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明治~昭和? リノベーション記  温和な実務家のお節介が、国家をニコニコに変えていくまで  作者: ふじやん
第7章:欧州の火、極東の鉄

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第11話:白き巨船と、次代の布石

 一九一五年の夏。エーゲ海に浮かぶリムノス島、ムドロス港。

 ガリポリ戦線における連合軍の巨大な兵站(へいたん)拠点は今、乾いた砂埃と、熱病めいた絶望に覆われていた。

「第十四大隊より至急電! 榴散弾(りゅうさんだん)の残弾底を突き、特効薬枯渇!」

「軍本部からも督促だ! いつになれば弾が届くのかと!」

 怒号が飛び交う薄暗い司令部天幕(てんまく)の中で、イギリス軍の補給将校は、報告書を叩きつけ、空になりかけた倉庫群を睨みつけていた。

 産業革命の祖であり、七つの海を支配してきたはずの大英帝国の工業力は、この未曾有(みぞう)の大戦において深刻な機能不全に陥っている。国内の労働力不足と規格の乱立による砲弾不足が前線の兵士から反撃の牙を奪い、頼みの綱である本国からの輸送船団も、地中海に潜むドイツ軍の潜水艦の脅威に晒され、到着の目処すら立っていなかった。

「このままでは、前線の将兵は弾ではなく、飢えと病で死に絶えるぞ……」

 将校が軍服の襟を引きちぎらんばかりに苛立っていた、その時だった。


「大佐、湾口に大規模な輸送船団が!」

 監視所から飛び込んできた通信兵の弾んだ声に、将校は双眼鏡をひったくるように外へ飛び出した。強烈な太陽が照りつけるエーゲ海を映す双眼鏡の視界には、しかし、彼の常識を覆す異様な光景が広がっていた。

 数十隻に及ぶ大船団でありながら、イギリス海軍が誇る石炭船特有の、空を黒く塗りつぶすような煤煙(ばいえん)がどこにも上がっていないのだ。陽炎だけを揺らし、幽霊のように静かに波を掻き分けて進んでくる。

 最新鋭の重油専焼機関(せんしょうきかん)を唸らせて港へ滑り込んできたのは、煙突の位置から船体の曲線、積載用の起重機(きじゅうき)の配置に至るまで、寸分違わぬ姿を持つ船の群れだった。

 台湾南部の広大な『高雄ドック』において、船体を徹底的に区画分割して建造する工法と標準化設計によって昼夜を問わず量産された、瑞長財団の『新城型輸送船』である。


 将校は波止場へ降り立ち、息を止めてその荷役作業を見つめた。

 驚くべきは船の推進機関だけではない。艙口(そうこう)の構造から、起重機に吊り上げられる木箱の寸法、下に敷かれた荷役台(にやくだい)の規格に至るまで、全てが恐ろしいほど均一に設計されている。現地の荷役人夫であっても、複雑な絡繰(からく)りを解く無駄もなく、最速で荷を下ろすことができる。

 乱暴に蓋が開けられた木箱の中から姿を現したのは、前線が求めていた精密な真鍮(しんちゅう)製の榴散弾、防腐処理された大量の清潔な軍服、そして瑞長の特効薬の山であった。イギリス本国が何ヶ月も用意できなかった莫大な物資が、計算し尽くされた冷徹な手際で、次々とムドロスの乾いた大地へ吐き出されていく。


 歓声を上げ、神に祈るように木箱にすがりつく部下たちをよそに、将校の背筋をひやりとした冷気が這い上がった。

(我々を救ったのは、ロンドンの工場ではない。極東のいち民間財団なのだ)

 もし彼らがこの補給を止めれば、ガリポリの戦線は数日で崩壊する。大英帝国の誇り高き戦争が、いつの間にか一介の財団の兵站網に絡め取られ、その命綱を完全に握られつつある。将校は、真綿で首を絞められるような薄気味悪さと、声に出せない静かな屈辱を同時に噛み締めていた。


 同じムドロス港の片隅。最前線から後退してきていたアメリカ人記者アーサーは、新城型の船団に護衛されるようにして入港してきた純白の巨船の前に立ち尽くしていた。

 青島戦役でその名を轟かせた第一船『蓬莱丸』の姉妹艦であり、満を持してヨーロッパへ投入された二万トン級の特設病院船、第二船『美麗丸(みれいまる)』である。

 軍艦構造の船体と高速力を持ちながら、大砲は一門も無い。代わりに甲板には、水上機を海面へ発着させるための巨大な起重機が(そび)え立っていた。


 アリス・ミラーの案内で美麗丸の船内へ足を踏み入れたアーサーは、その異質な空間に圧倒され、言葉を失った。

 数時間前まで、(はえ)と死臭にまみれた天幕にいた彼にとって、そこは狂気じみた戦場に突如として現れた「未来」そのものだった。潤沢な電力が艦内の隅々にまで煌びやかな光を灯し、大型の強制換気設備が血の匂いをことごとく拭い去っている。

