1-10. 息抜きデート……?
夜の特訓の後、アインツとエイルは魔法店に戻った。
「そういえば、君はどうして強くなりたいんだ?」
不意の問いかけに、エイルは思わずきょとんとした。
「魔剣の力を制御するため、だけど……」
「ああいや、そういう意味じゃない」
アインツの視線はどこか遠くを見ていた。
彼の考えは、エイルの想像よりもずっと先にあるようだった。
「質問を変えよう。
君はなぜ、剣の訓練を始めたんだ?」
エイルはすぐに答えようとした。
だが、言葉が出てこない。
――いや、違う。
そもそも答えがないのだ。
思い返せば、子どもの頃から親友と一緒に“強くなること”だけを目指していた。
けれど、なぜ憧れたのか、何がきっかけだったのか――
その核心が、まるで霧に包まれて思い出せない。
それほどに、自分の心はすり減っていたのかもしれない。
焦りが滲んだ様子を見て、アインツはエイルの肩にそっと手を置いた。
優しい微笑みが、少しだけ浮かんでいる気がする。
「初心に帰ることができれば、もっと落ち着いて戦えるようになるかもしれない。
目的が増えて、“強い自分”も想像しやすくなるはずだ。
だが、今は無理に思い出さなくていい。
焦らずとも、ふとした拍子に思い出すだろう」
それだけ言うと、アインツは手を振って自室へ入っていった。
エイルも自分の部屋に戻り、今日の出来事を思い返しながら寝支度を始めた。
翌朝。
エイルの精神的な負荷を考慮し、アインツからしばらく休養を取るよう提案してきた。
最初、反射的に断ろうとした。
少しでも早く強くなりたかったからだ。
だが、昨夜のアインツの言葉が脳裏をよぎり、出かかった言葉を飲み込む。
今焦っても、再び魔物の前で恐怖に飲まれるだけだろう。
それなら、この機会を使って初心を見つめ直すほうがいい。
少しの迷いのあと、エイルはその気遣いを素直に受け取った。
それから数日間エイルは部屋にこもり、過去の記憶を辿ろうと努めた。
だが思い出そうとするほど、燃え落ちる村の光景がちらついて邪魔をする。
無理に追い払おうとすると、次に浮かぶのは別の苦い記憶。
楽しい記憶を探しているはずなのに、どうしても苦しみばかりが浮かび上がってくる。
まるで砂浜から小さな貝殻を探しているのに、見つかるのは毒を持った蟹や虫ばかり――
そんな気分だった。
「……ダメだ、これじゃ埒が明かない」
椅子の背もたれに身を預け、天井を見上げる。
どれだけ記憶を探っても、きっかけにはたどり着けなかった。
アインツは「焦るな」と言っていたが、それでも気になって仕方がない。
自分はなぜ剣を握ったのか?
何を目指していたのか?
わからないままでは、前に進めない気がしていた。
そのとき、不意にノックの音が響いた。
我に返ってドアを開けると、そこにはルイが立っていた。
「あれ?お店は?」
「今日は休業日だ、心配いらない」
そう言って、ルイは少しだけ首を傾けた。
「せっかくだ。
気分転換に買い物に行かないか?」
エイルは彼の気遣いを察し、少し照れくさくなった。
確かにここに来てから、街をゆっくり歩いたことは一度もない。
引きこもっていた自分には、ちょうどいい機会かもしれない。
「……アインツは?」
エイルが尋ねると、ルイは遠くを見つめた。
「――昨日道端に落ちていたものを拾い食いして、お腹壊して寝込んでいる」
………………バカなの?
買い物というより、ルイについて歩くだけの時間だった。
彼は何を買うかすでに決めていたようで、店に入ると目的の品を即座に見つけて購入していく。
エイルはただその背中を追いかけるだけで、正直かなり気まずかった。
その空気を察したのか、ルイは時折何か欲しいものはと聞いてくれる。
だが訪れる店は本屋、薬屋、金物店、さらには標本が並ぶ不思議な店……
どれも、衝動的に何かが欲しくなるような場所ではない。
結局、エイルは毎回小さく首を横に振るしかなかった。
沈黙が続き、ついにエイルは胸に抱えていた疑問を口にした。
「そういえば、どうしてあの時私を助けてくれたの?」
ルイは足を止め、特に驚いた様子もなくエイルを見た。
「人助けに理由が必要なのか?」
「あ、いや……
そうかもしれないけど、なんとなく気になって」
少しの間、彼は考え込むように視線を落とした。
もしかして、本当に理由なんてなかったのでは?
