メアリーの観察日記
糖度が欲しくなっただけ
前作のおまけだけど繋がりはほぼないから読まなくてもいい中身なしのラブコメ
――おいで、エヴァレット
手を広げて待つ婚約者のもとへ素直に駆け寄り、身を預ける。
――小さい
――貴方の背が高いのよ
――いや、そうじゃなくて、エヴァレット……
見上げると彼は、今まで見たこともないような、冷たく蔑んだ目で私を見下ろしていた。
――小さすぎません?幼児体型かよ
「――い、いやあああああああ!!」
飛び起きると、冷や汗をびっしょりとかいていた。息を切らしながら、エヴァレットは無意識に自身のとある部分に両手を当てる。そう、まるで幼児のような――
「――ッ、エヴァレット!!どうした!?」
そこから数秒も経たないうちに部屋の扉がバタンと大きな音を立てた。焦った様子で入ってきた男は、先程まで夢の中で会っていた婚約者で――
「――っ、い、いやあああああ!!!」
「へぶっ」
駆け寄ってくる彼を見て咄嗟に枕を顔面に投げつけていた。……もちろん、後で謝罪もした。けど、この場は仕方なかったのだと釈明したい。
エヴァレット・カールにはこの春から婚約者がいた。伯爵家長女のお相手として、父が見繕ってきた男の名はダリ・クラウド。若くして男爵位を持つ有能な商人である。貴族同士の政略結婚――というにはちっぽけかもしれないが、エヴァレットは平穏な学園生活を過ごすため、ダリは伯爵家との繋がりを得るため、という理由から始まった婚約だった。王太子が入学したせいで殺伐としている学園で平穏無事に過ごすには、エヴァレットには婚約者という盾が必要だったのだ。いろいろあって、今では二人愛し合い、心を通わせている――と言ってもいい。と思う。
「おはようございます、お嬢様」
「メアリー……どうして昨夜は来てくれなかったのかしら」
どうしても一言言いたくて、ベッドサイドに腰掛けたエヴァレットは、挨拶そっちのけで侍女を睨みつけた。あれから一睡もできていないまますっかり朝になってしまった。メアリーは髪色と同じ栗色の大きな目をぱちぱちと瞬かせ、不思議そうに答えた。
「お部屋の外には控えておりましたわ。中から男爵様とのお話し声が聞こえたので、お邪魔してはいけないと思いまして」
「夜中に主人の叫び声が聞こえて、同じ部屋から婚約者の声も聞こえてきたなら普通部屋を開けて確認くらいするでしょ!? 何か間違いがあったらどうするのよ!」
「何かあったのですか!?」
「ないわよ!なんで嬉しそうに聞くの!?」
疲れる。すぐ隣の部屋で寝ていたとはいえ、婚約者であるダリはエヴァレットの声を聞いて一目散に駆けつけてくれたというのに、このお付きの侍女は。父と共謀して王都にあるこのカール家の別荘にダリを住まわせているのも、このメイドの差金に違いない。それならどう反論しても無意味なので、頭を抱えてため息をついた。
「お嬢様、何かあったのでしたらお話しくださいませ。わたくし、逐一旦那様にご報告をしなければなりませんわ」
「ダリは心配して見に来てくれただけよ。薄情な貴女と違ってね」
「わたくしもお声を聞いてとても心配しましたわ。ですが男爵様もいる手前、一介の侍女が出しゃばるわけにはまいりませんもの」
優しく手を差し出され、不貞腐れていた心が少しずつ解けていく。渋々といった体で彼女の手をとって立ち上がった。
「それにお嬢様は何かあればわたくしの名前を呼んでくださいます。そうしたらすぐに駆けつけますわ。男爵様がお嬢様の意に反して無理やり事に及ぼうとされるようであれば、引っこ抜いてみせますとも」
「ひっ、引っこ抜くの?」
「はい、必ず」
何を、とは言わずにニッコリと、笑顔でなんでもないように言うので、完全に気が削がれた。むしろダリを守らなければと決意を新たにする。
「さあ、朝の準備をお手伝いいたしますわ」
「あ、ええ。――いや、やっばりいい。今日は自分でするわ。学園も休みだし」
ドレッサーの前に座り、自分で髪をとかす。腰まで伸びた白金の髪は、櫛を通すとゆるやかに波打った。わざわざ結い上げなくてもそれなりに見えるだろう。
髪の手入れはそこそこにして、今日着る予定のドレスの前に立つ。細身の自分に合うようあつらえられた特注のドレスは、エヴァレットの瞳の色と同じエメラルドグリーンを基調としており、ウエストからふんわりと広がっていて可愛らしい印象を与える。しかし今日どうしても目を引くのは、やはり、ウエストより上のラインだ。
