1-4. もう、選択肢はない
とても重く苦い感情をまき散らした後のことは、あまりよく覚えていない。
どうやら泣き疲れて、そのまま眠ってしまったらしい。
気がつくと、朝日が差し込んでいた。
周囲を見渡すと、エイルはどこかに向かっている荷台の上で横たわっていた。
そしてまた、例の男に膝枕されている。
「――!?」
エイルは飛び起き、慌てて距離を取った。
まるで前と同じ場面を繰り返しているかのようだった。
そんなエイルの動揺を気にも留めず、彼は首を少し傾げて優しい声で問いかけてきた。
「もう大丈夫か?」
「え?あ、はい。
大丈夫です……」
返事をすると、男はゆっくりと横を向き景色を眺めた。
エイルの胸の奥には、まだ苦しさや痛みが残っている。
だが、昨夜よりはずっとマシだった。
あれほど泣いてぐっすり眠ったことで、少しだけ心が軽くなったのかもしれない。
改めてみると、男の顔はとても整っている。
フードで隠しているのが惜しいほどだ。
けれど彼の手は袖に隠れてだらりと垂れ、どこか気の抜けた感じがする。
そんな美しさと無防備さが、不思議と調和していた。
(本当に変わった人だなぁ……)
そう考えていると、エイルは我に返った。
今、誰かの荷台の上にいる。
恐らく気を失った自分を抱えて、彼が近くを通った荷馬車に頼んだのだろう。
そう思うと、不意に申し訳なさが込み上げてきた。
「すみません、色々とお世話になってしまって…………」
「気にすることはない」
彼は横を向いたまま、淡々と答えた。
顔が瞬き以外、一切動かない。
本当に人形のようだと、エイルは思った。
「………………」
「………………」
……何から聞けばいいのだろう?
重い沈黙が長い間支配していた。
そんな中、不意に男がエイルの方へ顔を向けた。
「そういえば、自己紹介がまだだった。
僕はルイ・ロートブラット。
都市“パライバトルマリン”で魔法店を営んでいる」
フードの奥から伸びる視線が、真っ直ぐにエイルを射抜いてくる。
「……エイル。
エイル・ハイパー、です…………」
「そうか、よろしく」
ルイは小さく頷くと、また視線を遠くの景色へ戻した。
必要なことしか話さない性格のようだ。
また沈黙に戻りそうになったそのとき――
「ところで、これから行く当てはあるのか?」
「あっ、いえ、ありませんけど…………」
急に声をかけられたエイルは思わず驚き、言葉が詰まりそうになった。
エイルには親戚がいない。
だとすると、故郷を失った今これからどう生きていけばいいのか?
――その問いが、新たに突きつけられていた。
昨日まではそんなことを考える余裕すらなかった。
だがルイに指摘されて初めて、エイルはその現実に気づいた。
「それなら丁度今、都市に向かっているところだ。
僕のところに来るといい。
住居に空き部屋もあるから、好きに使って構わない」
「え、いいんですか?でも――――」
ありがたい申し出だった。
けれど、そこまで甘えるのは流石に申し訳ない。
せめて都市についたら、自力で行先を探した方がいい。
そんな気がした。
……でも、そもそも何処へ?
それ以前に自分はこれから先、どうやって犯した罪と向き合えば?
考えれば考えるほど、頭が痛くなる。
そんなエイルを見て、ルイはふっと目を細めた。
「気にしなくていい。
少なくとも君は、都市でしばらく過ごすべきだ」
「それって、どういう……?」
都市に留まるべき理由。
ぱっと思いつかない。
そんなエイルの様子を見ながら、ルイは表情や声の調子を変えずに続ける。
「この際、はっきり言っておく」
そう言って、彼は真剣にエイルの目を射貫くように見つめた。
そしてそのまま、衝撃的な事実を告げた。
「――君は今、魔剣と一体化している。
もう手放すことはできないだろう。
魔剣の力が君の体の中にある以上、いつまた暴走してもおかしくない状態だ」
一瞬、思考が止まった。
現実味のない言葉が、耳の奥で鈍く響く。
しかし意味を理解した瞬間、急に視界が揺れ猛烈な吐き気に襲われた。
エイルは思わず荷台の外に体を乗り出した。
でも、何も出てこない。
――『魔剣と一体化』?
