1-12. 英雄としての第一歩
怪我を負ったエイルを支えながら、ルイは帰宅した。
ちょうどそのとき、アインツが自室から出てきた。
体調はある程度回復したようだったが、顔色はまだ青白くいつも整えているはずの髪も乱れている。
「…………お帰り」
弱々しい声がアインツの口から漏れた。
しかしエイルのだらけの姿を見るなり、明らかに顔が引きつった。
「……何があった?」
「あー、えっと、実は……」
どこから説明すべきか迷うエイルに代わり、ルイがすっと前に出た。
「まずは手当てが先だ。
事情はその時に話せばいい」
そういって、彼はエイルをダイニングまで引っ張った。
ルイが手際よく応急処置を施す間、エイルは痛みに顔をしかめながらもアインツに事の経緯を語った。
時折傷口にしみるアルコールに反応してしまい、その度にルイが「動くな」と軽く注意する。
しかしアインツは一切動じず、真剣な表情で最後まで黙って聞いていた。
「そうか、“マリーガーネット・ファミリー”の連中か……」
エイルの話が終わると、アインツは重く深いため息を吐き両手で顔を覆った。
「あそこは実力者が多いが、傭兵や元盗賊の寄せ集めって噂だ。
金稼ぎにしか興味がないうえに、都市でも色々な問題を起こしている。
加えて百人以上とトップクラスに大規模だ。
本来は関わらないことがベストだが、まさかこんなに早く絡まれるとはね」
アインツの説明を聞いて、エイルの背中に冷たい汗が伝った。
あのときの彼らは、思っていた以上に危険な存在だったのかもしれない。
それでも勇気を出して立ち向かった判断は、間違っていなかったと思いたい。
「……仕返し、してくるかな?」
ふと浮かんだ不安を、エイルは小さな声で口にした。
パーティー全体で報復に来たら、自分たちには太刀打ちできない。
そうなれば、今まで積み重ねてきたものがすべて失われてしまう。
それだけは、何としても避けたかった。
「いや、その可能性はかなり低いだろう」
アインツは首を横に振った。
「その二人組はどう見ても末端だ。
あんな大所帯の集団で、末端のことをいちいち気にかけたりはしない。
表立って大きく動いてくることはまずないだろう」
その言葉に、エイルはようやく一息ついた。
少なくとも、最悪の展開だけは避けられそうだった。
でも……
「個人的な恨みで動く可能性は否定できないがな。
一番あり得るのは、そうだな……
俺達の留守中に店を狙ってくるパターンか。
だが奴らの実力なら、ルイ一人でも余裕で対応できるだろう。
脅威としては深刻ではないから、心配は不要さ」
アインツのその言葉は、慰めではなく冷静な分析に聞こえた。
だからこそ妙に説得力があり、エイルの中に安心が広がった。
それにしても、ルイはアインツが『余裕』と評するほどの実力者だったのか。
獣人を飛ばした時といい、彼からは常人ではない何かを出会った時から感じていた。
あまり深く考えたことはなかったが、あの時に感じたオーラは尋常ではなかった。
一体彼は何者なのだろう?
「だが、無茶しすぎだ」
突然、ルイが口を開いた。
救急箱を片付けながらじっとエイルを見つめるその目には、うっすらと怒気が宿っていた。
「たまたま追い返せたが、こんなボロボロになってまで立ち向かう必要はなかった。
アインツの言う通り、僕だけでなんとかできた。
最悪、君は死んでたかもしれない。
これ以上無理をしないでくれ」
悔しいが、何も言い返せなかった。
結果的に勝てたとはいえ、それは奇跡に近かったのかもしれない。
今の自分にとって、身の丈以上の戦いだったのだ。
「少し過保護じゃないか?
