1-2. 鮮やかな犯行の手口
皆が寝静まった頃、エイルは小さな灯りを手にそっと家を抜け出した。
昼間の賑やかさが嘘のように、今は静まり返っている。
風もなく、少し不気味だ。
だが幸い、今宵は快晴。
澄んだ月光が、辺りをほのかに照らしている。
おかげで灯りに頼らなくても夜目がよく利く。
エイルは灯りをそっと消し、身をかがめて歩き出した。
魔剣が封印されているのは、村の端にある教会の地下だ。
そこはかつて老いた牧師が管理していたが、亡くなって以降ほとんど使われていない。
今では集会所として時折開かれている程度だ。
そこの地下に行くには、三つの難関がある。
第一の関門は、教会の入口の見張り。
交代制で村人が一人常駐していて、どの時間帯でも必ず誰かはいる。
しかも大半が力自慢の男の人。
正面突破など絶対に無理だ。
説得しようにも、聞く耳を持ってくれないだろう。
第二の関門は、地下へ続く扉にいる二人の見張り。
こっちも厄介で、片方の注意を引いてももう一人が残ってしまえば意味がない。
気を引くなら二人同時でないとダメだ。
そして最後の関門は、その扉自体。
分厚い金属製で、頑丈な南京錠が掛かっている。
力任せに破ろうとしても、びくともしない。
錠の鍵は肌身離さず、非常に用心深い村長が持ち歩いている。
盗み取るのは不可能だ。
だがエイルの口角はずっと上がっていた。
家を出るまでに綿密な計画を練った。
落ち着いてさえいれば、必ず魔剣のもとへたどり着ける。
問題ない、私ならできる。
そう自分に言い聞かせていたその時。
「……!?」
不意に何かにぶつかり、反射的に血の気が引いた。
無機質な感触ではない。
柔らかくて、温かい、人の体だ。
――まずい、最悪だ。
こんなところで人と鉢合わせるなんて。
魔剣を狙っていることがばれたら、小言どころでは済まないだろう。
どうしよう?
言い訳が全く思いつかない。
冷や汗を流しながら、エイルは恐る恐る顔を上げた。
そこにいたのは、全く見覚えのない人物だった。
背が低く一瞬子供かと思ったが、よく見たら大人だ。
黒いダッフルコートを着ていて、左肩には奇妙なペストマスクがぶら下がっている。
コートのサイズが大きめなのか、手足がすっぽり隠れていた。
顔もほとんど見えない。
口元が襟で隠れ、表情すら分からない。
だがフードの奥から覗いている金木犀色の瞳と、人形のような目鼻立ちが不思議な印象を醸し出している。
そして月明りに溶けるような長い純白の髪が、まるで霧のように淡く光っていた。
そんな神秘的な人が、じっとこちらを見ている。
「こんな時間に何をしている?」
エイルが言葉を失っていると、淡々とした声が問いかけてきた。
相手は若い男性のようだ。
だが口の動きが見えないせいで、誰かが腹話術で喋らせているように見えてしまう。
「あ、えっと……」
混乱しているエイルをよそに、男は静かに続けた。
「危ないから、早く帰った方がいい」
それだけ言い残すと、男はくるりと向きを変えてすうっとその場を離れていった。
エイルはただ呆然と立ち尽くし、相手の背中を見送ることしかできなかった。
彼は何者だったのだろう?
自分が知らない人。
だとすると、恐らく外から来た余所者だ。
でも、こんな時間にこの場所で何を?
……まさか、白昼夢?
エイルの頭では、次々と疑問が浮き沈みしていく。
しかし、ふと我に返った。
(そうだ、今はそんな場合じゃない。
私は魔剣を取りに来たんだ。
早く作戦を実行しないと)
***
エイルが辿り着いたのは、教会から少し離れた森の中だった。
辺りを見渡すが、誰もいない。
(……よし、問題なしっと)
エイルはポケットから爆竹を数本取り出した。
ここなら入口の見張りには聞こえるが、他の村人には気づかれない。
しかし、仕掛けた直後に火をつければ見張りと鉢合わせするリスクがある。
そこで登場するのが、予め用意していた油をたっぷりと染み込んだ長い紐。
これを導火線代わりにすれば、時間が稼げる。
深呼吸して、エイルは心を落ち着かせた。
そして紐に火をつけると、急いで教会へ走った。
「っ!?何だ!!」
教会の影に身を潜め、見張りの様子を伺った。
彼は驚いた様子で、辺りをキョロキョロ見回している。
「あっちか!?」
案の定、爆竹の音がした方向に走っていった。
(ふっふん、計画通り♪)
完全に姿が消えたことを確認すると、エイルは音を立てぬよう教会の扉へと向かった。
――次は、演技力だ。
エイルは扉を勢いよく開け、息を切らしながら中に駆け込んだ。
「ヘンリーさん、ロニーさん!大変です!!」
その必死な様子に、二人の見張りは同時に振り向いた。
「君は、ハイパーさんのところの?
