2-11. 楽しい延長戦
「っあ…………が………………」
フィーネの肩からは大量の血が流れていた。
ノスフェルはそれでもお構いなしに、咀嚼するかのように噛みついている。
奴が動くたび、フィーネの声にならない悲鳴と骨の砕けるような音が聞こえてきた。
エイルはその光景をただ眺めているしかなかった。
あまりもの惨状に、恐怖と絶望で体が強張っていた。
さらに一番恐ろしいことに、溢れ出る彼女の血を美味しそうにゴクゴクと飲んでいる。
それだけではない。
恐る恐る奴の体に目をやると、傷口の炎が徐々に鎮火し欠損した体もつながり始めていた。
まさに、“怪物”だ。
「フィーネを、返せぇぇぇぇ!!!!」
エイルの隣にいたシルヴィは、怒りに任せて怪物の顎を切り裂いた。
すると相手は顎の力を失い、フィーネを放して悲鳴を上げた。
「エイル!!」
シルヴィの怒号のおかげで、エイルの金縛りは解けた。
力なく倒れそうなフィーネをエイルは掴み、急いでその場を離れる。
二人を見送ったシルヴィは、苛立ちをぶつけるようにスキルを発動した。
「神速疾走!!」
戦場から少し離れた場所に、エイルはフィーネを寝かせた。
彼女の傷口は直視できないほどひどく、今でも血がだらだらと流れていた。
エイルは焦りにかられながら、ポケットを探った。
そして一番効力のある回復薬を見つけて、手を震わせながら彼女の肩に直接かけた。
フィーネは悲痛な叫びをあげた。
その光景はあまりにも痛々しく、思わず目を逸らしてしまった。
彼女が落ち着いた後に嚙まれていた箇所を確認すると、幸いにも傷口は塞がっていた。
だが、フィーネの顔はとても白く目も虚ろだ。
恐らくかなり多くの血を失ったのだろう。
明らかに意識が朦朧としているようだった。
それに噛まれていた時の音から察するに、肩の骨がズタズタになっている可能性が高い。
例え貧血でなかったとしても、腕を動かせそうには見えなかった。
しかも利き手側がやられている。
エイルのできる限りのことは全てやったが、戦闘復帰は絶対に無理だ。
看病をしている間、シルヴィのいる方向から大きな叫び声が聞こえた。
恐らく、あの怪物のものだ。
その音量は内臓が振動する感覚に襲われ、無意識に耳をふさぎたくなる程だった。
(早く加勢しにいかないと!)
エイルはフィーネを茂みに隠して、シルヴィのところに向かおうとした。
その時、袖を引っ張られたような気がした。
振り返ると、フィーネがエイルの服を掴んでいた。
その力はとても弱く、簡単に振りほどけそうなほどだった。
「コア…………あ……頭………………」
彼女の声はか細く、聞こえてくる戦いの音にかき消されそうだった。
それでも頑張って聞き取ってみると、「コアは心臓じゃなくて頭にある」と言いたいようだった。
確かに、本当に心臓部にあったのなら確実にコアは破壊されている。
絶対にあの時起き上がらなかったはずだ。
だとすると、コアは別のところにあったとしか考えられない。
だが、どうやって戦えばいいのだろうか?
