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0話 「黒衣の男、地を焼く」

新作投稿致しました~~

よろしければ読んでいってください~

風が鳴いていた。

 濁った空の下、古びた街道を砂煙が吹き抜ける。周囲には何もない。ただ延々と続く土と石の道、ひび割れた石碑、枯れ木。そしてそこに潜む、獣のような目。


「おい、来たぞ……あれが、次の獲物だ」


 茂みの奥で声がした。

 そこに潜んでいたのは、六人の盗賊たち。身を包む装備は寄せ集めで、皮鎧に骨飾り、歯をむき出しにした笑い。長剣や槍、手斧を持ち、互いに小声で笑い合っている。


「見ろよ、男一人。荷物もない。旅人にしちゃ軽装すぎるな」

「関係ねぇよ。殺してから調べりゃいい。あいつ、良いブーツ履いてんぜ?」


 彼らの視線の先にいたのは、黒衣をまとった一人の男だった。

 歳は二十代後半から三十前後。フードの影に隠れ、表情は見えない。まるで異物。黒の外套は風に揺れるたび重さを感じさせ、身体からは言葉にできない威圧がにじみ出ていた。


 男は立ち止まる。盗賊たちの存在に気づいているはずなのに、微動だにしない。


「……なに、見えてるのか?」

「ビビってやがるんじゃねぇの?」


 先頭にいた獣面の盗賊が、にやりと笑って飛び出す。刃を抜き放ち、咆哮とともに斬りかかる!


「死ねやァッ――!」


 刃が風を裂いた瞬間。

 男は、首をかしげただけだった。


 ドシュッッ!


