高校で ~美紀~
美紀のターン
雨が降っている。
ただの夕立ちや通り雨じゃない。
窓の外に見えるそれは、長く燻ぶるための雨特有の匂いを、確かに偲ばせていた。
「さいあくぷー」
前席に座った遙が頬を膨らませながら愚痴を募らせている。
教室の一番端。窓際の一番後ろの席で、私は机に突っ伏しながらその不満の実態をただ眺めていた。
突然の土砂降り。それは地球環境を破壊してゆく私達に対する制裁だ。
誰も彼もが予定を狂わされて、大自然の脅威に晒される。……私達には為す術もない。
教室には帰路を断たれた有象無象が犇めいていた。
外の部活は中止されたし、これから帰ろうとしていた帰宅部の連中――私もその一員である――も教室から動けないでいる。
中にはこの豪雨を物ともせずに帰宅に勤しむ強者の姿も見かけるが、それもごく少数に過ぎない。
空から降り注ぐ雨粒はやがて地を埋め尽くし、さらなる災害をこの地にもたらすだろう。
「これじゃあ家に帰れないよー」
「いいじゃない、帰らなくても」
私はどちらでも良かった。
家に帰っても、帰らなくても、私の気分は変わらないから。
もし雨が止まなければビショ濡れになることになるが、それも悪くはない気分だった。
「なんでー? みっちゃんは雨が好きなのー?」
「雨? 雨は好きよ。だって雨は地球が流す最後の涙なのよ? そこには色んなモノが詰まっているの、だからきっと、寂しい事も嬉しい事も、全てを綺麗に洗い流してくれるのよ」
「みっちゃん、みっちゃんが変になったー!?」
ダウナーな気分の時は、とても詩的な思いが溢れてくる。
それはこの雨のせいなのかもしれないし、違う誰かさんのせいなのかもしれない。
些細な事に気付かされる。
雨のしなる音や教室のざわめき。
流れゆく意識にそっと耳を澄ませば――――。
「ぴーちぴーち、ぱーくぱく♪」
――――なんでもない。
「そうか、遙も変だったか」
「私は~変じゃ~ありませ~ん~♪」
「じゃあ私は変なの?」
「みっちゃんも~変じゃ~ありませ~ん~♪」
奇なる歌声を響かせる目の前の少女に、私は思わず和んでしまう。
「ぷるるるる~ぷらららら~♪」
「あ、携帯の返事きた?」
遙が家に連絡を入れていたのを思い出した。
どうやら彼女は親に車で迎えにきてもらうらしい。
それは関係ないかもしれないが、実はこう見えて遙の家はお金持ちだったりする。
かくゆう私も、そのお相伴に与ろうという魂胆なのだった。
「ま~だ~で~す~よ~♪」
「そ~う~で~す~か~♪」
一緒になってふざけてみると、意外に楽しかった。
「あっ! みっちゃん、見てアレー!」
「やめんのかよ」
私がこんなことをするのは年に一度あるかないかだぞ?
「ほら、アレ、みっちゃんのと同じ傘じゃない?」
はァ? と思って最上階の窓から下界を眺める。
すると確かに見下ろした先(校門の近く)には自分の物と同じ、花柄のピンク色の傘が大きく開花していた。
「あ、ほんとだ。私のとそっくり」
「でしょー。すごい偶然だねー!」
「……偶然?」
そうは思えなかった。
あの傘はただの花柄ピンクな傘じゃない。
デザインは結構奇抜で、そんじょそこらではお目にかかれない代物だった。
なんたってアレは、外国産の傘である。中華やハンバーガーの国じゃない。
両親がシンガポールに新婚旅行に行った時に買ったものである。(らしい)
三年程前、家の押し入れの中で埃に塗れていた所を私が発掘したものだ。
それ以来私が使う事になったのだが、それと全く同じ傘が今ここにあるというのか?
それはおかしい。
確かに私は偉いかバカかと言われれば、間違いなくバカな部類に入るだろう。
そんなバカな私でも、それなりに判ることもある。だから――――。
だから、もう一度聞く。
――――これは本当に偶然なのか?
私でない誰かが、シンガポールに行って、たまたま同じ傘を買って、そいつが私と同じ高校に通っている?
もしくはたまたま同じ傘が日本に、それもこの近くで売られている?
否、そんな事はない……はずだ。
だとしたら?
「……まさか」
「あ、みっちゃん!? 待ってよ~!」
私はかばんを持って教室を飛び出した。
そのまま2段飛ばしで階段を下る。
4階から1階へ、すれ違う生徒には脇目も振らず。
携帯を家に忘れたのが痛かった。
どうして今日に限って置いてきてしまったのか。
自らの失敗が悔やまれる。嫌な予感が脳裏に爆ぜた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
息を切らせながら下駄箱に辿り着いて、急いで靴に履き替える。
その後、雨が止むのを待っている他の生徒達に混ざって、私は玄関のホールから一歩だけ前に踏み出した。
そこから先は外と内の境界線。
降り続く水滴によって描かれた、明確なる世界の分かれ目。
「はぁ、はぁ、はぁ」
心臓は大量の血液を送り出していた。
けれども今は、そんなことは気にしていられない。
私は境界線の内側に佇むほんの一人の生徒となり。
楕円に沿ったホールの端で、その他大勢と同じように一点を見つめる。
「……あ」
最初はそうだと気付かなかった。
その“誰か”が近づいてくる度に、確信は大きくなる。
いつもとはかけ離れたその姿に、思いのほか私は戸惑っていた。
――――なんで。
母さんかもしれなかった。
父さんかもしれなかった。
可能性はたしかにあった。
――――あんたが。
どうゆうわけか黒いスーツに身を包んで。
どうゆうわけかオールバックに変わって。
そいつはたった一人、境界線の外側から。
内側の世界にいる私を見つけて、小さく微笑む。
そして、周囲に潜む好奇の目などまるで気にする様子もなく――――。
「――――お迎えに上がりました、お譲様」
私の前に立って、そう言い放ってくれたのだった。
『…………(ドキドキドキ)』




