3-9. 狙われた理由
気がつくと、エイルは見慣れた病院の天井を眺めていた。
(あれ?どうしてここに……?)
目覚めたばかりとはいえ、まるでまだ夢の中にいるような感覚だった。
頭がすごくぼおっとしていて、これまでのことも良く思い出せない。
体にも全然力が入らず、首を動かすのがやっとだった。
「目が覚めたか」
声のした方向を向くと、薄暗い中アインツが壁に寄りかかっていた。
隣にはロバートが椅子に座っていて、エイルを見て安心したのか脱力していた。
「私、一体何があったの……?」
エイルの発した声は、寝起きの時のように弱弱しかった。
けれどなぜか、話すことができたことに少し気持ちが和らいだ。
アインツは魔法学校の学生にあったところから丁寧に説明してくれた。
頭が混乱していたエイルでも、詳細に起きたことを思い出せるほどに。
エイルが気を失った後は、グッタス医院まで一直線で走ってきたとのことだ。
パナサーが血清を処方してくれたおかげで、何とか危機を脱したらしい。
「……彼女は?」
「医院長室で仮眠を取っているはずだ」
そう言ったアインツの横にある時計を見ると、針は二時を指している。
外を見ると、空は真っ暗だ。
どうやら今は真夜中だったようだ。
ふと、お腹の辺りが重いような気がした。
何とか頭を持ち上げてみると、そこでルイがうつ伏せになっていた。
彼は目を閉じ、すぅすぅと静かに寝息を立てている。
「そのまま寝かせてやれ」
ルイはエイルが診療所に担ぎ込まれた後、即座に聞きつけて駆け付けたらしい。
パナサーから容態が安定したと聞いた後も、心配そうにずっと傍にいたそうだ。
そしてついさっき、疲れてしまい眠りについたとのことだ。
「しかしオマエ、すんごい生命力だな。
常人なら数分も耐えられないのに、五時間以上持ちこたえるとはな。
あの先生も流石に驚いてたぜ?
まぁ、そのおかげで助かったわけだが」
「えっ、ウソ……」
ロバートの発言に、エイル自身が驚愕してしまった。
自分は、そんなに特別な体質ではない。
小さい頃木から落ちて骨折した時は、完治まで三か月以上掛かった。
訓練で足をくじいた時は数週間痛くて動かせなかったし、熱出した時も人並みに寝込んだ。
一体いつからこんなに丈夫になったのだろう?
記憶を辿ってみたが、まだ頭に靄が掛かっていて答えが出なかった。
「うっ…………」
考えすぎたせいで、気持ち悪くなってしまった。
けど少し腑に落ちなくて、なんだかモヤモヤする。
「無理をするな、今は休め」
アインツのアドバイスに、エイルは素直に従うことにした。
生命力が高いことに、何か不都合があるわけではない。
むしろメリットしかないはずだ。
そう自分に言い聞かせながら。
しかし、それでも別の事でエイルは引っ掛かりを覚えていた。
「……どうして、アッドゥクティオは起動していたんだろう?」
あの時偶然、アッドゥクティオが近くに落ちていたとは考えにくい。
それも、ちゃんと起動した状態でだ。
恐らく、誰かが自分たちの近くに置いたのだろう。
でも、一体だれが?
どうして、こんなことを?
誰かの恨みを買うようなことはしていないはずなのに。
そんなことをエイルが考えていると、ロバートが姿勢を正して座り直した。
「その件について、オレから話さないといけないことがあるんだ」
彼はとても深刻そうな表情をしている。
部屋に明かりが無くても、彼が唇を噛み締めているのがよく見えた。
アインツも、いつも以上に真剣そうだった。
「……恐らく犯人は、ヤンソン先生だ」
「――っ!」
エイルは思わず、言葉を失った。
あのしっかり者で学生を気に掛けている教師が、あんなことを……?
とても厳格な人で、非道なことをするようには思えなかった。
まして、エイルはそのせいで死にかけたのだ。
なぜ、そこまでしたのだろう?