 鈍い音。次の瞬間、盗賊の腕が――肩からごっそりと、消えていた。

 断面から血が噴き出し、男の外套を赤く染める。


「ひ、ひぃっ……うああああああっ!!」


 叫ぶ声と同時に、地面を蹴る男。残りの盗賊たちが慌てて囲むも――遅い。


 男の動きは、異常だった。

 一切の殺気も予兆もなく、まるで“空間”が跳ねるように移動する。


「い、いねえ!? どこだ!?」

「右だァ!」


 右側にいた盗賊が叫ぶも、その頭が“ゴシュッ”という音と共に吹き飛ぶ。


 視界に残るのは、漆黒の拳。

 信じがたい重量と鋭さを備えた一撃が、頭蓋を粘土のように粉砕していた。


「な、なんだこいつ……なにをした……!?」


 残る四人の盗賊たちが一斉に武器を構え、距離を取る。

 だが、男はひとことも発さない。

 ゆっくりとこちらを向く。その目には、怒りも憐れみもない。ただ、底の見えない“闇”だけがあった。


「ひ、引け! これは……これはただの人間じゃねぇ!!」


 盗賊の一人が叫んで逃げようとする。しかし――地面が鳴った。


 ズズズ……ズズズ……。


 土が裂ける。空気が変わる。

 男の周囲に浮かび上がる、黒い紋様。それは異国の呪符か、封印か。否、もっと原始的で――原罪的なもの。


「……忠告は、したんだがな」


 その一言と共に、地面から“何か”が這い出た。

 それは人でも獣でもない、黒き触手のような影。数十本、否、百を超える“腕”が大地を喰らい、盗賊たちに向かって伸びていく。


「や……やめ――っ!!」

「おい! 足が、足が動かねえ!!」


 叫びは虚しく響く。

 次の瞬間、触手が一人を串刺しにし、もう一人を締め上げ、胴体を引き裂いた。

 血飛沫が地を染める。だが、黒衣の男の足元だけは、一滴も汚れていなかった。


「ひ、人じゃない……あいつは――魔王だ……っ!!」


 最後の一人が、震える声でそう叫びながら腰を抜かした。


焼け焦げた血と、焦土の匂いが漂っていた。

 街道はもはや道の形を成していない。黒い触手のような“なにか”が大地を這い、破壊の爪痕だけが静かに残されている。


「……あ、あ……あ……」


 盗賊の一人――年若い青年が、一人だけ生き残っていた。

 身体のあちこちを裂かれ、血で染まった皮鎧はボロ布のよう。だが、命は辛うじて残っていた。

 立ち上がれない。足に力が入らない。全身が震えて、武器を拾うことすらできなかった。


 男が、ゆっくりと近づいてくる。

 焦げた大地に、黒衣の足音だけが響く。


 カツ……カツ……。


「ひ……ひぃぃっ……!!」


 青年は無様に地を這う。命乞いの声は喉の奥でつかえて、嗚咽に変わる。恐怖に泣きながら、口を開いた。


「た、助けてくれ……! 俺は……命令されてただけなんだ……!」

「……命令?」


 男は足を止め、静かに問い返す。

 その声には怒気も、憐憫もない。ただ淡々とした事実確認のような響き。


「し、下の者には逆らえねぇんだよ! 村を焼いたのも、女を攫ったのも、全部アイツらの命令で……俺は、嫌だった! 本当なんだ!」


 泣きじゃくる青年の懇願は、もはや言い訳にもなっていなかった。

 だが、男はその言葉に反応することなく、ただ小さくつぶやいた。


「……そうか」


 そして、ゆっくりとしゃがみ込む。

 フードの下から、ようやく男の顔が覗いた。


 ――異様だった。

 その瞳は、燃えるような赤ではない。

 しかし、それ以上に“燃やす”力を秘めている。

 憎しみでも怒りでもない。ただ、“無”だ。


「お前は、なぜ俺の力を恐れる?」


 その問いに、青年は震えながら答える。


「な、なにを言ってる……! お前は、ただの人間じゃない……あんなの、人間が使う力じゃ……!」


 男はゆっくりと目を閉じた。そして……語る。


「――俺は、童貞だ」


 その瞬間、空気が止まった。

 吹いていた風が止み、空の雲までもが凍りついたかのようだった。


「…………は?」


 青年の目が、さらに大きく見開かれる。

 彼は、何を聞いたのかわからず、唖然としていた。


 男はその反応に構わず、言葉を続けた。


「穢れなきまま、大人になった。

 肉欲にも、快楽にも、己を売らず……孤独の中で、ただ己を研ぎ澄ませてきた。

 人はそれを『呪い』と呼ぶかもしれない。

 だが、俺にとっては――『選択』だ」


「な、なにを……っ!?」


 青年が混乱した声で叫ぶ。

 その声に、男は微笑んだ。ほんのわずかに。


「理解できないだろうな。だがそれでいい。

 俺の力は、“理解されるべきではない”からだ。

 童貞を貫いた先に生まれる力。

 それが――《童術》だ」


 ズン、と大地が揺れた。

 触手のような影が再びざわめき、黒の結界が空に広がる。

 男の背後で、幾重にも重なる“呪符”のような構造体が輝き出す。


「ま、待ってくれ! や、やっぱり俺は関係ねぇ! ほら、村の場所も教える! 女の場所も、金の場所も……なんでも話す! だから――」


 その声に、男は一言だけ告げた。


「……ならば、“童術”に魂をくれてやれ」


「な、なん――が、あ……ああああああっ!!!」


 黒の触手が、青年を包み込んだ。

 その瞬間、彼の目から光が消え、口から白い霧が漏れ出す。

 それは“魂”だった。抜き取られたそれは、静かに男の手の中へと吸い込まれる。


 終わりだった。

 あまりにも静かな、あまりにも冷たい死。

 男はもう一度空を見上げ、ただ独り言のように呟いた。


「この世に正義はない。だが、童貞には誓える」


--


炎は、すでに消えていた。

 だが、熱だけが残っている。地面には炭のように焦げた盗賊の死骸、焼け爛れた武器、そして一切燃えていない――黒く濡れた“紋様”が広がっていた。


 その中心に、黒衣の男は静かに立っていた。


 微動だにしないその姿は、まるで彫像のようだった。

 顔には疲れも安堵もない。ただ、空虚。

 破壊の中心に立ちながら、彼は罪悪感すら抱いていないように見える。


 ――だが、それを見ていた者がいた。


 遠く、丘の上。

 森の木陰から、一人の少女が息を潜めていた。

 年の頃は十七か十八。粗末な布のローブを羽織った旅装の少女。背中には長い杖。目は大きく、唇は引き結ばれていた。


(……あれが、“黒衣の男”。童術を使う、という……)