 大型の造水設備が真水の温かい飛沫を絶え間なく降らせており、汚れにまみれ、人間としての尊厳を失いかけていた兵士たちが、その下で子供のように喜んでいた。最新鋭のX線(レントゲン)室を備えた区画では、機動医療班長である高柳医師をはじめとする熟練の医療陣が、機械の如く整然と負傷者の対応にあたっている。


 だが、アーサーの目を最も見開かせたのは、重症病棟での光景だった。

 砲弾の破片で大腿部(だいたいぶ)を吹き飛ばされ、すでに顔面から血の気が失せて白蠟(はくろう)のようになっていたイギリス兵。通常の野戦病院であれば、間違いなく数時間以内に失血死する運命にあるその青年の腕に、細いゴム管が繋がれている。

 管の先にあるのは、見慣れぬ硝子瓶(ガラスびん)。そこには、凝固を防ぐ特殊な処理を施された『血液』がなみなみと満たされていた。

「嘘だろ……血を、生きたまま保存して、他人に注ぎ込んでいるというのか?」

「数年前に研究所で実用化された、保存血液による『輸血』です」

 アリスが静かに、しかし誇りを持って答えた。瑞長財団の医学研究所が血液型の適合と抗凝固技術をいち早く確立し、この戦争に持ち込んでいたのだ。硝子瓶から赤黒い血液が滴るたび、死の淵にあった青年の頬に、ゆっくりと、しかし確実に生命の赤みが戻っていく。


(これは、単なる人道支援の野戦病院などではない……!)

 アーサーは全身に鳥肌が立つのを感じた。この純白の船は、失血死という戦場における最大の死因を克服し、兵士の生存率と士気を劇的に跳ね上げる。動く巨大な兵站・医療拠点として、長期間にわたり何万人もの艦隊を支え続ける。

『この船は戦わない。しかし、最も多くの命を救い、最も長く戦争を支える』

 それは、人道と博愛の顔をした、戦局そのものを根底から覆す「非戦闘型の戦略兵器」であった。彼の中で、瑞長財団という存在が、単なる極東の慈善団体から「世界の(ことわり)を変えうる怪物」へと昇華(しょうか)した瞬間であった。


 世界の裏側、台湾。

 瑞長財団本部。その豪奢(ごうしゃ)な応接室には、極上の葉巻の香りと、歴史の重さを煮詰めたような濃密な空気が漂っていた。

 上座の長椅子(ソファ)に深く腰掛けるのは、日本政界の最重鎮・伊藤博文と、陸軍の至宝たる児玉源太郎。その脇には、政友会総裁の原敬、外交の要である牧野伸顕、そして若き外交官・吉田茂が、息を潜めるようにして控えている。

 瑞長財団側も、創設者たる和也を筆頭に、設計理事の康政、台湾統括の瑞月、財務の翠玲、法務顧問の霧島、そしてこの世界規模の血流を実際に動かしている物流統括の阿長が席に着くという、財団の中枢が勢揃いしていた。


「――以上が、地中海方面より届いた報告にございます」

 和也が卓上に分厚い資料を置いた。ムドロス港におけるイギリス軍の兵站掌握と、アーサー記者がアメリカで打ち鳴らした「世論の防波堤」たる記事が、ニューヨークの有力紙の一面を飾ったという成果である。

「愉快極まるな」

 伊藤博文が紫煙(しえん)を深く吐き出し、口元に凄みのある笑みを浮かべた。

「大英帝国が極東の民間財団に胃袋を握られ、泣き言を垂れておる。同盟国という建前や国家の威信が邪魔をして、我々政府には到底できぬ芸当を、見事にやってのけたものだ」

「兵站こそが戦争の帰趨(きすう)を決める。あの高雄で建造された新城型輸送船団の規格化、そして美麗丸の運用思想……背筋が凍るほどに見事としか言いようがない」

 児玉源太郎もまた、卓上の図面を見つめながら深く頷いた。


「しかし、勝ってからが本番です」

 原敬が、厳しい政治家の顔で口を挟んだ。「このヨーロッパの火薬庫が鎮火した後、列強の目はどう向くか。我々はどう対処すべきか」

 その問いに、康政が静かに口を開く。

「大戦が終われば、各国の疲弊した経済を立て直すため、列強の野心は再び極東やアジアへと向かいます。その際、最も警戒すべきは、我が国が国際社会で孤立し、経済的な封鎖を受けることです。資源を持たぬ我が国が列強の草刈り場となる事態を防ぐための絶対の要石(かなめいし)。それこそが、『日英同盟』の堅持に他なりません」