ロバートはエイルの疑問に答えるように続けた。
「先生の動機は……多分、オレだ」
理解が追い付かなかった。
彼が何を言っているのか分からなかった。
しかし唖然としているエイルをよそに、ロバートは話を続けた。
***
きっかけは、今から三年前のこと。
ロバートは当時、魔道具の開発を専門としているヤンソンの門下生だった。
その頃は今のようなぎくしゃくした関係性ではなく、かなり良好だった。
ロバートが魔道具の設計図を持ってくると、ヤンソンは熱心に眺め褒めてくれたそうだ。
時にはアドバイスもしてくれて、終夜通して議論することも少なくなかった。
そんなロバートを、ヤンソンは学生として愛情を注いでいた。
周囲には自分の一番弟子だと自慢していたそうで、ロバートはとても照れ臭かったらしい。
しかしある日突然、そんな日常に亀裂が走った。
エイルに明かしていたように、ロバートには最強の魔道具を作るという夢があった。
彼は魔法学校入学後、ヤンソンをはじめとする多くの先生の講義を受講していた。
そこで吸収した知識を活用して、4年生の頃にとうとう夢の設計図が出来上がったのだ。
その魔道具には、ロバートが練りに練って考え実験を重ねた技術が全て詰め込まれている。
完成度にも、かなり自信があった。
(先生は必ず絶賛してくれるはずだ!)
ロバートは最初、そう疑わなかった。
だがヤンソンの反応は真反対だった。
設計図を見た途端、見たことのないような冷酷な顔をし、目から光が消えた。
そして唇を震わせながら彼は、ロバートをギロッと睨んだ。
「……あなたは、『殺戮兵器』でも作るつもりですか?」
それが、恩師から発せられた第一声だった。
確かにロバートの設計図はとても優れていた。
その点はヤンソンも認めてくれた。
いや、優れすぎていた。
あまりにも凄すぎて、ヤンソンは恐れてしまっていた。
――その技術が悪用された未来を。
ロバートの魔道具は優秀なうえに使いやすく、応用の効くものだった。
冒険者が扱えば、魔物を倒す効率が格段に上がるのは明白だった。
そんなものが万が一、悪人の手に渡ったら?
兵器や武器に応用されれば、一体何人の人が死ぬ?
争いにでも使われれば、どうなる?
皆こぞってその技術や魔道具を使って殺しあえば、どんな大規模な戦争が起きる?
そんな人的災害を、人間は乗り越えられるのか?
ヤンソンはそんな質問を、ロバートにぶつけてきた。
だが、ロバートは答えられなかった。
ヤンソンの指摘は一切間違っていない。
もしそんな事態になれば、ロバート一人で止めることはできない。
そしてその責任を、一人で負うことなんて到底できない。
「……その設計図は燃やしなさい、灰も残さずに。
そして二度と、そんなものを作ろうだなんて考えないでください」
ヤンソンはそう吐き捨てると、押し黙ったロバートを無理やり外に追い出した。
そして自分の部屋に厳重に鍵をかけてしまった。
ロバートはヤンソンに言われた通り、設計図を念入りに燃やした。
その後はまた師弟の関係は続いていたが、今まで通りとはいかなかった。
お互いに、必要最低限のことしか話さなくなっていた。
しかし、ロバートは諦められなかった。
幼い頃からの夢で自分の行動指針でもあるものを、そうやすやすと捨てられなかった。
(悪用されるリスクがあんなら、情報を残さなきゃいい……!)
頭の中に残った設計図を基に、彼は製作を始めてしまったのだ。
データは全て残さず、些細なメモも全部燃やした。
魔道具は自分以外の人が使えないように、頭の中で設計し直した。
そうやってヤンソンには内緒で、自分の技術が流出しないように配慮しつつ組み立てていた。
だがやがて、ヤンソンに全てばれてしまった。
ロバートは情報の漏洩に最大限配慮しているといったものの、ヤンソンは聞く耳を持たなかった。
そして必死に懇願し訴え続ける彼に向って、ただ冷徹に睨んでいるだけだった。
「――もう二度と、私の前に現れないでください」
それが、ヤンソンがロバートに言った最後の言葉だった。
***
「……その後、オレは魔法学校を退学処分になった。
理由は『技術の悪用』、そのまんまだ」
エイルはかける言葉が見つからなかった。
ヤンソンは一切間違ったことをしていない。
少しやりすぎだが、それほどロバートの技術が怖かったのだろう。
理性的に考えれば、非があるのはロバートの方だ。
でも、それで彼の夢を壊すのは正しいのだろうか?
