ、そうとも言うかな』

 微笑む源平。彼は言葉を続ける。

『小林くん、いずれにしても、君はブラックテイラーに選ばれた。それはすなわち、ブラックテイラーが君に可能性を見出したってことだ。だから君は、もう少し自分に自信を持っていい』

「自信……?」

『君は自分のことをもっと、信じてみてもいいんじゃないかな』

「自分を……信じる……」

 走太はふと、今まで一度でも、自分を信じたことがあっただろうか、と思い返す。

(多分……無いな)

 走太は、幼馴染みの少女を見捨てたあの日から、自分のことが大嫌いだった。

 ヘタレであることを自覚し、それを嫌悪しているのにも関わらず、何もして来なかった自分のことをずっと嫌っていた。

 それを今更、どう信じろというのか。

 少しも分からない。けれど、信じれば、何かが変わるのだろうか。

(俺でも……俺みたいなヘタレでも……あいつを倒すことが出来るのか?)

 強く信じれば、ひょっとすると。

 そう思った途端、コクピットが軽く揺れた。

「え?」

 ブラックテイラーが、ゆっくりと動き出していた。

「ブ、ブラックテイラーさん、なんで動いてるの? 俺、まだ心の準備出来てないよ? いや、イメージしたけどさ、ちょっとだけ! ちょっとだけ、行けるかなって思ったけどさ! それはあくまでイメージしただけで……」

 走太は馬の手綱を扱うように、操縦桿を引くが、ブラックテイラーの動きは止まらない。

「ちょっと待って! 俺、本当に無理! マジで無理だから! ジェットコースターとか、そういうの駄目なんだって俺! やる前から怖いのが分かってて、行くのはちょっと……って、おわぁぁぁあぁああぁあっ!?」

『走太!?』

 シールドでエネルギー弾を防御し続けているレッドラスの脇を抜け、ブラックテイラーは、ジャガーに向けて、一直線に走り出した。

「ひぃぃぃ! 止まって! お願いだから! 止まって下さいブラックテイラーさんっっっ!」

 向かう先にいるジャガーが反応し、エネルギー弾を連射。

 しかし、ブラックテイラーは止まらず、ある攻撃は身体を捻って上手くかわし、ある攻撃は拳で殴り飛ばし、ある攻撃は尻尾で弾き飛ばしながら、突撃して行く。

 勿論、走太は一切イメージ等していない。走り出してしまったジェットコースター状態である。

 猛然と突き進み、ジャガーに肉薄するブラックテイラー。走太は激しい動揺の中で、次の行動をイメージする。

「何なの、どういうことなの!? こうしろってこと? やるよ! やればいいんでしょ!? おらぁぁぁ!」

 勢い良く拳を振り下ろす。ジャガーは回避。行き場を失った拳は、ベクトルそのままに地面を破砕する。

 再び距離を開けるべく、駆け出すジャガー。

 走太の脳内は、次の行動を瞬時に選択していた。

「もう弾幕に突っ込むのは嫌だぁぁぁっっっ!」

 走太の取った選択肢は『追走』。理由は簡単で、このまま距離を取られたら、再びエネルギー弾の連続攻撃に晒されるから。追走することで、少なくともジャガーは逃げることに専念せざるを得なくなる。

 つまり、走太はジャガーを倒したいとかそういう意図で追うのでは無く、攻撃が怖いからこそ追い駆けるのであった。

 ただ、当然ながら、ジャガーの方が足は速い。

 追走するものの、あっという間に距離は開いて行く。

「くっそ、無理! 分かってたよ、決まってんじゃん! 絶対に追い付けない!」

『諦めるのはまだ早いよ、小林くん』

 様子を見守っていたらしく、モニターの源平が言う。

「神谷先輩、でも、見ての通り、スピードのスペック差が圧倒的過ぎて!」

『そんなことは無い。言ったはずだよ、ブラックテイラーはその場で最適な姿に変化することが出来る』

「どうやって!?」

『イメージするんだ。あいつに追い着く為には、ブラックテイラーの身体をどう変化させたらいいか。君ならどう考える?』

「ジャガーに追い着く……」

 これがロボットアニメだったら、どうだろう。

 速い敵に追い着く為の追加武装は――

「ブースター、でかいブースター!」

 そうイメージした瞬間、コクピット内に変化が起きた。『創造開始』という文字がモニターに表示され、光の線のような物が、モニター前方から後方に走る。

 走太がモニター後方を見やると、そこにはブラックテイラーの尻尾があり、光の線はモニターの外へ脱し、尻尾上のモールドを駆け巡る。

 尻尾の装甲が変形した。パズルを組み替えるように装甲の中から新たな装甲が展開、明らかに質量を無視して、装甲は肥大化、長方形を模って行く。やがて、尻尾の先端、長方形の一面から噴射口らしき物が迫り出す。