 康政の冷徹な地政学的分析に、牧野や吉田ら外交官たちが息を呑む。

「今回、イギリスの兵站に我が財団の『実利の鎖』を巻き付けた最大の理由もそこにあります。戦後、彼らの方から同盟破棄を切り出させないための、極めて実務的な布石(ふせき)です」

 弱冠(じゃっかん)二十歳の青年が語る、五年先、十年先の国家戦略。単なる未来の空想ではなく、過去の歴史と現在の生産力に基づいた理路整然とした大局観に、伊藤も児玉も感嘆の吐息を漏らした。


「だが、イギリス一国に頼り切りになるのは地政学的に危うい」

 児玉の鋭い指摘に対し、和也が一枚の巨大な海図を広げた。

「ええ。故に、次の一手としてフランス政府へ接近したいと考えております。狙いは、アフリカの島国・マダガスカルの資源開発権です」

「マダガスカルだと?」

「フランスは今、西部戦線で膨大な血を流し、激しく疲弊しています。イギリスほど強固な植民地経営の囲い込みを行っていない彼らに対し、我が財団の医療と兵站で莫大な貸しを作れば、黒鉛や希少金属が眠るあの島の利権を切り取れる見込みは十分にあります」


 その途方もない構想に室内が静まり返る中、伊藤が目を細めた。

「フランスから資源を引き出す……なるほど。だが、石油はどうする? 艦艇が重油へと切り替わっていく今後、帝国には決定的に油が足りんぞ。あの新城型も油食いであろう」

 その瞬間、康政の目が獲物を狙う鷹のように鋭く光った。

「本命は、イギリスが中東(メソポタミア)に持つ油田権益の一部を割譲させ、我が財団との『共同事業』にすることです」

「馬鹿な!」

 原敬が思わず身を乗り出し、机を叩いた。「イギリスが海軍の生命線である中東の油田を、他国と分け合うはずがなかろう!」

「平時であれば、おっしゃる通りです」

 康政は、揺るがない声で答えた。「だからこそ、今、ムドロス港で彼らを『我々なしでは戦争ができない』状態にまで依存させているのです。大戦が終わる頃、彼らは我が財団と日本に対し、返済不能なほどの莫大な借款(しゃっかん)を抱え込むことになります」

「ええ。すでにイギリス政府が発行する戦時公債や借款の多くを、スイスやアメリカの架空名義の口座を経由して、我が財団が合法的かつ秘密裏に買い集めております」

 氷のように静かな声で補足したのは、法務・海外投資顧問の霧島であった。

「堂々と財団の名で買えばよいものを。なぜわざわざ偽装を用いる?」

 原敬の(いぶか)しむような問いに、霧島は眼鏡の奥の目を細めた。

「正規に買い占めれば、誇り高き大英帝国は経済的乗っ取りを警戒し、防衛策に出ます。ゆえに、彼らには『世界中の名もなき投資家から少しずつ借りている』と錯覚させ、安心させて限界まで借金を重ねさせるのです。一つの巨大な罠だと気付くのは、大戦が終わり、彼らが首が回らなくなったその瞬間です」


 霧島の言葉に、外交官たちの顔色が変わる。康政がそれに頷き、言葉を継いだ。

「疲弊しきった彼らに、それを現金で返す余力は残されていません。戦時公債の代物弁済(だいぶつべんさい)として油田の共同事業権を要求し、さらに我々の重油運搬船群と付帯する産業基盤の整備を一括して提供する。国家の威信よりも今日の(かて)を優先せざるを得ない状況に追い込み、彼らも呑まざるを得なくさせます」


 前半のムドロス港での人道的な支援と兵站供与が、戦後に中東の石油利権を合法的に絡め取るための、冷酷なまでの策略であった。

 その重大すぎる事実を前に、歴戦の元勲たる伊藤と児玉は、背筋を這うような頼もしさと、得体の知れない恐ろしさを同時に覚えた。

「……化け物め。よかろう、政府としての裏工作は存分に引き受ける。思い通りにやってみせよ」

 伊藤がニヤリと笑い、琥珀色(こはくいろ)の洋酒が注がれた切子(きりこ)の杯を掲げた。


 だが、この綱渡りがいつまで続くか保証はない。部屋の窓の外には、暗い夜の海が広がっている。

 現場の兵士たちの血と汗、工廠の鉄と炎、そしてこの応接室で交わされた密約。それらが巨大な歯車(はぐるま)となって噛み合い、歴史という抗いがたい奔流(ほんりゅう)を、新たな軌道へと力強く押し進めようとしていた。

読んで頂きありがとうございます。

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