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明治~昭和? リノベーション記  温和な実務家のお節介が、国家をニコニコに変えるまで  作者: ふじやん
第3章 世界を繋ぐ規格の牙

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第2話:大地の血脈と、塾の産声

「....くくっ、ははは! 相変わらず、お前の頭蓋骨に棲む化け物は底知れんな、康政! 奪われた土地の代わりに、水と金と未来を与えるか!」

 台湾総督府、民政長官室。

 僕が提示した『瑞長財団』による大規模治水事業の全額出資案に対し、後藤新平長官は机を叩いて豪快に笑い飛ばした。


「いいだろう! その財団、総督府の全面的な庇護下に置き、絶対に内地の連中には手出しさせんよう強固な防壁を作ってやる。東京の和也にも、背後は任せろと伝えておけ。存分に泥に塗れてみせろ!」

 長官の力強い確約を得て、主任技師の八田與一(はったよいち)は安堵と興奮で顔を紅潮させた。だが、僕の交渉はここからが本番だった。


「感謝します、長官。ですが、これは慈善事業ではありません」

 僕は居住まいを正し、子供の愛想笑いを完全に消し去って、台湾の最高権力者を真っ直ぐに見据えた。

「莫大な資金を投じる以上、財団の事業を持続させるための『正当な見返り』を頂きます。条件は三つです」


 後藤の笑い声がピタリと止み、その目が猛禽類のように細められた。八田も息を呑む。

「言ってみろ」

「一つ。この治水工事で動かす全ての重機、セメント、鉄材などの物資輸送は、瑞長商会の『新城規格』に適合した荷箱のみを使用すること。これにより、台湾全土の鉄道および港湾の規格を、我々の手で半ば強制的に統一させます」

「なるほど。工事の利権を通じて、台湾の物流という『血管』を完全に握る気か」


「二つ目。八田さんが設計した巨大な大堰堤(だいえんてい)。そこから生まれる『水力発電』の運用権と電力の利権は、瑞長財団が独占します」

「電力、だと?」

 後藤が訝しげに眉をひそめた。この時代、電気はまだ都市部の照明に使われ始めた程度の代物であり、既存の水力発電の効率も極めて悪かった。

「ええ。ですが、旧式の水車は使いません。私たちが新しい水車を提出します。川の流量に合わせて羽根の角度を変えられる『可動羽根水車』です。これなら乾季でも常に最高効率で発電し続けられます」

 僕は、かつて教室で飛ばした紙滑空機の翼――流体力学の理屈を、巨大な水車に応用する構想を口にした。


「それに加え、台湾全土の高圧送電網の『周波数と電圧』を、私が一つの規格で完全に統一します。内地のように関東と関西で周波数が違い、電気が融通できないような愚行は、この島では絶対に許しません。数十年後、電気は石炭に代わる最強の動力源になります。その心臓部は、我々が管理します」

「……底知れぬ強欲だな。そして、三つ目は?」


「八田さん」

 僕は、隣で呆然としている青年に視線を向けた。

「はい、康政くん」

「この大堰堤と水路が完成したら、農民たちに『三年輪作』を徹底させてください。彼らが腹いっぱい食べられるよう、まずは徹底的に『米』を作らせる。そして次の年は雑穀、その次は『甘蔗(サトウキビ)』を順番に育てさせるんです」


 八田の目が大きく見開かれた。単なる換金作物ではなく、現地民の「食糧」を最優先にするという僕の提案に、彼は強く心を打たれたようだった。

「その代わり、長官。輪作で育てる甘蔗の製糖過程で出る『廃糖蜜(はいとうみつ)』の独占買取権を、未来永劫、我々に保証していただきます」


 沈黙が落ちた。

 廃糖蜜の独占。それはすなわち、ペニシリンを精製するためのアルコール錬金術の原料を、無尽蔵に確保することを意味する。

「物流(血管)」、「電力(心臓)」、そして「新薬の原料(血液)」。

 九歳の子供が提示した、台湾という島そのものを合法的に買い取るに等しい冷徹な要求。瑞月(みづき)姉さんすらも、僅かに息を呑む気配がした。


 後藤長官は、灰皿の葉巻を見つめたまま、やがて腹の底から絞り出すような低い声で唸った。

「国庫から一銭も出さずに暴動を抑え込み、台湾を豊かにする代わりに、お前はこの島の『未来の果実』を根こそぎ持っていく気か。……ふん。悪魔との契約書にサインをする気分だ。いいだろう、すべての条件を呑む。その代わり、暴動の火種は完璧に消し去れよ」

「承知いたしました」


 交渉は成立した。

 長官室を辞し、総督府の廊下を歩きながら、僕はこれからの大事業を支える『瑞長財団』の組織の枠組みを改めて頭の中で反芻していた。


 莫大な特許料を運用し、国家規模の基盤整備を行うこの財団の『代表理事』は、現在東京で軍や財閥の防波堤となっている父・和也が務める。

 そして台湾における法的権限を持ち、総督府や他企業との苛烈な交渉の矢面に立つ『統括代表』が、隣を歩く瑞月代表。さらに、その天文学的な事業費と利益を束ねる『財務統括』が大番頭の翠玲だ。