そんな予感が過ったが、すぐに言葉が返ってきた。
「昔の知り合いに、君が少し似ていたからだ」
「知り合い?」
ルイは頷き、再び歩き始めて懐かしそうに話し始めた。
「僕の手伝いをしていた人だ。
彼女はいつも明るく振舞っていたが、どこかで何かを抱えていた。
初めて君を見かけた時、何かを企んでるみたいに楽しそうだった。
その顔が彼女にそっくりで、放っておけなかった」
恐らく、魔剣を手に入れるために奔走していた時のことだろう。
あのときは必死だったが、確かに策を巡らせる時間はどこか楽しかった。
そう言われると、少し複雑な気持ちになる。
「そうだったんだ。
その人は今、どうしているの?」
エイルの何気ない問いかけに、ルイは押し黙った。
その反応で、エイルはすぐに察した。
「あ、ごめん……
変なこと聞いちゃって」
「………………」
彼は何も言わなかった。
ルイはふいに足を止め、その場にしゃがみ込んだ。
そしてまるで何かを訴えるように、エイルの方をじっと見上げる。
「おんぶして」
「…………へ?」
あまりにも唐突で子どもじみた一言に、思わず変な声が漏れてしまった。
彼の目は、まさしく親に甘える幼子のそれだ。
自分のワガママをどうにかして通したい、そんな頑固ささえ感じられる。
エイルは困惑しつつも彼の真剣な眼差しに観念し、黙って背を向けてしゃがみ込む。
ルイがゆっくりと背中に寄りかかると、エイルはその体を支えて立ち上がった。
「……あたたかい」
ルイの声は、小さくて震えていた。
それはまるで、久しぶりに誰かの温もりに触れた子どものようだった。
エイルに聞かれたくなかったのか、彼は顔を服に埋めるようにして呟く。
その手が、しっかりとエイルの肩に回された。
彼は昔も、こうして誰かに甘えていたのだろうか?
そう思ったとき、エイルは周囲の目をすっかり忘れていた。
普段は無表情なルイが、こんなふうに感情を見せることがあるなんて。
それだけで胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
(……私、ルイのために何かできるかな?)
ただ恩を返したいというだけじゃない。
今彼が見せた寂しさに、エイルの心は揺さぶられていた。
まるで彼の心がヒビだらけのガラス細工でできていて、少しでも強く触れたら砕けてしまいそうだった。
「ルイ、私はずっとそばにいるよ。
いなくなったりしないから、安心して」
ルイは黙ったままだった。
その代わり、エイルの体を掴む力が少しだけ強くなった。
彼が何を思っているのかまでは分からない。
でも、それが拒絶ではないことは背中越しに伝わってきた。
二人はそのまま、大通りをゆっくりと進んでいった。
ルイの導きで歩いた先に、ある店が現れた。
看板を見たエイルは、思わず目を丸くした。
―――アクセサリーショップだった。
ルイがアクセサリーに興味を持っているようには見えない。
ということは、理由は一つしかない。
「まだ冒険者になったお祝いをしていなかっただろう?
折角だから、一緒に来てくれ」
そう言って、ルイはエイルの手を取って店の中へと導いた。
「ここで待っていてくれ」
そう言い残し、ルイは真っ直ぐカウンターへ向かっていく。
店員と軽く会話を交わし、何やら手続きを始めた。
店内には、職人の技が光るアクセサリーがずらりと並んでいる。
どれも目を引く精巧な造りで、高価そうな雰囲気を漂わせていた。
落ち着いた色合いと繊細な装飾が特徴で、派手ではないが洗練された美しさがあった。
人が多く訪れていることからしても、この街では有名な店なのだろう。
「お待たせ。
これが君へのプレゼントだ。
改めて冒険者になったこと、心から祝福する」
ルイは小さな黒い箱をエイルに差し出した。
エイルはそれを受け取り、促されるままに蓋を開けた。
中には、一対の耳飾りが収まっていた。
内側が白、外側が黒の二色の蝶が、繊細に彫り込まれている。
その蝶が金属の細い糸で留め具に繋がれ、まるで羽ばたく瞬間を切り取ったようだった。
「これは元々指輪の魔道具だ。
だがそのままだと、剣を使うとき邪魔になるだろう。
ここの店長が僕の店の常連客で、相談したら耳飾りに加工してくれることになった。
『幻蝶、汝の行くべき場所へ導け』、困った時そう唱えるといい」
「…………」
エイルは、何も言えなかった。
自分は、取り返しのつかないことをした。
本来なら、見捨てられて当然の立場だ。
けれどルイは自分を突き放すどころか、今もこうして向き合ってくれている。
会ってから日が経っていないのに、まるでずっと前からの知り合いのように。
エイルの目から自然と、涙が浮かんできた。
ここまで来られたのは、彼の存在があったからだ。
あの時ルイに出会っていなければ、今の自分はいなかったかもしれない。
「ありがとう、大切にするよ。
私、絶対に強い冒険者になるよ」
その言葉に、ルイは少し嬉しそうだった。
「――期待している」
エイルの目から、一粒の甘い涙がそっとこぼれ落ちた。
そしてルイは、優しくエイルの頭を撫でた。
<<アインツからの一言メモ>>
い、いたい…………
しにそう……だ…………