 そうして、ロボットアニメ好きな走太が見て分かる程に、分かり易い、ミサイルのようなブースターが完成する。

「でも、何故に尻尾!?」

 そんな位置にブースターを付けてしまったら、この後点火した時に――


 ボッッッ!


「……って、言ってる傍からブラックテイラーさん点火したぁ!?」

 噴射口からから炎が溢れ出し、尻尾が炎の勢いに耐え切れず、激しく荒らぶる。上下左右に荒らぶりまくる。

「ちょっ、中止! 中止してブラックテイラーさん! そのブースターじゃキツい! 決まった一方向に進むの無理! ……って、炎の勢いが……のおぉおぉおぉぉおっ!?」

 ブースターの炎が勢いを増し、とんでもないことが起こった。

 走っていたブラックテイラーの身体が、宙に浮いた。走っていた方向に、ブラックテイラーはまさかの低空飛行を始めたのだ。

「嘘っ!? 飛べんの!? なんで!? 奇跡!?」

 尻尾の先端で、ねずみ花火みたいに荒らぶるブースター。

 モニター前方で米粒みたいになっていたジャガーとの距離が急速に縮まって行く。ぐんぐん縮まって行く。

「マジでか……!」

 走太はふと、不思議な高揚感に包まれ始めた。

「追い付ける……!?」

 先程までとはまるで逆。あれ程速かったジャガーの走りに、自分が付いて行けている。

 いや、距離が縮まっているということは、スピードで今、上回ったということ。

 そう思ったら、ドキドキが止まらない。

 ジャガーが顔だけ振り向かせて、ブラックテイラーを撃ち落とそうとエネルギー弾を放って来る。

 だが、当たらない。いや、当たったとしても、今のブラックテイラーなら。

 走太は操縦桿を強く握った。イメージはただ一つ。

 ブラックテイラーが右拳を握り締め、大きく振り被る。

 距離が近付く。もう二十メートルも無い。

 勿論、怖かった。凄く怖い。

 だけど、その怖さを超越して、走太は今。

 目の前にいる次元獣を、

「うぉおおおぉおぉおぉおぉおおおぉおおぉおッッッ!」




 ブラックテイラーが思いっきり右腕を振るう。

 ブースターの勢いも加わり、一発のミサイルと化した拳が、ジャガーの腹部に炸裂する。

 めり込み、亀裂を走らせ、それだけに留まらず、腹部左から右にかけ、漆黒の腕が深々と突き刺さり、貫通する。

 ジャガーが断末魔を上げ、ブラックテイラーはブースターの噴射を解除。

 バランスを崩し、貫いたジャガーと揉みくちゃになって地面を激しくバウンド、ブースターが残した慣性で、数キロに渡って、幾つも建物を薙ぎ倒しながら転がる。

 最後に、ジャガーの身体がスパークし、爆散。

 御門市の南方に、大きなキノコ雲が上がった。




「これで、今月五体目だな」

 御門学園の薄暗い地下司令室で足を組んでいる金剛雅は、大画面のモニターに映ったキノコ雲を見ながら、言葉を零す。

「歴代最高記録更新だね。いや、最低記録と言った方がいいのかな」

 雅の横に立ち、同じくモニターの様子を見守っている神谷源平が言った。

 彼らの周りでは、通信オペレーターである蓬莱菜美子や、その他の生徒会役員達がパソコンのキーボードを高速で操りながら、情報収集に当たっている。

「ジャガーの反応、消失!」

「小林先輩のブラックテイラーは!? 無事なんですか!?」

 声を張り上げる菜美子。

 生徒会役員の一人である男子生徒が、パソコンに多数のウィンドウを開いて、確認を急ぐ。

「待って! ブラックテイラーの反応は……あった! 爆発地点から千八百メートル東! 高層ビルの中段に上半身から突き刺さってる! 多分、爆発で吹き飛ばされたんだ!」

「紅坂先輩、聞こえますか!? 菜美子です。爆発があった地点から千八百メートル東のビルに、ブラックテイラーの反応を確認! 急いで救出に向かって下さい!」

 慌しい室内の様子を横目に、雅は携帯電話を開き、液晶画面の日付を見る。