主戦力のフィーネは、もう戦えない。
次に強いシルヴィは、リーチの短い双剣と大きな怪物との相性は最悪だ。
アインツに助けを求めようにも、現時点でしかユリアを助けられる人はいない。
明らかにまずい状況だ。
いままでの奮闘も、ほとんどが水の泡になっている。
それにエイルは相手の攻撃をかわすので精いっぱいだった。
シルヴィの助力があったとしても、勝てる算段は思い浮かばなかった。
エイルは下唇を強く噛んだ。
それでも、あいつを倒さなければ。
例えどんなに苦戦したとしても、もがき続けないと友達が危ない。
今が、おとぎ話の英雄に少しでも近づけるように全力を出す時だ。
「分かった。
必ず倒すから、ここで休んでて」
エイルがそう告げると、彼女は力なく微笑んだ。
そしてそのまま、ゆっくりと眠りについたようだった。
エイルはそのまま、戦場へと向かった。
その一方、シルヴィは苦戦していた。
どんなにがむしゃらに切りつけてもすぐに再生し、ただ糠に釘を刺しているだけだった。
加えて彼女の武器ではそこまで深く切れないため、木の皮に傷をつけているような感覚だった。
やがて彼女の体力は尽き、スキルの効果も切れてしまった。
何百回も剣をふるったにも関わらず、目の前の怪物は出会った時と同じ姿だった。
「はぁ……はぁ…………
もう、最悪………………」
シルヴィはもう立っているのがやっとの状態だった。
剣を握る力も残っておらず、ただ息を切らしながら立ち尽くしていた。
ノスフェルは重たい足をゆっくりと上げ、彼女を踏みつぶそうとした。
シルヴィは逃げることもできず、呆然とすることしかできなかった。
だが間一髪のところで、エイルが彼女を救い出した。
重厚な足が地面にぶつかると、その勢いで二人は吹き飛ばされた。
シルヴィはエイルを庇って、そのまま木に激突した。
エイルが起き上がると、彼女は頭を打ったらしく気を失っていた。
「シルヴィ!」
肩を揺さぶっても、起きる気配はない。
その間、ノスフェルは二人の方をじっと見ていた。
もう選択肢は1つしかない。
生唾を飲み込んだ後、エイルは腰に差している剣を抜いた。
そして緊張で体が強張るのを無理やり振り切って、敵に向かって走り出した。
相手の回復力はすさまじい。
だから攻撃するなら頭だけに絞った方がいい。
そして一度攻撃したら、コアを壊すまで何が何でも手を止めてはいけない。
それ以外に手はなかった。
エイルはノスフェルの攻撃をかわしながら、奴の体を足場にして頭部に向かった。
最初に何度もやりあっていたおかげで、相手をよく観察していれば何とか回避できた。
エイルを何度も掴もうとする中、とうとう眉間の間に剣を貫いた。
そして全力で、剣を何度も何度も突き刺す。
「オォォォォ!!!」
怪物は雄叫びをあげながら、エイルを振り払おうと頭を強く振った。
痛がっている反応から察するに、フィーネの言う通りコアは頭にあるようだ。
だが場所が悪かったのか、コアは無傷のようだ。
怪物の勢いが強く、突き刺していた剣が外れてしまった。
エイルも一緒に振り落とされてしまい、地面に叩き落された。
しかし手ごたえはあった。
このまま頭を狙い続ければ、いつかは倒せるかもしれない。
そう言い聞かせながら、エイルは相手の頭に向かって飛び上がった。
「…………タ……ケテ…………」
「――え?」
思わずエイルは動きを止めてしまった。
とてもたどたどしいが、明らかに言葉を今、発した。
しかも、「助けて」と言った気がする。
そんなはずはないと頭を切り替えようとした瞬間、エイルのお腹に何かが刺さった。
痛みと同時に、体の力が急に抜けた。
エイルはそのまま、地面へ垂直に落下した。
慌てて起き上がろうとしたが、手足に力が入らない。
それどころか、這いつくばるのも大変なほどだ。
(まさか――)
ある考えがよぎった瞬間に、お腹の方から激痛が走った。
体の中で何かが這い動くような感じがする。
「う、おぇっ……」
内臓が圧迫され、その場で嘔吐してしまった。
刺さった場所を見ると、ユリアの肩に合ったのと同じ花がいくつも咲いている。
ノスフェルはゆっくりとエイルを掴んだ。
その力はとても強く、全身に激痛が走り顔を自然にしかめてしまう。
しかし花のせいで藻掻く力がない。
エイルはただ目の前を睨むことしかできない。
怪物は大きく口を開けた。
そして、エイルを頭ごと食らおうとする。
その時、遠くからなにかが飛んできた。
謎の物体は勢いよくノスフェルの背中に刺さると、体が白い炎に包まれた。
正体は、矢だった。
「ゴァァァァァァァ!!!!」
怪物は悲鳴を上げて、エイルから手を離した。
高いところから落ちた衝撃で、一瞬視界が暗くなった。
ノルフェルを見ると、炎の中ノスフェルの体は徐々に崩壊していた。
あの恐ろしい回復力は発揮されずに、少しずつ灰になっていく。
エイルは一体何が起きているのか分からなかった。
――だがチャンスだ。
これを逃したら、もう二度とこんな機会はない。
エイルは花に蝕まれながらも、体を起こそうとした。
やはり、力が入らない。
だが、ここで立ち上がらなければどうする?