「……これ、もうちょっと大きくならない?」
「ドレスは全てお嬢様のお身体にぴったり沿うよう作られているはずですが」
「でも作ってから3ヶ月は経ってるでしょう?私が大きくなって入らなくなってる可能性もあるし」
「以前このドレスをお召しになってから3週間と5日経ちますが、お嬢様の体型は変わっておられませんわ」
「……1ミリも?」
「はい」
力強く断言する。メアリーが言うならそうなんだろう。悔しさを噛み締めながら部屋着を脱いだ。姿見に映る自分の体に、またどうしようもなくため息が漏れる。
「お嬢様……何かお悩みごとがあるのですね。よければわたくしにお聞かせくださいませんか?お力になれるかはわかりませんが、話すことで心の整理がつく場合もございます」
「メアリー……」
優しさに絆されそうになる。振り返り、メアリーの顔を、体を、まじまじと凝視してしまう。
「……貴女に私の気持ちはわからないわ」
「お嬢様……?」
「もうすぐ16になるのに、一年前と何も変わらない。二年前でも変わらない。下手したら三年前でも」
「……もしや、お身体のお悩みで?」
カッと顔が熱くなり、両手で顔を覆った。
「っ、そうよ!こんな、いつまでも幼児みたいな体つきで、私、」
「そんな!そこがお可愛いらしいのに!?」
「あなたの好みなんて聞いてないけど!?」
惨めな気持ちを堪えて話しているというのに、メアリーは衝撃を受けたように口元を押さえている。この失礼極まりないメイドですら人並みにはあるというのに、私ときたら。
「夢を、見たのよ……こんな体じゃ、いつか、その……そういうことになった時に、幻滅されてしまうかも」
「まあ、男爵様はそんな方では――」
「わからないでしょ。普通は大きい方が好きだって、私でもわかってる」
自分で言ってて虚しくなる。両手で鷲掴み――にすることすら叶わず、自分の手でも隠れてしまうようなサイズの小さな胸。
「巨乳とまでは言わない、せめて人並みの大きさが欲しいのよ」
「お嬢様……」
「何か、いい方法はないかしら」
恥を忍んで助言を求める私に、メアリーは少しの間考え込んだ。こういう個人的な相談ができる相手は、結局メアリーしかいない。私にとって唯一無二の侍女なのだ。
「……――ひとつ思いつきましたわ」
「ふざけた回答は無しでね」
「はい。……男爵様に尋ねてみるのですわ」
「ふざけないでとお願いしたけど?」
「婚約者としてではなく、一人の商人として、ですわ」
目を瞬かせる私に、メアリーは人差し指を立てた。表情は真剣そのものである。
「男爵様は凄腕の大商人でございましょう?国内外から幅広く商品を取り扱っておいでなのでは?その中にお胸が大きくなるお薬やお道具が流通している可能性もあるのではないですか?」
「……確かに」
一理あると思ってしまった。
•••
大きなあくびと共に部屋を出る。婚約者もいる手前、だらしなく昼まで寝ているわけにもいかない。何か悪い夢を見たらしい婚約者の悲鳴に昨晩起こされたとはいえ。
もともと身だしなみには無頓着なので、歩きながら髪を手櫛で整え、伸びた襟足を縛る。すると、自分の髪色と同じ黒猫が、いつの間にかダリに並走するように横を歩いていた。いつもは妬ましいくらいダリの婚約者にベッタリなのに、今日は珍しい。それ以外はとりたてて変わりのないいつもの休日だった。
と、思っていたが、やはりいつもの休日とはいかないようだ。視線の先に、壁にもたれかかるようにして婚約者が佇んでいる。わざとこちらを見ないように澄まし顔をしているが、ああいうときは必ず何かある。婚約者の習性が少しわかってきたダリは、ニヤリと楽しい笑みを浮かべながら近づいていった。
「おはよーございます、お嬢様」
「あ、おはよう、ダリ。昨日の夜は……ごめんなさい」
「もういいですって。オレのお嬢様に何もなくてよかったですから」
『オレの』を強調しながら顔を覗き込む。彼女の照れた慌て顔を見ることがここ最近の楽しみの一つだ。しかし、彼女は他に何か考え事があるのか、いつもより少し顔を赤らめた程度ですぐに視線を逸らしてしまった。