「今日は五月十九日か」

「あれから丁度、一週間だね。出現するのに少しばかり間は空いたけど、それでもまだ十九日だ。金剛――」

 源平は険しい顔付きで、細眼を見開く。

「僕も少しばかり、嫌な予感がして来たよ」

「神谷、シラシオンの修復が終わるには、後どれくらい掛かりそうなんだ?」

「残念ながら、まだ半月以上は掛かるね。けど、いざとなったら、すぐに出撃するよ。たとえ、完全じゃなくてもね」

「そうか。ならば、私も――」

 金縁眼鏡の位置を直し、雅は源平を見て、言った。

「キーパーアシストの代表として、出来る限りのことをするとしよう。何かが起きる前にな」

 金色の紋章を額に浮かべ、仄かに輝かせて。




「……はっ!」

 走太が目を覚ますと、見慣れない天井が視界に入った。

 左右を見回し、薬品棚や、白いカーテン、窓の外に広がる景観で、自分が寝かされている場所が、御門学園の保健室にあるベッド上であるらしいと理解する。

「……俺、生きてる?」

 ぱちぱちと瞬きする走太。自信の手を見て、開いたり閉じたりする。

 四足歩行の次元獣『ジャガー』と戦い、ブラックテイラーの尻尾をブースターに変形させ、追い着いた末、その顔面に向けて、拳を叩き込んだところまでは覚えている。

 ただ、その後、どうやってブレーキを掛けるかまでは全く考えて無くて、ジャガー諸共地面を転がって……そこで記憶が途切れている。

(でも、こうして生きてるってことは、ジャガーを倒せたのか?)

 と、下腹がやけに涼しいことに気付く。何というか、スースーする。

「つーか、掛け布団が無……」

 顎を引いて、下腹の方を向いたところで、走太はそこにいた人物と目が合った。

 燃えるような赤毛を、後頭部で結わえた少女。ここ一週間で、再び会話を交わすようになった幼馴染み。紅坂麗央奈。

 彼女の右手には、捲った白い掛け布団が握られており、もう左手には走太のワイシャツの裾が摘まれている。

 つまり、分かりやすく言うと、麗央奈は走太のワイシャツを捲って下腹を露出させた状態で、走太と視線を合わせ、綺麗な瞳を大きく見開き、石像にでもなったかのように固まっていた。

「えーっと……麗央奈さん?」

 走太は状況が理解出来ず、目をぱちくり。

 麗央奈はぷるぷると両手を震わせ、次第に顔を赤くして行く。

 走太は訊いてみた。

「……俺のお腹に、何か……?」

 途端に、ぼっと顔を深紅に染める。肌と髪の色が見事に一致。

 彼女は両手の平を前に突き出し、ぶんぶんと激しく上下させた。

「ち、ちち、違うんだよ走太! これには色々と理由があって……!」

「あっ、そうなんだ」

 まぁ、聡明な麗央奈なことだ。理由も無くこんなことはしないだろう。

 走太は彼女に尋ねてみる。

「それで、理由って?」

「え」

 ビクッと赤いポニーテールが揺れる。何故か顔を引きつらせながら、

「そ、それはその、走太の紋章が……」

「紋章?」

「う……」

「う?」

「うあぁぁぁっっっ!」

 麗央奈は突然大声を上げると、自らの頬っぺたに右拳でコークスクリューを炸裂させた。

「ちょっ、麗央奈さぁぁぁ――ん!?」

「うあぁぁぁ!」

「待って、落ち着いて! どうしたのいきなり!?」

 今度は左手で自身にコークスクリューを当てようとしているので、走太は彼女の手首を掴んで、それを制す。

 麗央奈はぽろぽろと涙を零した。

「ふぐっ……紋章は言い訳なんです! ひっく……本当はただのスケベ心なんです! うぅっ……つい魔が差したんですぅ!」

「えと……色々と分からない部分はあるんだけど、とりあえず、紋章というのは……?」

「こ、これです!」

 顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら、自身が着ているセーラー服の裾を掴み、ばっと勢い良く捲くる麗央奈。