 少女――名をミリィという。

 彼女は、聖教の密偵だった。

 童術という“穢れた術”を使う異端者を追い、その実態を探る役目を持っている。


 目の前で起こった虐殺。

 だが、それは悪人に対する処刑でもあった。

 ミリィの心は揺れていた。

 ――あれは、正義なのか。

 それとも、ただの地獄なのか。


 男は、ゆっくりと歩き出した。

 その足跡に、黒い文様が一つずつ刻まれていく。

 魔素の揺らぎ。童術によって生まれる、穢れの痕跡。


 ミリィは杖を握りしめる。

 そのまま立ち上がり、草を踏みしめながら小さく呟いた。


「……あんなの、放っておけば――また誰かが、殺される」


 自分でも分かっていた。

 この場で挑めば、死ぬ。

 だが、それでも立ち向かう理由がある。


(私は、姉を……童術によって奪われた)


 彼女の決意が硬く結晶したその時――


 男が、ふと振り返った。


 遠く、百メートル以上離れているはずなのに。

 まるで「見えている」ように。

 その赤くも青くもない、“曇りのない瞳”が、森の奥の少女に突き刺さった。


「っ……!」


 ミリィの心臓が跳ねた。

 脳が、無意識に逃走を選ぶ。

 彼女はそのまま転がるように森へと身を翻した。


 だが、追ってくる気配はない。

 振り返れば、男はもう視線を外していた。


(……なぜ、殺さない?)


 理由が分からない。

 だが、そこに――一瞬、確かにあったのだ。

 “迷い”のようなものが。


 そのまま、男は街道を歩いていく。

 焦土の上を、まっすぐに。

 背を向け、誰にも手を振らず、振り返らず。


 そして、呟いた。


「……また、一つ、汚れた」


 自身の手を見下ろしながら、小さく笑う。

 それは、笑いというよりも“あきらめ”に近い感情。


「だが――俺は、選んだ」


 手のひらに浮かぶ刻印。

 それは“純潔”を意味する古代文字――童術の証。

 その刻印が、ゆっくりと皮膚の下へ沈んでいく。


 まるで、彼の“罪”を、記録するように。


 ――街から離れた断崖の先。

 岩壁に口を開ける、古びた石造りの大聖堂。


 尖塔の鐘は割れて久しく、壁には崩れた聖像が並ぶ。だが、そこに満ちるのは沈黙ではなかった。

 地下へと続く階段を下ると、闇の奥に無数の松明が灯る。

 その空間には、影のように黒衣を纏った者たちが跪いていた。


「――お帰りなさいませ、童師さま……!」


 その声に、堂内の空気が震える。

 跪いた者たちは、みな異形。

 額に童術の紋様を刻まれ、瞳は正気を保ちながらも、何かを諦めたような虚無を湛えていた。


 その中心を、黒衣の男――“童師”が歩く。


 誰も、声をかけない。

 ただ、敬意と恐怖の入り混じった視線を投げるのみ。


「童術の顕現、成功とお見受けいたします……!」

「穢れた魂、六名を献上。三名は術式にて消滅、一名は供物として吸収完了……」

「童師の魂、さらに純化されました……!」


 周囲からの報告と礼賛の声に、男は何も答えなかった。

 祭壇の奥、朽ちた天蓋付きの玉座に腰を下ろす。

 聖なるはずの場所は、もはや“穢れの中心”と化していた。


「……静かにしろ」


 その一言で、堂内の声がピタリと止む。

 蝋燭の火が揺れ、すべてが止まったように見える。


 しばしの沈黙ののち、男はゆっくりと顔を上げた。

 天井の崩れた隙間から、夜空が覗く。

 濁った雲の隙間に、わずかに星が見えた。


 彼はその星を見上げながら、口を開いた。


「この世界は……交わりすぎた。欲に、嘘に、愛に……そして、無意味な接触に溺れた」


 誰も応えない。誰も理解できない。

 だが、それでも彼は語る。


「だからこそ、俺は貫く。

 誰とも交わらず、誰にも染まらず。

 俺の中にしか存在しない――純粋なる“孤”の力を。

 世界の外側から……真理をぶち壊すためにな」


 その瞬間、彼の身体から微かに黒煙が立ち昇る。

 童術が“応えた”のだ。


 童師は、星に向かって右手を伸ばす。

 その手は、まるでこの世界の天井すら壊さんとする意志を宿していた。


「童貞とは――神に抗う、唯一の資格だ」


 夜が、震えた

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