それはそれで違う気がする。
だったら、ロバートとヤンソンのどっちが正しいのだろう?
……その答えを、エイルは出すことはできなかった。
「……その話と今回のこと、どんな関係がある?」
そう言うアインツの気持ちは分かる。
確かに今の話で二人のただならぬ関係性は説明できたが、人命を脅かすことまでのことをした理由にはならない。
ロバートは軽くうなずいた。
「エイル、先生にオレの近況を聞かれたんだろ?
その時に、オレがまだ完成を諦めていないことに気づいたんだと思う」
「…………は?」
完成を、諦めていない……?
それってつまり――
「以前話したと思うが、オレは“魔道具の開発”で生活が困窮してる。
その魔道具というのは……先生が恐れた例のものだ」
「…………」
絶句するしかなかった。
ヤンソンにそこまで追い詰められたというのに、ロバートはまだ夢を追い続けているのだ。
彼の信念に、感服せざるを得なかった。
いや信念というより、執念に近い気がする。
ここまで来ると、もう狂気の領域だろう。
「オレを止めるために、先生は乱暴な手段を取らざるを得ないと判断したんじゃないか?
幸いにも、オレの近くにはアインツがいた。
伝説がいれば、どんなに危ない目にあっても命は助かると踏んだんだろう。
それが事の顛末――といったところだ」
ロバートは全てを出し切ると、深いため息を溢した。
自分のせいで、皆を巻き込んだ上にエイルを死地に追いやってしまったのだ。
かなり責任を感じているのだろう。
でもエイルは、彼を責めることはできなかった。
ベッドシーツを掴み重い沈黙に身を委ねるのが、エイルの唯一の返答だった。
「それで、これからどうするつもりだ?
このまま放置すれば、また同じことをされかねないぞ」
アインツはロバートの心境をよそに、淡々と質問した。
アインツも色々と言いたいことがあるのかもしれないが、リーダーとしての立場がそれを許さなかったのだろう。
ロバートもそれを察したようだ。
「オレは開発を止めるつもりはない。
ヤンソン先生も、今回もしくはそれ以上の強硬手段を取ってくるだろう。
だからオレは……このパーティーから抜けるよ。
これ以上、オマエらを巻き込みたくはない」
――そんなの、納得できない。
彼は何も悪くないとは言わない。
でも、こんな別れ方っていくら何でもないだろう。
「魔法店の手伝いも、これからは断らせてもらうよ。
ルイに伝えといてくれ。
『世話になったのに一方的に契約を切ることになってすまない』、って。
完全にオレとの縁を切れば、先生もオマエらに手は出さないだろう。
……本当に、申し訳ない」
そう言ってロバートは深々と頭を下げた。
エイルは無理やり起き上がろうとした。
しかしアインツに止められ、そのままベッドに強制的に寝かされた。
言葉を掛けようともしたが、アインツに口を塞がれた。
無表情なその顔には、気持ちを押し殺しているような必死さが滲んでいた。
「――分かった、元気でな」
アインツは静かにそう告げた。
ロバートは苦虫を嚙み潰したような笑みを浮かべた。
そのまま彼は後ろを向き、影を落としながら病室を後にした。
エイルはアインツに無理やり抑え込まれながら、その寂しい後ろ姿にかける言葉が出せなかった。
ただそのまま、見送ることしかできなかった。
<<作者からの一言>>
「探究の自由にはいかなる障壁もあってはならない。
科学に教条の居場所はない。
科学者は自由であり、あらゆる問いを発し、あらゆる主張を疑い、あらゆる証拠を求め、いかなる誤りも訂正する自由を持たねばならない」
――オッペンハイマー