「いやぁぁぁッ!?」

 走太は思わず女の子みたいな悲鳴を上げて、顔を両手で覆った。

「この、お腹にある赤い紋章……!」

「分かった! 紋章でも何でもいいから、お腹閉まって! 早く隠してぇぇぇ!」

「え? あ……きゃあぁぁぁッ!?」

 我に返ったのか、麗央奈は制服の裾を下ろして、走太に負けじと大きな悲鳴を上げる。

 彼女はベッドの横の床にぺたんと座り込み、お腹を押さえながら、怒った様な顔を向けて来る。

「……見た?」

「見てない見てない!」

 走太は必死に首を横に振る。

「本当に?」

 麗央奈は、今にもまた泣き出しそうである。いや、顔は既に涙で酷いことになっちゃってるけども。

「本当! マジ本当! おへその部分にある赤い紋章なんて、これっぽっちも、微塵も見てない!」

「……なんでおへその上に紋章があるって知ってるの?」

「あ……」

「……やっぱり見たんだ」

 ゆらりと床から立ち上がる麗央奈。普段は綺麗な瞳からは光が消え、虚ろになっている。まるで死んだ魚の目だ。

 走太は底知れぬ恐怖を感じ、理由も無く、首を横に振りながら、

「い、いや、違うんだよ麗央奈さん。不可効力だったんだよ。なにせ、いきなりだったしね? 咄嗟に顔は隠したけど、ちらっとだけ見えちゃったんだよ?」

「ちらっとだけ?」

 死んだ魚の目のまま、首を傾げる赤毛の幼馴染み。

 走太は勢いよく頭を下げた。

「すんません、嘘です! 本当はガン見でした! 両手で顔隠してたけど、実は指の隙間からガッツリ見てました!」

「そうなんだ。そうか……ガッツリ見られちゃったんだ。はは……ははは……」

 すると、麗央奈は不気味な笑い声を上げながら、保健室の窓際へと歩き出す。

「れ、麗央奈さん……何を……」

 ゆらゆらとゾンビのように肩を揺らしながら、彼女は保健室の窓際に立った。

 鍵を開け、ガラッと窓を開ける。やや西に傾いた日差しが彼女を照らし、赤い髪を美しく輝かせ、また午後のゆるやかな風が、髪と保健室のカーテンを揺らす。走太にはその光景がとても眩しく見えた。

 ふと、麗央奈が振り向いて、先程までの死んだ魚の目とは打って変わって、ふわっと柔らかく、天使のような微笑みを浮かべて、言った。

「走太」

 名前を呼ばれて、走太はドキッとした。

 そして、麗央奈はごく自然な動作で、窓枠に片足を掛けた。プライドとか、罪悪感とか、恥ずかしさとか、何もかも捨て去った、それはもう天使のように素敵な笑顔で。

「私ね、ここから飛んで、赤いトマトになるんだ」

「ちょっ、落ち着いて! 麗央奈さん、ここ一階!」

 なにせ場所が保健室である。しかも窓の外側は芝生になっているので、多分どんな落ち方をしても死ねない。

「止めないで走太! 私は……私はトマトになるの!」

「無理だって! そんなことしても、せいぜい恥ずかしくなって、顔がトマト色になるだけだよ!」

「いや、角度と速度を付ければどうにか……!」

「ならないよ!? つーか、平気な顔してるけど、どう考えても頭の中混乱極まってるでしょ麗央奈さん!」

「だって……だってだって、魔が差して走太のお腹を見た挙句、今度は走太に自分のお腹を見られて……しかも走太はガン見で!」

「すんません、マジすんません! ガン見したことは謝ります! でも、仕方ないじゃん、俺だって健全な男の子だもの! あんな白くて綺麗なお腹出されたら、普通の男子高校生は目が追っちゃうよ!?」