一体どうした?」
エイルは呼吸を整えるふりをした。
そして深刻な表情を作って、顔を上げる。
「そ、村長さんが、急に倒れて………!」
今日の見張りは、幸運にも村長の長男のヘンリーと次男のロニーだった。
しかも、エイルの父親は村唯一の医者だ。
急報を伝えに来るのも違和感はない。
「う、うそだろ…………!
冗談だよな!?」
ロニーは顔面蒼白になり、エイルの肩を強く掴んで揺さぶってきた。
ヘンリーは平静を装っているが、顔色がかなり悪い。
……もちろん嘘だ。
今頃、村長はいびきをかいてスヤスヤ寝ているはずだ。
「かなり危ない状態で………
父さんに呼んでくるよう頼まれたんです!」
「そ、そんな…………」
ロニーには即効だった。
膝から崩れ落ち、地面にへたり込んでしまった。
一方、ヘンリーは冷静に思考を巡らせている。
「……そうか、親父も年だ。
いつかこの日が来るのは覚悟していたよ。
だが、ここを離れたら……」
やはりそう簡単にはいかないか。
エイルは思わず、小さく舌打ちしてしまった。
「ん?何か言ったか?」
「い、いえ!何でもないです!!」
幸い、聞こえていなかったようだ。
「……私がここを見張っておきます。
だから、二人は早く村長さんの元へ!!」
ヘンリーは迷いの色を浮かべた。
だが負け続きでも、エイルはそれなりの戦闘訓練を積んでいる。
短時間なら任せても問題ないと思うだろう。
「……そうか、分かった。
少しの間頼めるか?」
(よし、誤魔化せた)
「はい、もちろんです!」
ヘンリーは放心状態のロニーを引きずるようにして、慌てて走り去った。
それを見送りながら、エイルの口元に自然と笑みがこぼれた。
地下への扉の前に立つと、エイルは小さく息をついた。
後は、鍵だけだ。
やはり重厚なつくりで、正攻法以外では本来開けられないだろう。
しかし、エイルには奥の手がある。
ポケットから取り出したのは、自作のピッキング工具。
それを鍵穴に差し込み、カチャカチャと器用に動かし始めた。
小さい頃、エイルは村中の鍵を開けるいたずらを繰り返していた。
その度に大人に叱られていたが、開ける爽快感がクセになり止められなかった。
気づくと、どんな鍵でも開けられるようになっていた。
最近そんな余裕はなかったが、まさかここで役に立つとは。
そんなことを考えていると、いつの間にかほとんどの工程が終わっていた。
最後に鍵穴を回すと、カチッと乾いた音が響いた。
「…………よし」
鍵が開いた。
エイルは重い扉をゆっくりと押し開けた。
奥からかび臭くて冷たい空気が、流れてくる。
手持ちの灯りをつけても、階段の奥は見えない。
『――ここから先は、もう引き返せない』
暗闇がそう告げているような気がする。
一瞬、エイルの足がすくんだ。
誰もいないはずなのに、誰かに見られているような気がする。
魔剣を盗む――その罪悪感が、ずっしり胸にのしかかる
もしかしたら、本当に取り返しのつかないことになるかもしれない。
―――でも、時間はない。
見張りが戻って来たら、全て水の泡だ。
それに、これ以上友の背中を遠ざけたくない。
アルメリアのような強い力が、どうしても欲しい。
それだけが、今の自分のすべてだ。
エイルは勇気を振り絞って、階段を降り始めた。
長い階段を降りきると、ぽっかりと開けた空間に出た。
空気は冷たく、ジメジメしている。
けれど、さっきまでの空気とどこか違う。
明かりを掲げ、奥を照らしてみた。
少し先に、何かが突き刺さっている。
それは一本の剣だった。
青白い刀身が淡く光り、まるで闇を拒むように凛と佇んでいる。
「これが、魔剣…………」
見たことのない金属でできていて、材質さえ見当がつかない。
刃には見知らぬ文字が刻まれており、それがまた異質感を際立たせていた。
ただの武器ではないことは一目瞭然だ。
「………………っ」
意を決して、ゆっくりと剣に手を伸ばした。
触れた瞬間、冷たい感触が掌を刺した。
ごくりと、生唾が喉を通った。
心臓音がやけに大きく響いてくる。
額には汗が滲み、指先がどんどん冷えていく。
それでも、エイルは剣をしっかりと握り込んだ。
……何も起きない。
そのまま、慎重に引き抜こうとする。
その時だった。
雷鳴のような衝撃が、エイルの体を貫いた。
「う、ぐっ――!!」
青い稲妻が空間を走り、バリバリと閃光が飛び散る。
魔剣の力が、全身を駆け巡った。
血液が沸騰しそうな熱さ。
体中太い針を何本も突き刺したような痛み。
筋肉が焼けただれるような感覚。
そんな苦痛で、意識が飛びそうになった。
「ぎ、あがっ……い……!!!」
剣を離そうにも、手が動かない。
激痛に耐えるので精一杯だ。
「――――あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!」
悲鳴が地下に響き渡る。
雷光が次々と爆ぜ、視覚と聴覚を奪っていく。
激痛が意識を支配し、思考が徐々に崩れていった。
(無理、これ以上、耐えられない――――――)
ここでエイルの意識は途切れた。




