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1-9. 強くなるためには

ダンジョンを出た後のことは、あまりよく覚えていない。

確か、アインツに連れられてリコリスのもとへ行った気がする。


けれどどんな話をしたのか、彼女がどんな表情だったのか……

まるで思い出せない。

多分クエストの報告をしたのだろう。

ただアインツの不機嫌そうな顔だけは、やけに鮮明に記憶に残っていた。



ぼんやりとしたまま歩き続けていると、いつの間にか魔法店に戻っていた。

扉を開けると、ルイがいつも通り笑顔で迎えてくれた。

だが二人の沈んだ空気を見て、何かあったとすぐに察したようだった。


アインツとルイが何か話しはじめたが、エイルの耳には内容が全く入ってこなかった。

そのまま会話には加わらず、黙って階段を上がっていく。




部屋に戻ると、エイルはそのまま布団にもぐり込んだ。

眠たいわけではない。

ただ、何もする気が起きなかった。



これからどうすればいいのだろう?

いくら考えても答えは出ず、さらに気持ちが沈んでいく。

焦りも苛立ちも、やがて空っぽになっていった。


(……もう、疲れたな)


努力しても、もう無駄な気がした。

このまま生きていたら、きっとまた誰かを傷つける。

だったらいっそ、消えてしまった方がいいのかもしれない。




そのときだ。

耳元でバリバリと、どこかで聞いたような不穏な音がかすかに鳴った。

だがそれもすぐに止み、代わりに扉の開く音がした。



布団の中から顔を出すと、部屋はすっかり暗くなっている。

いつの間にか夜になっていたようだ。

廊下から漏れる明かりの中に、アインツの姿があった。


彼はしばらく黙っていた。

いつもの不機嫌そうな表情ではないが、なぜか少し頬が赤く見える。

それ以上に印象的だったのは、その真剣な眼差しだった。


「少し、散歩しないか?」

「……こんな時間に?」

「ああ」


(……もう、どうでもいいや)


今さら何かが変わるとも思えない。

ただ、アインツの言葉に逆らう気力もなかった。

エイルは操り人形のように、ゆっくりと立ち上がった。




***




真夜中の街は、まるで別の場所のように静まり返っていた。

昼間は人であふれていた通りも、今はひと気がなく不気味なほど静かだ。

石畳を踏みしめる音だけが、規則正しく夜の空気に響いていた。




やがて広場に出たところで、アインツが立ち止まり、振り返った。

そして、エイルに何かを投げて渡す。


反射的にキャッチすると、それは一本の木剣だった。


「構えろ」

「…………は?」


何を言っているのか、理解が追いつかない。

けれど、アインツの表情は至って真剣だ。


「接近戦は得意じゃないが、多少の心得はある。

魔法は使わないから、安心して俺に一発当ててみるんだ。

……まぁ、今の君には無理だろうが」


その言葉に、エイルの何かがプツンと切れた。


馬鹿にしないでほしい。


戦績こそ散々だが、自分は幼い頃から戦闘訓練を積んできた。

対するアインツは魔術師で、近接戦は素人のはずだ。


一撃も当てられないなんて、あるはずがない。




「はああああっ!!」


怒りのままに、エイルは木剣を握りしめて突進した。

そして勢いよく一撃を振り下ろす。


だが――


「っ!?」


アインツは、まるで風でも避けるかのように軽くかわした。


「ま、まだっ――!!」


すぐに体勢を立て直し、再び剣を振り下ろす。

何度も、何度も何度も。


だが、アインツはすべての攻撃を難なくいなしていく。

冷静に、一歩も退かずに。




エイルに焦りが募り始めた。


どうしても攻撃が当たらない。

動きは見切られ、木剣は空を切るだけ。

魔物だけでなく、魔術師にもまるで歯が立たない。


それどころか、アインツの動きには余裕すら浮かんでいる。

もはやがむしゃらに振り回すことしかできなかった。


「やっぱりこうなるか」


アインツはふっと身を躱すと、エイルの背後に回り両腕をがっしりと掴んで動きを封じた。


――とても強い力だ。

もがくこともできず、木剣は地面に落ちた。


「っ……なんで…………」


アインツが手を放すと、エイルはその場に崩れ落ちた。

涙を流す力も、声を上げる気力もない。

心も体も、完全に折れていた。


どうしてここまで追いつめるのだろうか?