「き、綺麗……」

 かぁあぁあぁあっと顔を赤くし、俯く麗央奈。

 窓枠に掛けていた足を下ろし、左手と右手の人差し指を合わせて、もじもじする。

「そ、走太は……」

「な、なに?」

「走太は……お腹の綺麗な女の子は……好き?」

「へ? あ、ああ、うん。そりゃあ、好きですよ。しっかりとくびれつつも、女の子特有の柔らかいラインが出てるお腹は、健康美って感じで、凄く素敵だよね」

「そ、そうなんだ。えへへ……お腹見られて恥ずかしかったけど、走太が好きだって言うなら、いいや」

 そう言ってはにかみながら、麗央奈はベッドの横に戻って来る。

(いいんだ……)

 よく分からないが、お腹を褒めたことで、平常心を取り戻してくれたらしい。

 走太は、ほっと胸を撫で下ろし、息を吐く。

「……でも、麗央奈の言う、紋章ってのは、何なんだ?」

「えっとね、キーパーマスターの証みたいな物で、ゲートキーパーに選ばれると同時に身体のどこかに現れるんだ。レッドラスなら赤色だから、ブラックテイラーの紋章は多分、黒色だと思うんだけど、ぱっと見、走太の身体にはそれが見当たらないから、どこにあるんだろうって思って、気になって……」

「結果、自分と同じお腹にあるんじゃないかと推測して、ワイシャツの裾を捲ってみたと」

「プラス、ちょっとしたスケベ心で……」

 恥ずかしそうに、手で顔を隠す麗央奈。

「スケベ心って……女子のスカートを捲る小学生の男子じゃないんだから……」

 走太の中にあった麗央奈の聡明なイメージが、どんどんと崩れて行く。

 あれ、おかしいな。目の前にいるのは、学園屈指の美少女のはずなのだけれど。

「それにしても、ブラックテイラーの紋章か……そんなのどこに……あっ!」

「どうしたの、走太? ひょっとして、何か思い当たる節があった?」

「……うん、あれだ。俺、その紋章がどこにあるのか、知ってるわ」

 一週間前、中間世界のことを知ったあの日に、風呂場で見つけたやつだ。多分、ゲートキーパー関係なんだろうなぁと思い、後で源平にでも訊こうと保留したまま、完全に忘却の彼方へと追いやっていた。

「どこにあるの?」

「ええっと、女の子には少々言い辛い位置に……」

「言い辛い位置? それってまさか――」

 麗央奈は、ぽっと顔を上気させながら、

「おちんち」

「アウトォォォッッッ! 麗央奈さんアウトォォォッッッ!」

 言い切る寸前で大声を上げて、遮る走太。

 ゼェゼェと息を切らしていると、麗央奈は肩を落とす。

「なんだ、違うんだ……」

「あれ、なんかガッカリしてます麗央奈さん?」

「え? まさかそんなわけないよ! ……で、走太の紋章はどこに?」

「妙に興味津々なのが引っ掛かるんですが……まぁ、とにかく、言うのが恥ずかしい位置に……」

「やっぱり、おちんち」

「違うよ!? そこだけは違う! つーか、お願いだから保って! ヒロインとしての体裁を保って!」

 どうにもキャラ崩壊が激しい紅坂麗央奈である。

 走太としても、麗央奈にあの言葉だけは口にさせられないので、恥ずかしさを押して、言うことにする。

「……お尻だよ」

「え?」

「だから、お尻にあるの! ブラックテイラーの紋章! 尾てい骨部分に重なるようにして。多分、ブラックテイラーは尻尾が特徴的な機体だから、尾てい骨のところに紋章が現れたんだと思う」

