3-8. 僕はずっと傍にいる
アインツとロバートはしばらく岩陰で息を殺していた。
その場所は幸運にも入り組んでいて、簡単には見つかりそうになかった。
魔物の軍団は、彼らがいる岩場を右往左往していた。
時々目の前を通り過ぎたりもしたが、穴の奥に隠れていた一行に気づかなかった。
そんな中、体長5メートルにも及ぶノスフェルらしき影が見えた。
奴は執念深く至る所を探していた。
その間、誰もが生きた心地がしなかった。
姿は見えないのに、影の動きと気配がその場にじっとりとした空気を漂わせている。
ロバートに至っては、緊張のあまり手が震えてしまっている。
アインツは平常を装っているが、その額には脂汗が滲んでいた。
だがやがて、諦めたかのように巨大な影は去っていった。
同時に、魔物たちも少しずつと興味を失っていった。
日が傾くころ、ようやく魔物の気配が完全に消えた。
その間、ロバートはエイルの応急処置を行っていた。
持ち合わせの薬などをフル活用して、少しでも症状を遅らせようと躍起だった。
しかし止血した傷口は青く変色し、体が冷たくなってきている。
エイルはなんとか意識を繋ごうと必死だったが、限界に近づいていた。
あまりにも強烈な眠気に、エイルはうとうとし始めている。
「おい、寝るな……!」
ロバートは小声で一喝し、エイルの頬をひっぱたいた。
おかげで少し目が覚めたが、もうすでにエイルの体の感覚が麻痺し始めている。
かなり強力な平手打ちだったのに、あまり痛くはなかった。
「う……あ…………」
何か言おうとしても、口が思うように動かない。
そんなエイルを目の当たりにしたロバートは、焦りを抑えられなくなっていた。
「おい、何とかなりそうか……!?」
魔物が去って外の状況を確認しているアインツに、彼は希望を見出した。
けれどアインツの表情は明らかに芳しくない。
「――敵はもう心配はなさそうだ。
だがここがどのあたりなのか見当もつかない。
下手に動くと余計に道に迷う可能性が高いな」
「ちっ!」
ロバートは近くの壁に、思いきり拳を叩きつけた。
砂漠では、地図も方位磁針も役に立たない。
そのような環境で、どんなに優れた魔道具でも道を探し出すのは不可能だった。
エイルに残された時間はもう僅かだ。
何もできない自分に、ロバートはただ拳を握るしかなかった。
それだけではない。
手持ちのアイスポーションでは、夜明けまでしか持たない。
ロバートもアインツも、このままだと暑さで死んでしまう。
まさに、絶体絶命だった。
「……さ……さむ……い…………」
エイルがか細い声で呟いた。
声はかすれ、まるで遠くの誰かに助けを求めるようだった。
瀕死の状態で訴えているということは、かなり凍えているのかもしれない。
そのせいか、少し体が震えている。
しかしポーションの効果はあるとはいえ、ここは寒い場所ではない。
エイルは相当弱っているようだった。
ロバートはそんなエイルに、何もしてあげられなかった。
そんな中、ロバートの視界の端に黒い何かが写り込んだ。
振り返ると、アインツが無言で自分のコートをロバートに差し出している。
後ろを向いていて顔が見えないが、「エイルに着せてやれ」と言いたいらしい。
正直、彼らしくない行動に戸惑いを隠せなかった。
思わず呼吸を忘れ、動けなくなってしまうほどだった。
だが、今はそれどころではない。
ロバートはコートを受け取ると、エイルの肩に被せて体を温めてあげた。
「……ん?」
ふと、エイルの耳飾りがロバートの目を引いた。
白黒の小さな蝶。
どこかで見たことがある気がする。
確か、何か特別なものだったような――
彼は記憶の中を探ってみた。
「――待て、これって……!」
エイルの耳飾りの正体が分かった途端、ロバートは思わず声を上げてしまった。
アインツは彼に気づいて、一体何事かと問い詰めた。
エイルの耳飾りは、“迷蝶”と呼ばれる古い魔道具だった。
二つで一組のもので、持ち主が片方を誰かにプレゼントするケースが多い。
その使い方は、いわゆる“道しるべ”だ。
ある特定の呪文を唱えると、迷蝶はペアの片割れへの道を示してくれる。
それによって、遠くに離れていたとしても再開ができるという代物だった。
見た限り、エイルの両耳についている迷蝶は別のペアのようだ。
送り主は恐らく、片方を失くしても自分のもとにたどり着けるようにしたかったのだろう。
本来は指輪の形だが、耳飾りの状態でも問題なく使えそうだった。
ロバートがそのような説明をすると、アインツは手を顎に当てた。
「……なるほど。
確かその耳飾りは、ルイからのプレゼントだったはずだ。
片割れを持っているのは、大方ルイだろうな」
「だったら……!」
起動すれば、ダンジョンの外にいるルイまでの道を示してくれる。
つまり、出口にたどり着ける……!
二人は同時に同じ結論に至った。
「ロバート、呪文は分かるか?」
「悪い、そこまでは……」
アインツの質問に、ロバートは肩を落としてしまった。
折角の見えた希望だというのに、使えなければ意味がない。
ロバートの顔はとても暗くなっていた。
しかし、アインツの顔色は変わらなかった。
彼はエイルの前にしゃがみこんで、肩を強く揺さぶった。
「七番、この耳飾りを貰った時にルイから何か言われなかったか?
今喋るのもきつい状況だっていうのは分かっている。
だがそれ以外に今、お前も俺達も助かる方法はない。
頑張って思い出してくれ」
アインツはいつものトーンで話してはいたが、言葉の節々に必死さが伝わってくる。
ロバートはエイルを刺激しない方がいいと思いつつも、それ以外に頼れなかった。
エイルは靄がかる思考の中、記憶を必死に手繰り寄せた。
そしてルイに言われた言葉を思い起こして、回らない舌でゆっくりと囁いた。
「……幻、蝶…………汝の……行く、べき場所へ……導け……」
すると、エイルの消えそうな呪文に反応して、二つの耳飾りが淡く光り始めた。
その輝きは飾りからゆっくり離れたかと思うと、白黒の蝶の形に変わった。
二匹の幻の蝶は三人の横を通り過ぎ、絡み合いながらある方向へと飛んでいった。
「あっちだ。
見失わないうちに行くぞ!」
アインツは追いかけるように、蝶の進んだ方向へと走り始めた。
ロバートもエイルをおんぶして、アインツの後に続いた。
蝶は迷うことなく、特定の方向へと進んでいく。
二人は夕日に照らされながら、必死にその軌跡を辿っていった。
「エイル、もうすぐだ!
もうすぐで出られるぞ!
もうちょっとだけ頑張ってくれ!!」
ロバートは何度も舌を噛みそうになりながらも、エイルが寝ないように必死で話しかけた。
しかし、エイルはとうに限界に来ていた。
さっき呪文を唱えるので体力を使ったせいで、瞼を開く力が残っていなかった。
エイルはロバートの背中で揺さぶられる中、意識を手放そうとしていた。
「おい、エ――!
――が見え――――た――!
ね――――!
――だ――――――!!」
ロバートが何かを訴えかけてきていたが、エイルには断片的にしか聞こえなかった。
そしてやがて、周囲の音が一切聞こえなくなり、暗闇に包み込まれた。
<<人物紹介>>
名前:クラース・シュミット
性別:男性
年齢:17歳
種族:ヒューマン
特徴:典型的なオタク気質




