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明治~昭和? リノベーション記  温和な実務家のお節介が、国家をニコニコに変えていくまで  作者: ふじやん
第7章:欧州の火、極東の鉄

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第14話:ヴェルダンの肉挽き機と、未来の空の対価

 台湾・基隆(キールン)に広がる瑞長財団の基隆工廠(こうしょう)

 油と鉄の匂いが充満する建屋の中で、内燃機関技師の二階堂は、耐久試験中の「二百二十馬力」の新型発動機を見上げながら、隣の男に問いかけた。

「康政理事。フランス軍から発動機の提供要請が来ているそうですね。まさか、この新型を欧州へ送るおつもりですか」

 二階堂の声には、技術者としての強い懸念(けねん)が滲んでいた。台北での飛行試験は満たしたが、長時間の運用実績は皆無に等しい。今すぐ量産して戦場に放り込めば、初期不良が多発する恐れがあった。


「ええ、分かっています」

 新城康政は、穏やかに、しかし芯の通った口調で答えた。

「未完成の品を売りつけ、他国の命を実験台にするような真似は、財団の理念に反します。この二百二十馬力は、我々が充分な耐久性を実証するまで台湾から一歩も出しません」

「では、フランスには何を?」

「すでに我々が実績を積み、まず故障の懸念がない『百五十馬力の空冷発動機』です。……今のフランス軍の劣悪な野戦飛行場と、疲弊しきった整備兵に、繊細な最新型を渡しても数回の出撃で鉄屑になるだけです。大砲の目を守るために本当に必要なのは、書面上の最高速度ではなく、劣悪な環境でも毎日欠かさず飛べる『稼働率』のはずです」

 それは、兵器の優劣を数字ではなく現場の生存で測る、康政の冷徹な矜持(きょうじ)であった。



 数日後。台北にある財団の迎賓館。

 フランス極東駐在武官が、憔悴(しょうすい)しきった顔で応接室へ案内されてきた。長椅子には康政と、冷徹な美貌に知略を秘めた瑞月が静かに待ち構えていた。


「単刀直入に申し上げます。我が祖国は今、国家存亡の瀬戸際にあります」

 挨拶もそこそこに、武官は血を吐くような声で切り出した。

 欧州西部戦線「ヴェルダンの戦い」。フランス軍は未曾有(みぞう)の死傷者を出し、医療は瓦解(がかい)しかけている。さらに上空ではドイツ軍の猛威によって観測機が落とされ、大砲の目を失った兵士たちが一方的にすり潰されていた。

「イギリスを救った貴財団の特効薬と、前線の野戦病院を立て直すための医療要員を派遣していただきたい。そして、我が軍の七十五(ミリ)野砲の弾薬と、戦闘機用水冷発動機を、この台湾で代行製造していただけないか」

 国家の威信をかなぐり捨てた懇願であった。だが、康政は紅茶の杯を置き、静かに告げた。


「お断りします。技術と現場の責任者として、三つ、呑めない条件があります」

「なっ……! 資金の保証なら共和国政府が――」

「資金の問題ではありません。一つ目ですが、弾薬の代行製造はお受けできません。我が工廠の工作機械はイギリス式の規格で統一されています。貴国の七十五(ミリ)砲弾を造るために金型から作り直すのは、工業的にあまりに非効率です。我々の生産力は、より高度な技術支援に集中させるべきだと考えています」

「くっ……では、発動機は」

「それが二つ目です。我が工廠には水冷を造る設備がありません。代わりに、瑞長規格の百五十馬力空冷発動機の完成品を、要求数だけ即座に量産して提供します。機首の改修はそちらで行ってください」

「我々に選択の余地はないということか。分かった。では、最後の三つ目とは?」

「医療要員の派遣です」

 康政は穏やかな眼差しのまま、言葉を継いだ。

「我が財団の医療団は、安全な港に停泊した『病院船』の中でのみ、負傷者の受け入れと治療を行います。大切な職員たちを、砲弾の降り注ぐ野戦病院へ送り込むことは許可できません」


 武官は絶句した。

「馬鹿な! 前線で血を流している兵士たちを見捨てろと言うのですか!」

「私には、まず身内の命と心を守る義務があります。彼らを危険な戦場の最前線に立たせるくらいなら、この契約そのものを白紙に戻します」

 武官は唇を噛み締め、震える手でその条件を呑むしかなかった。


「素晴らしい技術と、確固たる安全の線引きね。では、ここからは取引の話をしましょう」

 ここで、瑞月が静かに口を開いた。彼女は優雅に微笑みながら、真の要求を卓上に滑らせた。

「代金は、戦後何十年かかっても構いません。代わりに、戦後、我が財団の民間機が自由に離着陸できる中継基地の建設を認めていただきたい。例えば、アフリカ大陸の東に浮かぶマダガスカル島。つきましては、あの島の開発と鉱物採掘に関する共同事業の認可を頂きたいのです」