 麗央奈の赤い紋章がへその部分にあるのは、レッドラスの必殺武器がそこにあるからではないか。あくまで推測だけれども。

 ふと、急に真面目な顔になる麗央奈。

「あのね、走太」

「な、なんだ?」

「走太……一応、私の紋章は見たよね?」

「あ、ああ。見たよ、赤い紋章」

「それって……」

「それって?」

 ごくりと唾を飲み込む走太。紋章が見えると、何かあるのだろうか。

 麗央奈はごくごく真面目な口調で、言った。

「それって、凄く不公平だと思うんだ」

「へ?」

「冷静に考えて、私は走太に紋章を見られたのに、走太は私に紋章を見せないなんて、余りにもずるいと思わない? 不公平だよね」

「は?」

「だからね、私は走太の紋章を見る権利があると思うんだよ」

「いや、言ってる意味が良く分からないんだけど……」

「そう、おかしくない。私は走太のお尻を見てもおかしくないんだ。だって、キーパーマスターの仲間だし。幼馴染みでもあるし。だからね?」

「あれ、気のせいか、両手がワキワキしてますよ麗央奈さん? なんか目が怖いんですけど!? つーか、幼馴染みは関係なくね!? ちょっ、ベルト外さないで! 今日のトランクスは地味なの! そうだ、先生! 保健の先生はどこですか!? 紅坂麗央奈さんが乱心してます! ちょっ、麗央奈さん息荒いよ!? 待って待って待って! 知ってる!? 思春期の男子って意外と繊細な心持ってて、幼馴染みと言えども女の子にお尻見られるのは……ちょっ、待っ……いやぁああぁぁあぁぁあああああッ!? アッ――!」




 五分後、麗央奈はベッドに腰掛けながら、とってもツヤツヤなお肌をしていた。

 少し前まで、一階の窓から飛び降りて赤いトマトになろうとしていたとは思えない程、爽やかな面持ちで、彼女は言う。

「いやー、ありがとね、走太。恥ずかしい場所にある紋章をわざわざ見せて貰っちゃって」

「は、はは……うん。麗央奈が納得してくれたなら、俺はそれでいいんだ」

 ただ、見せたというより、無理矢理見られたような気がしてならない。

 走太は何とか笑顔を作ってみせるものの、心の内ではしくしくと泣いていた。

 と、麗央奈は保健室の時計の方を見やる。

 走太も同じく時計を確認すると、時刻は午後の一時三十五分を指し示そうとしていた。少しして、校内にチャイムが鳴り響く。お昼休みの終わりを告げる予鈴だ。

「全然気付かなかったけど、今ってお昼休みだったのか」

「次元獣が中間世界に現れたのは、二時間目の授業の途中だったからね」

「じゃあ、俺って、気を失ってから割と眠ってたんだな……。三時間目と四時間目の授業をサボっちまった」

「大丈夫。次元獣のせいで欠席になった授業に関しては、たとえ出席日数が足りなくなっても、学園側が融通してくれるシステムになってるから」

 そういえば以前にも、授業中に校内放送で呼ばれて教室を出て行く麗央奈を何度か見たことがあった。

「そうか、あれは次元獣と戦っていたからなのか……」

「うん? なに、走太?」

「ああ、いや、麗央奈って、あんな怖い連中と今まで戦って来たんだなって思ってさ」

「私だって、最初は怖かったよ」

「え?」

「でも、私がキーパーマスターに選ばれたのは、きっと何か意味があるんだろうし、それに……」

 麗央奈がその大きな瞳に走太を映す。

「麗央奈?」

「う、ううん、何でもない。とにかく私は、今日まで出来る限りの事をして来ただけ。一ヶ月くらい前に一度、ピンチにもなったしね。私は全然、大したことないよ。それに今日だって、走太に助けられた」

「俺が? いや、俺はただ、ジャガーに狙われて、自分が死にたくなかったから……」

「それでも、ピンチに陥っても、走太は自分の力で戦って勝った。私は、初実戦の走太のサポートも上手く出来なくて、ただ横で見てるだけだった」

 視線を床に落とし、悔しそうに唇を噛む麗央奈。

「それはたまたま、今回の敵とレッドラスの相性が悪かっただけじゃないか。別に麗央奈が気を落とす必要なんかない」

「ありがとう。でも、たとえ相性が悪くても、その分頭を使えば、私にも何かが出来たはずなんだ。だから、今日のことはやっぱり、反省しなくちゃいけないと思う。一歩間違えたら、走太は気を失うだけじゃ済まなかったかもしれない」