「どうしたんです、こんなところで。あ、あの黒猫ならついさっきまでそこにいましたけど」
「黒猫じゃなくてディーよ。結局飼い主が見つからなくて、私が勝手に名前をつけただけだけど――って、今はディーを探してるわけじゃなくて」
キョロキョロと辺りを見回し、エヴァレットはダリの手を取って近くの部屋へ入った。何も困ることはないので黙って手を引かれる。人目を避けるようにずいぶん暗い部屋に連れてこられたなと思うダリは、エヴァレットがご丁寧に部屋の鍵まで閉めたのを確認し、待ってましたとばかりにその華奢な体を抱きしめた。
「っ、ちょ、ダリ、」
「んー?なあに?エヴァレット」
自然に甘い声が出てしまうのは仕方ないだろう。一つ屋根の下に住んでいたって、使用人や侍女たちの目の前でイチャイチャすることを好まない婚約者のために、ダリは我慢の日々を強いられている。婚約者自ら人気のない場所に連れて行ってくれるなんて、何かしてくれと言っているようなものだ。
「は、離して」
「えー?ほんとに?」
「――ほしくは、ないけど……」
「はは、なにそれ。かわいすぎ」
頭に、額に、目元に、唇を落としていく。暗くてわかりにくいが、自身の指でその場所を確認する。エヴァレットは小刻みに震えているが、緊張からくるものだろう。逃げようとする意思は感じられないので、遠慮なく唇を貪った。
「んっ、ふ、」
空気から唾液からすべて喰らうように噛みつく。しばらくはお互いの唾液の音だけが静かな空間に響いた。ようやく唇を離した時、エヴァレットはストンとしゃがみ込み、動かなくなってしまった。どうやら腰が抜けたらしい。
「あー……ごめんね、大丈夫?」
「だ、大丈夫、じゃない」
「ごめんって。でもエヴァレットがこんなとこ連れてくるから悪いんだけど」
「こっ、こういうことするために連れてきたわけじゃ――っ、」
ダリもしゃがみ込んで彼女の顔を覗き込んだ。目が多少慣れてきたとはいえ、やはり暗くてよく見えない。さすがにもったいないな、と再び立ち上がって明かりをつける場所を探した。
「――う、うそ。本当はこういうことも、ちょっと、したくて」
「ちょっと待ってそういう可愛いこと言うの。明るいとこで顔見ながら聞きたいからさー」
あ、あった。と、ようやく室内を明るくする。ちょうど使われていない客室のようだ。エヴァレットはぺたんと座り込んだまま、顔の火照りを冷ましている。
さあもう一回、と近づいたところで、彼女は慌てたように立ち上がると、ダリに向かって声を張り上げた。
「だ、ダリ!聞きたいことがあって」
「え、それこれからすることより重要な話?」
「え、えっと、同じくらい……?」
ずっと何か言いたそうにしていたのはそのせいか。貴重な恋人同士の触れ合い時間とを天秤にかけて、ダリは観念して姿勢を正した。何もしないように腕を組む。話が終わったら存分に触らせてもらおう。
「わっかりましたよ。気になることがあったら集中できませんもんねー」
「う、うん、そうなの」
仕方なくとも聞く体勢になったダリに向かって、エヴァレットは何度も口を開いては閉じるを繰り返す。そんなに言いづらいことなのだろうか。そんな顔も可愛いので急かさず見守っていると、彼女はようやく意を決したように顔を上げた。
「貴方を一流の商人と見込んで、聞きたいのだけど」
「はいはい、なんでしょうか」
「――じょ、女性の――その、ここが……女性らしく、なる商品ってあ、あるの、かしら」
「はい?」
「だ、だから!女性が、女性らしくなる商品!」
主にここが!と。胸に手を当てて声を張り上げる婚約者に、ダリは思わず固まってしまった。――いや、まさか。勘違いに違いない。しかし、一度正解を想像してしまうと、その思考を完全に追いやることもできず、ダリは片手で両目を覆った。なにも見えない。見ない。
「……えっと、オレの勘違いならすぐにしばいてほしいんですが――女性の胸の話じゃないですよね」
「勘違いじゃないわ」
この女、どうしてくれよう。
「だから、クラスメイトの話なの。その方には婚約―――好きな方がいらっしゃるそうなんだけど、その、――小さいのを気にしていて、いずれその方に見られるのが怖――恥ずかしいのですって。だからそういうのを改善するお薬とか、道具があればいいなって。……思ったみたい。あ、プライバシーがあるからどなたかお名前は言えないのだけど。……内緒にしてね?」