そう問いかける力も残っていなかった。





「なぜ俺に負けたと思う?」


エイルの様子をよそに、彼は質問を投げかけた。

こんな時に何をと思ったが、脱力した体で振り絞って返答した。


「……力不足、だから?」

「違う」


即座に否定され、エイルは思わず彼の顔を見上げた。


「剣の腕そのものは悪くない。

君が感情任せに動いていなかったら、一発は当たっていたはずだ」


――『感情任せ』

その指摘に、エイルはハッとする。


「でも、俺の挑発にまんまと乗ってしまったのが大問題だ。

それに切羽詰まりすぎている。

ゴブリンに負けたのも、技術の問題じゃない。

恐らく、精神的なトラウマが原因じゃないか?」


アインツはさらに言葉を続けた。


「君が抱えている問題は、大きく分けて三つだ。

一つ目は、負けることに対する極端な恐怖心。

二つ目は、自分が勝つ未来をイメージできていないこと。

三つ目は、戦闘を義務的に行っていること。

それらを何とかしないと、相手がどれだけ弱かろうと勝てないだろうな」



――確かに、アインツの言う通りだ。

アルメリアとの数えきれない敗北が、エイルの心に暗い影を落としていた。

どうせ勝てないという諦めが染みつき、戦いに臨む前から心が負けていたのだ。


『戦闘を義務的に行っている』ことにも心当たりがある。

今の自分が戦っているのは、逃げられない状況にあるから。

仕方なくという気持ちが、エイルの足を引っ張っていたのかもしれない。



「『欲に溺れる愚者、魔剣により破滅を与えられん』

この言葉の意味が分かるか?」

「力を扱えない者が魔剣を手にすると不幸になる、ということじゃ……」

「じゃあその“不幸”というのは?」

「それは――――」


言葉に詰まった瞬間、エイルは自分の致命的な勘違いに気づいた。




これまでずっと、自分が魔剣を手にしたことで村人を殺してしまった――

そのことが“不幸”の意味だと思い込んでいた。


けれど、“愚者”は魔剣を持てば、肉体が崩壊して命を落とす。

それが本来の“破滅”の意味だ。


だが、自分は生きている。

なぜこんなことに気づけなかったのだろう?

それほどまでに、自分は追い詰められていたのだろうか?



「君には英雄の資質が全くないわけじゃない。

ただ、魔剣を手にした時期が早すぎたんだ。

俺が挙げた三つの課題。

それを解決していけば、君は強くなれる。

完全に希望がないわけじゃない」


アインツはしゃがみこんで、エイルの目を見つめた。

クエストを失敗した後に見せた呆れや怒りではない。

出会った時の、あの穏やかな眼差しだった。



「もしかして、それを伝えるために私をここに連れてきたの?

でも、どうしてこんな回りくどいことを……?」


アインツが既に問題に気づいていたのなら、ダンジョンから戻った時に直接言ってくれればよかった。

そうすれば、あんなに落ち込まずに済んだかもしれないのに。




アインツは立ち上がって、少しだけ視線を逸らすと渋い顔をした。


「検討はついていたが、自信がなくてね。

だからもう一度ダンジョンに潜って、確信が持てたときに話そうと思ってたんだが……

それをルイに言ったら怒鳴られてな。

『何で本人に伝えない?』って、思いっきり両頬をつねられたんだ」


彼はそのまま頭を掻きながら続ける。


「確信がないと言っても、『今のエイルのメンタルを考えろ』って更にエスカレートしてしまってね。

仕方なく今日中に確かめてから教えるって約束したら、何とか解放されたよ。

全く……

本当に子供みたいな人だよ、あいつは」


アインツはため息交じりに肩を落とした。


そういえば部屋に来たときのアインツの顔、少し赤かった。

あれはつねられた跡だったのか。


ルイが心配してくれていたこと。

そしてアインツが、ちゃんと考えてくれていたこと。

なんだか、エイルは胸の奥が少しだけ温かくなった気がした。




「悲観する必要はない。

俺が必ず、君を一人前の冒険者に育て上げてみせる。

君やルイのためにも。

――そして、俺自身のためにも」


アインツは座り込んだままのエイルの手を取り、力強く引っ張り上げた。

その手の温かさに、エイルの小さな希望が再び灯り始めた。


<<ルイからの一言メモ>>

アインツの故郷は治安が悪くて、小さい頃から自分の身は自分で守る必要があったらしい。

だから彼はどんな状況でも冷静に対処できるし、魔術師でありながら対人戦の心得があるそうだ。

本人にとって昔の話だが。

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