「麗央奈……」

 彼女はぐっと拳を握り締める。ベッドから立ち上がって、自らに気合を入れるように、両手で頬っぺたをピシャリと叩いた。

「うん、走太、私もっと強くなるよ。今度次元獣が現れた時は、私が走太を守ってみせる」

「あ、ああ」

「じゃあ、そろそろお昼休みも終わるから、私、教室に戻るね」

 廊下の方へ歩き出そうとする麗央奈。

「あっ、だったら俺も。気を失ってただけなら、身体に問題は無いわけだし」

 後を追って、立ち上がろうとする走太だが、麗央奈に制される。

「駄目だよまだ。一応、保健室の先生に診て貰わないと。走太は先生が来るまで、保健室で待機。分かった?」

「でも、授業が……」

「それなら後で、ノートを見せてあげるよ。友達に二時間目のノートを見せて貰って、写してあるし。三時間目と四時間目は私、授業に出たから。えっと……それで……」

 言い辛そうに手をもじもじさせる麗央奈。最近、彼女のこういう仕草をよく見かける気がする。

 走太は首を傾げる。

「ん?」

「走太は……さ、今日の放課後、暇かな……?」

「ああ、ロボット部の活動がなければ、後は特に何も」

 ちなみに、ロボット部というのは、キーパーマスターに選ばれた生徒が所属する部活のことだ。表向きにはロボット好きが集まるマイナーな部活となっているが、実際は次元獣の対策会議や、ゲートキーパーの操縦訓練を主な活動内容としている。

 ブラックテイラーのパイロットになったことで、走太もまた、半ば強制的にロボット部の一員とさせられていた。

「それなら大丈夫。今日は部活無しで、神谷先輩が、今日はよく頑張ったから、家に帰ってゆっくりと休めって」

「そうなのか……残念だ。言いたいことが山程あったのに」

 主に本日の戦闘についての文句だが。

「で、でさ、もし放課後暇ならさ……その、二人で一緒に勉強しない?」

「それは助かる! 麗央奈は成績が良いから、ノートを写すついでに、分からないところがあったら教えてくれると嬉しい。場所はどうする? 俺の部屋でいいか?」

「う、うんっ」

 麗央奈は、こくこくと首を縦に振る。

「じゃあ、決まりだな」

「えへへ」

 彼女は照れたように微笑むと、「それじゃ、先に教室に行ってるね!」と手を振って、保健室を去って行った。

 走太は一息ついてから、再びベッドに仰向けになる。

「俺を守ってみせる……か」

 麗央奈が先程、真面目な顔で口にしたその言葉が、妙に頭にこびり付いている。

 自分が守ろうとして失敗した少女は、成長し、いつの間にか「走太を守る」とまで言うようになった。

 今や立場が逆だ。

「強くなったよな、麗央奈は……」

 同時に最近は、麗央奈の女の子らしい一面も沢山見ている気はするけど。

 それでもやっぱり、紅坂麗央奈は強い。

 天井に向けて手を伸ばす。目標は保健室の蛍光灯。ギリギリまで伸ばして握り締めるが、当然、何も掴めない。

(俺の方は、あの時から何か成長したのか……?)

 今ここで自分が生きているということは、ジャガーを倒したということだ。

 けれどあれは、その場の流れと勢いで倒しただけだ。ブラックテイラーが勝手に動いて、神谷源平にそそのかされてやったことに過ぎない。走太が自ら決意をしてやったわけではない。

 ゲートキーパーと次元獣のことを知り、麗央奈と再び交流を持つようになってから一週間。走太は、過去に何も無かったかのように麗央奈と接している。

 昔、彼女を見捨てた事実など、無かったかのように。

 一週間前までは、隙を見て謝ろうと思っていたが、今はもう、謝らなくてもいいんじゃないかとさえ思い始めている。

 麗央奈とごく自然に話せて、彼女の笑顔を見ることの出来る今が、余りにも楽しくて、幸せで、余計なことをして、壊したくないと思っている自分が居るのだ。

 麗央奈は強くなることを望んでいるのに、走太は現状維持を望んでいる。 

 もしも走太が謝ろうと昔の記憶を掘り返した時、麗央奈は今と変わらず自分と接してくれるのだろうか。

 わずか一週間前のことなのに、お互いを避けていた時のことを想像して、背筋に言い知れない寒気が走った。思わず、自分で自分の肩を抱く。

(嫌だ……俺は……もう麗央奈と話せなくなるのは……)

 走太はもはや、一週間前の自分には戻れなかった。

 幼馴染みと一緒に居る事の温かさを知ってしまった今、一週間前までの凍てついた日々に戻ることは、とてもじゃないが堪えられない。

(そんなことになるくらいなら俺は、謝らなくていい)