どういうこと?
自分はあの忌まわしい力に、囚われてしまったということ?
それに『いつまた暴走するか分からない』というのは……
また、あの地獄を繰り返さないといけないのか?
「君を見つけた時、魔剣らしきものはどこにもなかった。
だが君の体から、微かに独特な魔力を感じる。
よほど魔法に詳しい者でない限りは気づかないだろうが、一体化しているのはほぼ確実だ」
ルイは淡々と語り続けた。
「だが手はある」
「…………え?」
吐き気が少し治まり、エイルは顔をあげた。
「パライバトルマリンにある『ダンジョン』のことは知っているか?」
「はい……知ってますけど…………」
ダンジョンは、千年以上昔から存在する謎の建造物だ。
誰が何のために作ったのか、何も分かっていない。
噂では、最奥にはとてつもない何かが眠っているという。
しかし中には無数の魔物が澄みつき、入って戻らない者も多い。
そんな危険を承知で、ダンジョンへ挑む猛者がいる。
人々は『冒険者』と呼び、パーティーを組んで探索を行っている。
彼らを突き動かすのは夢や名声、富、好奇心だ。
パライバトルマリンは、そんな冒険者達が集う活気あふれる都市だ。
エイルはルイの意図を悟った。
「つまり私に……『冒険者になれ』と?」
ルイは静かにうなずいた。
「君が抱える最大の問題は、魔剣を扱えるだけの力がないことだ。
精神力、体力、魔力――全てが不足している。
だが逆を言えば、それらを鍛えれば魔剣の力を制御できるようになるはずだ」
エイルはルイの瞳をじっと見つめた。
嘘を言っているようには見えない。
けれど、ダンジョンは危険だ。
命を落とす可能性だってある。
そもそもどんなに強くなっても、村が壊滅したという事実は消えない。
……それでも、もう同じ過ちを繰り返したくない。
もう誰も、自分のせいで失いたくない。
あんな惨劇だけは、二度と――――
「……本当ですか?」
「保証はできない。
ただ、可能性は高い」
その言葉を聞いて、エイルの頬に僅かに血の気が戻った。
――それで十分だ。
今はただ、崖っぷちな自分を救いたい。
その為ならどんな小さな希望でも信じたかった。
例えそれが甘い幻想でも、偽りでもいい。
何かに縋りたい。
エイルは意を決して、口を開いた。
「……わかりました。
私、冒険者になります。
強くなって、魔剣の力を制御してみせます。
これ以上、過ちを繰り返さないためにも――!」
その力強い声を聞いて、ルイの目元が少しだけ和いた気がした。
「それなら、都市に着いたら僕の店に向かおう。
今、留守を任せている人がいる。
彼なら君の成長の手助けをしてくれるだろう」
そう言うと、彼は再び遠くの風景に視線を移した。
どうやらもう、これ以上話すつもりはなさそうだ。
太陽は既に空高くに昇り、まぶしいほど輝いている。
荷台の車輪がカラカラと軽快な音を立て、馬の蹄のリズムが心地よく響く。
耳を澄ますと周囲から鳥の鳴き声が聞こえ、エイルの心の奥に静かな熱を灯した。
やがて森を抜けると、草原の向こうに建物がひしめき合っているのが見えた。
――――都市が近い。
その景色を見たとき、エイルの中に小さな光が灯った気がした。
<<人物紹介>>
名前:エイル・ハイパー
性別:???
年齢:16歳
種族:ヒューマン
所属:なし
特徴:中性的な見た目で、割とおとなし…い…?