甘い飴ばっかりあげても、強くなることはできない。
今回はこいつにとっていい経験になったんじゃないか?」
アインツの言葉に、ルイはじろりと鋭い目を向けた。
だがアインツは顔色ひとつ変えず、皮肉めいた笑みを浮かべている。
火花が散るような空気に、無言の睨み合いがしばし続いた。
「それに、聞いた感じ奴らを追い返せたのは偶然じゃなかったんじゃないか?」
沈黙の中、アインツがふと口にした。
「最初は一方的にやられていたはずなのに、途中から善戦したんだろ?
何かきっかけがあったんじゃないか?」
その問いに、ルイの表情が少し柔らかくなった。
彼も気になっていたらしい。
急に注目を浴びたエイルは、戸惑いながらも視線を落とした。
少しの間、沈黙が流れた。
やがてエイルはそっと深呼吸をしてから、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「……思い出したんだ。
小さい頃に、母さんがよく読み聞かせてくれた絵本のこと。
その物語の英雄みたいになりたかったって、昔はよく夢見てた。
強くなって、誰かを守れる人間になりたいって……思ってた。」
顔を上げたエイルの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
だが、その表情はどこか晴れやかで、温かいものが宿っている。
「だから怖かったけど、頭の中でその英雄の姿を思い浮かべたんだ。
そしたら何かがスッと軽くなって、剣を握る手が自然と動いてた。
気がついたら、あいつらが逃げてたんだ」
エイルの言葉を聞いた二人はまるで何かの呪縛が解けたかのように、そっと安堵の息をついた。
ルイは優しく笑いながら、エイルの頭をぽんぽんと撫でる。
ぶかぶかの袖が揺れて、くすぐったい。
ちょっと恥ずかしいけれど、不思議と嫌ではなかった。
「そうか、良かった。
おとぎ話、か……
きっかけとしてはとてもいいものだ。
今日のこと、絶対に忘れるなよ?」
アインツの言葉に、エイルは照れくさそうに笑った。
その様子を見て、アインツがぽつりとつぶやく。
「初めて笑ったな」
思い返してみれば確かに、これまでのエイルは笑顔とは無縁だった。
魔剣を手にして以来罪悪感に押し潰されそうで、心の余裕などなかった。
この街に来てから少しずつ和らいではいたが、それでも心のどこかにあの惨劇が影を落としていた。
二人に出会えて、本当によかった。
ルイに導かれて冒険者になっていなければ、今も自分は絶望の中にいたかもしれない。
下手をすれば、自ら命を絶つ未来すらあった。
それにアインツがいてくれたから、戦いの中で迷わずにすんだ。
彼の言葉が背中を押してくれたから、一歩前に進めた。
二人のおかげで、ここまでこれた。
村にいた頃には絶対に考えられなかったことだ。
「―――ありがとう」
エイルは自然と口を開いていた。
その一言にアインツは少し目を見開いたが、ふっと口元を緩めた。
ルイもまた、優しく目を細めて頷いた。
「じゃあ、傷が癒えたらダンジョンにもう一回潜ろう」
「……うん」
その夜、エイルは久しぶりに夢を見た。
それは、懐かしくも優しい夢だった。
エイルは村の外れの道を歩いていた。
見慣れた景色がどこまでも広がり、空気は澄み温かな風が頬をなでていく。
村は活気に満ちていてみんな笑い合い、畑を耕し、道端で談笑していた。
通りすがる人たちは、エイルに気づくと優しく手を振ってくれる。
やがて村の入り口にたどり着いたとき、エイルは立ち止まり目の前に広がる草原を見つめた。
曇りがかった空の下一面の草が風にそよぎ、まるで波のように揺れていた。
「エイル!!」
背後から、懐かしい声が響いた。
振り返ると、そこにはアルメリアが立っていた。
赤く長い髪を風になびかせ、無邪気な笑顔で大きく手を振っている。
「行ってらっしゃい!」
エイルは思わず笑みを浮かべ、手を挙げて振り返す。
そして再び前を向いて、一歩足を踏み出した。
<<質問>>
例えどんな過ちを犯したとしても、人生をやり直すことはできるのだろうか?