 対して、僕の肩書きはあくまで『特別顧問』に過ぎない。表舞台の責任は大人たちに委ね、僕は「どこに投資し、何を創るか」という絵を描く影の設計責任者に徹する。この強固で機能的な組織の枠組み(防壁)があって初めて、僕は九歳の子供という身分のまま、泥臭い実務にのみ没頭できるのだ。


「康政くん……! ありがとうございます」

 総督府を出た直後、八田與一が僕の前に立ちはだかり、その大きな手で僕の両肩をガシッと掴んだ。

「あなたがどんな利権を狙っていようと構わない。現地民に腹いっぱい『米』を食わせてやれるなら、私は死ぬ気でこの大地を削り抜いてみせます!」

「期待していますよ、八田さん。まずは、現場の『手足』を集めに行きましょうか」



 数週間後。台湾南部、嘉義(かぎ)の郊外。

 むせ返るような湿気と土埃の中、荒野に急造された瑞長財団の拠点前には、異様な熱気と殺気が渦巻いていた。


 集まっていたのは、数百人に及ぶ台湾の現地民の若者たちだ。手には鍬や鎌、あるいは古びた猟銃が握られている。総督府の土地調査事業によって先祖伝来の土地を奪われ、専売制で山の仕事を失い、明日の飯すら食えない絶望の中で、武装蜂起の準備を進めていた者たちである。


「日本人の手先め! 俺たちの土地を返せ!」

 通訳を介して浴びせられる怒号。護衛の阿長(あちょう)が油断なく懐の拳銃に手をかけるが、僕はそれを静かに制した。

 八田與一が前に進み出ようとするのを手で止め、僕は六歳の頃から『語学の家庭教師』に叩き込まれてきた現地の言葉(台湾語・官話)を、頭の中で素早く組み立てた。


「武器を下ろしなさい!」

 九歳の子供の口から放たれた、流暢で威厳のある現地の言葉。

 予想外の事態に、暴徒と化しかけていた若者たちが一瞬、水を打ったように静まり返った。


「あなたたちが総督府を恨む気持ちは理解しています。理不尽に土地を奪われ、生活を壊された。だからといって、そのナタや猟銃で軍の機関銃に勝てるとでも思っているんですか! 犬死にして、残された家族はどうするんです!」

 僕は声を張り上げ、彼らの目を一人一人射抜くように見つめた。

「総督府はあなたたちの『過去』を奪った。ですが、私があなたたちの『未来』を買い取ります」


 僕は背後に掲げた巨大な一枚の絵――八田が専門の絵師に描かせたという、豊かな水と緑に溢れる農地と大堰堤の『完成予想図』を指差した。複雑な設計図など見せても、彼らには伝わらない。必要なのは、目で見て分かる圧倒的な希望だ。


「私たちは、この不毛の荒野を、あの絵のような東洋一の豊かな農地に変えます。そのために、この場に『瑞長塾』という学校を設立します。あなたたちには、ただの土方として泥を掘ってもらうのではありません。この塾で測量、数学、重機の扱い、図面の読み方を教えます」

 ざわめきが広がる。当時の差別的な教育制度において、現地民に高度な工学教育を施すなど、あり得ない話だったからだ。


「瑞長財団は、民族や生まれを一切問いません。必要なのは、あの絵を現実にするための技術と、成し遂げるという誇りだけです! 塾で学び、試験に受かった者には、亜細亜で最も高い給金を約束します。家族に腹いっぱい米を食わせ、自分の手でこの大地を豊かにしたい者は、武器を捨てて、あの絵の前に並びなさい!」


 僕の演説が終わっても、しばらくの間、重い沈黙が荒野を支配した。

 やがて――カラン、と。

 一人の浅黒い肌の青年が、手にしていた鉈なたを地面に投げ捨てた。

「……本当に、俺たちに学問を教えて、給金をくれるんだな?」

「約束します。私は、理に合わない嘘はつきません」

 青年は荒い息を吐きながら、完成予想図の前へと歩み寄った。それを皮切りに、次々と武器が捨てられ、怒りに満ちていた若者たちの列が、塾の門を叩く「生徒」の列へと変わっていく。


「康政くん……」

 八田與一が、震える声でその光景を見つめていた。

「彼らはもう暴徒ではない。我々の最高の『手足』になる若者たちだ」

「ええ。彼らを一流の技術者に育て上げてください、八田さん。この塾で育った彼らこそが、数十年後の瑞長財団の最強の根幹になりますから」


 奪われた過去の代わりに、圧倒的な未来の展望と技術を与える。

 暴動の火種は消え去り、代わりに大地を削り、巨大な国家基盤を構築するための熱気へと完全に変換された。

 こうして、僕の真の目的を果たすための特務機関『瑞長塾』は、南部の荒野に力強く産声を上げたのだった。

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