外伝Ⅰ こうして秩序は保たれる
「畜生、あのクソガキめ……!!」
エイルに返り討ちにされた物取りの二人組は、少し離れた場所まで何とか逃げていた。
「最初はへなちょこだったくせに、途中から急に反撃しやがって!!!
一体どんなせこい手を使いやがったんだ!?」
怒りのままに、鬼人の男は拳を岩壁に叩きつける。
手の皮が裂け、血が滲んでも構わず拳を握りしめたままだ。
「まぁ落ち着けって、相棒。
いくら怒鳴っても何にも解決しないぜ?」
仲間の獣人がなだめようとした。
だが、その軽口に鬼人の怒りが爆発した。
「あ?てめぇ、速攻で気絶してただろうが!
誰がここまで引きずってやったと思ってんだ、あぁ!!??」
「お、おい落ち着けって!
俺に名案があんだよ!」
獣人の言葉に、鬼人は荒々しい息を吐きながらも手を離した。
その目にはまだ怒りの火が宿っているが、わずかに冷静さを取り戻していた。
「……あのフード被ったチビ、ブルー何とかっつう魔法店にいるのを見たことがある。
今度お前をボコったガキがダンジョンに潜ったとき、あの店を燃やしちまおうぜ?
そうすれば、あの生意気な顔が歪むところを拝めるはずだぜ?」
「だがお前、そのチビにワンパンにされてただろうが」
鬼人はさらに苛立ちはじめ、目が血走っていた。
だが獣人は面白可笑しそうに笑っている。
「ヒヒっ、大丈夫さ相棒。
これがなんだかわかるか?」
獣人は懐からなにか取り出した。
それは、無機質な十二面体の小さな物体だった。
「それ……まさか、“遺物”か?」
「そうさ、この前たまたまダンジョンで拾ったもんだ。
調べてみたらよ、こいつには『周囲の魔法を無効化する』力があるらしいぜ。
さっきは不意打ちで使えなかったが、次は最初から起動させてやる。
あの生意気な魔法なんざなければ、あいつをボコボコにできるはずだぜ?」
獣人は勝利のイメージを思い描いているのか、喉を鳴らして笑っていた。
鬼人も、その話にようやく興味を持ったようだ。
「おう、面白いじゃねぇか。
ついでに店ん中を漁れば、あいつらから巻き上げる予定だった稼ぎも手に入るかもしれねぇ。
一石二鳥とは、まさにこのことだな。
だったら早速―――」
「お話し中に失礼いたします。
マリーガーネット・ファミリーのヘーネス様とサイトー様でお間違いありませんか?」
二人の後ろに、見知らぬエルフの少年が音もなく立っていた。
整った顔立ちに紳士のような装い、そして手には一振りの槍。
その声音は静かで礼儀正しいが、どこか現実味がなかった。
「あぁん?
誰だ、テメェ?
気安く名前呼ぶんじゃねぇよ」
鬼人は睨みをきかせて一歩前に出た。
だが相手は微動だにせず、ゆっくりと口を開いた。
「私はハイド・ウィリアムズ、アクアマリン騎士団の者です」
その瞬間、空気が変わった。
周囲のざわめきが一斉に静まり返り、二人の背中に冷たい汗が流れる。
――ハイド・ウィリアムズ。
若くして騎士団幹部に抜擢された俊英。
情報収集と潜入捜査に長け、都市の機密情報すら掌握しているという。
加えて名うての槍の使い手でもあり、彼に目をつけられたら逃れるのは極めて難しい。
そんな彼が、いま目の前にいる。
しかも、この状況で。
「お二人には脅迫罪と強盗殺人未遂の疑いがかかっています。
これはパライバトルマリン治安維持法第40条と222条、および240条に違反する可能性があります。
詳しくお話を伺いたいので、ご同行願いますか?」
ハイドからは、人間らしい感情が一切感じられない。
まるで、法を執行するためにだけ存在する道具のようだった。
鬼人と獣人は声も出せず、その場に立ち尽くすしかなかった。
――このままでは、死ぬ。
本能が、確かにそう告げていた。
「ふ、ふざけんじゃねぇぇぇぇ!!!」
恐怖に支配された鬼人は、怒りに任せて叫んだ。
もう、自分でも言動を制御できなくなっていた。
「相棒、逃げろ!!!」