「……共同事業?」

「ええ。採掘された鉱物の利益配分は、五割を現地の行政府へ納め、二割五分を宗主国である貴国へ。我々は残りの二割五分と、資源を適正価格で買い取る権利さえ頂ければ十分です」


 武官は耳を疑い、内心で目の前の男女を嘲笑した。

(前線に人を送らないなどと臆病風に吹かれた挙句、現地の者に利益の五割をくれてやるだと? このお人好しどもは、慈善の真似事をして熱帯の流刑地を欲しがっているのか。我々は座っているだけで利益の二割五分が転がり込み、発動機と薬が手に入るのだ)

 武官は前のめりになり、すぐさま机上の書類に仮調印の署名をした。

 しかし瑞月は、一介の武官に条約を批准(ひじゅん)する権限がないことなど最初から見越していた。

「特効薬は、今夜の船で出航させます。しかし、発動機の第一陣は、フランス本国の議会と大統領がこの条約を正式に批准(ひじゅん)するまで、台湾から一基たりとも動かしません。……本国政府の説得は、貴軍の働きにかかっておりますわ」



 その日の午後、台北の電信局。

 フランス武官は、本国のポアンカレ大統領と陸軍省へ向けた暗号電報を、自らの手で打っていた。

『極東ノ財団ハ、マダガスカルノ共同開発ヲ要求。利益ノ五割ヲ現地ニ還元スルトイウ狂気ノ条件ナリ。シカシ彼ラノ要求ヲ議会デ即座ニ承認シ、権益ヲ渡サネバ、最新ノ発動機ハ一基タリトモ届カズ。ヴェルダンハ陥落スル。至急批准サレタシ』

 それは、フランス軍自身が財団の権益拡大のために、自国の政治家を脅迫する都合の良い代弁者へと成り下がった瞬間であった。



 同じ頃、台湾の帝大付属病院に併設された財団の医療施設。

 白い看護婦の制服に身を包んだアリスは、教壇の上から静かに教え子たちを見下ろしていた。目の前に座るのは、新編成された欧州派遣医療団に志願した若き女性たちである。

「私たちが派遣されるのは、欧州の港に停泊する病院船の中です。何があろうと船の外へ出てはいけません」

 アリスの声は落ち着き、かつて戦場に怯えていた少女の面影はなかった。

「新城総帥は、私たちの安全を確約してくれました。私たちの仕事は、戦場から船まで生きて辿り着けた命を、最新の設備と特効薬で、定められた手順に従い救うことです。感情に流されて自ら戦場へ飛び込めば、救えるはずの次の命が失われます」

 ガリポリの地獄を知るアリスだからこそ、「病院船の中から命を救う」という財団の冷徹なまでの仕組みが、どれほど正しく、どれほど身内を守るためのものであるかを痛感していた。



 特使が去った後の執務室。

 康政と瑞月は、部屋の中央に置かれた巨大な地球儀を静かに見下ろしていた。

「五割の還元……。随分と気前が良いと思われたでしょうね」

 瑞月は冷たく美しい笑みを浮かべた。

「力で奪い、絞り取るから、血みどろの反乱が起きて莫大な軍隊が必要になるのよ。利益の五割をくれてやり、学校と病院を作ってやればいい。彼らは自分たちの豊かな生活を守るために、自ら進んで我々の採掘施設を守る熱狂的な番犬になる。最大の防御は、現地の満ち足りた胃袋よ」

「ええ。我々にとって重要なのは、小銭ではなく資源の安定供給そのものですから」

 康政は静かに同意し、地球儀に手を伸ばした。

 その指が、マダガスカルから中東のバスラ、そしてインド洋を抜けて極東の台湾へと至る海路をなぞる。マダガスカルの大地の底には、次世代の航空機や電気部品の製造に不可欠な莫大な稀少(きしょう)鉱物が眠っている。


「これで、アフリカの鉱物と中東の油が、太平洋を通らない一本の鋼の鎖として繋がったわね」

「ええ。旧世界の帝国が泥沼で互いの首を絞め合っている間に、我々はこの鎖で、極東の土台を世界へ打ち付けます」

 イギリスという巨大な盾を維持しつつ、背後のインド洋に他国に依存しない独自の経済網を築く。康政は静かに、まだ見ぬ未来の覇権国を見据えるように目を細めた。

「このインド洋を(また)ぐ独自の防壁さえ築き上げておけば、今後、太平洋の向こう側のいかなる巨大な国が我々を海から切り離そうと包囲しようとも、極東の工廠が干上がることはありません。彼らは我々の首根っこを掴めないと悟り、戦うことを諦めるでしょう」


 極東の怪物たちは一発の銃弾も撃たずに、身内の安全を確固たるものとした上で、未来の破滅を根底から無力化する鋼の防壁を合法的に手中に収めようとしていた。

読んで頂きありがとうございます。

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