「……」
「聞いてるの?ダリ」
下を向いて顔を覆ったまま動かなくなってしまった彼を覗き込もうとして、いきなりガシッと肩を掴まれてしまった。びっくりして身動きできずにいると、俯いたダリから「あと10秒」と訳のわからないことを言われてしまう。顔を見るなということだろうか。
「…………………………………………ハァ」
「な、なに?どうしたの?」
「……理性保ってんだよバカ」
「!? ばっ」
「そのクラスメイトに言っといてください。アンタの好きな人はきっとそのままのアンタが好きだから大きかろうが小さかろうが柔らかかろうが固かろうが関係ないと思いますよって」
一息でそう言うと、目の前にダリの顔が迫ってきて、目を閉じる間もなく唇が重なった。軽く音を鳴らして離れていくと、ダリはすぐさま背を向けてしまう。まともに顔も見せてはくれないが、なぜか耳まで真っ赤だ。
「さ、もう行きますよ」
「は、えぇ??」
「これ以上は無理」
「む、無理って、」
「ここにいたら実践する」
「実践??」
しかし、振り返ったダリはいつものイタズラっぽい笑みを浮かべていた。
「揉んでもらうと大きくなるらしいですから」
言うだけ言うと、ダリはエヴァレットの手を引いてさっさと部屋を出る。いつ人が通るかわからない空間に出てしまい、これ以上何も言えなくなってしまった。
(ま、まさか、気付かれた……!? 私の話だって)
恥ずかしいやらいたたまれないやらで、顔を熱くする。しかし確かめることも怖く、それ以来この話題は二度と口にはできなかった。不思議とダリから蒸し返されることもなかったけれど。
•••
『○月○日
本日のお嬢様もたいへんお可愛いらしかった。男爵様とは日に日に仲睦まじくなっていくご様子。昨夜はお嬢様の甲高いお声が聞こえ、何事かと駆けつけたが、室内から男爵様のお声もしたので部屋の外で静かに見守ることにした。
それはそうと、男爵様と出会ってからのお嬢様は以前からの可愛らしさにさらに輪をかけて一段と美しくなっておられる。心なしか頰が赤く染まることも増え、少女のような面立ちから大人の女性へと成長しているようだ。お屋敷で保護した黒猫には男爵様と同じ頭文字のDとお名付けになるなど、ご本人だけでなく子猫にも愛情を深く注いでおられるお姿に、普段のお二人きりのご様子が垣間見えて微笑ましく使用人一同感極まる思いである。ご成長自体は喜ばしく、やはり一抹の寂しさも感じるものだが、しかし、こうしてお嬢様も大人の階段を一歩ずつ登っていくのだろう。毎日眠たい目を擦りながら朝早くに起きて男爵様のためにお弁当作りをしている姿は大変いじらしく、男爵様が夢中になられるのも無理はない。たまにはゆっくり過ごされる日があっても良いかと、起こすことが躊躇われる日もあるが、隣で眠る男爵様のお声で飛び起きてしまわれるのだから、深い愛の成せる業であろう。今朝はわたくしより早起きをして、ご自身の体つきを鏡の前で細部までご確認しておられた。ついには胸部の大きさが気になるからと、男爵様にご助言を頂くことにしたようだ。お嬢様にはまだ早いと思っていたが、こういったことがあるとしみじみと実感せざるを得ない。これが恋というものなのだ。お嬢様は恋をしてさらに美しく、たまに素直に、時には激しく、時には少し頭のネジが緩くなってしまわれた。これからもそんなお嬢様のお側にお仕えできることがわたくしの至上の喜びであり、お二人の仲睦まじいお姿こそが幸せの象徴なのだ。
ところで近々夏休みなる長期休暇があるので、その際はお屋敷に戻ることになるだろう。旦那様もお嬢様の新たなるご成長を目に焼き付けられるはずだ。早く今のお嬢様をご覧になって頂き、喜びと幸せのお裾分けをしたいと思う。
「メアリー、また日記?別荘にきてから毎日よくも飽きないわね。そんなに書くことある?」
「はい!これを元に旦那様にも都度ご報告しておりますので。ですがそれがなくとも、もうこれは日課ですので、なにも苦ではございませんわ」
「ふーん……」
毎日話題に事欠かないお嬢様の、日々の出来事を仔細に綴るのが、メアリーの最近の楽しみなのだ。夏休みにはこの日記帳そのものを旦那様にお渡しし、お嬢様の輝かしきご成長記録をご覧に入れたいと思う。
〜Finー