1-3. 消えない罪
気がつくと、エイルは柔らかな枕に頭を預けていた。
どうやら森の中、村の外れまで運ばれてきたらしい。
空を見ると、木々の隙間から月が覗いている。
あれから時間はあまり経っていないようだ。
しかし満月に照らされている森は妙に暗い。
葉を揺らす風の音だけが、静かに耳を撫でてくる。
意識がはっきりしてくると、自分の頭が誰かの膝に乗っていることに気づいた。
「――!?」
驚いて飛び起きると、目の前にあの男がいた。
境界に向かう途中で出会った、あの謎めいた人物。
彼はじっと、エイルを見つめていた。
感情の読めない顔のまま、まるで置物のように動かずに。
「……体は大丈夫か?」
低く静かな声が、エイルの耳に届いた。
その声に敵意はなく、むしろ心配を滲ませている。
だが、襟元に隠されたその表情はやはり読み取れない。
「え?あ、はい……なんともない……です…………」
思わず言葉を濁した。
あれほどの衝撃を受けたのに、体に痛みはない。
まるで魔剣に触れたあの出来事が、全て夢だったかのように。
「あの、私はどうして、ここに……?」
そう尋ねると男は少しだけ黙り込んだ後、淡々と話し始めた。
「君が教会の地下で倒れているのを偶然見つけたんだ。
外傷はなかったが、呼吸が少し浅かったから面倒見た方がいいと思った。
だから安全を考えて、ここまで運んできた。
無事で何よりだ」
――どうにも腑に落ちない。
自分が見張りを追っ払ったとはいえ、なぜ余所者である彼が魔剣のある地下に向かったのだろう?
魔剣が目的だったのか?
だとすれば、エイルを放っておけばよかったはずだ。
助ける理由もない。
なのに、この人は何故か『安全を考えて』などと言った。
――まるで村で何かが起こっているかのように。
エイルは胸の奥がじわりと冷えるのを感じた。
森の闇が、さっきよりも深くなった気がする。
この人は、信用してはいけない。
そう判断したエイルは、急に心臓が高鳴った。
「た、助けてくださってありがとうございます!
それじゃあ私はこれで!!」
「待て、話を――――」
男の制止を聞く間もなく、エイルは立ち上がり森の奥へと駆け出した。
エイルは風を切って走った。
道なき道を、ただひたすら前へと。
やがて前方から、光がチラチラ見え始めた。
村の明かりだ。
(良かった、あともう少しで――――)
だがその安心はすぐに違和感に変わった。
おかしい。
この時間はまだ皆眠りについているはず。
それなのに、明るすぎる。
さらに風に乗って焦げたような匂いが漂ってくる。
(いや、そんな、まさか……!)
胸がざわつく。
足が止まりそうになる。
だけど、立ち止まっても意味がない。
(そうだ、きっと気のせいだ。
こんな辺鄙な場所で何かあるはずがない……!!)
そう必死に自分に言い聞かせながら、エイルは再び駆けだした。
***
「………………え?」
そこに広がっていたのは、地獄だった。
家は全て跡形もなく崩れ、赤い炎が辺りを飲み込んでいる。
既に、見知った村の姿はどこにもなかった。
燃え盛る炎とごうごうと唸る音だけが、その場を支配していた。
「な、何で……?
一体なにが……どうして…………?」
エイルは呆然と立ち尽くすしかなかった。
膝が震え、足元がふらつく。
崩れ落ちる寸前で、なんとか立っているだけだった。
盗賊が襲ってきたのだろうか?
いや、こんな辺鄙な村は金目のものはない。
だとしたら、戦争が起きたのか?
いや、それも違う。
この辺りは平和な場所だ。
じゃあ一体…………?
「……生存者。
そうだ、誰か…………
父さん……母さんは…………?
アルメリアは…………?」
気づけば、炎の中へ歩き出そうとしていた。
しかしエイルの腕を誰かが強く掴んだ。
振り返ると、あの男だった。
「この先は危険だ。
行ってはいけない」
男は真剣な眼差しでそう言った。
彼の手の力は、掴まれた腕が痛むほどだった。
「あ、あの!
これはいったい何なんですか!?
父さんや母さん、村の人達は無事なんですか!?」
抑えきれない感情のまま、エイルは叫んだ。
男は一瞬だけ言葉を飲み込んだ。
やがて目を逸らして、低く呟いた。
「――――魔剣の力が暴走したんだ」
頭が真っ白になった。
魔剣の力が、暴走……?
どういうこと?
あの時の稲妻が、この惨状を?
ということは――――
「私のせい、なんですか……?」
男は何も答えなかった。
だがその沈黙が、答えを示している。
「他の人は……?
生存者は…………?」
エイルの問いかけに男は僅かに目を伏せ、ゆっくりと首を横に振った。
体から、熱がすっと抜けていく。
血の気が一気に引き、感覚がなくなった。
あまりのことに、涙すら出ない。
ただ胸が締め付けられるように痛む。
全身から力が抜け、エイルはその場に崩れ落ちた。
――自分が、村を壊滅させた。
父さんも、母さんも、村長も、ヘンリーさんやロニーさんも。
そして、アルメリアも……
みんな、自分の手で、殺してしまった。
ただ強くなりたいだけだった。
友を越えたかった。
ただ、それだけだったのに――――
ふとある言葉が脳裏をよぎった。
『欲に溺れる愚者、魔剣により破滅を与えられん』
ああ、自分は“愚者”だったのだ。
そして与えられた“破滅”は死よりも重い。
この地獄を抱えて、生きていかねばならない。
エイルはふらりと立ち上がった。
ふらつく足で、ふたたび炎の中へと向かおうとする。
「どこに行く気だ?」
男が再び腕を掴んできた。
「……てください」
「?」
男が問い返すように首を傾げたその瞬間、エイルは叫んだ。
「放っといてください!!!
あなたは余所者でしょ!?
だったら私がどうなろうと関係ないじゃないですか!!」
エイルの怒号は震えていた。
まるで胸を突き刺すかのように。
男は無言で、ただエイルを引き留め続けていた。
どれだけ暴れても、振りほどくことができない。
その力は青痣になりそうなほど強かった。
「どうして――――」
ボソッと漏れた呟きとともに、エイルの目からぽろりと涙がこぼれ落ちた。
そしてそのままエイルは倒れこみ、声にならない嗚咽を漏らした。
燃え盛る村の前で、孤独に全てを失ったエイルが泣き叫ぶ。
その痛みを、誰も癒すことはできなかった。
隣にいた男だけが、そっとその小さな背を支えていた。