そう言い聞かせて、エイルは全神経を手と足に集中させた。
近くに落ちていた剣に手を伸ばして、無理やり何とか自力で立った。
そして、ゆっくりとノスフェルに近づく。
怪物は自分の体を支えられなくなり、地面に突っ伏した。
そのまま灰になっていく痛みに苦しみ、悶えている。
頭の方も徐々に崩れていき、コアが隙間から顔を出した。
(あれを壊すことができれば、勝てる……!)
剣が、とても重い。
体もフラフラで、足で体重を支えるのがすごくつらい。
それでもエイルは、千鳥足で剣を引きずりながらのそのそと全速力で歩いた。
ノスフェルの原型を失いつつある体から、矢がすっぽりと抜け落ちた。
すると覆っていた炎がすうっと消え、体の再生が始まった。
もはやノスフェルが回復するのが先か、エイルがコアを破壊するかが先か、時間の問題となった。
エイルは何とか、ノスフェルのコアの真横に到着した。
まだ露出しているが、もうすぐ傷口が塞がり見えなくなってしまいそうだ。
エイルは残り僅かな力を使って、剣を構えた。
勿論剣先は、弱弱しくも大きなコアをとらえている。
いつ倒れてもおかしくない状態で、エイルの頭の中はコアを壊すことしかなかった。
体の修復がある程度終わり、ノスフェルはゆっくりと立ち上がろうとした。
しかし、エイルの方が早かった。
「あぁぁぁぁぁ!!!!!」
エイルは腹の底から声を出し、最後の力を振り絞った。
そして全体重を前に移し、剣をコアに思いっきり突き刺した。
怪物の動きは止まった。
エイルは力を使い果たし、重力に逆らうことなくその場に倒れた。
だが、剣は確実に急所に深く刺さっている。
ノスフェルはそのまま起き上がることなく、倒れ込んだ。
そして目から光が消えたかと思うと、体が徐々に灰になり始めた。
気が付くと、お腹の痛みと圧迫感も消えていることに気づいた。
力なく見てみると、さっきまで咲いていた花の面影がどこにもなかった。
だが花により奪われた体力は戻ってくることはなく、エイルはそのまま仰向けに転がっていた。
もはや指一本動かす力さえ残っていない。
(た、倒せた……今度こそ…………)
偶然が重なり、負けるはずだった戦いに勝てた。
これで、ユリアを助けることができた。
フィーネやシルヴィの決死の奮闘を、何とか実を結ばせることができた。
満身創痍で安心したせいか、勝利の余韻に浸ることもなくただ空をぼおっと眺めていた。
そんな安らぎもつかの間、今度は遠方から大きな地鳴りが響き始めた。
<<ラトーの一言メモ>>
ありゃま。
アタシがちょーっと手助けしたとはいえ、あんな状況でノスフェルを仕留めてしまうとは。
クヒヒヒっ、流石エイルさん。
これは本当に面白いことになりそうですねぇ。
ですが、これ以上は巻き添えに合いそうだ。
いっちょとんずらこきますかぁ。