 たとえ情けなくても、自分が一生罪悪感を抱えたまま生きることになっても、彼女が今、自分に微笑み掛けてくれるなら、それで。

 その時、保健室のドアが開く音がした。

「お邪魔しまーす」

 仕切りのカーテンで遮られていて見えないが、足音がこちらに近付いて来る。

 やがて、カーテンが開き、そこから顔を覗かせたのは、

「よっ、走太。気分悪くなって、保健室で休んでるって聞いたけど、元気にしてるか?」

 ツンツン頭で黒縁眼鏡、無駄にルックスの良い悪友、崎原宮治であった。




 五時間目の授業の開始を告げる本鈴が鳴っている。

 しかし、宮治は教室に帰る気配を見せず、仕切りのカーテンの一部を取り払い、走太が寝ている横のもう一つのベッドに、仰向けになる。

 走太は彼に尋ねた。

「お前、授業始まったけど、いいのかよ」

「ん? ああ、いいのいいの。お前の見舞いついでにサボる気で来たから」

「だろうな」

「それより、本当に具合悪そうだな。お前、顔青くね?」

「別に。大したことねぇよ、こんなの」

 身体の具合が原因では無いのだが、悩んでいるからとは言えない。特に、この宮治には。

 しかしこういう時、この男には大抵見透かされている。

「最近さー、麗央奈ちゃん、よく笑うようになったよな」

「宮治にはそう見えるのか?」

「見えるね。以前までとは大違いだ。お前と会話するようになってから、麗央奈ちゃんは笑顔が多くなった」

「お前に麗央奈とのことを話した覚えはないんだけど」

「はっ、そんなもの! 学園一の情報屋である俺には無力無力! 舐めたらあかんよ走太くん」

「さいですか」

 男同士で二人して、保健室の天井を見ながら話す。

「でだ、走太。俺は不思議で仕方が無い。再び麗央奈ちゃんと仲良くなれた。なのになんで、お前はそんな悩みを抱えた面をしてる? 念願叶って、今や幸せの絶頂期なはずだ」

「確かに……幸せだよ。この上無いくらいに」

「だったら何故」

「今まで味わったことの無い幸せだから、壊れるのが怖いんだよ。いつ壊れるか分からない。俺は自分で壊すことも出来ない。でも、前みたいのは嫌だ」

「……つまり、お前はどん詰まりなわけだ。前に進むことも出来なければ、後ろに戻ることも適わない」

「そうだよ。悪いか」

「選択なんて、人それぞれだ。良いか悪いかなんて、見方次第でどうにでも変わる。俺は走太がそれで良いって言うなら、口出しはしないさ」

 宮治はいつも、走太がヘタレであることを、情けないとは言わない。何かとちょっかいを掛けて来る癖に、押せばあっさりと退く。いつもそうだ。

 走太が目を瞑って黙り込んでいると、宮治は言う。

「走太は、麗央奈ちゃんが大事か?」

「は? 何を突然……」

「そうか、大事じゃないのか」

「そんなわけあるか! 大事じゃなきゃ悩んだりなんかしない!」

「でも、走太は、自分と麗央奈ちゃんの二者択一になったら、自分を取るよな、絶対」

「え?」

「例えば今、目の前で麗央奈ちゃんが不良達に襲われてたとしたら、走太は迷わず助け出しに行くことが出来るか?」

「それは……」

 考えてなかった。今もし、あの時のような状況が訪れたら、自分は――。

「すぐに答えられないってことは、麗央奈ちゃんよりも自分の方が大事なんだな、お前は」

 走太は言葉を返せない。

「走太。お前、本当は、麗央奈ちゃんのことなんて、ちっとも考えてないんじゃないか?」

 ただ保健室の天井を見上げることしか出来ない。

「お前は自分のことしか考えてないんじゃないか? 自分が、痛みや辛さを感じたくないだけなんじゃないのか? たとえそれで――」

 宮治は告げる。

「麗央奈ちゃんを傷付けることになったとしても」

「お、俺は……」

 何か反論しようと思った。しかし、何も言葉が浮かんで来ない。

「そんなこと……!」

 起き上がって、隣のベッドを見る。

 宮治は瞳を閉じ、静かな寝息を立てて、眠っていた。

「俺は……」

 彼女を見捨てたあの日から、一度でも彼女の気持ちを考えたことがあっただろうか。

 掛け布団を握る手に、力が入る。

 走太はあの日から、自分を守ることに精一杯で。

 麗央奈も自分と同じ、十一年の凍てついた刻を過ごしていたのだということを、すっかり忘れていた。

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