獣人は叫びながらナイフを抜き、ハイドに飛びかかろうとする。
だが突如、風が吹いたような感覚が通り抜けた。
同時に鬼人の視界から仲間の姿が忽然と消えていた。
「…………は?」
思考が追いつかなかった。
恐る恐る辺りを見渡すと、数十メートル後方にぐったり項垂れた仲間の姿が見えた。
ピクリとも動かず、意識もない。
ハイドとはまともにやり合える相手ではないという事実を、脳がようやく認めた。
「ひ、ひぃぃぃ!!!!」
鬼人の顔から血の気が引き、死人のように青ざめていた。
膝が笑い、腰が抜ける。
言葉にもならず、涙が自然とあふれていた。
「抵抗した場合、騎士団職務執行法第七条により武力行使が認められています。
これ以上、私の手を煩わせないでください」
ハイドは淡々とそう告げると、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「あ、あぁぁ…………」
鬼人は四つん這いで逃げ出した。
足元はもつれ何度も転びそうになり、無惨な醜態をさらしながら。
「――はぁ、面倒ですね」
その呟きとともに、ハイドは槍を構えた。
次の瞬間鋭い風を切って槍が一直線に飛び、鈍い音と共に獲物の肩を貫いた。
鬼人の体は前のめりに地面へと崩れ落ちた。
「ぎゃぁぁぁぁぁ!!!!
いたいいたいいたいぃぃぃ!!!!」
地面を転げ回りながら血を撒き散らし、叫ぶ鬼人。
だがハイドはその様子にも一切の感情を見せなかった。
淡々と相手に歩み寄ると、勢いよく槍を引き抜いた。
「がぁぁぁぁぁぁ!!!!
やめてくれ!!
俺らが罪を犯した証拠でもあんのかよ!!??」
鬼人の必死の抵抗に、ハイドはただ汚物を見るような目で見下していた。
返り血を顔に浴びても、拭うことすらしない。
「本日、通行人への脅迫と暴力を私自身が目撃しました。
それに、先程店の襲撃計画を立てられていましたよね?
それだけで十分だと思いますが」
冷たい声とともに、ハイドは鬼人の胸を足で押さえつける。
鬼人は顔を涙でぐしゃぐしゃにし、しゃくり上げながら暴言を吐いた。
「て、テメェ!!
秩序を守る騎士団がこんなことして許されると思ってんのか!!??
俺らのお頭が黙ってないぞ!!!
誇り高きエルフのくせに――――」
「耳障りです」
その言葉を最後まで聞くことなく、ハイドは槍の柄で鬼人の頭部を打ち据えた。
バシッという硬質な音とともに、鬼人はそのまま意識を失った。
「連行してください」
ハイドの一声で、周囲の影から数人の騎士団員が姿を現す。
黙々と慣れた手つきで負傷者たちに応急処置を施し、担ぎ上げていく。
まるで感情を持たない兵器のように。
ハイドは、それをじっと見つめていた。
「ウィリアムズさん、少々やりすぎでは?
ご存じとは思いますが、過度な武力行使は規律違反となりますよ?」
一人の団員が、去り際ハイドに声を掛けた。
彼の声もまた、冷たい無機質なものだった。
「彼らは抵抗の意志を見せました。
法には一切抵触していないので問題ありません。
秩序を保つため、我々が感情を持つことなど決してあり得ないことです」
ハイドは一切ブレることなく、機械のようにそう答えた。
それを聞いた団員は黙って頷き、すぐに任務へと戻っていった。
その場に残されたのは、ハイド一人。
彼は懐中時計を取り出し、時間を確認する。
夜の0時。
闇は濃く、星一つ見えない。
耳に残るのは、槍から滴る血が地面を打つ音だけだった。
ハイドは、空を見上げた。
暗い夜空に、彼の顔は溶け込みそうなほど無表情だった。
だがほんの一瞬、彼の唇がかすかに動く。
その口から漏れ出た声は、風に消えるほど小さかった。
「――“誇り”って、一体何でしょうね?」
<<人物紹介>>
名前:ハイド・ウィリアムズ
性別:男性
年齢:16歳
種族:エルフ
所属:アクアマリン騎士団 密偵隊長
特徴:「秩序の傀儡であれ」




